閑話 女性騎士からの評価
いつものように騎士団の詰所で訓練をしていたミューゼ。突如として訓練所内がざわざわし始め、何事かと剣を合わせていた手を止めた。同じく訓練中だったフィラリータの下へと行けば、不機嫌そうな顔でざわめきの中心である場所を睨みつけている。
「フィラ、どうしたの?」
「……殿下が来たみたいよ」
「殿下って……アルヴィス王太子殿下っ⁉」
「それ以外にいないでしょ」
同僚のフィラリータは今の王太子自身に対してあまり良い印象ではないらしく、話題が出る度に苦虫を嚙み潰したような顔をしていた。加えてフィラリータは、アルヴィスが立太子した辺りから実家よりある催促を受けているらしい。実家、すなわち侯爵家からだ。
フィラリータは侯爵家のご令嬢。本来ならば、ミューゼとは縁も所縁もない存在である。綺麗なドレスを着て、煌びやかな世界にいる身分の人だ。だが今のフィラリータの恰好は、騎士服ではあるが訓練中ということでところどころに汚れも付着している。令嬢がするような恰好では断じてない。本人が望んで騎士団に来たというが、やはりフィラリータにはドレスを着ている姿が似合うと思う。その姿はあのアルヴィスの隣にいても見劣りはしないだろう。フィラリータの実家はそれを望んでいるのだ。
だがそれをすれば、あの可愛らしい妃殿下を悲しませることになる。エリナ・フォン・リトアード公爵令嬢。アルヴィスと婚姻を結んだためその名は、エリナ・ルベリア・リトアードと王国の名を冠するものへと変わった。
先日、ミューゼは王太子妃殿下であるエリナを初めて間近で目にした。特徴的な紅い髪は強気な印象を与えるが、話をしてみればそのようなことは一切ない。自分の意志を押し通そうというよりは、常に周りを見て気遣いをするような人だった。ミューゼが知る令嬢とは違うが、フィラリータから言わせれば当然だということだ。高位貴族令嬢はそう在るようにと幼き頃より教育を受けるらしい。
ルベリア王国は男性社会。女性が自由に働くことの出来るような場所はほとんどない。特に貴族女性はそれが顕著だ。故に、結婚をして家に入り、夫を支えるべく動くことでしか生きていけない。だからこそ、夫との関係をうまく続けさせるためにそういった教育を受けるのだ。平民であるミューゼからすれば馬鹿らしい考え方だが、貴族女性が働くことはそれほど難しいということに他ならない。
フィラリータは例外中の例外。高位貴族令嬢にも関わらず、騎士団へと入団しその実力も高い。フィラリータは侯爵家の当主を説得して勝ち取ったと話していたが、ミューゼはそうは思っていない。そもそもフィラリータが騎士団へと入団したのは、アルヴィスを追ってきたからだ。当時は王太子ではなかったが、公爵子息というだけでも十分に婿としては魅力的だったはず。つまり、フィラリータが騎士団へと来れたのは、実家である侯爵家が王太子、つまりアルヴィスとフィラリータを結婚させたいがための工作だったのではとミューゼは考えている。実際、フィラリータにはアルヴィスの側妃にならないかという話が来ているらしい。あくまでフィラリータの実家が言ってきているだけなので、アルヴィス当人が何も言わない限りはどうにもならないのだが。
「フィラ、流石に不敬が過ぎるかと思うけど……」
「相変わらず清々しい顔をして……私が何を言われているかも知らないっていうのがムカつくわ」
「それは仕方ないんじゃあ」
理不尽な言われようをされているアルヴィスを不憫に思いつつ、ミューゼがフィラリータを宥めていると団員たちの波をかき分けてヘクターがやってきた。
「団長?」
「二人とも、殿下がお呼びだ」
「え?」
「ついてこい」
有無を言わさずにヘクターが告げてくる。困惑が抜けきらないままだが、それでも団長には従わなければという足は動く。ヘクターの後ろを付いていくと、アルヴィスが立っていた。傍にいるのは、白い隊服から近衛隊の人たちだろう。先日も顔を見た人たちだった。
アルヴィスはというと、いつも通り綺麗な顔でミューゼたちへと微笑む。あまり美形に耐性がないミューゼは、少しだけ頬が火照るのを感じていた。挨拶を交わすと、早速本題に入る。
結論は、ミューゼとフィラリータに近衛隊に異動し、エリナの専属護衛になるようにということだった。騎士団は王族の護衛に入ることは滅多にない。それは近衛隊の領分だからだ。だからこそ、近衛隊に異動させて護衛に就かせるということなのだろう。いずれにしても、昇進することに変わりはない。嬉しくないわけがなかった。ミューゼは飛び上がりそうになるのを堪える。
だが、フィラリータは険しい表情のままアルヴィスを見据えた。気に入らないとでもいうようで、ミューゼも冷や汗が出る。
「なるほど、この前のは妃殿下に対する私たちの態度を試した、そういうことなのですね」
「そうだな」
「ですが、私たちは剣を抜いたわけではありません。それでも適任と判断していただけた、ということでしょうか?」
フィラリータの言葉に、ミューゼも落ち着きを取り戻す。言われてみればその通りだ。ミューゼもフィラリータも、戦闘を行ったわけではない。女だからという理由だけで護衛を選ぶとは考えにくい。では、どうしてなのか。
「それをこれから確認する」
「え?」
突然の言葉に、フィラリータもミューゼも驚いてしまう。一体何を言っているのかと茫然としていると、アルヴィスは騎士団員から摸擬剣を受け取ってしまった。そのままフィラリータへと切っ先を向ける。
「勝負、といこうか。今の君の実力が知りたい」
「っ」
切っ先を向けられたフィラリータだったが、同じく摸擬剣を構えてしまった。勝負をするということだ。
「殿下に対して本気で宜しいのですか?」
「本気でなければ意味がない」
「……私相手に、本気でやってくれると取っても?」
「あぁ」
挑発にしか聞こえないそれに、ミューゼは指先が冷たくなっていくのを感じた。フィラリータの実力はミューゼも良く知っている。その辺の騎士団員たちには負けることはない。男性でもだ。いくらアルヴィスが元騎士という立場にいたとしても、公爵子息であった彼がフィラリータに敵うとは思えなかった。
しかし、先輩の騎士団員たちは元よりヘクターも止める気がない。そのまま勝負が始まってしまうというのに、周りの皆は興味深々といった様子で周囲を取り囲んでしまう。こうなってしまえば、ミューゼに出来ることは何もない。
「……始め!」
「やぁぁ‼」
ヘクターの合図とともに、勝負が開始された。
フィラリータが先に仕掛けると、アルヴィスが剣で以てそれを受け止める。力ならば男性に利があって当然だ。如何に細腕でもアルヴィスは男性。フィラリータが力で負けるのも無理はない。だが、騎士団内でもそれは同じ。力で敵わない相手であれば、同じ土俵で戦わなければよい。戦い方次第では、女性でも勝てるのだ。しかし……。
「…フィラが、押し負けているっていうの?」
目の前の戦況に、ミューゼは驚きを隠せなかった。剣の一振りを見てもわかる。アルヴィスは相当な実力者だ。重心の掛け方や、足さばき。どれをとっても、剣を振るってきた人間にしか見えない。先輩の中には、アルヴィスが近衛隊に異動したのは実家の力もあると噂している人もいた。騎士団は王都外の仕事が主で、魔物との戦闘は近衛隊よりも多い。王弟の息子をそのような場所に何度も送ることは出来ないと、異動させられたのだと言っていた。
だが少なくとも目の前で剣を振るうアルヴィスは、その先輩よりは実力があるように見える。つまりは、僻みだったというわけだ。その先輩は子爵家出身だったはず。爵位を理由に己を納得させていたということなのだろう。
「でも、まさか実力で近衛隊に行ったわけじゃないでしょうに」
「そのまさかだ」
「ふぇ?」
まさか呟きが聞かれていたとは思わず、上から聞こえてきた声に変な声が出てしまった。慌てて口を押えるが、既に遅い。
「ナシェル先輩」
「あれでも手加減しているんだぜ、あいつ」
「フィラ相手に、ですか?」
手加減をしていると聞いて、少々眉が吊り上がったのは仕方がないだろう。本気でこいと言っておきながら、本人が手加減しているとはどういう了見かと。だが、先輩に言わせれば仕方がないんだそうだ。
「貴族ってのは、マナが多い。それを剣に載せて戦うことなんて日常的にやっていることだ。だが、摸擬剣ではそれが出来ないだろ?」
「操作が出来れば問題はないはずですよね?」
平民だが、ミューゼもマナを持っている。戦闘で使うことも当然している。だが、それとこれとは違う話だろう。
「あいつはな、強すぎるんだよ。ご先祖様の影響なんだろうが、マナを乗せて戦闘なんてすると摸擬剣なんて使っていられない。だが、王太子であるあいつに真剣を向けるわけにもいかない。ってことで仕方ないんだ」
「はぁ……」
「新人の頃は、俺の方が上だったはずなんだけどなぁ。何だかんだと、あいつも努力家だから。そういうところは、お前と似てるよミューゼ」
「私と王太子殿下が、ですか?」
平民であるミューゼと、王族であるアルヴィス。身分は天と地ほど違うのに、その剣が似ていると彼は話す。そこまで言われれば、相対したくもなるだろう。
フィラリータとの戦闘を終えたアルヴィスから声を掛けられたミューゼは、戦闘前に抱いていたような心配は一切なくなっていた。だが、少しだけフィラリータの気持ちがわかった気がする。戦闘を終えてすぐにまた相手をするなんて、見くびっているとしか思えない。恐らく本人は意識していないのだろう。そして本当に続行しても問題ないと思っている。
「後悔させてやります」
「ほどほどにな、ミューゼも」
戦闘モードへと入ったミューゼを呆れたように送り出した彼。ミューゼはフィラリータよりも強い。騎士団員の女性の中ではトップだと思っている。守られる側にいる王族にそう簡単に負けるわけにはいかない。
そう意気込んだものの、ミューゼの想像以上にアルヴィスは強かった。だが本当に恐ろしいと感じたのは、摸擬剣をも崩れ落ちさせるそのマナの力である。
「……なに、あれ」
「ね、ムカつくでしょ」
「……不敬だけど、少しだけ同意する」
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