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閑話 妃への罠

 

 アルヴィスがリュングベルの街を出発した翌日。エリナはフォルボード侯爵夫人と共にオペラハウスに来ていた。リュングベルは交易都市。人の出入りも多い街だ。ゆえに王都には及ばないものの、こういった娯楽施設は少なくない。このオペラハウスもその一つである。

 エリナと夫人はボックス席へと並んで座った。


「王都に比べると小さいですが、私はこのくらいで十分だと思っております」

「はいそうですね。とても可愛らしい建物だと思います」


 王都にあるそれよりは一回り以上小さな建物だが、ここの街の人口を見れば収容人数としては十分だろう。


「妃殿下はこういった場所に来られたことはございますか?」

「はい、数えるほどではありますが」


 エリナがそう答えると、夫人は微笑ましそうにエリナを見た。恐らくはアルヴィスと行ったと思っているのだろう。しかし、エリナがアルヴィスと来たことはない。実際に来たのは、兄と一緒にだった。婚約者同士であれば二人で来ることもあるだろう。だがエリナはその機会には恵まれなかった。何しろ婚約期間の一年はあっという間に過ぎてしまい、そういった時間を楽しむ余裕がアルヴィスにはなかったのだから。

 もしもエリナがアルヴィスと共に訪れたいと告げれば、アルヴィスは都合をつけてくれたかもしれない。だがその時間を作るために、きっとアルヴィスは休む時間を犠牲にしてしまう。そのようなことはエリナも本意ではない。結局、告げることは出来ないという結論に至ってしまうのも仕方のないことなのだろう。


「どうかされましたか?」

「い、いいえ何でもありません」


 顔に出てしまっていたのだろうか。訝し気な夫人の様子にエリナは笑みを見せながら首を横に振った。そんなエリナの様子に夫人は口元を隠しながらクスクスと微笑む。


「あの、伯母様?」

「うふふ、ごめんなさい。王太子殿下のことを思っていらっしゃったのかと思ったのです。新婚のお二人ですもの。数日とはいえ離れ離れになることは寂しいでしょう」


 アルヴィスのことを考えていたのに違いはない。それに、まだ一日とはいえ一度も顔を見ることなく迎える朝は久しぶりで、そこに寂しさがにじんでいたのも確かだった。エリナは肯定も否定もせずにただ困ったように笑うだけだ。


「王太子殿下も妃殿下ととても仲が宜しくて、侍女たちも噂しておりました」

「噂ですか?」

「はい。妃殿下も随分と雰囲気が柔らかくなりました、と」


 フォルボード侯爵家の侍女たちの中には、エリナのことを知っている人たちもいる。ここは母方の実家なのだから当然だろう。その彼女たちからは、エリナの雰囲気が変わったように見えたらしい。エリナ自身に実感はない。しかし、以前よりも気を張っていることが少なくなったのは確かだ。

 正式にアルヴィスと婚姻し、王太子妃となったエリナ。王太子宮にいることが多い今は、公務で顔を出すこともまだ少ないだろう。これから徐々に増えていくと聞いているし、妃としての仕事もこなしていく必要がある。だが曖昧だった自分の身分が確定したことにより、今まで以上に地に足がついた気がするのは間違いない。それが雰囲気として出ているのだろうか。


「私が変わったというのならば、それは間違いなくアルヴィス様のお蔭です」

「幸せそうで良かったです、本当に」

「ありがとうございます、伯母様」


 そうしているうちに演目が始まる。エリナは夫人と共に舞台へと顔を向けた。ボックス席という場所から人目を気にすることなく観劇出来るのはエリナにとっても有り難いことだ。舞台に目を奪われているとあっという間に時間は過ぎていく。フィナーレを迎えた舞台へ惜しみない拍手を送ると、エリナと夫人はオペラハウスを後にした。


 帰りの馬車の中でエリナと夫人が舞台についての感想を話している時、馬車が突然止まった。まだフォルボード侯爵邸までは距離がある。何かがあったのだろうかと話していると、子どもの泣き声が聞こえた。

 馬車の窓から様子を窺うと、ちょうど車輪のところでうずくまっている子どもの姿がある。どうやら飛び出してきた子どもとぶつかりそうになったようだ。大きな怪我はしておらず擦り傷程度のように見える。エリナは馬車から降りてフィラリータを呼んだ。


「妃殿下」

「近くに教会や治療院などはない、の?」


 言葉に詰まったのは、年上であり侯爵令嬢であるフィラリータに丁寧語を外すことに抵抗を覚えているからだ。アルヴィスが近衛隊の上司たちに対して扱いを指摘されているように、エリナも今はフィラリータたちの主人。言葉遣い一つで足下を取られかねない。特に人前では気を付ける必要がある。意識して言葉を紡ぐようにしなければならなかった。エリナの対応にフィラリータは満足そうに頷いた。そうして子どもの方へと視線を向けながら口を開く。


「いえ、少し距離はありますが教会があります。ですが少し擦りむいただけですのでその必要もないかと思います」

「でもあの子は少し怯えているようだけれど」


 フィラリータに倣う様にエリナも子どもの方へ視線を向けた。怪我はしていないのだが、身体が震えている。そしてエリナの目が合うと、驚いたように目を大きく開けた。かと思うと震える身体を抑えるように下を向いて己の両手で自分を抱きしめる。


「あの子……」

「我々のような存在が怖いのでしょう。先代フォルボード侯爵の頃は随分と護衛の騎士たちも好き勝手していたそうですから」

「そう、なの」


 だからこそフォルボード侯爵家に怯えているということなのか。この馬車にはフォルボード侯爵家の家紋が付いている。ここに住む人々ならばすぐにフォルボード侯爵家の馬車だと気付くだろう。子どもは怪我をしたのではなく、飛び出した馬車がフォルボード侯爵家のものだから怯えているということだ。

 先代フォルボード侯爵ということはエリナにとって祖父である。あまり良い印象は抱いていない祖父。伯父へと代替わりしてから大きく街の様子も変わったそうだが、それでも年端のいかない子どもにまで怯えられるような真似をしていたなどということは考えたくなかった。あの様子では子どもは直ぐには起き上がれないだろう。腰を抜かしているのかもしれない。

 エリナは馬車から離れて子どもの傍へと歩み寄った。


「妃殿下っ⁉」


 フィラリータの制止の声を聞かずに、子どもの傍へ行くと腰を落として目線を合わせる。


「この馬車の人たちは貴方に何もしない。だから安心して」

「っ……」


 エリナがにっこりと笑みを見せると、子どもはビクリと身体を震わせた。出来るだけ怯えさせないようにとエリナは柔らかく声を掛ける。


「自分で歩ける?」

「……おねえ、さんはお妃さま?」

「……」


 是とも否とも答えられない。フォルボード侯爵家の馬車に乗っていることから、王太子夫妻がこの地に来ていることを知っている人たちならばすぐにわかること。だが、元より知っているのと自ら名乗るのとではその意味が違ってくる。いかに子どもといえど、エリナの立場からは不用意に名乗ることは許されない。


「一人で歩いて行ける?」

「……お姉さん、王子様の大事な人なんでしょ? あの人が連れてきてほしいって言ってた」

「え?」


 これまでの口調とは違い、はっきりと告げながらエリナの袖を引っ張る子ども。何事かとフィラリータたちも近づいてくる。すると、子どもは服の中に手を入れて小さな塊を取り出したかと思うと、それを思いっきり握りつぶした。ブワッと勢いよく煙がその塊からあふれ出す。


「ひ、エリナっ‼」

「きゃっ」


 フィラリータが叫ぶ声が聞こえたが、エリナの視界は既に真っ白だった。袖を引っ張られ、前に倒れるとエリナの身体を支える腕がそこにはある。フィラリータかミューゼだろうか。そう思い、顔を見ようとするとそこには目を仮面で隠した人の姿。慌てて離れようとしたエリナの口元に布を当てられてしまう。


(駄目っ⁉)


 頭の中では理解している。しかし、意図せず押し付けられたそれを躱すことも、布に付けられているだろう何かしらの匂いにも抗うことは出来ず、エリナは瞼が下りていくのを止めることが出来なかった。


「アル……さ、ま」

「……直ぐに会わせてやるさ。クックック」



いつも誤字脱字報告ありがとうござます!

間違いが多くてすみません……



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