閑話 退場した令嬢
彼女があの後どうなったか、というお話です。
――数週間前
「ほら、今度はあの部屋を掃除!」
「わ、わかってるわよ」
「返事は、はい! で結構」
何度目のやり取りだろうか。釣り目の女性に怒鳴られるように指示をされて、リリアンはしぶしぶといった風に足を動かす。彼女の紅い髪を見ると、リリアンはある女性を思い出さずにはいられない。エリナ・フォン・リトアードだ。
「本当に、なんでわたしがこんなことをやってるんだろう……」
数ヶ月前のことが脳裏に浮かぶ。あの日、リリアンは処刑されるはずだったらしい。騎士団長であったヘクターから告げられた時のことは忘れられない。鋭いまなざしで告げられた言葉を思い出すだけで身体が震えそうになる。
箒で床を掃く手を止めて、リリアンは己の首元に手を当てた。固い鉄の感触が伝わってくる。苦しいということはないものの、可愛げの欠片もないこの首に着けられた道具が当初は嫌で嫌で仕方なかった。だが、それを断ればリリアンに待つのは死。生きたいのならば受け入れるしかなく、リリアンに選択肢はなかった。
「アルヴィス……どうしてなの」
ここにあるのは鉄の感触だけ。だというのに、別の冷たい感触が残っているようだった。憧れていたアルヴィスが剣をリリアンへ向けたのだ。冷たい瞳でリリアンを見据え、少しでも動かせば首を斬られていたのではないか。そんな錯覚さえ起こしそうになる。そんな筈はない。アルヴィスがリリアンを殺すはずがないのだ。そうは思うが、あの眼差しを思い出すだけで怖いと感じる自分がいるのも確かだった。
「何をぼさっとしているの? ここが終わったら別の部屋よ」
「は、はい……」
手が止まっていたことに気が付いた女性が注意をしてくる。今のリリアンに出来ることは何もない。ただ、指示されたことをこなしていくだけ。それを怠れば、厳しい叱責と再びの牢屋生活が待っているのだ。
リリアンは当時のことを思い出す。
牢屋から解放された時、リリアンのことを信じてくれたのだと思った。これでハッピーエンドになれると。だが、用意されたのは小さな古めかしい部屋。部屋の中には小さな机と固いベッドがあるだけだった。どういうことかと問い詰めようと思った時には、リリアンの首にはこれが填められていた。
この世界の常識が理解できていないと判断されたのか、リリアンにそれを填めた人物は首にあるものがどういったものなのかを詳しく教えてくれた。拘束錠と呼ばれる、罪人用の代物だと。
罪人。その言葉を聞いた時に、何かの間違いだとリリアンは暴れた。無我夢中で何をしたかもおぼろげだが、マナを暴発させたらしい。気が付いた時には、誰かに地面へと押さえつけられていた。
『再び牢屋で死を待ちたいのなら、この手を無理やりにでも振りほどけばいい。尤も、それが出来るのならば、な』
少しだけ高い声色から女性だと理解したが、リリアンの力では振りほどくのは無理だ。女性もそれはわかっているのだろう。再び牢屋に行く。あの冷たい、何もない場所で殺されるのを待つ。そんなのは嫌だ。
リリアンはとにかく死にたくないと、それだけを訴えた。
『次はない……覚えておけ』
その言葉が酷く重い言葉に感じられた。一体リリアンが何をしたというのだろう。それでもこれに逆らってはいけないのだということはリリアンにもわかる。女性がリリアンの腕を引っ張り、無理矢理立たせると初めて女性の顔を見ることが出来た。
『あ』
リリアンが声を発しただけで、女性は剣の切っ先を向けてくる。恐怖で表情が固まっていると、女性は剣を下ろした。
彼女をリリアンは知っていた。そう、ゲームに出てくるキャラだったからだ。しかも続編で、アルヴィスルートでのライバル役である。髪型は多少違っているものの、間違いない。
『アムール、助かった』
『……』
礼を言う男性へ無言で去っていく彼女は、フィラリータ・フォン・アムール。男嫌いなため、常にそういう態度を取っていた。ゲームと同じである。ここで彼女と会うということは、ゲームは続いているとでもいうのだろうか。
少しだけ希望を持ったリリアンだったが、それは険しい道なのだということはわかっていた。リリアンは生きているのではなく、生かされている。この首にあるものは、リリアンが偽りを告げたり逃亡するようなことがあれば直ぐにリリアンを死に至らしめることが出来るもの。誰からも信用されてはいない。そう告げられているようだったのだから。
「はぁ」
当時を振り返りながら床に這いつくばって雑巾で磨いていると、廊下から声が聞こえてきた。ここに出入りする人は、下女か一般の騎士団員だけだ。男性たちの複数の声ということから、騎士団員たちだろう。
「そういや、もうすぐだな」
「あぁ、あいつの結婚式だろ」
「もうそんな風に呼べないだろうが」
笑い声と共に聞かされる話題にリリアンの手が止まる。結婚式。誰のだろうか。その手の話題が好きなリリアンは続きを聞きたくて、じっと動きを止める。
「……やっぱり住む世界が違ったんだよな、ベルフィアスは」
「所詮はお坊ちゃんのお遊びってか」
「おい、そういうこと言うなよ」
「へいへい」
ベルフィアス。騎士団。それが示す人物は、アルヴィスに他ならない。アルヴィスが結婚をする。リリアンは目の前が真っ暗になったような衝撃を受けた。わずかに残っていた希望。それが無くなってしまうと。リリアンが聞いているとも知らない彼らは、話を続ける。
「リトアード公爵令嬢となら、まぁお似合いか」
「少なくともジラルド元殿下よりはいいんじゃないか? 少し堅物だがあいつ女性関係真っ白だろ」
「それ褒めてるのかよ」
「褒めてるぜ? 何せどんな美女に言い寄られても靡かなかったからな」
その会話から、アルヴィスの相手がエリナであることもわかった。あの悪役令嬢は、王太子妃を下ろされなかったということだ。
「なんでよ……エリナなんかより、私の方が絶対可愛いのに……」
牢屋での対面が悪かったのかもしれない。ちゃんと着飾って会っていれば、アルヴィスもリリアンを見てくれていたはずだ。そうでなければいけない。ジラルドも、他の皆もリリアンを可愛いと言ってくれたのだ。ヒロインであるリリアンが幸せになれないはずはない。
「どうすれば……」
どうすれば、リリアンがアルヴィスの所へ行けるのか。リリアンは置かれた立場を忘れて考える。すると、彼らからリリアンのことが飛び出した。
「そういえば、例の元男爵令嬢はどうなったんだっけ?」
「あれなら、確か下女の真似事をしていたはずだ。そのうち死ぬんじゃないか。生かす意味もそれほどないし」
「っ⁉」
「確か、情報を搾取出来ればいいらしい。死んでいても出来たはずだ。生きていたとしても、一生下女だろう。あんな女、別に要らないからな」
わはは、と笑いながら話している彼らの足音は次第に遠くなっていった。
「要らない……わたし……なんでっ、私が、何をしたっていうのよーー!」
リリアンがいない場所での話。だからこそ、それは彼らの本音。知らない人たちにまでそんなことを言われてしまう。リリアンはただ、ジラルドに愛されたかった。アルヴィスの妃になりたかっただけだ。それの何が悪いというのか。
リリアンは知らない。己の行動がアルヴィスを重傷に追いやったことも。マラーナ王国の謀に手を貸していたことも。その所為で犠牲になった人たちがいることも、何も知らなかった。
反省の色なし!というお話でした。
また登場してきますので、その時には色々と知らせたいなと思います。
いつも誤字脱字報告ありがとうございます!
皆様に感謝を。




