15話
いよいよ当日の朝がやってきた。周囲の人からすれば漸くなのかもしれない。
主役の一人であるアルヴィスは、朝起きた後は最近日課になっている鍛錬に向かおうとしたのだが、ティレアを筆頭に止められてしまった。朝食の時間にはまだ早く、手持ち無沙汰になった状態のアルヴィスは仕方なく本を手に取り読書をする。アルヴィスの私室にある本棚にあるのは、学術書や歴史書、兵役書など余暇に読むような書物はない。それでも何もしないよりはいいだろう。
一冊読み終えるころには、朝食の時間となった。いつものように食事をする場所へと向かうと、そこには常にはない顔ぶれがそろっている。国王と王妃は勿論だが、それ以外にも側妃とリティーヌ、キアラが同席していた。顔ぶれに驚いたアルヴィスは、一瞬挨拶するのが遅れる。
「……おはようございます、伯父上、伯母上」
「おはよう、アルヴィス」
「あぁ、おはよう」
国王夫妻へと頭を下げると、アルヴィスは側妃へと顔を向けた。こうしてまみえるのは随分と久しぶりだった。後宮からほとんど出てこないため、近衛隊にいた頃も側妃と相対することはないのだ。視線が合うと、微笑みながら彼女も立ち上がる。
「おはようございます、キュリアンヌ様。それと、ご無沙汰をしております」
「お久しぶりでございます、アルヴィス様。此度は、おめでたい日ということで私どももご一緒させていただくこととなりました」
「そうでしたか」
キュリアンヌが挨拶をしたことに合わせる様に、リティーヌとキアラも立ち上がる。淑女のマナーに則るように裾を持ち上げて、軽く頭を下げた。
「おはようございます、アルヴィスお兄様」
「お、おはようございます!」
「リティ、キアラもおはよう」
国王の前だ。いつもなら抱き着いてくるキアラもその場で挨拶をする。思えば、こうして朝に挨拶をしたのは初めてだ。二人も母であるキュリアンヌと変わらず、後宮から出てくることはないのだから朝に会うこと自体がないので仕方ないことだが。
アルヴィスが席に着くと、給仕が開始される。アルヴィスの隣は、キュリアンヌだ。その横にはキアラ、向かい側にリティーヌが座る。基本的に三人での食事は、静かに行われている。三人が増えても、それは変わらず黙々と食事を口に運ぶだけだ。チラリとキアラを見れば、居心地を悪くしているのが見て取れる。普段は、母子三人で仲良く談笑しながら食事をしているのかもしれない。助けを求める様にキュリアンヌやリティーヌの様子を窺っているようだが、助けるそぶりを見せることはなかった。ここでは母子というよりも側妃と王女という立場でいるから、ということなのだろう。無論、アルヴィスとて助けることはしないのだが。
一通りの食事を終え、食後の紅茶が出されたところで、漸く国王が口を開いた。
「今日、わざわざキュリアンヌらを招いた理由は無論理解しているだろうが……まずは、先に言うべきか」
国王がアルヴィスへと顔を向ける。何を言われるのかが予想できることではあるが、改まって言われると構えてしまうのは仕方がないだろう。
「アルヴィス」
「はい」
「感謝する」
「お、伯父上?」
国王は軽くではあるが、頭を下げた。お祝いの言葉を言われるものと思っていたアルヴィスは、驚き目を見開いた。今この場には、国王一家しかいない。給仕をしていた侍女や執事らは退席しているからだ。とはいえ、国王が誰であろうと頭を下げるのはよろしくない。だが、止める立場にあるはずの王妃は何も言わず、キュリアンヌでさえも黙ったままだ。国王がそうすることは、事前に把握済みということ。リティーヌも目を閉じて黙ったままだ。唯一おろおろしているのは、事情を呑み込み切れていないキアラのみ。アルヴィスは、深く息を吐いて応えた。
「……頭をお上げください、陛下」
「けじめなのだ。お前には望む道もあっただろう。それを有無を言わさずここへ引きずり込んだのは、余だからな」
今日この場を選んだのは、今日がアルヴィスの結婚式だから。リトアード公爵家の令嬢を娶れば、後戻りはできない。元より国王もそのつもりはないだろうが、一種の区切りということか。
国王が話すアルヴィスが望む道というのが、騎士として生きることを指しているのは想像するに難くない。だが、それは最早過去のことだ。そう過去の話なのだ。
「……陛下、確かに私は違う道を望んでいました。ですが、それはもう昔のことです。ここに来てまで、それを引っ張り出すつもりはありません」
「アルヴィス」
当初は戸惑いも多くあったが、それからもう一年以上だ。国政にも手を出し、王太子としての執務にも十分に慣れてきた。この期に及んで騎士でありたいなどと、言うつもりはない。まだまだ足りない部分はあるだろうが、今更投げ出すつもりもない。何よりも今のアルヴィスの想いを押し付けられた結果だとも思いたくなかった。
国王はアルヴィスの言葉を聞いて、困ったように笑う。ここにきて、初めて見る表情だ。
「そう、か。あの時は危ういと思ったが、今はもう違うということか」
「あの時はその……申し訳ありませんでした。短慮が過ぎたもので」
あの時とは、建国祭のことだ。無責任なことを告げた自覚はある。リティーヌにも喝を入れられた。だが、あれがあったからこそ、今のアルヴィスがある。
「それを聞いて安心した。……折を見て、譲ることも出来よう」
「それはまだ早いかと思いますが」
「無論、全てを押し付けるつもりなどはない。そんなことをすれば、ラクウェルに扱かれてしまうからな。だが、余の考えとして受け止めておけ」
「……承知しました」
国王の言葉は、譲位の話だ。時期尚早だと思うが、今すぐにどうなるという訳ではないのならばアルヴィスには承諾する以外にない。いずれそうなることは決定事項なのだから。
「では、改めてにはなるが……ゴホン、アルヴィスよ」
「はい」
「結婚おめでとう。これからもエリナ嬢を、国を頼むぞ」
「ありがとうございます、伯父上。これからも精進します」
胸を張って任せてくれとまでは言えない。言えるだけの自信も知識も、力もアルヴィスには足りない。だが、その言葉には応えたいとアルヴィスは思っていた。




