34話
エリナの護衛の件が確定した頃、約束していたベルフィアス公爵家への訪問の日となった。エリナにとっても専属護衛を伴う初の外出だ。アルヴィスの実家ではあるが、体裁は整えなければならない。
同じ馬車に座っているアルヴィスとエリナだが、エリナは緊張しているのか膝の上に置いてある手をぎゅっと握ったり離したりを繰り返していた。
「落ち着かないか?」
「いえ、そのようなことはっ!」
否定はしているが、どこをどう見ても落ち着いていないようにしか見えない。仕方ないなと肩を竦めると、アルヴィスはエリナの手に己の手を置いた。
「アルヴィス様?」
「楽にしていいといったところで出来ないかもしれないが、あまり気負う必要はない。両親はともかくとして」
「はい……今日は、ラナリス様もいらっしゃるのですか?」
ベルフィアス公爵家でエリナが知己といえるのは、ラナリスくらいだ。マグリアもパーティーなどで話をしたことはあるだろうが、学園の後輩という立場のラナリスにその距離は及ばない。
「エリナが来ることは伝えてあるから、外泊許可をもらうと言っていたはずだ」
「そうですか」
ほっとしたように息を吐くエリナ。普段から王妃や国王と話をすることに慣れていることだろう。確かにアルヴィスの父は王弟であり、話しかけにくいとも言えない。しかし、他に緊張するような相手ではないはずだ。
「そんなに緊張するような場所に行くわけではないと思うんだが?」
「自慢ではありませんが……私は、実家以外だと王城、学園の往復しかしてきませんでしたから。他の屋敷に行くのは初めてなのです」
少し尻すぼみになって話すエリナ。公爵令嬢であり、王太子の婚約者であったエリナを気軽に誘うことなど出来なかったのだろうか。アルヴィスとて、他の屋敷がどうなっているのかなどはよく知らない。友人はいたが、お互いの屋敷を行き来することはなかった。そういう意味では、アルヴィスもエリナと大して変わらない。
そうこうしているうちに、ベルフィアス公爵邸へと到着する。馬車が止まると、アルヴィスは先に馬車を降りエリナへと手を差し出した。エリナが手を重ねると、優しく握りしめて手を引く。既に外には、到着を知ったオクヴィアスらの姿がある。エリナと共に、オクヴィアスの前に立った。
「ただいま帰りました、母上」
「お帰りなさい、アル。それに、エリナさんも。よくおいでくださいました」
「ありがとうございます。お邪魔いたします」
いつものように裾を持ち上げて礼をするエリナに、オクヴィアスは微笑みかける。本来ならば、王太子妃であるエリナの方が身分は上だ。しかし、ここではエリナはオクヴィアスを公爵夫人としてではなくアルヴィスの母として接した。それはアルヴィスがオクヴィアスを母と呼んだからだろう。
オクヴィアスとにこやかに話をしている様子からは、先程まで緊張していたとは思えなかった。この辺りは流石と言わざるを得ない。エリナの背中に手を添えると、エリナはアルヴィスを見上げた。
「中に入ろうか」
「はいっ」
「お帰りなさいませ、アルヴィス様。エリナ様」
足を動かすと、入口で待機していた使用人たちが一斉に頭を下げる。アルヴィスとエリナは再び顔を見合せた。アルヴィスに対してはともかくとして、エリナに対しても「お帰りなさい」というのは正しい言葉ではない。だが、「いらっしゃいませ」では他人行儀すぎる。
エリナは王太子妃だが、その王太子というのはアルヴィスだ。ここはアルヴィスの実家であるベルフィアス公爵邸。実家に帰ってきたアルヴィスを出迎えるならば、家人として出迎えたい。ならばその妻であるエリナはどうか。アルヴィスを家人として迎えるならば、エリナも当然そういう扱いをすべきである。だからこそ彼らは「お帰りなさい」という言葉を選んだのだ。エリナを王太子妃としてではなくアルヴィスの妻として出迎えるという意味合いを持っている。
無論、エリナとてこの意図に気付かないわけもない。嬉しそうに頬を染めるエリナと共に、アルヴィスは屋敷内へと入るのだった。
★☆★☆★
中へと入ると、エントランスには兄弟が揃っている。わざわざ全員で出迎える必要はないとは思うが、このような光景も久しぶりだった。
「お帰り、アルヴィス。エリナ様もようこそ」
「お帰りなさいませ、アルヴィス様、エリナ様」
「ご無沙汰をしております、マグリア卿。ミント様も」
「兄上、それに義姉上も。ただいま帰りました。それに……」
声をかけてきたのはマグリアとミント。そのミントの腕には小さな赤ん坊が抱かれていた。アルヴィスにとっては甥となる存在。マグリアの息子だ。
「初めましてだな、リング」
「あう?」
無邪気に手を伸ばそうとしているリング。アルヴィスが誰かはわからないだろう。まだ世界を見たばかりの赤ん坊は、いろいろなことに興味を持っているらしい。うーうーと言葉にならない声を発しながら手を動かすその姿を見ているだけで、顔が緩んでしまうのは仕方がないことだろう。
さらにそのミントの隣には、ラナリスとヴァレリアが立っていた。ラナリスの後ろに隠れているのは、末の妹であるミリアリアだ。
「ラナ、ヴァレリアにミリーも」
「お帰りなさいませ、アル兄様。エリナ様も。お待ちしておりました」
「ありがとうございます、ラナリス様」
頭を下げるラナリスに倣うようにヴァレリアとミリアリアも頭を下げた。結婚式では、顔は見たものの会話をすることはできなかったため、ヴァレリアとミリアリアとこうして会うのは本当に久しぶりだ。
「兄上、この度はおめでとうございました。それと、お帰りなさい」
「ありがとう。ただいま、ヴァレリア」
「ほら、ミリー。貴女もご挨拶なさい。お兄様とエリナ様に」
ラナリスにポンポンと肩を叩かれると、ミリアリアがゆっくりを出てくる。真剣な表情をしながら、スカートの裾を持ち上げて腰を落としながら頭を下げた。ラナリスを見れば、誇らしげな笑みを浮かべていた。
「お、お帰りなさいませ。アルお兄さま。えと……よろしくお願いいたします。エリナお義姉さま」
「……」
「宜しくお願いしますね、ミリアリア様」
ミリアリアの挨拶に驚いているアルヴィスとは別に、エリナはミリアリアへと笑い返す。ホッとしたのか、ミリアリアはラナリスを見上げた。ラナリスが頷けば、ぱぁっと花開いたような笑みを浮かべる。次にミリアリアはヴァレリアの方へと向き、誇らしげに胸を張った。
「ちゃんとできましたよ、ヴァルお兄さま」
「あぁよく頑張ったな」
「アルお兄さまも見てくださいました?」
「あ、あぁ。驚いたよ」
「えへへ」
一仕事を終えたかのように先ほどまでのおとなしい様相とは変わって、子供らしい表情を見せるミリアリア。どうやら、令嬢としての作法をラナリスから学び、お披露目をするために緊張していたらしい。
「アルお兄様、ミリーはエリナ様が来ると聞いてから、ずっと練習していたようですよ。私も驚かされました」
「そうか。誰から教わったんだ?」
「レオナ様から教わったようですよ」
レオナとはヴァレリアとミリアリアの母だ。ラクウェルの第二夫人である。その立場から、アルヴィスの式には参列しなかったものの、屋敷にはいるらしい。あとで挨拶くらいはしておきたいものだ。
誤字脱字報告、いつもありがとうございます。
感想もすべて拝見しておりますが、返信できず申し訳ないです。。。




