閑話 妃として出来ること
その身体を支えながら、エリナはじっと彼の顔を見つめる。痛々しい程に巻かれている包帯。身体が冷えないようにと毛布を掛けていても目に入ってしまう。背中全体に怪我を負っているようにも見えるそれは、エリナを庇って負ってしまったものだ。
エリナに出来ることは、ただこうして支えて見守っていることだけ。マナの知識も学園で学ぶ程度のものしかなく、怪我の手当てさえ満足に出来ない。当然だと人は言うだろうが、こうして大切な人が傷ついている時に何もできない状態に遭遇してしまえば、それが当然だとは思えなくなってしまう。もっとこうしていれば、ああしていればという後悔ばかりが脳裏を過るのだ。
「私にもっと力があれば……」
ハーバラの様に戦うことまでは出来なくとも、彼の刃を躱せるほどの身体能力が欲しかった。そうすればアルヴィスもここまでの怪我を負うことはなかったのではないかと。否、たとえ力があっても実戦経験がないエリナでは、どちらにせよ何もできなかったのだろう。どれほど考えても結果は同じだ。
「うっ……」
「アルヴィス様っ」
僅かに眉を寄せたアルヴィスが身体を動かそうとする。エリナは慌ててその肩を抑えて動かないようにした。
「っ」
「あ……ごめんなさい、アルヴィス様」
その時、肩の傷に触れてしまったようでアルヴィスの表情が歪む。それでもアルヴィスは目を覚ますことはなく、そのままだった。苦しいのだろうか、少しだけ眉を寄せて息が荒い。エリナだけではどうすることも出来ないので、そっとアルヴィスの頭をベッドの枕の上へと置く。そして出来るだけ静かに部屋を出て行った。同じ体勢でいた所為か、足に違和感はあるがそれは些細なこと。今は己に出来る事をアルヴィスの為に。そんな想いがエリナの足を動かしていた。
そう時間を置かずに戻ってきたエリナは、侍医とディンと共に部屋へと帰ってくる。アルヴィスは今も苦し気で、先程よりも息が荒くなっているようにも感じられた。
「先生……」
「ふむ。熱が出てきているようです。これ以上治癒力を上げてしまうことは出来ません。ここは、殿下に耐えていただくしかないかと」
「そう、ですか」
怪我の治療を優先する。あとは、出来るだけ苦しみが緩和されるようにタオルを冷たい水に浸して、絞ったものを額へと乗っける。のだが、今のアルヴィスは横になった状態。そのため頭へと巻くように置くことしか出来なかった。それだけでも随分と違うはずだ。
「……シュ、リ……」
微かに聞こえたアルヴィスの声。シュリと、アルヴィスは言った。その名前は、前にも一度聞いたことがある。あの青年とアルヴィスが話をしていた時だ。
『シュリは関係ない』
シュリという存在をエリナは知らない。ただ、あの青年は知っていたようだった。それだけじゃない。彼は、アルヴィスのことを知っていた。もちろん、王太子となったアルヴィスの名前はルベリア国民であれば知っていておかしいことではない。しかし、それ以上の何かが二人の間にあるような……二人のやり取りを思い返すとそんな気がしてならない。
「……」
「妃殿下」
「レオイアドゥール卿」
不安そうな気持が顔に出ていたのだろう。ディンが気遣わし気な視線でエリナの様子を窺っていた。あまり話をしたことはないが、彼がアルヴィスを大切に思っていることは知っている。レックスみたいに友人のような気安さはないし、あまり表情が変わらないディン。時に厳しい言葉でアルヴィスを窘めている様子も見たことがある。彼にとってアルヴィスは主君であると同時に、未だ可愛い後輩の一人でもあるのだろう。
「殿下が目覚めた後で、お聞きになられるのが宜しいかと思います」
「……」
エリナほど近くにいないにも関わらず、ディンにもアルヴィスの呟きは届いていたらしい。だが、どちらにしても状況確認という意味で、恐らくディンたちも聞きたいことはたくさんあるのだろうが。
「ですが、聞いてもいいのでしょうか?」
「……此度の事件、殿下が過去に関わった者たちが引き起こしたもの。その詳細は我ら近衛隊でも把握していません。ですが」
「?」
「噂程度ならば私も聞いたことがあります」
「え?」
思いも寄らぬ言葉にエリナは目を大きく見開いた。アルヴィスの幼馴染だというエドワルドでさえ知らない話だったはず。ベルフィアス公爵家の兄弟たちもだ。知っているのはリティーヌだけかと思っていた。
「多くの人たちは知らないと思います。私も真実は知りません。ただ、先代フォルボード侯爵やその取り巻きともいえる伯爵たちは、殿下の兄上の生まれを認めたくなかった。いえ、それ以上に殿下の血筋がとても魅力的だった、と言った方が正しいのかもしれません」
「アルヴィス様の?」
「殿下が女神様との契約をなされたことはご存じかと思いますが」
それはもちろん知っている。立太子での儀式のことは、まるでおとぎ話のそれだった。だが、ルベリア王国としては喜ばしい出来事。それゆえに、色々な騒ぎを引き起こしていて、アルヴィスも困っていることは知っている。
「それが成されたのは、現王家の皆様の中でも殿下が王家の血が濃いためだと言われています」
「……」
アルヴィスの父は、王弟であるラクウェル。アルヴィスもジラルドも王家の直系である点は同じだ。だが、アルヴィスの母は伯爵家であるものの王家の姫が降嫁したこともある名門。政略結婚として先帝が定めたものだそうだが、直近の王家の系譜で言えば確かにアルヴィスの方が濃いと言えるかもしれない。
「王弟殿下も現国王陛下より、王家の血が強いと言われていたお方。そのご子息である殿下がそう言われるのは道理でしょう」
「……それはつまり、お祖父様たちがその……」
それ以上を言葉にすることは憚られる。だが、もしそうだとするならば大事だ。フォルボード侯爵家もすべてを失うことだろう。祖父ながら、そこまでのことを考えていたことは信じられなかった。
「あくまで噂です。ですが、殿下へと接触していたことは間違いありません。殿下はこういう方ですから、もちろん鵜呑みにすることはなかったようですが……当時の年齢を考えると、まだ幼い時分にそういうことをささやかれればどうなるか……」
「……アルヴィス様」
苦し気に息を吐くアルヴィス。その頬に触れると手のひらから熱が伝わってくる。どんな想いで、彼は王太子という立場を受け入れたのだろうか。それを思うだけで、エリナは涙が出そうになった。
「今後、殿下と共に行かれる妃殿下にならば、きっとお話ししてくださると思います」
「はい」
「……では私は失礼いたします」
バタン、と音を立てて扉が閉まる。二人きりとなった部屋。ベッドの上に上ったエリナは、横になるとアルヴィスの身体を抱きしめた。




