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16話

 

 ふと目を開けたアルヴィス。どうやらあのまま眠ってしまっていたらしい。身体を起こせばズキリと背中に痛みが走り、思わず動きを止めてしまう。


「っ……」


 あまり傷に障らないようにと、再びゆっくりと身体を動かす。傍に居たはずのエリナの姿はない。窓の隙間から覗く光は、既に夕日だ。随分と眠っていたのだろう。


「本当にらしくないな」


 アルヴィスは己の前髪をくしゃりと掴み上げた。話をした後、少し感傷的になったようだ。まさか、人前で泣くなど。そう考えて、アルヴィスは目元をなぞるように指先で触れる。

 これまで涙を流したことはなかった。少なくとも、アルヴィスが覚えている限りでは記憶にない。本当の小さい頃はあったのだろうが、物心ついてからそういったことはなかったはずだ。泣くことはすなわち弱みでもある。それを見せる訳にもいかず、万が一見せれば何事かと周囲に聞かれてしまう。それが煩わしくて、アルヴィスは笑みを張り付けているのが普通だった。たとえどのようなことがあろうとも。

 それはあの時も同じだった。シュリが亡くなった時も。悲しかったのかどうか、今では覚えていない。悔しかったような気もするし、悲しかった気もする。いや、それ以上に自分に恐怖をしていたのかもしれない。

 深々と息を吐き出して、アルヴィスは立ち上がった。少しだけ身体が重たい気がするのは、まだ本調子ではないからだ。それでも横になっている気分にはならなかった。

 窓際まで歩き、何となく窓から下を見下ろせばエリナの姿が目に入る。誰かと話をしているらしい。傍にはレックスがおり、フォルボード侯爵もいるようだ。話をしている相手は、見覚えのある女性だった。


「確か……孤児院の女性だったか」


 孤児院の関係者が侯爵の屋敷に来る理由。それは一つしかない。例の子どもの件だ。アルヴィスが対応しようと思っていた相手なのだが、あの様子から察するにエリナが対応したのだろう。アルヴィスの代わりに。

 駆け付けたいのはやまやまだが、己の身体の状況はわかっている。激しい動きはまだ禁じられており、無理をすれば王都の帰還にも影響が出てしまう。それは本意ではない。それにこの件については、エリナも当事者の一人。後で確認するしかない。

 そうしていると、不意に扉が叩かれた。少しだけ申し訳なさそうな音なのは、アルヴィスが起きているかどうかわからないからだろう。その気配は見知ったもの。誰かを確認するまでもない。アルヴィスは意識して声を張り上げた。


「入ってきていい」

「っ! 失礼いたします」


 ガチャリと扉を開けたのは、やはりディンだった。一ついつもと違うのは、共に居るのがレックスではなくフィラリータとミューゼであることくらいだ。


「殿下、起き上がっていて宜しいのですか?」

「あぁ。とはいっても、先程起きたばかりだが」

「そうでしたか」


 ディンはアルヴィスを見て、眉を寄せるとソファーにかけられていた上着を持ってきた。そのまま窓際に腰かけたままのアルヴィスの肩へかける。


「ディン?」

「そのままでは流石に彼女たちがいたたまれませんので」

「そうか。ありがとう」

「いえ」


 今のアルヴィスはシャツを一枚着ているが、とてもラフな格好だった。そしてシャツの隙間からは背中にかけて巻かれている包帯が見える。上半身が包帯で覆われている状態は、それだけ大怪我だったことを示していた。そして、フィラリータたちはアルヴィスがそうなってしまった責任を感じている。特に見られて困るものではないが、大っぴらに見せるものでもない。ディンの気遣いにアルヴィスは素直に礼を言う。

 改めて二人を見たアルヴィス。二人と目が合ったかと思うと、彼女たちは意を決したように口を開く。


「「申し訳ありませんでしたっ」」


 勢いよく二人そろって直角に腰を折り、頭を下げられた。二人とも部屋に入ってきた時の顔色はとても悪い。憔悴しきった、と言ってもいいだろう。何より、エリナが誘拐された時二人は傍に居た。だというのに、みすみすエリナを奪われたのだ。その責任は専属護衛として何よりも重い。

 エリナにも反省すべき点はある。だが、そのようなこと言い訳にはならない。護衛対象を守れなかったという事実に変わりはないのだから。


「ディン」

「はっ」

「エリナは何と言っていた?」


 アルヴィスの下へ来る前にエリナのところにも謝罪には訪れているはずだ。エリナのことだから、彼女たちの謝罪も受け入れ、許しているのだろう。エリナにも誘拐された責任はあるのだからと。


「妃殿下は、お互いに反省すべき点を反省し、以後も務めて欲しいと」

「エリナらしいな。だが、二人はそれは納得しないと。そういうことか?」

「はい」


 きちんとした罰を受けたい。だからアルヴィスのところへ来た。アルヴィスは腕を組み、考え込む。近衛隊としてならば、減俸は当然だがそれだけでは罰にはならない。であればどうすることが罰となるのか。暫し熟考した後、アルヴィスの頭の中に一つの案が浮かんだ。それならば罰となるはずだと。


「今回の件で、エリナも暫くは王都から出ることはないだろう。少なくとも一月は宮から出ることはないだろう。その間、二人には書庫の整理でも手伝ってもらうか」

「はっ?」


 間抜けたような声を出したのはディンだった。意外過ぎたのだろう。珍しい様相にアルヴィスは笑みを漏らす。


「ゴホン、失礼いたしました」

「いや、いいものが見れたから構わない」

「……それより、書庫の整理とは」

「二人とも身体を動かすのが好きなのだろう? ならば、討伐だの訓練だのというのはそれほど罰にならない。だが、書庫ならばじっと作業するだけだ」


 今は書庫の管理者は、隠居したユスフォス老が代理人として担っている。時折、アルヴィスに助言役として今も力になってもらってはいるが、大抵の場合は書庫にいることが多い。その手伝いをするということだ。


「ですがそれでは――」

「アムールはそういった作業が苦手だったよな?」

「……はい」


 頭を下げたままフィラリータは答える。細かい作業が苦手なフィラリータにとっては、これ以上の罰はないだろう。そして平民であるミューゼも書類整理の類は苦手だった。要するに二人が共に苦手分野だということ。


「老には俺から話をしておく。王都に戻ったらそのつもりでいてくれ」

「承知、しました」

「はい」

「それと、二人の謝罪は受け入れた。もう顔を上げていい」


 話は終わりだ。二人が頭を上げると、その視線は再びアルヴィスの方へと向けられた。否、正確にはアルヴィスの怪我を見ている。


「発言を、お許し願えますか?」

「何だ?」


 いつになく堅い口調でフィラリータが話す。


「お怪我の、完治にはどの程度かかるのでしょうか?」

「……さぁ、な」


 それだけはアルヴィスにもわからない。こうして起き上がれるものの、あまり動くことは許されていない。尤も、不用意に動けば背中が痛むので動きたくても動けないのだけれど。アルヴィスの答えにフィラリータは、唇を噛む。そこから見えるのは自己嫌悪か、それとも……。


「殿下、それでは我々は失礼をします」

「あぁ」

「行くぞ、アムール、アービーも」

「「はい」」


 部屋を出る際に、もう一度アルヴィスへと深々と頭を下げて三人は出て行った。それを見送って、アルヴィスは再び窓の外を見る。窓下には、エリナたちの姿はもうなかった。





 アルヴィスの部屋を後にしたディンたち。護衛用に用意された部屋に足を踏み入れると、フィラリータは足を止める。


「レオイアドゥール卿」

「どうした?」

「王太子殿下のお怪我は、本当のところはどうなのですか?」


 それを知りたい人間は多いことだろう。何より、アルヴィスはあの件でここへ担ぎ込まれてから部屋の外に出てきていない。近衛隊の連中でさえ、その顏は見られていないのだ。怪我の程度については聞いていても、その姿を見ないことには心配が消えることはない。

 フィラリータとミューゼは、先程アルヴィスの姿を見た。本来のアルヴィスの性格ならば、窓際にいるのではなくもっと傍に近寄ってきただろう。だが、アルヴィスは一歩も動くことはなかった。ディンが上着を掛けた時でさえ、身じろぎ一つない。それだけ動きを制限している証拠だ。


「背の傷については生涯跡が残るだろう。傷が塞がっても、暫くの間は違和感を与えることもあるかもしれない。そういう意味では、剣を振るう事にも影響が及ぶだろうな」

「そう、ですか」


 肩を落としているフィラリータに、ディンはポンと軽く肩を叩いた。


「過ぎたことを悔いても仕方ない。今考えるべきは、今後だ」

「今後……」

「妃殿下も戻ってきていらっしゃることだろう。ならばお前たちはお前たちの仕事をするべきだ」


 エリナの護衛がフィラリータらの仕事。傍にいて守ることが任務だ。一度、それを果たせなかった以上、二度目は起こさせない。拳を固く握りしめたフィラリータ。ミューゼはフィラリータと顔を見合せて頷く。


「行こう、フィラ」

「えぇ。では、卿失礼いたします」

「あぁ」


 胸に手を当てて目礼し、二人は去っていった。それを見送ったディン。だが、その表情は険しかった。



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