39話
勢いのまま書いてしまった……後で直すこともあるかもしれません(汗)
ベルフィアス公爵家から王太子宮へと戻ってきたアルヴィスたち。その日の夕食後、アルヴィスはエリナと共に部屋で休んでいた。ここには侍女たちの姿はない。だが、呼び鈴を鳴らせばすぐに駆け付けてくれる。結婚するまでは部屋でも侍女たちが傍にいたので、彼女たちが傍にいないということに違和感を覚えてしまう。一年と少しだったというのに、随分と慣らされてしまったものだ。
「アルヴィス様、どうかされました?」
黙っていたアルヴィスを不思議に思ったのか、隣に座っていたエリナが顔を覗き込んでいる。
「どうということはないんだが、俺も慣れたものだと思って」
「慣れる、ですか?」
「王族となって、侍女たちが傍に控えているのが当たり前になっていたんだなと思ったんだ。その前までは、自分のことは自分でやるのが常だったというのに」
「近衛隊に所属していた時のことでしょうか?」
アルヴィスは頷く。騎士団でもそうだった。貴族出身者が苦労するのはそこである。これまで侍女たちに世話をされてきた者は、着替え一つを取っても苦労することが多い。食事については宿舎にも食堂はあるし、城下に下りればいくらでも手段はある。だが、世話をされることに慣れている人間は直ぐに馴染めないのは当然だ。
アルヴィスも始めから一人ですべてできたわけではない。公爵子息だったアルヴィスも常に侍女が傍にいたし、世話焼きだったエドワルドもいた。騎士団入団後は、慣れないことの方が多かったのは確かだ。一人ですることに慣れてきていたところに、立場が変わった。一人でやっていたことを、侍女たちが手伝うようになった。そして寝る直前までは誰かが傍にいるようになったのだ。元に戻ったと言われればそれまでなのだが。
「この場にティレアらがいないことに違和感を抱くくらいには、俺も慣れていたんだと思ったんだ」
「そうですね。私も、サラがいつも傍にいてくれたので」
サラは物心付いた時からずっとエリナの傍にいた侍女。こうして王太子妃になったエリナだが、引き続き仕えたいとエリナの婚姻と共に王太子宮で働くこととなった。もちろん、エリナ付の侍女として。
「サラは侍女ではありますが、私にとっては姉のような存在です。だから一緒に来てくれたことは嬉しく思っています」
エリナにとってのサラは、アルヴィスとエドワルドのような関係に似ているのかもしれない。屋敷にいる時はずっと傍に付いていたという。エリナが傷付いていた時にも励ましてくれたのがサラなのだろう。
「ただ、少しだけ申し訳ないとも思っています」
「サラに?」
「はい。サラは子爵家出身なのです。もう結婚適齢期も過ぎてしまって、私の傍にこれ以上留めておけば、サラ自身のためにはならないのではないかと」
サラの年齢は、アルヴィスの一つ上だったはず。貴族令嬢としての結婚時期は過ぎている。当人は気にしていなさそうではあるが、当然実家である子爵家からそれなりに話は来ているだろう。王太子宮の侍女となった今ならば、その話はアルヴィスの下へと来る。
「エリナが気になるなら聞いてみるといい。彼女も、エリナが聞けば話をしてくれるはずだ。尤も、エリナの傍にいることを優先しそうな気はするが」
「うふふ、そうですね。それを嬉しいと思ってしまう私もいけないのでしょうけど」
「たとえ彼女が結婚してもエリナの侍女を辞めるとは限らない。俺の専属である侍女たちは、皆既婚者だからな」
ティレアはもちろんのこと、ジュリンナたちもそうだ。彼女たちは、夫婦共に職場が王城であるのでうまく時間を使っては会っているらしい。
「そうですね。明日にでも聞いてみます」
「あぁ」
エリナは立ち上がると、カップへ紅茶を注ぐ。侍女たちが用意していってくれたものだ。公爵令嬢ではあるが、エリナはお茶の心得もあるらしい。夜に話をする場合、エリナが紅茶を淹れてくれるのは日課になりつつあった。
「ありがとう」
「いえ、ティレアさんたちほど上手ではありませんが」
「いや美味しいよ」
感想を口にすれば、エリナはホッと胸を撫で下ろす。自信がないのは、サラ以外に披露したことがないからだそうだ。ジラルドとはもちろんそのような機会はなかっただろうし、お茶会でもエリナ自ら紅茶を用意することも出来ない。それは侍女の仕事だからだ。アルヴィスと二人しかいない空間だからこそ出来ることである。
「そういえば、今日は礼を言う」
「お礼ですか?」
「ミリーのこと。うまく対応してくれてありがとう。少し我儘が過ぎる子だったろう?」
ミリアリアは公爵家の末っ子だ。レオナから色々と教えられてはいるようだが、それを理解するにはまだ時間が必要だろう。
「いいえ、とても可愛らしい方でした。本当にお兄様が大好きなのだと思いましたわ」
「まぁ、ミリーの存在は俺にとってもある意味で救いだったから。甘やかしていたことを否定はできないだろうな」
「アルヴィス様、それは……」
ハッと思った時にはエリナの顔が曇っていた。少し口を滑らせ過ぎたようだ。アルヴィスは思わず頬を掻く。どう誤魔化そうかと思案していると、エリナがカップを置いてアルヴィスの腰へと抱き着いてきた。
「エリナ?」
「今は聞きません。ですが……いつか、私にもお話しください」
「……」
「アルヴィス様の過去に何があったのか。本当は知りたくてたまりません。私の知らないアルヴィス様を知りたい。そしてそこにアルヴィス様を縛る何かがあるのなら、それを共有させてほしい。私は、そう望んでいます」
腰に回る腕に力がこもる。どうやらアルヴィスが口を滑らせる前に、公爵家で何かを聞いていたらしい。アルヴィスが席を外していた間、マグリアもいたのだから可能性は高いだろう。あの家で、アルヴィスの想いを一番理解しているのはマグリアとレオナなのだから。
「全く、兄上も余計なことを吹き込んでくれたよ」
そう呟くと、エリナが顔を上げる。エリナの表情はアルヴィスの答えを怖がっているようにも見えた。余計なことを言ってしまった子どものように。
「駄目でしょうか?」
「……知れば君は俺に幻滅するかもしれない」
「そのようなことはありません。たとえ何があっても、私がアルヴィス様を嫌うことなど一切あり得ません」
「そんなこと――」
あり得ないと言おうとした言葉は、エリナの唇によって呑み込まされてしまった。腰に回されていた手はアルヴィスの頬を両手で包んでいる。そのままアルヴィスはソファーの上へと押し倒された。天井を見上げれば、真っ赤な顔をしたエリナがアルヴィスを見下ろしている。
「過去に何があろうと、アルヴィス様はアルヴィス様です。それが変わることはありません。でも……」
「でも?」
「私だけが知らないのは嫌なのです。リティーヌ様は知っているのに、私はアルヴィス様のことを何も知らない。アルヴィス様の妃なのに、他の皆様の方が貴方を知っている。それが……私は」
アルヴィスは目をぱちぱちさせる。落ち着いて今のエリナの言葉を繰り返した。皆がアルヴィスを知っている。その皆というのは公爵家のことを指すのだろう。それは当然で、彼らはアルヴィスの家族だから。だが、そこにリティーヌの名前が加わっていた。つまり、どういうことなのかというと。
「……リティに嫉妬したのか?」
「申し訳……ありません。当たり前なのです。リティーヌ様とアルヴィス様は従兄妹で、幼馴染なのですから。当然なのはわかっています。わかっているのです。でも……」
なるほど、とアルヴィスは納得した。女性を避けてきたアルヴィスだが、それほど鈍いつもりはない。リティーヌがアルヴィスにとって特別なのは己も理解している。と同時にリティーヌにとっても、アルヴィスは幼馴染以上の存在だろう。それだけの時間を過ごしてきた。エリナもそれはわかっているはず。だが、それだけでは割り切ることは難しい。理屈ではないのだから。
「そうか。そうだな……」
アルヴィスがリティーヌに向ける感情は親愛だ。従妹として大切だし、幸せになってほしいとは思う。恐らくリティーヌも同じはずだ。それはエリナに向ける感情とは違うもの。それを言葉にしても、エリナの不安が消えるわけではない。時間だけは、変えることは出来ないのだから。
アルヴィスは今にも泣きだしそうなエリナの頬へと手を添える。
「わかった。約束する。だからその時は……俺の話を聞いてくれるか?」
今ではないが、アルヴィスが話せる覚悟が出来たら聞いてほしい。そう告げれば、エリナの瞳からぽつりと涙がこぼれた。泣いている顔も綺麗だなと思ってしまう己にアルヴィスは笑ってしまう。頬に添えていた手でエリナの涙を拭うと、その体を抱き寄せた。
「ありがとう、エリナ」




