33話
王太子宮へと戻り、宮内へと足を踏み入れるとそこにはエリナが待っていた。どうやら、戻ってくると聞いて出迎えてくれたようだ。アルヴィスが指示をしたわけではないので、エドワルドが気を回したのだろう。チラリとエドワルドを見れば、笑みを浮かべながら頭を下げていた。
「お帰りなさいませ、アルヴィス様」
エリナと婚姻を結んで三日目。その生活はこれまでのものとは全く違っていた。王城の一画ではあるが、王太子宮は独立した建物だ。小さな屋敷のようなものである。アルヴィスが宮を出る時は勿論、戻ってきた時にもこうして誰かに出迎えられる。学園に入学後には家を出ていたアルヴィスからすれば、今のこの状態はどこかこそばゆく感じていた。王太子として過ごしてきた一年余りで多少は慣れてきたと思っていたが、そうではなかったらしい。
エリナと視線が合うと、彼女は嬉しそうに微笑む。
「突然すまないな」
朝にここを出て、今はまだ昼。それほど時間は経っていない。それに加えて、アルヴィスがこの時間に戻るということも伝えていなかったのだ。宮へ戻ってくると聞いて、慌てたに違いない。アルヴィスからすれば、急に戻ってきたので出迎える必要はないと思うが、エリナの性格上それは無理だろう。申し訳ないとアルヴィスが謝罪すると、エリナは首を横に振った。
「いいえ。私がしたくてしていることですので」
「そうか。だが、無理のない範囲でいい。まだここでの暮らしには慣れていないのだから」
「はい、ありがとうございます」
エリナにはサロンで待つように伝えると、アルヴィスはそのまま一旦自室へと戻った。訓練所で試合を行ったので、一度汗を流すためだ。汗を流し着替えを済ませて、アルヴィスはサロンへと向かった。
サロンのソファに座っていたエリナの手元には布と糸がある。どうやら刺繍をしていたところだったようだ。アルヴィスが来たことに気づくと、エリナは手元にあった布たちを近くの籠へと入れる。
「エリナは刺繍をするのか?」
「はい。それほど得意というわけではありませんが、趣味のようなもので」
「そうなのか」
あまり婚約者として多くの交流をしたわけではない二人だからか、知らないことは多い。エリナが刺繍をすることも今知ったばかりだ。
エリナは得意ではないといったが、少しだけ視界に映ったそれは随分と凝ったもののように映った。アルヴィスに刺繍の心得はないため、それがどれほどの難易度のものかは想像することしかできない。少なくとも簡単なようには見えなかった。
「その……上手に出来ましたら、受け取ってもらえますか?」
「俺に?」
「他に誰がいるんですか……」
思わず聞き返してしまったアルヴィスに、ボソッとツッコミを入れたのはエドワルドだ。呆れを隠すことのないそれに、アルヴィスは困ったように笑うしかなかった。エリナを見れば、少しだけ不安そうな表情を見せている。何かを意図して吐いた言葉ではなかったが、確かにエドワルドの言う通りだ。エリナはアルヴィスの妃なのだから。
「悪い。エリナ」
「い、いえ」
「俺でよければ、いただくよ」
「はい! ありがとうございます」
アルヴィスはそのままエリナの隣へと座った。直ぐに冷たい水が用意されたのは風呂上りだという気遣いからだろう。喉が渇いていたのは事実なので、アルヴィスはコップに注がれた水を一口飲んだ。そのままソファへと背を預ける。すると、エリナが顔を覗き込んできた。
「アルヴィス様、ご昼食がまだだとお聞きしましたが、何か召し上がりますか?」
そういえば昼食はまだ摂っていない。だが、訓練所で身体を動かした後なのでそれほど空腹を感じてもいなかった。運動直後は、身体がまだ高ぶっていることも多く、食事を摂らないようにしていた。無理に摂れば、戻してしまうこともあるからだ。とはいえ、食事をしていないことは既に知られているので、摂らなければ逆に心配をさせてしまうだろう。
「そうだな。それほど時間もあるわけではないから、軽いもので十分だ」
「わかりました。ご用意しますね」
そう言ったエリナが腰を上げようとすると、傍に控えていたサラがエリナをその手で制止する。怪訝そうな顔をサラへと向けるエリナに、サラは困ったように眉を下げた。
「お嬢……いえ、エリナ様。私どもがご用意しますので、エリナ様はそのままで」
「サラ。そうね、わかったわ」
「では、アルヴィス殿下。ご用意いたしますので、少々お待ちください」
「あぁ」
アルヴィスへと頭を下げたサラが、サロンから出て行く。サラと共に数人の侍女たちがその場を離れて行った。軽い食事と言っても、それほど直ぐに出来るわけもない。待っている間にアルヴィスはエリナへと例の話をすることにした。
「エリナ。君の専属護衛の話なんだが」
「はい。聞いております。近衛隊の女性隊士が少ないため、アルヴィス様が選定してくださると」
「その選定が今日終わった」
エリナは目を見開いて驚いている。護衛を付けるという話をエリナが聞いたのは、式を終えた後。ここまで早く決まるとは思っていなかったのだろう。
「宮の外を出歩くには護衛が必須。だから、早めに決めておきたかった。ずっと宮の中では窮屈だしな」
「もしかして、アルヴィス様はそのために何かご無理をなさったりは?」
「してないよ」
そう告げればエリナは安堵の息を漏らす。無理はしていないが、無茶を通した自覚はある。敢えて話す必要もない。
「それで護衛の女性騎士だが……エリナも既にあっている二人になった」
「私も知っている方、ですか?」
「あぁ。フィラリータ・フォン・アムール、ミューゼ・アービーの二人だ」
「先日の⁉ ではあの時ご一緒していたのはもしかして」
「そういうことだ」




