24話
翌日、アルヴィスは国王への報告を終えた後、回廊をゆっくりと歩いていた。その気分は憂鬱と言っていい。この報告を待っていた、とでもいうような国王の様子にアルヴィスは不敬だと分かっていても、その場で溜息をつきたくなってしまったほどだ。
そんなアルヴィスの前に、回廊の奥から女性が歩いてくるのが見えた。侍女と共に和やかな雰囲気で歩いてくるのはリティーヌだ。アルヴィスに気が付くと、リティーヌは侍女を離れさせて駆け寄ってくる。
「おはよう、アルヴィス兄様。ここに一人でいるのは珍しいわね。いつもの護衛たちは?」
「おはよう。今日はちょっと私的な用事があったからな。レックスたちは近衛の詰め所にいるはずだ」
前までは常に誰かが控えるように傍にいたが、結婚式を終えてからは王城内では一人でいることも増えた。元々、彼らが城内でも傍にいた理由はアルヴィスの意識改革のようなものだ。護衛というのは名目上でしかなかった。もちろん、一人でいるよりもレックスたちが傍にいることが多いということに変わりはないのだが。
「そう、ならいいけど……」
途中で言葉を止めたリティーヌは、ジッとアルヴィスを見つめる。その様子にアルヴィスは怪訝そうに首を傾げた。
「リティ?」
「あの人と何かあった?」
「どうしたんだ急に?」
あの人とは、国王のことを指している。この回廊の先にあるのは国王の執務室なので、そこに用があったという事は容易に想像できるだろう。だが、アルヴィスが国王の執務室を訪ねることはそれなりに多い。王太子と国王という間柄なので当然だ。なので、特に引っ掛かりを覚えるようなことはないはずなのだが、リティーヌは何がかあったと確信しているようだった。
「皺が寄ってる。それに考え事しながら歩いていたでしょ? いつもより歩く速度が遅かったし」
「……どこから見てたんだ」
「それは内緒よ。それで、どうしたの?」
幼馴染ということもあって、リティーヌに隠し事は出来ないらしい。アルヴィスは溜息をつくと、周囲を見回して人がいないことを確認する。遠くでリティーヌの侍女はいるが、声は聞こえていないだろう。それでも声を潜めるようにして、アルヴィスは口を開いた。
「エリナが……懐妊した」
「……え、ちょっと待って。何? エリナが妊娠したの?」
「あぁ」
「わぁ! ほんと? おめでとう! 後でお祝いに行っていい? キアラにも伝えないと」
我が事のように喜ぶリティーヌに、アルヴィスは苦笑いする。まだ公表することは出来ないので、キアラに伝えるのは待ってもらいたいと伝えると、不満そうに口を尖らせた。
「全く、あの人もわかってないわね。こういうことはちゃんと祝福してますって伝えないと、エリナだって不安になるんだから」
「そう、なのか?」
「って待って。その反応……まさかとは思うけど兄様、エリナにちゃんとありがとう、とか言った? ちゃんと喜んでるって伝えた?」
「いや――」
言っていない、と答えようとしたアルヴィスの眼前にリティーヌがビシっと指を突き出してきた。思わず身体をのけぞってしまう。リティーヌの表情には、怒気がありありと浮かんでいた。
「アルヴィス兄様!」
「は、はい」
「ただでさえ兄様の態度はわかりにくいの! なのに言葉でも伝えてないって、エリナがどれだけ不安に感じていると思うのよ。責任は兄様にもあるんだから、ちゃんと言わないとだめでしょ!」
「あ、あぁ」
ガミガミと説教をするリティーヌに、アルヴィスはただ首肯するしか出来なかった。曰く、エリナというか女性側に対する負担についてつらつらと述べられる。キアラという少し年の離れた妹がいるからか、やけにリティーヌは詳しかった。アルヴィスにも妹はいるが、気が付いたら生まれていたので、その間にどういう状況だったのかなど全く知らないのだ。
一通り言い切ったリティーヌは疲れたように、深く息を吐く。
「全く……兄様の気持ちもわからないわけでもないけど、それとこれとは話が別よ。こういうところだけは、血のつながりを感じるわね」
「それ……伯父上のことか?」
「他に誰がいるのよ」
リティーヌは、アルヴィスの言葉に食い気味に国王である父を非難する。会話は以前より増えたようだが、リティーヌの国王への想いは変わっていないらしい。
「まぁいいわ。もうちょっと落ち着いたら会いに行くってエリナに伝えておいて。もちろん、その時はアルヴィス兄様にも伝えるから」
「わかった」
「それと……さっきの続き、何かあったの? エリナが懐妊したのは喜ばしい話でしょ? あの人も喜んだと思うけれど、何を言われたのよ」
エリナの懐妊報告には国王も喜んでいた。それはいい。だが、問題はその後だった。アルヴィスは鬱陶しそうに前髪を描き上げる。
「……エリナが安定したら、令嬢たちを集めると言われた」
「はぁ⁉ それって……あぁ、そういうことね。それでなんて答えたの?」
「考えられない、と」
この答えは王太子としては間違っているかもしれない。国王が側妃を持つのは義務のようなもの。男児にしか継承権がないルベリアにおいて、後継者を生むことのできる妃の存在は必要不可欠だ。更にアルヴィスの正妃であるエリナが懐妊した。だからそろそろ準備をしろと国王はそう言っているのだ。側妃を受け入れる準備を。
「ふーん、それであの人はなんて?」
「納得はしていなかったが、今はエリナを優先することだけは認めてもらえた」
「何だかんだと、アルヴィス兄様にもエリナにも負い目があるしね。あの人からすれば認めるしかないってところ?」
「かもしれないな」
ただの時間稼ぎにしかならないかもしれない。それでも、アルヴィスにはその未来が想像できなかった。エリナ以外を妻にするという未来が。
「ねぇ、兄様も覚悟していたんじゃないの? いつかそういう日が来るってことを」
「……確かにそうだ。だが、思った以上に俺は器用ではなかったらしい」
命令されればそうせざるを得ないことはわかっていた。その上で、アルヴィスもエリナも婚約を受け入れた。それでも今、アルヴィスはエリナ以外を抱くことは出来ないだろう。
「アルヴィス兄様が不器用だなんて、みんな知ってるわ。特に、女性相手には」
「……それではいけないんだろうがな」
「兄様」
これではただの愚痴だ。この期に及んで、エリナ以外は嫌だと突っぱねることなど出来ないことはわかっている。頭では理解していた。感情が追い付かないだけで。
二人の間を沈黙の時間が過ぎる。暫く黙っていると、何やら考え込んでいたリティーヌが真剣な表情をアルヴィスに向けた。
「ねぇ、アルヴィス兄様。この件、私に任せてくれない?」
「リティ?」
「この手のことは女性同士の方がいいし、エリナとちょっと話をしてみたいから」
「いや、リティたちは――」
「誰にだって向き不向きがあるの。あの人や叔父様は大丈夫だっただけで、それに兄様が当てはまるというわけでもないでしょ?」
二人以上妻がいるのは、国王やアルヴィスの父だけではないが、何となく同意するのは憚られる。貴族であれば当たり前と受け取られている風潮なのだ。むしろ、妻が一人というのは平民や下級貴族くらいだろう。国の頂点にいる王族に妻が一人というのは、これまでも例にないことだ。
「……たった一人しかダメっていう人がいても私はいいと思う」
「え?」
「一人に愛してもらえればそれでいい。それが……自分が愛した人なら尚更ね」
どこか寂しそうに話すリティーヌに、アルヴィスは何と言っていいかわからなかった。
側妃の話題をすると、悲しいという感想を良くいただきます;;
でも避けては通れないことなので、ごめんなさい泣
今回は、次章の予告みたいな話でした。
ということで、次章はこの手の話がメインとなる予定です。
エリナが悲しい話にはしないつもりですので、どうか見守っていてください!




