5話
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ご存じの方もいらっしゃるかもしれませんが、来月に第三巻が発売されます!(書影が公開出来るようになりましたら、活動報告にて改めてご報告します)
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リュングベルへ来てから三日が経ったある日、アルヴィスはこの地方の警備塔の視察へ向かうこととなった。帰還するのは二日後となり、その間エリナはフォルボード侯爵邸で留守番だ。フォルボード侯爵と共に警備塔へと出発する。フォルボード侯爵と共に馬車に乗りこもうとすると、エリナが駆け寄ってくる。
「お気を付けていってらっしゃいませ」
「あぁ。エリナも」
そっとエリナの頬に手を添えて微笑みかけると、エリナもアルヴィスのそれに己の手を重ねた。その手を掴み、アルヴィスは手を下ろさせるとそのままエリナから離れて馬車へと乗り込んだ。馬車の扉が閉じる前にフィラリータたちと目が合う。深々と頭を下げた彼女たちに頷くと、扉が閉まった。
そのまま侯爵と向かい合う形で座ると、フォルボード侯爵がじっとアルヴィスを見ていた。怪訝そうに見返せば、フォルボード侯爵はフッと笑みを浮かべる。
「本当に妃殿下ととても仲が宜しいのですね」
「侯爵?」
「殿下にこういった話をするのは間違いかもしれませんが、妹は父の影響を強く受けていましたので。妃殿下も将来は同じような道を辿るのではと心配をしておりました。無論、思い過ごしだったようですが」
フォルボード侯爵の父。威圧感のある顔を思い出して、アルヴィスは一瞬目を瞑った。そして首を横に振る。あの男はもういない。だが、あのような存在が近くにいたのでは凝り固まった考えを持つのも致し方ないだろう。逆に、目の前のフォルボード侯爵が異質だと言える。
「なぜ、侯爵は先代を厭う?」
同じように育ったのだから、目の前の侯爵も同じような考えを持っていておかしくない。染まらなかったのはなぜなのか。それを尋ねると、フォルボード侯爵は困ったように笑うと頬を掻いた。
「息子は父に反発するもの。そういうことにしていただけませんか?」
「……そうだな」
アルヴィスにも身に覚えがないわけではない。父を疎ましく思うこともあった。いや、アルヴィスの場合はそれだけではないが。
「私はともかくとして、妹は貴族令嬢としての役割を全うすることだけが幸せだと散々言われておりました。ゆえに婚約破棄という貴族令嬢としての矜持を傷付けられた妃殿下がそれを病むことだけが心配でした。妹もきつく当たってしまうのではと」
貴族令嬢としての矜持。確かに、創立記念パーティーという学園に在籍する学生たちの目の前で破棄されたことはエリナにとって深い傷となっている。昨年の創立記念パーティーでも、その場に向かう馬車の中で不安そうな表情をしていた。少しは苦い思い出を上書き出来ていればいいが。
「あの件は彼女の落ち度ではない。だからこそ、私と婚約することとなった。彼女に当たる理由はないはずだが」
「それは無論理解しております。ですが、恐らく理屈ではないのでしょう。結局は杞憂に終わりましたので良かったのですが」
そう、フォルボード侯爵のは杞憂に過ぎない。実際のところはアルヴィスも詳しい話を聞いていない。エリナの兄ライアットから、母との折り合いはよくないということは耳にしていた。しかし、それも婚姻前の話である。エリナのドレス姿を見ていたリトアード公爵夫人の涙ぐむ姿。それをアルヴィスは目撃している。いつからなのかは定かではないにしろ、現在のリトアード公爵家の家族関係は悪いものではないのだろう。
フォルボード侯爵の妹であるリトアード公爵夫人。アルヴィスはリトアード公爵夫人とはそれほど関わりがあるわけではない。社交界に出てからアルヴィスも多少はパーティーなどに顔を出したことがあるので、その時に挨拶を交わした程度だ。騎士となってからは、パーティーに参加者として出席すること自体が減ったので、挨拶すら交わすことはなかった。王太子となってからパーティーで挨拶をしたのが随分と久しぶりだった。とはいえ、会話をするような機会はなかったが。
だからこそリトアード公爵夫人の人となりをアルヴィスは知らない。エリナからも聞いたことはなかった。今更だが、お互いに両親についてほとんど会話をすることはなかったことに気付く。
『今は聞きません。ですが……いつか、私にもお話しください』
ふとエリナの声を思い出した。アルヴィスの過去を知りたいと望んだエリナ。きっかけはちょっとしたこと。ベルフィアス公爵家でアルヴィスの兄弟たちと話をした。そしてそこでアルヴィスの兄からリティーヌとのことやアルヴィスの過去について耳にしたのだろう。
アルヴィスとエリナの婚約期間はおよそ一年。会う機会は決して多くなかった。それもあって、お互い知らないことは多い。昔話をするような時間もなかったのだから、知らないことが多くても仕方ないと思う。尤も、幼き頃から婚約していたジラルドのことでさえ、エリナからすれば大して知っているわけではないらしいのだが。これを喜ぶべきかどうかは複雑なところだ。
エリナとジラルドの婚約期間の方が長いのだから、ジラルドの方がエリナを知っていることは当然だ。そのことに対してアルヴィスは受け入れている。同じような立ち位置にリティーヌはいるのだろうが、受け止め方が違うのは男と女の違いだろうか。
知りたいと望まれたが、アルヴィスは伝える必要さえないと考えていた。それは、アルヴィスの過去についてだ。決して楽しい話ではない。お世辞にも公爵令息として正しい行動とは言えないだろう。いやむしろ、非難される行動だ。常に周囲の期待を受けて、それに相応しくあろうとしたエリナとは比べるべくもないほどに。そのことを告げる。現在は、妻となったエリナに。少なからずショックは受けるはずだ。己の所業を痛いほど理解している今では、あまり掘り返したくはない過去。だが、一方で完全に忘れられないのもまた事実。それを話してどうなるわけでもないのだから、やはり黙っているべきか。
そこまで考えてアルヴィスは首を横に振った。今は公務中。そしてフォルボード侯爵と同乗中だ。私情を持ち込んでいる場合ではない。
「殿下、いかがされました? どこか体調でも――」
「大丈夫だ」
「左様で、ございますか」
「それより警備塔についてもう少し詳しい話が聞きたい」
「承知いたしました」
仕事をしていれば、別のことを考えなくて済む。それにエリナのことばかり考えてもいられない。アルヴィスには少々気になることがあった。それはここリュングベルへ来てからのものだ。時折嫌な感覚がアルヴィスを襲っている。予感か、それとも警告か。あの視線を感じてから襲う感覚。放置してよいものではない。そんな気がする。だが、確信を持てないことに近衛を動かすことも出来ないし、危険なのかどうかさえアルヴィスにはわからない。ただ、何となく嫌だと感じるだけで。かといってアルヴィス自身が動くことは出来ない。
フォルボード侯爵からの説明を聞きながら、アルヴィスは悟られぬように拳を握りしめた。




