閑話 妃の少しの違和感
リュングベルに来てから、エリナは滞在先のフォルボード侯爵家で夫人とお茶会を終えて部屋へと戻ってきた。フォルボード侯爵家はエリナにとっては母方の実家である。だが母の父、エリナの祖父が当主であった時はあまりここへは来ることはなかった。その理由は当主である祖父と顔を合わせたくなかったからである。祖父との間に良い思い出がないのだ。中でもエリナが一番嫌だったのが、次兄であるルーウェに対するものだった。
当時の王太子であったジラルドと同年ということから、側近候補として名が挙げられていたルーウェは非常に努力家だった。だが、祖父は事あるごとに長男であるライアットと比較してルーウェを貶めていたのだ。ライアットから聞いたところによると、ルーウェがジラルドの傍にあることが許せなかったらしい。
現フォルボード侯爵家にもエリナの一つ下の従弟がいる。王立学園に在学しているため、ここにはいない。要するに、自分の孫ではなくルーウェが側近となることが気に入らなかったということだ。ルーウェが側近候補となったのは、リトアード公爵家の力でねじ込んだと。リトアード公爵家の名が全くの無関係だとは思わないが、それが全てだと思われては面白くない。だが、聞く耳を持たない祖父に説明するだけ無駄である。だからこそ、まともに取り合わない方がいい。それがエリナとライアットの間の共通の認識だった。
その祖父も引退したため、今この屋敷にはいない。それだけで屋敷内の雰囲気も明るくなったように感じる。
「久しぶりに来たけれど、伯父様と伯母様もお変わりなくて良かったわ」
「そうですね。エリナ様がお越しになられると聞いて、とても楽しみにしていたそうですよ」
「うふふ、そうだと嬉しいわ」
伯父は祖父の息子とは思えないほど、穏やかな人だ。祖父のやり方に異論を唱えていた伯父は、爵位を継ぐと屋敷内の一斉掃除をしたらしい。らしいというのは、エリナもライアットから聞いただけで実際のところは知らないからだ。だが、祖父に従っていた使用人たちの姿を見ないので、ライアットの言葉は正しかったのだろう。
「本当に良かった。あの頃のままであれば、アルヴィス様にもご不快な想いをさせてしまっていたかもしれないわ」
「そうかもしれませんね」
そんなことを話していると、扉からノックの音が聞こえた。エリナが目配せをすると、サラが扉の傍へと移動する。
「はい」
「お寛ぎのところ失礼いたします。もうすぐ夕食の時間となりますので、お知らせに参りました」
その声は聞き覚えのある声だ。この屋敷の執事だろう。気が付けば、窓の外には陽が落ちつつあった。それほど話をしていたつもりはなかったのだが、思いの外時間が経っていたらしい。
「すぐに準備をして向かいます、とお伝えして」
「わかりました」
サラが扉を開けて部屋の外へと出る。それほど時間を置かずにサラが戻ってくると、クローゼットからドレスを選びだした。ここはエリナにとっては身内の家だが、エリナの立場は王太子妃である。今宵の夕食は王太子夫妻とフォルボード侯爵夫妻の晩餐会。パーティーに参加するときのようなドレスではないが、実家にいる時のような装いは出来ない。
青色のドレスに着替えていると、再び扉がノックされた。サラがエリナにケープを掛け、扉へと向かった。執事が呼びに来たのだろうかと思ったが、今度の声の主はエドワルドだった。
「よろしいでしょうか?」
「ちょうどエリナ様のお支度が終わったところですので大丈夫です」
「ありがとうございます。もうすぐアルヴィス様が戻ってこられますので、お伝えしようかと思いまして」
「承知しました」
アルヴィスが戻ってくる。その言葉に、控えていた他の侍女たちも動き出す。エリナが支度をしたのだから、当然アルヴィスも支度をしなければならない。アルヴィスの衣装も直ぐに用意される。濃い青色の衣装だった。これはエリナと合わせた色なのだろう。
時を置かずして、アルヴィスの侍女であるティレアが姿を現す。その次には、アルヴィスが部屋へと戻ってきた。
「アルヴィス様、お帰りなさいませ」
「……あぁ、ただいま」
エリナに言葉を掛けられたアルヴィスは、いつものように微笑みながら返事を返してくれる。だが、少しだけその表情が陰っているようにも見えた。
ティレアたちに手伝われて着替えたアルヴィスは、そのままソファーへと腰を下ろす。その様子がどこか気になって、エリナはアルヴィスの隣に座った。
「お疲れですか?」
「大丈夫だ。ただ街の様子を見てきただけだからな」
そう話すアルヴィスの様子はいつも通りだった。エリナの気のせいだったのだろうか。アルヴィスの表情を窺うように覗き込めば、怪訝そうな顔を返される。
「エリナ?」
「……今日はきちんと休んでくださいね」
じっとアルヴィスを見つめながら告げると、アルヴィスはバツが悪そうに頬を掻いた。一緒に暮らすようになってエリナにもわかってきたことがある。アルヴィスは基本的に眠りが浅い。エリナよりも遅く眠り、朝もエリナより早い。エリナが眠ってから帰ってくることもあり、物音がして目を開ければ書類か何かに目を通していることも多かった。ちゃんと休めているのか。そんな心配が顔に出ていたのか、アルヴィスがそっとエリナの頬に手を添える。
「ちゃんと休んではいる。だから、そんなに不安そうな顔をしなくてもいい」
そう話すアルヴィスが、何となくいつもより寂しそうに見えてエリナは何も言えなくなってしまった。この時、ちゃんと理由を尋ねていればアルヴィスは答えてくれたのだろうか。何かあったのかと。それを問うには、何もかもが足りなかった。




