40話
翌朝、目を覚ましたアルヴィスはベッドから身体を起こそうとして腕に重さを感じた。隣を見れば、エリナがアルヴィスの腕を掴んだまま眠っている。すやすやと寝息を立てているエリナは、まだ夢の中のようだ。起こさないように気を遣いながらアルヴィスはその手を外すと、そのまま音を立てないように注意しながら、寝室を出て私室へと向かった。
「おはようございます、アルヴィス様」
「「おはようございます」」
「おはよう」
既にティレアたちが揃っている。彼女たちの手を借りながら着替えを済ませ、アルヴィスは朝の鍛錬へと向かう。近衛隊の訓練所には、既に隊士たちが訓練を始めているところだった。羽織っていた上着をエドワルドへと渡すと、アルヴィスも訓練に加わる。
「おはようございます、殿下。本日のお相手は私が務めさせていただきます」
「ディン、おはよう。よろしく頼む」
「はっ」
声を掛けてきたのは、ディンだ。どうやら今日の相手はディンが務めてくれるらしい。技術だけでいえば、ディンが上。そしてディンはアルヴィスが相手であっても容赦はしない。怪我をするようならば、それはアルヴィスが未熟だからに他ならない。
先に柔軟をして体を解すと、アルヴィスは訓練所の端へと移動し屈伸運動をした後で、軽く走りだす。ディンもそれに並走していた。最初は流す程度。少しずつスピードを上げて訓練所を何周もすると、最後には再び流し程度の速さまで落として走る。訓練は手合わせすることだけが目的ではない。体力づくりも含まれるのだ。
「はぁはぁ」
「一息入れますか?」
「いやいい。このまま続ける」
実戦では、相手は待ってなどくれない。王太子であるアルヴィスが戦闘に参加することはあってはならないが、それは実戦を想定しない理由にはならないとアルヴィスは考えている。これは鍛錬だ。近衛隊の訓練とは違う。それでも己の腕が鈍ることだけは避けたい。
「騎士団の選定で、少々刺激されましたか?」
「……かもしれないな」
フィラリータとミューゼとの手合わせ。アルヴィスが訓練の内容を変えたのはその後からだ。以前は、あくまで鍛錬という形を崩さなかった。休憩を適度に入れて、近衛隊の訓練とは違うメニューをこなしていたのだ。あまりにわかりやすいタイミングだったことだろう。
「今の俺は騎士じゃない。だが、そう簡単に女性に負けることも出来ないだろう」
「騎士が王太子に負けることの方が問題だと私は思いますが」
ディンの言うことは正しいが、こういうのは理屈じゃないんだろう。呆れながらもディンは模擬剣をアルヴィスへと渡す。
「では、始めましょう」
「あぁ」
ディンが剣を構えたのを合図にアルヴィスは地を蹴った。
◆◇◆◇◆
近衛隊所属となったフィラリータとミューゼは、遠くからそんなアルヴィスの様子を見ていた。王太子妃付の専属護衛となった二人は近衛隊所属。ゆえに、朝から訓練に参加していたのだ。
「ねぇ、フィラ」
「何?」
「王太子殿下って鍛錬しに来てるんだったよね?」
「そう聞いてるけど」
「どう見ても私たちと同じようなメニューをこなしているようにしか見えないんだけど」
元近衛隊であるアルヴィスが、古巣に顔を出しているということは騎士団でも有名な話だった。はじめは数回だったのが、いつしか毎日顔を出すようになったらしい。王太子としての仕事に支障が出ているわけでもなく、本人も気分がすっきりするらしく、国王も黙認されているというから驚きだ。
「でも新婚だよ? 普通、妃殿下と一緒に過ごすとかじゃないの?」
「……ミューゼが何を想像しているかは理解できなくもないけど、たぶん殿下には当てはまらないと思うわ」
「えー……」
残念そうな顔をするミューゼだが、フィラリータからすればアルヴィスが結婚したこと自体に違和感が拭いきれない。だが、思いの外エリナを大切にしていることはわかった。ただできれば、フィラリータがいる時に顔を出すのはやめてほしいと思う。時間が合うだけで勘繰られるのは絶対に勘弁だ。恐らく、アルヴィスの視界にはフィラリータなど入っていないのだろうが。
「全く、いるだけで面倒な人」
「そう言いつつ、少し嬉しそうだよね。フィラってば」
「そんな訳ないでしょ!」
「手合わせしたいとか思ってたりしないの?」
ミューゼがジト目でフィラリータの顔を覗く。思わず言葉に詰まってしまった。手合わせ。その言葉には惹かれずにいられない。結局、負けたままなのだ。近衛隊にアルヴィスが顔を出すということは、即ちその機会が訪れる可能性があるということ。
「ちなみに私は狙ってるけど」
「ミューゼ⁉」
「だって実際近衛隊って王族の護衛が主な任務でしょ? 守る対象より弱いとかありえないよね」
にっこりと笑ってはいるが、ミューゼはどうやら根に持っているらしい。手加減されたわけではないとは思うが、本気ではなかったことを怒っているのか。騎士団長や先輩方曰く、アルヴィスが本気を出すことはまずないそうだが。
「討伐で一緒に行けたとしても、殿下御自身が戦うことはないって言われたでしょ。何かさぁ、一度でいいからあの顔を慌てさせてみたいよね」
「……そう、ね」
同意出来なくもない。だが、ミューゼのその顔が獲物を定めた狩り人のようで、フィラリータは悪寒が走った。少し戦闘狂っぽいところもあるのか、と少しだけミューゼが怖くなったフィラリータだった。
◆◇◆◇◆
その後近衛隊訓練所から戻ったアルヴィスは、汚れた姿で戻った時にエリナと遭遇し、怪我の心配をされてしまうのだった。
これで第四章は終わりです。ここまでお付き合いいただきありがとうございます。
次は回収していないあの国のことを書いてから、第二部へと移りたいと思います。
これからもどうぞよろしくお願いします。




