22話
貴族たちの挨拶が落ち着いた頃、アルヴィスとエリナの前に来たのは恩師であるヴォーゲンだった。
「王太子殿下、並びに王太子妃殿下。本日は誠におめでとうございます。学園を代表してお祝いを申し上げに参りました」
「ヴォーゲン先生、ご足労いただき感謝します」
「ありがとうございます、先生。来てくださって、とても嬉しいです」
エリナは柔らかく微笑む。それは、心からの表情だ。ヴォーゲンは、目元の皺を増やして頷いた。
「とても良い顔をされておられる。妃殿下、他の皆にも今のお姿を見せたかったくらいでございます」
「……その節は、ご心配をおかけしてしまいました。先生方には感謝の言葉もありません」
「いえ、我々が出来たことと言えばただ見守るだけでございました。今のような表情をされるほどになったのは、王太子殿下のお蔭でございましょう」
ヴォーゲンから視線を向けられて、アルヴィスは苦笑する。アルヴィスも大したことはしていない。当初はエリナのことを気遣うよりも、自分のことで精一杯だった。手紙のやり取りはしていても、内容はほぼなかったと言っていい。王妃に指摘されるまで、エリナとの時間を作ることさえ出来ていなかったのだから。
それが変わったのはいつからだったか。恐らくは、アルヴィスが怪我を負ってからだ。もしかしたら、あの時からアルヴィスはエリナに惹かれ始めていたのかもしれない。
「私が何かをしたわけではありません。逆ですよ、ヴォーゲン先生。エリナが私に寄り添ってくれたのです」
「アルヴィス様……」
「それがなければ、私はこうしてエリナの隣にいることはなかった」
今にして思えば、あの時のアルヴィスは自分のことしか考えていなかった。建国祭の時の己の行動には、自分でも呆れるものがある。国のため、世界のためだなどと言っていたが、結局は逃げていただけなのだから。
エリナと共に歩む。政略的な意図はあったものの、今は己自身がそれを望んでいる。チラリとエリナを見れば、自然と笑みがこぼれた。
「不甲斐ないところを見せてばかりでしたしね」
「そんなことはありません。私のほうこそ、はしたないところを見せてしまいましたし」
照れたように頬を染めるエリナが思い返しているのは、恐らくアルヴィスを看病してくれていた時のことだろう。あの時は、何が起こったのか考える余裕はなかった。冷静に考えれば、エリナらしくない行動だったように思う。エリナの真意はわからないが、アルヴィスは特段気にしてはいない。逆に、エリナにもそのようなところがあると、安心したくらいだ。
人前に出るエリナは、常に背筋が伸びて堂々としている。そうあるべきだと、ジラルドの婚約者となった時から教育されてきたからなのだろう。誰と対峙しても、気後れることなく在る姿勢は流石の一言だ。
だが、アルヴィスの前でエリナとしている時は、その限りではない。令嬢としてしっかりしているとは思うが、時折見せる年相応な表情はエリナを少しだけ幼く見せる。エリナ本人は生来の紅髪の所為でキツイ女性だと思われていると話していた。だが、アルヴィスがそのような印象を持ったことはない。
初めて会話をしたのが、顔合わせの時だった。時期が時期だったのもあり、アルヴィスに対しての申し訳なさで一杯だったエリナ。どちらかと言えば、慎ましい女性という印象が強いのだ。
「あ、あのアルヴィス様」
「?」
「そのようにじっと見られてしまうと、少しその恥ずかしいのですが」
「⁉ あ、あぁ。すまない」
それほどじっと見ていたつもりではなかった。だが、出会った頃の時を思い出していたためか、予想以上にエリナを凝視していたようだ。顔を真っ赤に染めているエリナを見て、アルヴィスは苦笑する。
「仲が宜しいようで何よりでございます」
「……失礼しました、ヴォーゲン先生」
考え事に集中してしまい、ヴォーゲンがいることを忘れかけていた。否、相手がヴォーゲンだったから気が抜けてしまったとも言える。どちらにしても、今のアルヴィスが取る態度ではなかった。
「いえいえ、王太子殿下も良き出会いに恵まれたことを心よりお祝い申し上げます。どうか、これからも息災でありますよう微力ながら祈らせていただきます」
「ヴォーゲン先生……ありがとうございます。先生も、これからも学園をよろしくお願いします」
「勿体ないお言葉、しかと了承いたしました」
深々と頭を下げてヴォーゲンは、その場から離れて行った。
ヴォーゲンを最後に、挨拶は終わりだ。今回の主役であるアルヴィスとエリナだが、挨拶が終わるまではこの場から動くことが出来なかった。終わった今は、自由に動くことが出来る。
「エリナ、疲れたか?」
「大丈夫です。ただ座っていただけですから」
「座っているだけというのが、一番疲れる気がするが……」
「そう、なのですか?」
立ちっぱなしの方が疲労感は感じない。近衛隊として動いていた時は、パーティーの間はずっと立っているのが当たり前だった。そちらの方が慣れている。参加者であれば、ダンスを踊るなりして動き回るのだろうが、生憎騎士はその場で立ちっぱなしというのも少なくなかった。
「こうして座っているのは、とても新鮮だよ」
「アルヴィス様はいつも陛下の傍で立っておられましたから、そう感じられるのかもしれませんね」
「そうだろうな」
穏やかに会話をしながらも、アルヴィスは会場全体を見回した。音楽が奏でられる中、談笑をする者やダンスを踊る者。それぞれこの場を楽しんでいるようだ。ここに座っている時間も終わった。次は、楽しむ時間だろう。
「エリナ、少し踊ろうか?」
「はい、喜んで」
立ち上がり腕を差し出すと、エリナがそっと絡めてくる。連れ立ってダンスの輪に入れば、自然と道は開かれる。中央まで来ると、アルヴィスとエリナは踊り始めた。その様子を見て、周りで踊っていた人々は足を止める。
「王太子殿下とエリナ様だわ」
「ほんと、お似合いのお二人ね」
口々に感想を述べる女性たち。その視線を感じながらも、アルヴィスはただエリナだけを見つめる。エリナも聞こえてくる声を気にした様子はなく、ただアルヴィスを見て微笑んでいた。お互い視線を集めることには慣れている。
「もう一曲いこうか」
「はい!」
こうして二人は二曲、三曲と踊り続けるのだった。




