18話
予定より遅れること数日。アルヴィスとエリナがリュングベルを離れる日となった。本来ならばもっと早く出立する予定だったのだが、アルヴィスの体調を考慮した結果だ。
見送りに来たフォルボード侯爵は深々と頭を下げる。彼だけの責任ではないのだが、今回の件ではそれを重く感じているらしい。
「侯爵、頭を上げてくれ」
「そういうわけには参りません。この度は殿下に多大なるご迷惑をおかけいたしました。本当に、なんと謝罪をしたらよいのか……」
「背中の怪我は俺の不注意でもある。それに、同じようなことを起こさないようにするのが侯爵の役目だ。孤児院も含め、後の始末は侯爵に任せる」
「はっ、同じような真似はさせません。この命に代えましても」
大袈裟だとは言えなかった。アルヴィス個人としては、今回負った怪我は過去の自分の過ちの結果だと思っている。しかし、それはあくまでアルヴィスだけのものだ。外から見れば、王太子が負傷しただけで大事となっている。その責任が領主であるフォルボード侯爵に向けられるのは当然なのだから。
ゆっくりと顔を上げた侯爵に、アルヴィスは頷いた。
「では世話になったな」
「いえ。殿下も、どうか道中お気を付けください。お身体も十分ご自愛くださいませ」
「あぁ、ありがとう」
完治するまでとはいかずとも、もうしばらく体調が整うまで滞在をと懇願していたフォルボード侯爵だが、アルヴィスとてこれ以上王都を留守にするわけにもいかない。国王にもアルヴィスの口から話すべきだろう。
「伯父様、お世話になりました。伯母様もどうかお元気で」
「ありがとうございます。両殿下も、帰路の無事をお祈り申し上げます」
「ありがとうございます」
エリナも夫妻へと挨拶をすると、アルヴィスと共に馬車へと乗り込んだ。馬車の中には、いつもより多めにクッションが用意されている。アルヴィスの怪我への負担を軽減するためだ。アルヴィスが座るとすぐにエリナが背中へとクッションを入れる。
「アルヴィス様、お辛くはありませんか?」
「大丈夫だ」
「少しでも違和感がありましたら、横になってくださいね」
「わかっているよ」
今のところ体調に問題はない。だが馬車での移動は怪我に負担をかけてしまうかもしれないと、予め言われていた。馬車内ではエリナとアルヴィスの二人。何か異変があればすぐにエリナへ知らせるようにと、ディンたちを筆頭に言われている。我慢をしたところで、彼らに迷惑をかけることになることに変わりはない。であるならば、その指示には従うべきだろう。
王族が乗る馬車ということもあって、それほど振動が激しいわけではない。それでも長時間乗っている必要がある。普段ならば、どうということもない距離。アルヴィスは少し緊張しながら、外を見つめていた。
公務として訪れたリュングベル。まさか、己の過去ともう一度向き合う日が来るとは思わなかった。エリナが攫われ、助けに行った場所でトーグと対峙した。あの状況の中、アルヴィスが怪我を負うだけで済んだのは運が良かったのかもしれない。それとも、ルシオラの恩恵のお蔭か。いずれにしてもエリナに一つでも痕が残る様な傷がついていたならば、アルヴィスは己を許せなかったことだろう。
アルヴィスは隣に座るエリナへと振り返ると、そっとその髪の毛に触れた。
「アルヴィス様?」
「本当に、君に怪我がなくてよかった」
アルヴィスが怪我をしたことで、エリナはこんなことを言われても嬉しくないかもしれない。エリナは優しい女性だから。だが、それでもアルヴィスにとっては自分よりもエリナの身の方が優先だった。こうして王都へ帰ることになったから、それを強く感じるのかもしれない。無事でよかったと。アルヴィスはエリナから手を離す。
「王都に戻ったら気分転換にでも連れていきたかったが、暫くは無理だろう。すまない」
「いいえ、今はアルヴィス様がお怪我を治すことが優先ですから」
エリナならばそう言うだろうとわかっていた。いつだって彼女はそうだったから。でも、それではいつか気が詰まってしまう。
「何かして欲しいことはないか?」
「え?」
「俺の所為で、色々と巻き込んでしまったからな。今の俺に出来ることは少ないが、それでも何か望みがあるならば言ってほしい」
アルヴィスがそう言えば、エリナは珍しく少し考え込んだ。チラリとアルヴィスを盗み見たかと思うと、意を決したように居住まいを正す。
「何でも宜しいですか?」
「あぁ」
「今すぐでも?」
「……俺に出来ることなら構わないが」
今すぐ、という言葉にアルヴィスは困惑する。しかし聞いたのはアルヴィスからだ。一体何を言われるのかと構えていると、エリナは少し馬車の端の方へ移動する。そして、己の膝をポンポンと叩いた。
「エリナ?」
「ここに横になってくださいますか?」
「……」
「何でもいいと仰ったので、アルヴィス様に膝枕をしたいと思ったのですが……駄目でしょうか?」
それはどちらかと言えば、アルヴィスの為ではないだろうか。横になるアルヴィスは楽だが、下になるエリナは身動きが取れなくなる。どうするか考えあぐねていると、エリナの表情が曇る。元々言い出したのはアルヴィスだ。何でもいいと言ったのだから、それには応えなければならない。
「わかった」
エリナの膝の上に頭を預ける形で、アルヴィスは横になった。見上げた先には、嬉しそうに微笑むエリナの顔がある。
「ありがとうございます」
「全く……これじゃ逆だろう」
「そんなことはありません。こうしてアルヴィス様に休んでいただけるなら、私は嬉しいです。それに――」
そう言いかけると、エリナはふわりとアルヴィスの頭に手を乗せる。そして優しく撫で始めた。
「起きているアルヴィス様にこのようなことが出来るのは滅多にありませんから」
「……」
言葉を失ったアルヴィスとは正反対に、エリナは嬉しそうにアルヴィスの頭を撫でる。このようなことをされた記憶がほとんどないアルヴィスからしてみれば、どういう顔をして良いのかわからなかった。困ったアルヴィスは腕で顔を隠す。その間もエリナの手は止まらない。心地よい感触に包まれながら、いつしかそのままアルヴィスは眠ってしまうのだった。
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