3話
翌日。アルヴィスはここの領主であるルリオ・フォン・フォルボード侯爵と共に視察へと出ることとなっていた。エリナはフォルボード侯爵夫人とお茶会に参加するということで、今日は屋敷にいるため別行動だ。
港から周り店が多く立ち並ぶ大通り。市場へも足を向けた。人がにぎわっているのは昨日と変わらないが、一つ加えるとすればフォルボード侯爵への対応だ。フォルボード侯爵の姿を見ると、皆声を掛けてくるのだ。先代が貴族主義的な考え方をしていたための反動か、正反対ともいえる態度を取るフォルボード侯爵へは人々の信頼も厚いようだ。これにはアルヴィスも驚きを隠せなかった。
「いえ、私はただ父が嫌いだっただけですから」
「侯爵」
「あれと同じことはしたくない。その一心で務めて参りましたから」
「そうか……」
その後、馬車で向かったのは教会だ。王都の大聖堂には遠く及ばないが、ここの教会も立派な建物である。中に入れば、シスターが出迎えをしてくれた。彼女は一歩前に出ると深々と頭を下げる。
「王太子殿下、侯爵様。お待ちしておりました」
「出迎えご苦労様。ですがシスター・イリス、司祭はどうしたのですか?」
本来ならばここの責任者である司祭が出迎えるはずだったらしい。その司祭の姿がないことに、少し不機嫌さを現したフォルボード侯爵が目の前の彼女へと問いかける。
「申し訳ございません。司祭様は現在治療中なのです」
「治療? もしやまた孤児院関係ですか?」
「……はい」
孤児院。あまりアルヴィスには馴染みのない場所だ。だがフォルボード侯爵は眉を寄せている。フォルボード侯爵が気にかけている場所なのだろうか。考え込んでいる様子のフォルボード侯爵に、アルヴィスは声を掛ける。
「侯爵、気になるのであれば様子を見に行ってはどうか?」
「しかし王太子殿下のお時間を――」
「邪魔でなければ司祭殿の様子も見させてもらいたい。私も同行するので構わないだろう?」
治療中と言いながら、イリスの様子から状況は芳しくないと想定できる。恐らくはフォルボード侯爵も同様な考えを持っているはずだ。ここでフォルボード侯爵の足を止めているのはアルヴィスの存在。ならば同行することをアルヴィスから告げられれば、フォルボード侯爵は断ることは出来ない。我ながらずるいやり方だとは思う。だがそれを知っていて尚、彼は困ったように頷いてくれた。
イリスと呼ばれたシスターは、少し困った様な表情をしながらも「ご案内します」とアルヴィスたちを先導した。そうして案内されたのは、教会の奥にある一室だった。あまり広いとは言えない部屋に、子どもが数人集まっている。そしてベッドには寝かされている女性が一人と、彼女の手を握りながら祈りを捧げている男性が一人いた。
「これは一体……?」
「昨夜から熱が下がらないそうで、子どもたちが司祭様に助けを求めてこられたのです」
「そうでしたか」
寝ている女性は孤児院で子どもたちの面倒を見ている人らしい。孤児院にはかかりつけの医師がいない。決して裕福といえない状況の彼ら、子どもたちが頼るのは孤児院から一番近いこの教会だということだった。
司祭を見れば、女性に対してマナを送っているらしい。マナの力は万能ではない。かつてアルヴィスが負傷した時にも、毒を抜いたり治癒力を高めたりすることは特師医が行っていたが、基本的には本人の治癒力が全て。司祭が行っていることも、女性の治癒力を高めるための補助的な行為に過ぎないのだ。
「いつから司祭はあれを?」
「もう一時間になります。お止めしたのですが……」
一時間も行っていたのであれば、これ以上続けても効果はない。イリスもそれは理解しているらしい。だが司祭はやめることなく、続けている。
アルヴィスは後ろに控えていたディンへと視線を向けた。その意味を受け取ったディンは眉を寄せる。だが、司祭が危険な行為をしていることは理解できたのだろう。溜息をつきながらも頷く。
許可を得たところでアルヴィスは、子どもたちの間をすり抜けて司祭の下へと近づく。
「王太子殿下っ⁉」
「失礼する、司祭殿」
アルヴィスは司祭の肩へと手を置いた。それだけで司祭の中にマナが残り少ないことが読み取れる。やはりこれ以上は危険だ。肩から手を離し、アルヴィスは司祭の手に触れて女性から手を離させた。代わりにアルヴィスが女性の手に触れる。手を離した司祭は、ハッと目を見開くと同時に後ろへと倒れこんだ。すかさず空いている方の手で、司祭の身体を支える。
「ディン、司祭殿を」
「はっ」
アルヴィスの指示に従ったディンが司祭を抱えるのを見て、アルヴィスは目の前の女性へと集中した。治癒行為をするのは得意ではない。アルヴィスの力は強すぎて相手を壊してしまう可能性の方が高いからだ。しかし、長時間とも言えるほどマナを注がれても好転しない容体ならば、他に要因があることも考えられる。だからアルヴィスがするのは治癒行為ではない。読み取りだった。
「っ」
「殿下⁉」
フォルボード侯爵が声を上げる中、アルヴィスは気にすることなく集中する。彼女のマナの情報。そこには女性の発熱の原因は毒物によるものだということが読み取れた。毒物を取り除かない限り、身体は侵され続ける。ある程度の耐性があるアルヴィスらのような貴族とは違い、女性には毒へと耐性もなさそうだ。
アルヴィスは状況を理解すると、女性から手を離した。
「発熱しているのは毒に対する抵抗だ。毒物の種類はわかったから、解毒剤を飲ませればひとまずは落ち着くだろう」
「であれば、直ぐに――」
「解毒剤であれば私が」
直ぐに用意させるというディンの言葉を遮ったのは、イリスだ。ちらりとフォルボード侯爵へと視線を向ければ、戸惑いを残しつつも頷いた。フォルボード侯爵が認めているのならば、アルヴィスとて異論はない。彼女に解毒剤を任せて、アルヴィスたちは一旦部屋を出ることにした。
教会で一番広い場所。女神像が祀られている礼拝堂へと案内されたアルヴィスは、一息つくため傍にあった椅子へと腰掛けた。
「殿下、大丈夫ですか?」
「あの程度なら近衛隊にいたころ何度もやっていただろ? 問題ない」
「それはそうですが」
精神的負担はともかく、それほど消耗するような行為ではない。今回は最低限のことしかしていないため、精神的にも影響は少なかった。少しだけ顔色を変えてしまったのは、毒を飲んだ衝撃がアルヴィスを襲ったからでそれ以上のことはない。
そうしてしばらく休んでいると、フォルボード侯爵が戻ってきた。
「王太子殿下、女性の容態は落ち着きました。司祭の方も、寝ていれば回復するとのことで、なんとお礼を申し上げたらよいのか」
「いや、ただの私の自己満足だ」
出来ることがあるのに黙って見ていることが性に合わなかった。それだけのこと。アルヴィスが動けば問題となる可能性もある。それを差し引いても、アルヴィスに力を貸さないという選択肢はなかった。それだけの話だ。だが、気になることはある。
「侯爵、例の毒物のことだが孤児院ではその女性だけが口にしたということか?」
「……まだ調査をしたばかりなのでなんともいえませんが、子どもたちの話だとある男性が彼女のために持ってきたのだと」
女性が働いている孤児院はリュングベルよりも少し離れた場所にあり、以前はとある男爵家が管理していたものだった。だがその男爵家が最近爵位を失った。もちろん、男爵家も経営から手を離すこととなる。結果として、孤児院は経営難に陥ってしまったのだ。その後、色々な人が孤児院を訪れることとなり、その時は子どもたちも警戒心が強かったらしい。
だがその後、リュングベルの人たちを始めとした多くの善意ある人たちのお蔭で孤児院は経営難から立ち直ることが出来た。それもあの女性が積極的に動いたお蔭らしい。今は孤児院に多くの支援者がいる。フォルボード侯爵もその一人で、市場の人たちにも支援者は少なくない。そのようにして人の出入りが多くなり、子どもたちも警戒心が薄れていったのだろう。今回もその中の一人だと思って、あまり見かけない男性にもかかわらず疑問に思わなかったそうだ。
孤児院で働いているという彼女。ここリュングベルでは特に噂になるほど評判の女性らしい。求婚する相手もたくさんいるが、彼女は孤児院のことで手一杯だからとすべて断り続けていると。彼女を狙うならば、その辺りが理由かもしれない。
「後のことはこちらにお任せを。殿下のお時間を使わせてしまい、申し訳ありませんでした」
「謝罪は受け取った。分かり次第、私にも知らせてほしい」
「無論です」
まだ視察は始まったばかり。だが、司祭は臥せっているため訪問は日を改めてということになった。




