幕間 側妃として
「そうですか、王太子妃殿下が。それはおめでたいことですわね」
先日、アルヴィス王太子の妃であるエリナが懐妊したことがわかったらしい。まだ内密のこととしているのは、エリナの心情を慮ってなのだろう。次期国王の正妃であるエリナから生まれる子ども。誰もが関心を持つ話題だ。その注目される話題は、それが男児なのかどうかということ。公表すれば、瞬く間に広がっていく。それがどれだけの重荷となるのか。理解出来るのは、王妃と側妃である自分しかいない。
そう、ここは後宮。側妃であるキュリアンヌを訪ねてきたのは、ここに自由に出入りできる男性の一人、国王その人だ。人払いをしたいということなので、ここにはキュリアンヌと国王の二人しかいない。慶事を報告しに来た割には、難しそうな表情のままでいる国王に、キュリアンヌは淡々と尋ねる。
「それで、私の下をお尋ねになったのはどういうお話がおありなのでしょうか? 慶事だけではないのでしょう?」
「あぁ……実はだな、アルヴィスにそろそろ次の令嬢を娶るようにと話をしたのだが」
まさに予想通りといったところか。きっと国王も悪気があるわけではない。ただ慣例に従っているだけ。そこにはアルヴィスへの想いも、エリナへの気遣いもない。ただ、それが必要だという事実を述べているだけなのだ。キュリアンヌは深く息を吐いた。
「王太子殿下は、どう仰っていましたか?」
「……今は考えられない、と言われた。その後で、王妃にもタイミングを考えろと言われたのだが……」
「当然かと思います。両殿下方が婚姻なされてから、まだ一年も経っておりません。それに、懐妊直後にその話は、流石に同じ女性としては許容し難いものです」
理解していることと許容できるかは別問題だ。必要だという意見を否定するつもりはないが、王妃の言う様にタイミングが悪い。下手に心労を掛ければ、エリナへの負担がかかってしまう。尤も、国王に話したところで理解はしてもらえないだろうが。
「だが、余が退位してからでは遅い。せめて苦労を背負わせてしまったのだから、それくらいは――」
「余計な世話でございます」
「っ⁉」
「陛下、側妃をどうするかは王太子妃殿下の采配が必要です。陛下ではありません。王太子妃殿下です。私の時も王妃様が決断されたことだったはずです」
実際には、キュリアンヌの言葉は正しくはない。現時点において、国王が命令を下すことは可能だ。国王がそう決めれば、アルヴィスたちは従うしかない。それでも当事者に代わって事を進めるのは、誰にとっても良い結果にはならないはずだ。
それに、もしアルヴィスが即位した後であれば話は変わってくる。後宮の主となるエリナが決めることになるのだ。その後でも十分に間に合う。苦労を背負わせたというのであれば、猶更である。
「アルヴィスは優しすぎる。だが、それでもこれは義務なのだ。余が道を作って――」
「王太子殿下がお優しいのは知っております。ですが、あの方は自らの手を汚すことを嫌う人ではありません。むしろ、望んでその手を汚すのではありませんか?」
「……其方は、アルヴィスとそれほど交友があったか?」
初めて知ったという風に驚く国王に、キュリアンヌは首を横に振った。キュリアンヌはそれほどアルヴィスのことを知っているわけではない。貴族子息としての姿を見たことも、騎士としての姿を見たことはあるが会話らしい会話をしたことはなかった。では、何故そう言い切れるか。それは娘たちのお蔭だ。
「リティーヌとキアラは、王太子殿下と良好な関係であることをお忘れですか? 特にリティーヌはここを飛び出してはよくあの方のところへ行っていたではありませんか」
「……そう、だったな」
ジラルドの傍に居ない方がよい、という判断からリティーヌがベルフィアス公爵家の領地に行くことは半ば黙認されていた。ここにリティーヌがいてはジラルドの教育に良くないと。リティーヌの為ではない。ジラルドの為だった。今となっては、リティーヌにとってもここよりはベルフィアス公爵家の領地の方が居心地が良かったのかもしれない。幼馴染として良好な関係を築いているアルヴィスとリティーヌの姿を見ていると、特にそう思う。
「リティーヌがそう断言していました。あの子は頭の良い子です。偽りは申しません」
「だが、王となる者が一人も側妃を取らないのは慣例にない。いずれはそうする必要もある」
「そうかもしれません。私から申し上げられるのは、妃殿下の意見を取り入れるべきということくらいです」
「エリナの?」
「序列関係を乱すような方であれば困りますから」
己を律し相手を立てる。それは何も夫となる男性だけに当てはまることではない。むしろ女性同士の方が必要なことだ。ジラルドが廃嫡される原因となったあのような女性も存在する。警戒しておくことに損はない。
「ただ……リティーヌは何やら画策しているようですから、陛下の思い通りにはならないかもしれませんわね」
「ん? 何か言ったか?」
「いいえ、何でもございません」
わざわざ知らせる必要もないだろう。リティーヌはエリナを気に入っている。だからそのために動こうとしているのだ。きっとそれは、アルヴィスの為でもあるのだろうけれど。
「あの子も……報われない想いをしているものですね。流石は母娘、ということでしょうか」
キュリアンヌは側妃を一人、もしくは二人以上迎えるのは当然だと考えている。高位貴族でも第二夫人を迎えるのが普通だ。そこにあるのは愛情ではなく、義務と責任。良くて親愛だろう。それでも人は誰かを好いてしまうものだ。キュリアンヌとて身に覚えがある。まるで道具の様に嫁いできたことに、後悔はしていないが虚しさを感じることがないわけではない。
ジラルドとの一件で、キュリアンヌは周囲が言うほどエリナを評価することが出来ない。格下の令嬢を許すなどしてはいけなかったのだ。学園から追い出すくらいはしても構わなかったとさえ思っている。その不要な優しさが、後に自分を傷つけることになるのだから。
それでもエリナは王太子妃としてその地位を手に入れた。誰もが羨む、次期王妃としての立場に。そんなエリナを羨む者たちは少なくない。エリナが良くできた令嬢だとしても、だ。
「少し、風を吹かせてみましょうか」
「キュリアンヌ?」
「私も母、ですから」
「?」
全く以て意図がわかっていない国王。だがそれでいい。キュリアンヌはただにっこりと微笑んで見せた。
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