27話
意図的にフィラリータたちとエリナが話をする状況を作ったアルヴィスだったが、周辺を見回ったところで馬車へと戻ってきた。話も終わったのか、馬車の外にフィラリータとミューゼが立っている。
「お戻りになられたのですか」
「あぁ。留守番、ご苦労だった」
「白々しいですよ。意図的に離れたのでしょう」
思惑はわかっているとでも言いたげなフィラリータに、アルヴィスは苦笑する。高位貴族令嬢ではあるが、その観察眼をもつフィラリータは確かに騎士なのだろう。アルヴィスたちが離れた理由も何となくわかっているはずだ。そして、それが何を意味するかも。だがそうでなくては務まらない。エリナを護衛する騎士としては。
「察しが良くて助かる」
「貴方のそういうところが私は嫌いです。何でも思い通りに動くと思っているところが」
「買い被りすぎだ。そんなつもりはないし……思い通りにならないことばかりだよ……」
アルヴィスは肩を竦めた。学園時代は幹部学生としてうまく動いていた自覚はあるし、思い通りに事を運んでいたように見えたかもしれない。しかし、あくまで学園という小さな箱庭での話だ。外に出れば、そのようなことはない。尤もフィラリータが言っているのはそういうことではないのだろうが。
「フィラ! 王太子殿下に何を言っているの⁉」
「っ……申し訳ありません、王太子殿下」
ミューゼに叱咤されると、フィラリータはハッとした表情をした後で頭を下げた。その様子から学園時代と同じように話していたことに気が付いていなかったといったところか。この場にはミューゼ以外いないのだから、特別指摘することでもない。他人がいるところではそれなりの態度を取ってもらわなければならないが。
「人前で気を付けてくれればいい」
「承知しました」
言われずともわかっているとでも言いたげな表情をするフィラリータだが、今この場でそれが出来ていなかった。非は己にあると理解しているからか、それ以上何を言うこともない。
「向こうに近衛隊がいる。二人は合流して、指示に従ってほしい」
「はっ」
騎士礼を執るミューゼとフィラリータに頷きを返すと、二人は足早に走っていった。
いなくなったところで、アルヴィスは馬車の扉を開ける。サラと談笑だったらしく、二人で笑い合っている姿がそこにはあった。
「エリナ」
「あ、アルヴィス様お戻りになられたのですね」
「あぁ。待たせて済まなかった」
「いえ、私は大丈夫です。サラもいますし、フィラリータ様たちもお話をしてくださったので」
「そうか」
何を話していたのかはわからないが、エリナの表情を見るに相性は悪くなさそうだ。フィラリータの実力はアルヴィスも知るところだが、ミューゼに至っては未知だ。騎士団長より女性騎士団員の中では随一だと聞いてはいるが、専属にするならばそれなり以上の腕前が欲しい。その辺りは、アルヴィス自ら相対するしかない。
「アルヴィス様?」
「何でもない。さぁ行こうか」
「……はい」
馬車からエリナを連れ出すと、アルヴィスはその手を引きながら歩き出す。あまりに迷いのない足運びだったことに気が付いたのか、周りを見ながらエリナが口を開く。
「アルヴィス様はここに来たことがあるのですか?」
「あぁ。ここは、騎士団時代に同僚たちと息抜きに来た場所なんだ。尤も、俺が来たのは数回だけだったが」
アルヴィスの経歴は異例だ。卒業後、騎士団に入団したまではいい。だが、一年で近衛隊に入隊した者は今までいなかった。この辞令を聞いた時、アルヴィスは直ぐに受け入れることは出来なかった。明らかに身内人事だと思ったからだ。アルヴィスの実力で異動したのではなく、恐らくは伯父である国王か父ラクウェル辺りが動いたのだと。実際には騎士団長からの推薦だったことなのだが、暫くアルヴィスの中でわだかまりが抜けなかった。
あの当時は、アルヴィスも少々拗らせていた時期でもある。元々実家に戻ることを避けていたのがますます寄り付かなくなってしまった。父も母もそんなアルヴィスに何かを言うことはなかったが、兄にはよく注意されていたものだ。
「ほんと、懐かしいな……」
実家に戻ることを避けていた。だが、今は戻ることさえ簡単には出来ない。そのことを少し寂しく思う。アルヴィスにとって帰る家ではなくなってしまった公爵家。だが、それでもあそこはアルヴィスにとって大切な場所だ。そこにいる人たちも含めて。
ふと、アルヴィスの脳裏に浮かんだのは小さな異母弟妹のことだった。結婚式には出席していたものの、言葉を満足に交わすことも出来なかった。アルヴィスが学園を卒業してから、手紙のやり取りはしていたが顔を合わせたことはほとんどない。
程なく、小さな噴水が見えてきたところでアルヴィスは足を止めた。
「エリナ」
「はい、何でしょうか?」
「一週間後、王都にあるベルフィアス公爵邸に行きたいと思っている」
「ベルフィアス公爵邸にですか?」
「あぁ。末の弟妹が王都に来ているうちに会っておきたいんだ」
来週末には領地へと帰ってしまうため、出来ればその前に会う時間を作ってほしいとラクウェルからも頼まれている。アルヴィス自身も久しぶりとなる対面だ。今後も滅多に会うことは出来なくなるだろうから尚のこと会っておきたい。
そう話をすると、エリナは納得したように頷いた。
「わかりました。では、私は宮でお待ちしております」
「いや、出来ればエリナにも同行してほしい」
「私も、ですか?」
「あぁ」
驚いたように目をぱちくりとさせるエリナ。珍しい仕草に思わず笑みがこぼれた。
「家族として会ってほしい。そうする方が、ミリーやヴァレリアも喜ぶだろうから」
アルヴィスの異母弟妹。弟であるヴァレリア・フォン・ベルフィアスは14歳で、来年には学園に入学する。そうすると王都で暮らすことにはなるが、妹のミリアリア・フォン・ベルフィアスは11歳であるのでまだまだ領地暮らしだ。ラナリスも学園で寮にいるため、ヴァレリアまでも入学するとミリアリアは一人になってしまう。
恐らくは、アルヴィスが結婚することに対しても複雑な想いを抱えていることだろう。ラクウェルから事情は聞かされているだろうし、ミリアリアも公爵家の娘だ。アルヴィスがそうせざるを得なかったことについても、理解してくれていると思っている。既にアルヴィスはベルフィアス公爵家の人間ではないことも。だからこそ、家族としてエリナを連れて行きたかった。
「……ありがとうございます、アルヴィス様。ぜひ、ご一緒させてください!」
「お願いしてるのは俺の方だ。よろしく頼む」
「はい」
話をしているうちに、ティレアや近衛隊たちがお茶の準備を終えてくれていた。アルヴィスが用意されたシートに座ると、エリナもその隣に腰を下ろす。
「このようにお茶をするのは初めてです」
「そうだろうな。あまり高位令嬢がすることじゃないから」
「アルヴィス様は何度もしているのですか?」
「……令嬢とはない。ここに誰かを連れてきたのも、エリナが初めてだ」
アルヴィスがそう言うと、エリナは嬉しそうに頬を染める。そもそも、アルヴィスが誰かを誘うこと自体がない。学園時代は当然のことながら、騎士団入団後もだ。
そんな他愛ない会話をしながらお茶を楽しんでいると、エリナがふと黙った。体調でも悪いのかとアルヴィスが怪訝そうな顔でエリナを見ていると、意を決したようにエリナが顔を向けてくる。それは、以前にも見たことのある表情だった。
「エリナ?」
「お伺いしてもいいのか迷っていたのですが、聞いても宜しいでしょうか? リリアンさんのことを」
「え……」
突然の話題にアルヴィスは驚きを隠せない。学園での破棄事件の後、エリナとリリアンの接点はなくなったに等しい。今更、エリナが気にするとは思わなかった。以前話をしていた時も、感謝しているとは聞いたが、それ以降リリアンの話題が出たことはない。
「何故、彼女のことを聞く?」
「思い出したのです。学園の中庭で、このようにお茶をしていたあの方々のことを」
学園でエリナがハーバラたちと談笑をしながら昼食を摂っている時だったという。ジラルドとリリアン、そしてハーバラの婚約者だった彼も共に楽しそうにしていたようだ。本来ならばあり得ない光景に、憤慨する友人もいたがエリナはどこかでそれを羨ましいと感じていたらしい。
「当時の私にはとても眩しく映りました」
「そうか……」
「でも今、私はアルヴィス様とこうして楽しい時間を過ごしています。ならば、リリアンさんはどうしているのだろうと……考えてしまうのです」
「エリナ」
エリナにはリリアンを責めるという考えがないようだ。本当にどう育てられれば、このような性質を持つことが出来るのだろう。ジラルドという反面教師がいたからなのだろうか。
いずれにしてもリリアンのことは、おいそれと簡単に話すことは出来ない話題だ。だからこそ、エリナも誰にも聞かれることのない今を選んだのだろう。アルヴィスは険しい視線をエリナへ向けた。
「聞いて、エリナはどうする? 彼女が今どうしていようとも、エリナには関係ない話のはずだ」
暗に知る必要はないと伝えたのだが、エリナは首を横に振る。
「関係ないとは言い切れません。今の私がこうしてアルヴィス様と共にいられるのは、リリアンさんのお蔭なのですから」
「……知った後で後悔するかもしれない」
「何も知らされず、ただアルヴィス様の隣にいるだけの人形にはなりたくありません。ちゃんと、受け入れます。どのような真実であろうと」
リトアード公爵へ尋ねたこともあるようだが、いずれアルヴィスから聞かされることもあるだろうとはぐらかされたようだ。アルヴィスは、深く息を吐いた。アルヴィスに残された選択肢は三つ。ありのままを伝えるか、嘘を伝えるか。もしくは……。
「……彼女は――」




