9話
本日はもう一本閑話を追加しております。
その日の夜、宮へ戻ってきたアルヴィス。少し遅い夕食を終えると自室のソファーに座り、そのまま背中を預けて天井を仰いだ。
スッキリしない気分なのは、国王との話が想像以上に平行線だったからなのか。それとも付きまとう側妃問題の所為か。そのどちらともか。
「リティに任せるとは言ったが……少しあいつにも手伝ってもらうか」
普段は領地にいる友人。手紙でやり取りをしているのだが、来週からは暫く王都に滞在すると連絡があった。挨拶に来ると言っていたので、その時にでも話をすればいい。当人からも、何かあれば協力するという言質はとっている。当の本人も結婚を急かされているらしいので、そういう意味では良い機会にもなるはずだ。
「あとは……俺が隙を見せなければいいだけだな」
「アルヴィス様、こちらにいらっしゃったのですね」
声を掛けられてアルヴィスは身体を起こした。後ろを振り返ると、そこにはガウンを羽織ったままのエリナがいる。先に寝ていると聞いていたのだが、起こしてしまったのだろうか。慌ててエリナへと駆け寄る。
「エリナ⁉ 寝ていなくて大丈夫なのか?」
いつもならば起きて待っているエリナが先に寝ているということは、それだけ体調がすぐれないということだ。エリナの顔を覗き込むと、当のエリナはクスクスと笑みを零した。
「エリナ?」
「大丈夫です。今日は酷く眠気があって、それで寝てしまっただけですから。昨日までと比べるとこれでも体調は良い方なのです」
「だが――」
体調がいいようには思えないと告げようと口を開くと、エリナはそっと左手をアルヴィスの頬に添えてきた。その行動に思わずアルヴィスは言葉を止めてしまう。
「ですからその様な不安な顔はなさらないでください……無理はしていません」
微笑むエリナだが、いつだってエリナは本当に辛い時は言葉に出さない。そうするべきだと教え込まれているのだ。それがアルヴィスを安心させるための言葉だとわかっている。それでもエリナには前科がありすぎた。鵜呑みに出来ないのも当然だろう。
アルヴィスはエリナを優しく抱きしめた。
「エリナの”無理をしていない”は、あまり信用できない」
「本当に大丈夫なんですよ」
「大丈夫とはいっても、何でもないというわけではないんだろ?」
耐えられるというだけで、回復したわけではない。言い方を変えると、己の腕の中でエリナは少しだけ視線を逸らした。それが答えだ。
「それはその、えっと……」
「寝室にいこう」
「待ってくださいアルヴィス様! ほんの少しだけでいいので、待ってください」
エリナを抱き上げて抱えると、エリナがそう訴えて来る。あまり無理をさせられないものの、エリナがそうしたいと願うならば出来るだけその希望を尊重してほしい。特師医からもそう伝えられていた。だからアルヴィスはエリナを抱えたまま、ソファーへと座った。
「ありがとうございます。ですが、下ろしていただいても」
「却下だな」
「うぅ……」
今、エリナはアルヴィスの膝の上に乗っている状態。だが、今は一人にするように頼んでいるので室内には他に誰もいない。ディンたちもいるのは部屋の外だ。誰に見られているわけでもない。尤も、見られたところで大して変わりはないのだけれども。
そうしてエリナが落ち着くのを待ってから、アルヴィスは声を掛ける。
「それで、どうしたんだ?」
「……今日は朝からずっとアルヴィス様がいらっしゃらなかったので」
「あぁすまない。伯父上とちょっと話を、な」
「何かあったのですか?」
国王と話をした。言葉にするだけで、あの時のことを思い出す。特段喧嘩をしたというわけでもなく、ただ話し合いは平行線を辿ったというだけで何も実にならなかった。これ以上話をしても変わらない。そう認識することが出来たのは成果と言っていいのかもしれないが。
「エリナ」
「はい」
エリナと視線を合わせたアルヴィスは、覚悟を決めてはっきりとそれを口にする。
「俺は側妃を持たないつもりだ」
「え⁉」
「だがそれは、エリナに重責を……負担をかけることになると伯父上には言われた。俺の勝手な想いでエリナに負担をかけるのは本意ではない。けれども、俺には複数の妃を持つことは無理だ」
「アルヴィス様……」
王族として、いや高位貴族として当たり前のことを受け入れない。周囲から、特に親世代からは奇異の目で見られることになる可能性もある。形だけの側妃を受け入れるという選択肢もあるが、蔑ろにすることがわかっているのに誰かを受け入れることなど出来ない。それが政略であろうとも。
「すまない……」
「謝らないでください。私なら平気です。それに……」
「それに?」
俯いてしまったエリナの様子に、やはり苦しめてしまうのかという不安が過る。だが、直ぐにエリナはアルヴィスの胸元の服を握りしめると顔を上げてくれた。そこには頬を真っ赤に染めたエリナの顔がある。
「嬉しいです、私……とても、とても嬉しい」
「……」
徐々にその目には涙が溜まっていった。エリナが目を細めるとポツリとしずくがこぼれ落ちる。それを合図に、涙がとめどなくあふれ出てきてしまう。
「ご、ごめんなさい……嬉しくて、本当はダメなのにわたくしは」
これを喜ぶのは間違っていると感じているが、それでもエリナの本心がそれを望んでいる。そう受け取ってもいいのだろうか。アルヴィスの希望を受け入れてくれたと。
アルヴィスは涙で濡れた目元に、そっと口づけを贈る。
「あ」
「ありがとう、エリナ」
そのままアルヴィスはエリナの唇に己のそれを重ねた。




