6話
警備塔に赴いたアルヴィス。その日は警備塔の周辺の見回り、翌日には辺境の街近くへと足を延ばした。そして明日にはリュングベルへと戻ることになる滞在最終日のこと。警備塔に駐留しているフォルボード侯爵家配下の護衛団の訓練を見ていると、彼らから近衛隊との手合わせを懇願された。
近衛隊は王族直属の部隊で、王族に同行する以外に王都外に出ることはほぼない。加えて、彼らはフォルボード侯爵領地から出ることがない。近衛隊の実力はルベリア王国で随一と言われている。その実力をこの身で感じたいらしい。
その気持ちはアルヴィスにもわからなくもなかった。騎士ならば、もっと強くありたいと思うのは当然のこと。そのために、強い相手と手合わせをし己の実力の程を見極めることは重要なことだ。しかし騎士同士の私闘は禁じられている。ゆえに、手合わせを願うならば方法は二つしかない。訓練の中で行うか。もしくは、主から許可を取るか。ここにいる近衛隊の主はアルヴィスだ。
結果的にこの懇願にアルヴィスは応じることとした。ある意味で、王都外にいる騎士たちの実力を知る良い機会でもあったからだ。まだまだアルヴィスの世界は狭い。王都ならばそれなりに知っているだろうが、それ以外を除けばベルフィアス公爵家が治める領地しか知らない。あくまで知識としては知っているが、それでわかるのはその領地の情報のみ。そこに住む人々の様子や騎士たちの実力まではわからないのだ。今後のことを考えても、各地を守る護衛団たちの実力を知っておくのはアルヴィスにとっても利があった。
午後からの予定もあるため、模擬試合としてディン。そして、リュングベル出身のサレイルの二人が手合わせすることとなった。護衛団からは、中堅の中でも最も高い実力だと称されているカミュ・フォン・ドレイクと副団長であるヒュッセン・フォン・ルーブルク。
まずはカミュとサレイルの二人の試合だ。
「双方構え……始めっ!」
審判の合図と共に地を蹴って仕掛けたのは、カミュの方だ。サレイルよりも大柄な体であるカミュは大きく振り剣を振り下ろす。それを模擬剣で受けたサレイル。その衝撃のためか、構えていた剣が下がる。口の端を上げたカミュは、そのまま追撃とばかりに再び剣を振るった。何度か剣を受けたサレイルは、カミュが剣を振り上げる隙を狙って大きく距離を取る。
「逃げ回っているだけが王都の騎士か」
「……振り回すだけが力ではありません」
「それは弱い奴が言う戯言でしかない。力が弱い人間が、強い人間に勝てる訳がないのだからな」
これまでの打ち合いを見た限り、力はカミュが上だ。誰が見てもそう判断する。しかし、それと強さは比例しない。
「ドレイク殿、それは我らが王太子殿下への侮辱と判断いたします。ゆえに手加減はしませんよ」
「ふん、やってみろ」
既にサレイルを下に見ているカミュは不遜な物言いをする。それは己の実力を自負した上での行為のようだ。護衛団の中では上位に入る実力だという自負が。だがそれはあくまで護衛団の中での話である。ならばサレイルがすべきことは一つ。近衛隊の実力を見せることのみ。
サレイルはちらりとアルヴィスの方を見た。アルヴィスが苦笑しながら頷くのを見ると、サレイルは模擬剣を正面に構えるとそのまま突きの構えを取る。足下にふわりと風が舞った刹那、サレイルが地を蹴った。
「見え見えの攻撃などにやられるわけがっ――」
「はっ」
ザシュ。
模擬剣といえど、当たれば怪我をする。サレイルの剣先がカミュの頬をかすめた。血は出ないものの、その顏は驚愕に染まっている。呆けている間に、サレイルが再び突きを繰り出した。そしてカミュの目前で剣を止める。
「っ⁉」
「近衛隊ならばこの程度造作もありません。ついでに加えておきますが、王太子殿下の本気は私よりも強いですよ」
「……」
「体格で力は決まりません。身の丈にあった戦い方をするだけです」
戦意喪失、と判断したサレイルが審判を見る。彼も同様に思ったようだ。
「勝者、サレイル・クルス殿!」
この試合はサレイルの勝利となった。宣言を受けて、サレイルは剣を下ろす。カミュは苦虫を嚙み潰したような顏でそのまま下がった。肩を竦めながら、サレイルがアルヴィスたちのところへ戻ってくる。
「ご苦労だった」
「いえ、少しマナを使ってしまいましたが」
サレイルが使ったのは、風を起こすもの。それが及ぼす影響は多くない。多少、足の動きを速くする程度のものだ。元々の身体能力に付加することで、素早さを底上げしたに過ぎない。アルヴィスとの手合わせでもよく使っていた力だった。
「それも実力の一つ。惜しむ必要はないだろう。それに、彼のような相手ならば尚のことだ」
「……彼は、力が全てだと話していました。もしかすると――」
「それ以上は気にしなくていいさ。彼に何かがあったとしてもそれを拭うのは俺たちの仕事ではないからな」
「殿下……そうですね」
カミュがどのような事情を抱えていようとも、直ぐにここを去ることになるアルヴィスたちに出来ることではない。深入りすることは控えた方がいいだろう。願わくば、サレイルとの戦闘で何かを感じてくれればとは思う。
そう話しているうちに、ディンとヒュッセンの試合が始まっていた。始まっているのだが、剣を交わすのではなく静かにお互いを見ているだけだった。先ほどの試合を動とするならば、こちらの試合は静とでもいうべきか。
「殿下、あれは」
「お互いの間合いのギリギリがあのラインということか。……ヒュッセン・フォン・ルーブルクか」
「ご存じなのですか?」
「ルーブルク伯爵家の次男だったはず。俺も噂くらいしか聞いたことがないが」
元騎士団員で、フォルボード侯爵家の代替わりと時を同じくして護衛団へと入った人物。先代のフォルボード侯爵の意向が重視されていたため、立て直しと腐敗を止めるためにヘクター団長が送ったらしい。アルヴィスが騎士団に入る前の話なので、直接的な関わりはない。
すると、相対していた二人が同時に動き出した。実を言えばアルヴィスは、ディンとの手合わせは数えるほどしかしたことがなかった。それも手合わせというよりは、指南に近い形だ。実力だけならばルークと同等ではないかとアルヴィスは考えている。そのディンに引くことなく剣を突き合わせていることに、内心アルヴィスは驚いていた。
「強いな」
「一応言っておくが、お前は手合わせ出来ないぜ」
ポンと肩に手を置いたのはレックスだ。お見通しとでも言うような言葉に、アルヴィスは肯定する代わりに手を払いのけた。
結局、引き分けという形で試合は終わった。勝ち負けというよりは、お互いの実力を確かめ合っただけのようにも見えたが、二人の実力は十分に見ることが出来た。加えてこれ以上長引くと、午後の予定にも響く可能性もある。それを踏まえて、模擬試合はこれで終わることとなった。
そしてその日の午後。
護衛団の副団長の案内で、アルヴィスたちは周囲の森へと来ていた。ここは護衛団の訓練場所の一つだという。万が一のことを考えて非戦闘員であるフォルボード侯爵は警備塔で待機してもらっている。
「この辺りまでは頻繁に我々が赴いています」
「王都周辺とあまり変わりはなさそうだが……」
「どうしますか? もう少し奥まで入りますか?」
様子を見るならばもう少し奥へ行くのがいいだろう。そうアルヴィスが答えようとしたその時だった。鋭い痛みがアルヴィスの頭を襲う。突如として襲った痛みにアルヴィスはその場で膝をついた。
「っ!」
「殿下っ⁉」
「アルヴィス⁉」
ディンやレックスらが呼ぶ声が聞こえる。それに応えようとするが、アルヴィスは答えることが出来なかった。
『吾子、貴方の愛しき者が……』
「……エリナ、が?」
脳内に届いた声。女神の声だ。これを聞くのは三回目。だがこれまで以上に小さく、儚い声。それは大聖堂ではないからなのか。しかし、アルヴィスははっきりと聞いた。吾子とはアルヴィスのこと。そしてその愛しき者というのはエリナだ。
それを認識した瞬間、アルヴィスの胸がざわつく。嫌な予感。いや、これは……。
「っ⁉ すぐに戻る!」
「殿下、一体どう――」
「エリナが危ないっ!」
はっきりとしたことはわからない。だが、それだけは確かだ。エリナに何かがあったのだ。アルヴィスは痛みを振り切って、森を抜け出すべく足を動かした。




