閑話 過去を知った妃は
フッと目を開けると、エリナはいつの間にか自分が寝入ってしまったことに気付いた。胸元にあるのは、アルヴィスの頭だ。彼を抱えたまま、一緒に寝てしまったらしい。
アルヴィスの顔色を窺ってみると、彼は寝てしまっているようだった。起き上がれるようになったとはいっても、まだ怪我が治ったわけではない。あまり無理に身体を動かすことは禁じられている。話をしただけではあるが、内容が内容だ。アルヴィスにとっては忘れたくても忘れられない過去。精神的に負担がかかっていたのだろう。
「アルヴィス様……」
エリナはもう一度その頭を抱きしめる。アルヴィスから聞かされた話はエリナの想像を超えたものだった。今のベルフィアス公爵家からは想像が出来ない話だ。ベルフィアス公爵家はとても仲の良い家族に見える。ベルフィアス公爵であるラクウェルもそうだが、兄であるマグリアもアルヴィスをとても気にかけていた。両親からも兄や妹からも恵まれており、とても優しい場所のように見えていた。もちろん、それは偽りではないはずだ。しかし、そんなベルフィアス家にも今のような関係を築くまでには色々とあった。つまりはそういうことである。
シュリとアルヴィスが呼んだ女性。語られた内容からはアルヴィスとシュリの出会いと別れだけしかわからなかった。もっとたくさんの出来事があったに違いない。だがそれを話してくれなかったのは、アルヴィス自身も思い出したことがないからなのだろう。最期の姿が強く焼き付けられてしまって、それ以外の事をなかったことにしていたのかもしれない。
そういう意味でもアルヴィスにとってシュリは特別な人だった。それはおそらくシュリにとっても同じだとエリナは考えている。エリナがアルヴィスに告げたことは嘘ではない。シュリはアルヴィスを愛していた。だからこそ、あのような最期の言葉を残して亡くなったのだと。最低な女だと思ってほしかったのかもしれない。酷い女だったと忘れて欲しかったのかもしれない。だが彼女の意図に反して、彼女の言葉は違う意味を持って彼を囚われの中へと誘ってしまった。
『自分の周りにいるのは、それを利用する者たちだけだった』
アルヴィスが少しだけ寂しそうに言った言葉。そんな人ばかりではないと思っていた相手も、アルヴィスを利用していた。だからアルヴィスは全てを諦めてしまったのだ。それ以降公爵家の次男として、そうあるべきだという姿を常に取ってきたのかもしれない。兄を立て、一歩引いた場所から見守る。全てはその立場に相応しい振る舞いをと。
「それを崩してしまったのは、私……」
騎士として一生を遂げる覚悟だったかもしれないアルヴィスを、再び表舞台へと引き上げたのはエリナの存在だ。あの騒動が王家に責任あるものとして処理され、エリナの名誉を守るためにアルヴィスは王族という立場へ戻らされた。すべてエリナの所為だ。もし、王太子とならずに過ごしていたならばアルヴィスがもう一度トーグと出会うことはなかっただろう。だがそれは同時に、アルヴィスが一生過去に囚われ続けてしまうということにもなる。
誰にも言わず、自分の中だけにしまい込んで一人で生きることを選んだかもしれない。エドワルドもベルフィアス公爵家の皆までもを遠ざけて。家族を大切に想っているのに、そこに自分をいれることはないアルヴィス。そんな生き方は悲しすぎる。
そこまで考えついたエリナは、首を横に振る。そんなことがあってはならない。だが、エリナに何が出来るだろう。王太子妃としてではなく、アルヴィスの妻として出来ることは何か。
そう考えていると、控え目な音で扉が叩かれる。エリナはアルヴィスを起こさないように、そっと離れると静かに扉へと向かう。
「何でしょうか?」
「妃殿下、今宜しいでしょうか?」
その声はレックスだ。アルヴィスが信頼している友人でもある彼の声がして、エリナは極力音を立てないように扉を開けた。
「えっと、アルヴィス……じゃなくて王太子殿下は?」
「今は少しお休みなっていますが、アルヴィス様に何か?」
「そうですか。なら一旦帰ってもらいます」
「どなたかが来られたのですか?」
帰るというのならば、アルヴィスを訪ねて誰かが来たということだ。アルヴィスの状況を知っているレックスが、緊急時の低い相手を通すとは思えない。つまりはそれなりに重要度が高い相手ということになる。
エリナが問いかけると、レックスは頭をガシガシと掻いた。
「まぁ今回の関係者といいますか、孤児院の方が来ていまして」
「あの子の保護者ということですね」
「そういうことです」
エリナを呼んだ子ども。その子が孤児院出身だということは聞いている。王族を誘い出すことで、事件に加担したあの子。罪に問いたくはないが、庇いきれないとアルヴィスが言っていたらしい。そこでどう話を付けるか相談をしたかったようだ。
アルヴィスならばどうするか。無罪放免というわけにはいかないが、子どもに対し重い罪に問うわけにもいかない。そもそも孤児院側にも責任がある。その上でどこが落としところになるだろうか。暫し考え込むとエリナは真剣な表情でレックスへと声を掛けた。
「シーリング卿」
「何ですか?」
「その方に会わせていただけませんか?」
「……妃殿下が代わりに、ということですか」
「はい」
本来ならばアルヴィスが応対するのがいい。だが、まだ無理をさせるわけにもいかないし、何よりも今のアルヴィスを起こしたくなかった。少しでも負担を減らせるならば、エリナが力になれるならばそれをしたい。それにエリナは当事者の一人でもある。あの子が狙っていたのはエリナなのだから。
「当事者の一人として、王太子妃として対処したいと思います」
「……承知しました」
ここでエリナを止められるのはアルヴィスだけ。王太子妃として対応すると言われれば、レックスも拒否は出来ない。我ながらずるいとは思うが、エリナも話をしてみたいと思ったのだ。王太子妃としてだけでなく、フォルボード侯爵家の血を引く者としても。




