閑話 妃と従妹と計画と
それから数日後のこと、エリナは王太子宮のサロンでリティーヌと対面していた。
「リティーヌ様、わざわざありがとうございます」
「いいのよ。私が会いたかったんだから。それとこれ、お祝いなんだけど受け取ってくれる?」
そういってリティーヌは花束と、小さな箱をエリナへと差し出した。花はおそらくリティーヌが温室で育てているものだろう。するとこの箱は一体なんだろうか。
「これはキアラから。まだお披露目してるわけじゃないから、内々にしかお祝い出来ないからってことでキアラの手作りよ」
「キアラ様が……ありがとうございます。本当に嬉しいです」
キアラが自ら手作りをしたもの。箱を開くと、その中には小さなお花の形をしたクッキーがあった。エリナも聞いたことがある。キアラがアルヴィスへ手作りのお菓子をプレゼントしたことがあると。まさか、それをエリナが貰える日が来るとは思わなかった。
「本当におめでとう。キアラも複雑なようだけれど、それでも楽しみにしているみたいよ」
「キアラ様はアルヴィス様を本当に慕っておりますもの」
「まぁバカが兄らしいことをしてなかった所為だけれどね」
キアラとジラルドの関係が希薄だということは、エリナも知っている話だ。側妃から生まれた姉妹に対して思うところがあったのかもしれない。今となっては知る由もないことだが。
「それで、アルヴィス兄様からちゃんと感謝とか言われた?」
グイっと顔を近づけて来るリティーヌに驚き、エリナは少しだけ身体を引いた。その表情が怒っているようにも思えて、エリナは反射的にコクコクと頷く。
「ほんとに?」
尚も疑わし気な表情をするリティーヌ。それほどアルヴィスは信用されていないのだろうか。数日前のことをエリナは思い返していた。
『すまなかったエリナ』
『アルヴィス様? どうされたのですか?』
突然の謝罪に何事があったのだろうと、エリナは慌てる。だがアルヴィスは首を横に振って、そっとエリナを抱きしめてくれた。ここは夫婦の寝室で、別に誰が見ているわけでもない。だが何の前触れもなく謝罪と共に抱きしめられれば、逆に不安になるというもの。エリナはアルヴィスの腕の中から上を見上げる。
『子どものことだ。君に、何も言ってなかった。今更だが』
『それは――』
『不安なのは確かだ。だがそれでも俺が先に言うのは違う言葉だった。それに……俺以上に不安なのはエリナだろう?』
申し訳なさそうな表情でエリナを見下ろすアルヴィスに、エリナは困惑していた。あの時のアルヴィスの気持ちを考えれば、エリナを気遣う余裕がなくても仕方のないことだと思っている。エリナにはアルヴィスの辛さを共有することはできない。何よりも、アルヴィスは自分の喜びよりも他人の悲しみを重く受け止める人だ。そんなアルヴィスを好きになったのだから、これ以上のことをエリナは求めてなどいなかった。そもそも、男性とはそういうものだとサラたちも言っていたので、特段気にしてはいない。
だが、それでも不安なのは確かだった。経験がないことで、自分の身に命が宿っていることに対する責任。それがいずれは国を支える男児かもしれない。いや、男児を生まなければならないという義務感。世間にこれが公表されれば、皆がそれを望むだろう。もし男児ではなく女児だったならば。それを怖いと思ってしまう自分がいる。
弱音とも取れる発言になってしまう。言ってもいいのだろうか。この人に今の自分の想いを。じっと見つめるアルヴィスの瞳が優しくて、エリナは口を開いてしまう。
『怖い、です』
『……』
『私は、アルヴィス様の正妃で……男の子を生まなければなりません。でもそれが女の子だったら? 私はその子に言ってしまうかもしれません。男の子が良かったと。違うのだと』
吐き出してしまえばつらつらと出てきてしまう不安。男の子が良かったと言ってしまうのではないか。周りがそれを望んでいるのに、どうして生まれてきたのだと。嫌な母親になってしまうのではないかと。
否、そもそもきちんと生んであげることが出来るのだろうか。母と正妃として立つことが出来るのだろうか。教育を受けてきているのに、それだけの自負があるというのに一人になると「もしも」を考えてしまう。
『私は……ちゃんと母になれるのかと』
『……そういう意味では、俺の方が危ういだろうな』
『え?』
『何でもない』
困ったように首を横に振ったアルヴィスは、少しだけかがんでエリナの額へと己のそれをくっつけた。
『エリナ』
『は、い』
『俺が望むのはただ一つ。君が無事にいてくれればいい。男でも女でも構わない。それだけだ』
『……アルヴィス様』
『本音を言ってくれて、ありがとう』
情けないとは思わないのだろうか。このような弱音を吐いて未熟者だと。しっかりしろとは言わないのだろうか。
『エリナはいつも言いたいことを飲み込む。それに俺は甘えているが……ただ、ここには俺しかいない。だから言いたいことはちゃんと言ってほしい』
『言っても、いいのですか?』
『あぁ』
ちょっとだけ。この雰囲気の中ならば勇気が出せる気がした。だからエリナは本当は怖くて聞きたかったことを尋ねてみる。
『アルヴィス様は、嬉しいですか? 子どもが出来たこと』
思いも寄らない言葉だったのか、アルヴィスは目をぱちぱちとさせた。だが次にはフッと笑みを浮かべる。
『……もちろんだ。ありがとう、エリナ』
優しい口づけと共に与えられた言葉。それだけでエリナはこれまでの不安が薄れていくのを感じた。
「……エリナ、顔が赤いわよ?」
「っ……」
アルヴィスとのことを思い出してしまったせいなのだろうか。両手を頬に触れさせると、少し熱くなっている。リティーヌがいるというのに、何を思い出しているのだろうか。
「も、申し訳ありません」
「いいのよ。もしかしてアルヴィス兄様との夜でも思い出したの?」
「い、いえその……それは」
「ふふふ、その顏は図星なのね」
いかにも面白そうに笑うリティーヌだが、エリナは反論が出来なかった。いつまでも笑っているリティーヌを止めることも出来ない。エリナは少しでも火照りを冷まそうと、冷めつつあった紅茶に手を伸ばす。
漸くエリナも落ち着いた頃、リティーヌはお茶菓子を摘まみながらゴホンと咳払いをした。どうしたのかと、エリナも居住まいを正す。
「でも仲が良くて何よりよ。本当に。これなら、こっちもうまくできそうだし」
「リティーヌ様?」
「ねぇ、エリナ。アルヴィス兄様のことなんだけど、怒らないで聞いてくれる?」
「は、はい」
「あの人の計画を邪魔しようと思ってるの」
リティーヌがいうあの人は国王陛下のことだ。国王の計画を邪魔するとはどういうことなのだろう。アルヴィスが関わってくるにしても、計画とは一体。
「あの人、アルヴィス兄様に側妃を勧めるつもりみたいなんだけど……当のアルヴィス兄様本人が断っている状況らしいのよ」
「……アルヴィス様が」
側妃。その言葉を聞くと、胸が痛む。だがこれは貴族令嬢ならば避けては通れないこと。どれだけ相手を愛していても、それが貴族社会。更に王族ならば尚のことだ。
「私なら、覚悟は――」
「エリナ、どうして側妃が必要なんだと思う?」
エリナの言葉を遮る形でリティーヌが質問をぶつけて来る。どうして必要なのか。考えるまでもないことだ。
「現時点で王族の男児は多くありません。遡れば傍系はいらっしゃるのかもしれませんが、直系ではない限り直ぐに王族に迎えるのは難しいはずです」
もしそうなれば、王位継承権をめぐっての争いが起きる可能性もある。だからこそ直系の存在が必要なのだ。今は王位継承権はアルヴィス、そしてベルフィアス公爵家の三男であるヴァレリアの二人が持っている。逆に言えば二人しか直系がいないという事になるのだ。
「そうね。直系でいえば私やキアラ、ラナリスたちもそうだけれど女だし。男で言えば叔父様たちが放棄した以上、アルヴィス兄様を除けばヴァレリアしか持っていないということになる」
「はい」
だからこそ、その血を受け継ぐ存在が必要だ。出来ればそれはアルヴィスの血を引く子どもが相応しい。アルヴィスに二人かそれ以上の子どもを求められていることはエリナとてわかっている話だ。
「つまり問題は妃の数ではなくて、子どもの数ってことよね」
「まぁ、そう、ですね」
「そして現実問題として、アルヴィス兄様にその気がない。兄様はっきり言ってたわ。エリナ以外を抱く気がないって」
「なっ……」
何を突然言っているのだろう。その言葉の意味を理解して、エリナは再び顔を真っ赤にする。いや、先程の比ではない。エリナの反応をニヤリと見つめるリティーヌ。
「ということでエリナ。ご令嬢たちへアルヴィス兄様がエリナ以外目に入っていないっていうのを見せつけてやりたいのだけど」
「うぅ……」
「協力者として手始めにランセル侯爵令嬢を呼ぶつもりなの。協力、してくれるでしょエリナ?」
否とは言わせないリティーヌ。エリナに残された選択肢はなかった。
誤字脱字報告ありがとうございます!
ちょっと甘い雰囲気が出せていたらいいなぁと思います!
コロナ感染者が劇的に増えていて、お買い物も神経を使いますよね。
花粉も飛び始めているので、花粉症の方々にとっても辛い時期がきました。
どうか皆様もご自愛ください。
少しでも楽しんでもらえるようにこれからも頑張ります!




