5話
王妃に呼ばれて出向いた先にいたのは、ヴィズダム侯爵とその令嬢だった。傍に令嬢を伴っていること自体に溜息が出そうになるのを、辛うじて堪える。
「アルヴィス、突然ごめんなさいね」
「いえ、構いません」
「あまりエリナがいる前ではお話しにくいことだから、この機会にと……時期としてはあまり相応しいとは言えないけれど」
呼び出した張本人である王妃自身もあまり乗り気でない様子が窺える。それはエリナの体調を鑑みてなのか。それとも心情を想っているのか。どちらにしても、王妃が望んでいるという状況でアルヴィスが不快感をあらわにするわけにはいかない。この場にエリナがいたとしても、きっと彼女も顔には出さなかっただろう。
「ご配慮ありがとうございます」
「ごめんなさい、エリナにも後で――」
「それは不要です。伯母上から言われれば、エリナは頷くしかありませんから」
「アルヴィス……」
冷たく聞こえるかもしれない。それでも実際に王妃から謝罪などされれば、エリナは許すことしか出来ないのだ。不満を言う事も出来ない。そこにあるのはただ王妃がエリナに配慮したという事実だけで、エリナの道を塞ぐことにしかならないのだから。
「それよりも、私を呼んだ理由をお聞かせください」
長居したい場所ではなく、目的も聞かずともわかっている。それでも聞かされるまでは、その通りに動くつもりはなかった。アルヴィスにそのつもりはないという意思表示でもある。
「そう、ね。アルヴィスも知っていると思うけれど、ヴィズダム侯爵とそのご令嬢よ。是非あなたに挨拶をしたいと。そうね、フォーレス侯爵家からの推薦と思ってもらえるかしら」
フォーレス侯爵家。それは王妃の実家だ。ヴィズダム侯爵とは縁戚関係にもある。王妃の母方の祖母がヴィズダム侯爵出身だったはず。複雑な表情をしているのはそういうことなのだろう。
「王太子殿下、先日振りですがお元気そうで何よりでございます。重傷を負ったとお聞きした時は我が娘も気が気ではありませんでした」
「心配をかけてすまない。ありがとう」
娘というアピールには反応せず、アルヴィスは答えを返す。ヴィズダム侯爵は忠臣ではあるものの、腹の底では何を考えているかわからない狸のような人物。それが周囲の評価だった。
「王太子殿下、娘を紹介させていただいて宜しいでしょうか? 本当は妃殿下にまずご挨拶をと考えておりましたのですが……」
「そうか」
こういうところも抜け目がない。エリナを蔑ろにするつもりはなく、あくまでエリナを立てているということを示している。エリナの許可なく、そういうことをするつもりはないと言外に言っているのだ。それはつまり、エリナならば受け入れることを見越していることに他ならない。
「王太子殿下、娘のティエリアでございます。ご挨拶をさせていただいてもよろしいでしょうか?」
「あぁ」
アルヴィスが許可を出すと、ヴィズダム侯爵に促された令嬢がアルヴィスの前に出る。ドレスを持ち上げて、腰を落としながら頭を下げた。
「ヴィズダム侯爵家次女のティエリアでございます。王太子殿下、どうかよろしくお願い申し上げます」
「こちらこそ宜しく、ヴィズダム嬢」
いつものように微笑んで挨拶をすれば、アルヴィスの横で王妃が安堵の息を吐いていた。王妃の役割は、ティエリアとアルヴィスを引き合わせること。その先までは確約していないらしい。チラリと国王へと視線を向ければ、少しだけ表情が強張っている。王妃の実家が元凶だとは思うが、国王も絡んでいるということか。
「ゴホン、アルヴィス。折角の機会だ。ヴィズダム嬢と踊ってきたらどうだ?」
「有り難いお言葉なのですが陛下、我が娘はまだまだ社交界には不慣れでして。王太子殿下のお相手が務まるかどうか」
「アルヴィスに任せればよい。どうだ、アルヴィス?」
「……私は問題ありません。不慣れという事であれば、フォローするのも私の役割ですから」
立太子後に行われたアルヴィスの生誕祭でも、複数のデビュータントの令嬢とダンスを踊った。初めての社交界という場であれば、王族男児にダンスを請うことは決して珍しくはない。その一環ならば相手をする。アルヴィスの言葉はそういう意味だ。
アルヴィスはティエリアに手を差し出した。
「では、ヴィズダム嬢お相手をお願いできますか?」
「光栄でございます」
ゆったりと手を乗せてきたティエリア。その手を取って、アルヴィスは再びダンスの輪の中に入っていった。不慣れとはいいつつも、堂々とした佇まい。これならば逆に自慢してもいいくらいに、ティエリアは落ち着いていた。
「侯爵は謙遜しすぎのようだな」
「そのようなことはございません。ですが、私も王太子殿下に恥を見せる訳にも参りませんから、これでもいっぱいいっぱいなのでございます」
「なるほど、ヴィズダム嬢が言うのならばそういう事にしておくとしよう」
「ありがとうございます」
アルヴィスが再びダンスをしているということからか、視線を多く感じる。その相手がヴィズダム侯爵令嬢だからというのも多分にあるのだろう。全く以て面倒事になりそうな予感がする。そうして頭を過るのは、エリナの顔だった。今頃どうしているだろうか。無理やり眠らせたとはいえ、そのまま戻るまで眠っているとは限らない。出来れば、アルヴィスが戻るまで寝ていて欲しい。目が覚めた時に傍にいられるように。
「王太子殿下、どうかなされましたか?」
「……失礼、少々考え事をしていた」
ダンスを踊っているというのに、心あらずな様子を見せられればティエリアとて不快に思うだろう。
「それは、妃殿下のこと、でしょうか?」
「何故、そう思う?」
「王太子殿下と妃殿下が相思相愛だというのは、学園でもよく耳にします。父からも、そのようにお聞きしていますから」
「知っているならば、ヴィズダム嬢とてこういうことは不本意ではないのか?」
王妃と国王を後ろ盾にして、アルヴィスと接触する機会を設けた。それはつまり、ティエリアを側妃にしたいというヴィズダム侯爵の思惑があるからだ。アルヴィスとエリナが想い合っていることを理解しているのならば、その先を望めないことも想像できるだろう。この思惑に乗ったところで、ティエリアにメリットなどないはずだ。
「母は、私を高位貴族の下へ嫁がせたいと考えていたのですが、先の一件以来慎重になってしまいました。ならばいっその事王太子殿下のところへと考えたそうです」
「あのようなことが起きることなどそうないとは思うが……不信感を抱かせたという点については申し開きは出来ないな」
「ですから、王太子殿下が側妃を望んでおられるということであれば、その末席に加えていただくのも選択肢の一つだと思いました」
「選択肢の一つ、か」
側妃となることを望んでいるというわけではないにしても、そのまま貴族へ嫁ぐということに疑念を抱いている。だからこそあくまで一つの道でしかないということか。意外と現実を見ている令嬢だが、高位貴族ならばそのようなものなのかもしれない。愛し愛されるなどという優しい夢を見ることが許されないと、知っているのだから。
「それで、ヴィズダム嬢はこれに乗ったというわけか」
「はい。ですので、是非私を末席に加えていただけませんでしょうか? もちろん、妃殿下様を最優先にしていただいて、私のことはたまに気にかけて頂けるだけで構いませんので」
ティエリアは貴族にしてはありふれた茶色の髪に、黒い瞳を持っていてこれといって目立つような容姿をしていない。だからこそ、こういった売り込み方にしているということか。あくまで冷静に。淑女らしく。アルヴィスに縋るわけでもなく、淡々と。害がないのだと示すために。
リトアード公爵家との関係性を鑑みても、これが悪い話ではないことは理解できる。わかってはいるが、それでもこれを受ければ一番報われないのはティエリアだ。だから、アルヴィスはこう告げるしか出来なかった。
「その申し出は、受けられない」
「……え」
出来るだけ丁寧にと考えていたら、思いの外長く・・・
難しいですね(^_^;)




