29話
帰りの馬車の中、隣り合って座るアルヴィスとエリナ。未だ困惑の最中にあったアルヴィスは、窓から外をじっと眺めていた。すると、ふいに左肩へと寄りかかってくる気配を感じた。
「エリナ?」
「すぅすぅ」
エリナの目は閉じられており、微かな寝息が聞こえてくる。疲れて眠ってしまったようだ。無理もないだろう。昨日の今日だ。初めて過ごす場所、時間。エリナにとってはまだ安らげる場所ではないはず。それでもエリナは何も言わないのだろう。きっとアルヴィスにでさえ……。
王城に着くまで然程時間がかかる道のりではない。だが少しでも休めればいいと、アルヴィスはエリナを起こさないように気を付けながら己の膝の上へと横たえるのだった。
王城へ到着してもエリナはぐっすりと眠ったままで、目覚める気配はない。おろおろとするサラに、アルヴィスは苦笑しながら大丈夫だと伝える。
「俺が運んでいく」
「殿下……宜しくお願いします」
「あぁ」
エリナ一人を抱えるくらいアルヴィスにとっては造作もないことだ。そのまま左腕を膝裏に入れて、アルヴィスがエリナを抱え上げる。馬車を降りるとサラがそっとストールをエリナへと掛けた。アルヴィスは、周囲から顔を見られないようにとエリナを自身の方へと傾けながら、王太子宮へと足を進める。
それほど時間もかからず到着した宮に戻り、アルヴィスはエリナを抱えたまま寝室へと入る。ベッドへとエリナを寝かせ、アルヴィスはその場を離れようと立ち上がりエリナから手を離した。すると、エリナは寝返りをうちつつアルヴィスのその手を掴んでしまう。強い力ではなく、優しく握るその手を振り払うのは簡単だ。
エリナを寝かせてそのまま戻るつもりでいた。だが、眠るエリナの顔を見ているとこれも悪くないと思う自分がいた。先ほどまでの困惑が晴れていくのを感じる。いずれにしても、仕事をしていればエドワルドに小言を言われるのは間違いない。
「今日くらいはいいか」
エリナの横に腰を下ろし、アルヴィスは窓の外を見る。外はまだ明るいと言える時間だった。この時間帯に、何もせずこうしているのはいつぶりだろうか。
近衛隊や騎士団にいた頃は、非番であっても剣を振ることが多かった。剣を振らない日は書物を読むなどしていたが、よく先輩騎士たちに非難されたものだ。休日の意味も知らないのかと。そういった先輩騎士から街の外に連れ出されることも少なくなかった。そういった経験がなければ、アルヴィスも城下に然程詳しくならなかっただろう。
学園時代も幹部学生として動き回っており、一日休むということもなかった気がする。常に何かをしていた。王太子となってからもそれは変わらない。仕事をしていない時も、歴史書や政治経済などについて本を漁っていることが多い。主にアルヴィスの寝室でやっていることだが、恐らくはエドワルドやナリス辺りには気づかれている。それでも放っておいてくれていることには感謝しかない。
ジラルドがこれまでに数年かけて行ってきたことをアルヴィスは一年で学ばなければならなかった。ある程度の下地があるとはいえ、一年で学べる量ではない。何とかこなしたといった方が正しい。婚姻を終えた今、アルヴィスがやらねばならないことは国内各地の視察だ。王太子夫妻を各地の領民たちにお披露目する意味もある。これからが本番ということだ。アルヴィスにとっても、エリナにとっても。
「それまでに専属を決めないとな」
公務として王都外に出る。近衛隊は無論護衛として付くが、やはり専任となってエリナの傍にいてくれる者が必要だ。公務では、常にアルヴィスと行動を共にするわけではないのだから。今日の感触でいえば、フィラリータらとの相性は問題なさそうだろう。問題は実力だ。
学園で何度も剣を交わした相手であるフィラリータはともかくとして、ミューゼの実力はこの目で見ておきたい。数日中に剣を交えられるように、騎士団長へお願いをしておくべきか。
「あれ……アルヴィス、さま?」
アルヴィスが今後の予定について頭の中で組んでいると、エリナの寝ぼけたような声が聞こえてきた。どうやら目が覚めたようだ。アルヴィスはエリナの方を向き、微笑みかける。
「目が覚めたか?」
「わたくし、どう……っ⁉」
エリナが慌てて起き上がった。自分の状況を思い出したのだろう。居住まいを正すとエリナは頭を下げた。
「も、申し訳ありません! アルヴィス様の前で何ということを」
「構わない。昨日の今日なのだから、疲れていたんだろう」
「ですが――」
青ざめた表情をするエリナ。予想するに、淑女として相応しくないと思っているに違いない。確かに令嬢が男性の前で居眠りをすることは、はしたないという部類に入るかもしれない。しかし、それは昨日までの話だ。既にアルヴィスとエリナは夫婦。夫の前で妻が眠る状況に、相応しいも何もない。そうは言っても、エリナは納得していない様子だった。アルヴィスは困ったように笑う。
「気にしなくていい。俺は気にしていないから」
「……アルヴィス様は私に甘過ぎます」
「自分の妃を甘やかしても、誰にも文句を言われないだろう」
それにエリナがアルヴィスの隣で眠った時、アルヴィスは嬉しいと感じた。それだけエリナがアルヴィスに心を預けてくれている証拠のような気がして。特にあのような話をした後ならば尚のこと。己の傍が安心だと思ってくれている。信じてくれている。言葉で言われるよりも態度で示された方が嬉しいものだ。
一方のエリナは羞恥なのか照れてなのか顔を真っ赤にしていた。そんな様子のエリナへと腕を伸ばすと、アルヴィスはエリナを抱きしめた。
「ありがとう、エリナ」
「アルヴィス様?」
アルヴィスがどういう意図でお礼を告げたのか、エリナにはわからないだろう。だが、今はそれでいい。アルヴィスからの返答がないことに不思議そうな顔をしていたエリナだったが、そのままアルヴィスの背中へと手をまわした。そうして二人は暫くの間抱き合っていた。
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