37話
そんな話をしていると、レオナが困ったように眉を下げる。どうしたのかとアルヴィスは首を傾げた。
「レオナ殿?」
「アルヴィス様、妃殿下はどうしていらっしゃるのですか? 本日は共にいらっしゃるとお聞きいたしましたが」
「ラナたちと一緒にいます。ここへは、連れてこない方がいいかと思いましたので」
「……ありがとうございます。ですが、ここは妃殿下にとっては不慣れな場所でございます。私などよりも、妃殿下を気遣って差し上げるべきではありませんか?」
ここでレオナに会うよりもエリナの傍にいるべきだ。レオナはそう言っているのだろう。変わらず、レオナにとって彼女自身は優先度が低い。アルヴィスもそう言われることはわかっていた。もちろん、エリナを最優先にしたい気持ちもある。だが、ある意味で恩人ともいえるレオナに会える機会を逃すこともできなかった。
「ラナはエリナの学園での後輩でそれなりに親しくしているようですから、そこに俺が割って入ることは出来ません。エリナも、まだ城での生活に戸惑いもあるでしょう。それに俺以外だと侍女たちくらいしか話し相手もいません」
「それは、そうかもしれませんね」
アルヴィスは執務があるため、王太子宮から出ることは多い。住居が移動した以外は、王族へと戻ってきた時から大した変化はない。だが、エリナは違う。知らない場所での生活は精神的な負担もあるはずだ。アルヴィスでは大した話し相手にはなってやれない。そのため、ここへ来ることも息抜きになってくれればいいと思っている。ミリアリアとヴァレリアを紹介したいというのも本音ではあるが、エリナに外出をさせてやりたかったというのも、紛れもないアルヴィスの本心である。
「もう少し落ち着いたら、エリナ自身が友人を招くことにはなるでしょうが」
「うふふ」
「? どうかされましたか?」
突然笑い始めたレオナに、アルヴィスは戸惑いを声に出した。何かおかしなことでもあっただろうかと。だが、レオナは首を横に振って微笑む。
「嬉しいと思ったのです」
「嬉しい、ですか?」
「妃殿下のことを本当によくお考えだと。あの時のアルヴィス様からは考えられないことですから。……ようやく、振り切れたのですね」
「あ……」
一瞬だけ、アルヴィスの脳裏に蘇る記憶。はっきりと思い出せる姿にアルヴィスは目を閉じる。胸に手を当てて映し出された彼女の姿を見るが、そこに痛みを感じることはなかった。アルヴィスを苛むものではなくなっている、ということなのだろうか。
「わかりません。今でも、彼女のことは思い出せるし、忘れてはいけないことだとも思っています。ですが、彼女の言葉が真実ではないことも理解しているつもりです」
「アルヴィス様」
「俺はずっと自分のことを必要のない人間だと思ってきました。俺の存在は兄上の邪魔にしかならなかったから」
既にベルフィアス公爵家の嫡男としてマグリアがいた。だが、マグリアは庶子。ならば正妻のオクヴィアスが男児を産めば周囲が騒ぐのは簡単に予想できること。案の定、アルヴィスが生まれたことで周囲は騒がしくなった。あることないことをアルヴィスに吹聴するくらいには。
両親もマグリアを常に優先していたし、そのようなことをするくらいならばなぜアルヴィスを生んだのかがわからなかった。一度、それをナリスに言ったことがある。ナリスはアルヴィスからそういわれると、泣いてしまった。それ以降、言葉にしてはいけないことなのだと子どもながらに理解したのだ。アルヴィスにできるのは、兄よりも目立たずに優れることがないようにと在ることだけ。常に一歩引いた場所にいることしかできないのだと。
誰もアルヴィスが不要だとは言わなかった。ただ一人アルヴィスを要らない人間だと告げたのが、彼女。アルヴィスにとっては恋人ともいえる存在だった女性だった。言葉というのは、態度よりも強く心に残るもの。彼女の言葉は刃となり、当時のアルヴィスを支配するに至ってしまった。
「俺の価値は、父上の息子。それだけでした。リティやラナたちがいなければ、きっともっと無気力な人間だったと思います」
弟妹という守るべき存在がなければ、アルヴィスは剣さえ振るっていなかったかもしれない。剣を振るっている時が一番アルヴィスが生き生きしていた時間だったはずだ。学園を経て、騎士団に入団したアルヴィス。騎士として前線に出ることは、怪我をすることもあればそのまま死んでしまうことも可能性としてゼロではない。誰かを、何かを守るために死ぬならばそれでいいと思っていたのは事実だ。
それが覆ったのは、昨年のこと。アルヴィスが生きてきた地盤が揺らいでしまった。守るのではなく、守られる立場に追いやられることで。
それでも父の息子として生きてきた責任がアルヴィスにはある。国王からの命令には従わなければならない。アルヴィスを動かしてきたのは、それだけだった。そこに意志が伴ったのは建国祭の出来事があったからだろう。
「そんな俺を変えたのは、エリナでした。彼女は幼いころから王太子妃となるようにと周囲から望まれてきた。もしかすると、他にやりたいことがあったのかもしれません。でも、エリナにそのような自由はなかった」
物心ついた時には王太子妃となるように定められ、常に相応しくあるようにと求められてきたのがエリナ。そして、それに応えるように努力してきた人だ。責任感が強く、芯がある女性。だが、時折不安そうな表情を見せてくれる。アルヴィスとは違い、ずっと逃げずに貴族社会で戦ってきた人だ。そんなエリナは、アルヴィスを慕ってくれた。真っ直ぐにアルヴィスを射抜くその瞳は、これまでアルヴィスが出会ってきた女性とは違うもので……。
「そんなエリナを俺は尊敬しています。そして今は俺も彼女を想うようになりました」
真っ直ぐな視線は、いまだにアルヴィスにとっては眩しいものではある。だからこそ、それに応えられるような人間にならなければいけないとも思うのだ。人としても王としても。
レオナはじっとアルヴィスの話に耳を傾けてくれていた。話が終わると、レオナは深く何度も頷く。
「良い方と巡り合われたのですね」
「はい」
「その言葉が聞けただけでも私は十分です。……アルヴィス様、私はこう思います」
「レオナ殿?」
そっと立ち上がり、庭の方へと歩きながらレオナは告げる。
「過去をすべて忘れる必要はございません。アルヴィス様が責任を感じていらっしゃるというのであれば、私も否やをいうつもりもございません。ですが、今を、未来を大切にしてください。きっとそれを、オクヴィアス様も旦那様も、そして今アルヴィス様のお傍にいるナリスさんたちもお望みだと思います」
「……肝に銘じます、レオナ殿」




