8話『砂の城』
鷹場が巨大な岩を捨てて来たから、登下校が程々楽になった──と素直に喜んでいたがその翌日、クソ親父によって新たな岩が家の前に出現していた。やたらゴツゴツしてて前のより苦労したぞ。
いい加減、俺が道場のために鍛えてるんじゃないってことを分かってくれないもんかねあのジジイ。
「言えたもんじゃないけどな、俺が憑き者として憑き者を解放しているんだなんて」
屋上。俺が今いるのは風通しのよい屋上だ。
しかし普通に屋上に居てはあの面倒な鷹場に見つかってしまう。てな訳で、どうにかして一人になれないかと模索していたところ壁の反対側にある人一人分くらいの隙間を知り、そこに収まることにした。
ここなら誰にも見つかることはない。何故なら壁を越えてようやく辿り着く中々難しい場所だからだ。もし外から姿を見かけたとしても、俺並みに身体能力が高くなきゃ来ようと思わないだろ。
──俺並みに身体能力が高い奴って、案外いたりするんだが。
「あんた何でそんなとこに居るの? 狭くないの?」
ほらね。聞き覚えのある女の声だ。極度の人見知りの癖にやたらしつこいあの猿女の声。
でも想像してほしい猿は、日本猿とかチンパンジーなんて可愛いもんじゃない。ギガントピテクスやビッグフット辺りがこいつだと考えてほしい。
ビッグフット、猿なんだか知らんけど。
「……鷹場? 話しかけて来るなら顔見せろよせめて。こっちからしたら声だけ聞こえて不気味なんだよ」
思えば、この隙間に鷹場の姿はなく、壁の上からこっちを見下ろしている訳でもなかった。何処にも姿が確認出来ない。
あいつ、北斗神拳以外に超能力まで身につけたのか? テレパシー送り込んで来てんじゃないかこれ。
にしては脳内に響いてる感じはしないしなさっきの声。
「こっちよ、こっち。あんたは人の声がする方向も分からないの? 難聴なの? 耳の中に虫でも住んでるの?」
「何でそんなとこにいんだよお前あぶねーな!」
俺の背後はいわゆる崖みたいなものだ。断崖絶壁。校舎の壁が垂直に地面にくっついてるだけ。
──なのに、下を覗き込んだら鷹場の顔が見えるんだ。直ぐそこに。
こいつ、最上階の窓から上半身だけ出してやがるんだ。下手したら頭から落ちるだろ。
「さっき昼雅の声が聞こえて、何処だろうって捜してたの。そしたらそんなとこに見かけて、『ああこいつバカなんだな』って……」
「それ、そっくりそのままお前に返すからな。バカはお前だ。あぶねーから身体引っ込めろ」
「何で今日は逃げんのよ」
「実はいつもいつも逃げてるつもりだったりはする」
お前が警察犬の如くしつように正確に追って来るからこっちが折れてるだけだ。抵抗しても体力の無駄になるしな。
一度引っ込んだと思いきや、猿女は当然の様に身を乗り出し、軽いジャンプで屋上までよじ登って来た。あーあ、ここも隠れらんないか。
誰かこいつ小屋にでも繋いでおいてくれないかな。
「実は昼雅に用があったの。なのに教室にいなくて……」
鷹場は酷く傷ついた顔になるが、俺は少しも気にしない。どうせ「人に話しかけられて怖かった」とかそんなことだろうし。
お前はこれからの人生どう生きていくつもりなんだ鷹場。勉強をすることに意味があると思わずにバカで、脳筋で、非常識で人見知り。仕方ないで済ませられる問題じゃないだろ。
「で、俺に用があったのか。そうかそうか。おっとそろそろ時間だ。じゃーな鷹場また何処かで会おう会いたくないけど」
「待ちなさい」
「……お前は殴って止めるのをやめなさい」
鷹場のお嬢さんは何か気に食わないと拳を突き出して来る癖がある模様。俺じゃなきゃ、躱すことが困難なくらいの速度で。
断言しよう。鷹場のストレートは弾丸だ。
「何の時間なのよ。お昼はまだ終わらないわよ」
鷹場は俺の手を掴んでグイグイ引き寄せて来る。しかし、その握力は常人のそれではない。気を抜いたら壊される。
「俺の昼タイムは終わったんだ。俺は名前の様に、昼には雅やかな時間をと考えてる」
「そのバカみたいに鍛えられた身体で雅とか言われてもね。ゴリラのリラックスタイムでいいんじゃない?」
「俺は確かに校内一腕力があるだろう。だがお前はそれに引けを取らない。それどころか、巨大な岩を運べる程下半身の力もある。つまりお前はゴリラを超えたゴリラだ」
「今直ぐお腹に風穴が空くのと、四階上の屋上から全力のダイブするの、どっちがいいの?」
「バーカ。どっちも死ぬわ。つーかそれが用ある奴の態度かバカ」
「侮辱は私を怒らせる方法の一つよ」
「だからお前はこれからどう生きて行くんだっつーんだよこのアホ!」
疲れる。バカの相手は疲れる。俺もバカなのかも知れないが、鷹場は人知を超えたバカとも呼べる。
何でもかんでも暴力での解決を求めてしまっている時点で終わってるよな。後で鷹場のご両親に頼みに行こう、「この娘を更生して下さい」って。土下座で。
そうでもしなきゃいずれ人が死ぬ。そうでもしなきゃ鷹場の未来は真っ暗だ。
「人の人生に口出しするのも程々にしなさい。それより、話を聞いてよ」
口出ししたつもりなんて少しもないんだがな。不安しかないってだけで。
「私今日……公園を横切ったのよ」
「……は?」
それがどうした。確かに、朝一緒に登校する時は公園を横切ることはないが、別々なら鷹場は公園を横切ることになる。近道だから。
つまり、そんなん当然だってことで言いたいことはさっぱり分からん。
しかし呆れる俺のことなど御構い無しに、自己中に話を進められる。
「公園に、何があったと思う?」
鷹場は俯いて、薄っすらと顔を青くしている。左手で強く右の二の腕を握り締め、そのゴリラ級の握力で骨まで砕いてしまうのではと思わせるくらい情緒不安定。そんな風に見える。
こんな鷹場は、誰かに話しかけられた時くらいしか拝めない。……結構よく見れる気もするが、まずら話を思い出そう。
公園に何があったか。ということは、普段はまずないものなんだろう。遊具とかではない筈。
「分かった、スコップだ」
持参した誰かが持ち帰るのを忘れたっていうのは、多い筈だ。それに普段はある筈ないから──
「ハズレ。何だと思う?」
「……。犬のフン」
「ハズレ。何だと思う?」
「……。ペットボトルのゴミ」
「ハズレ。何だと思う?」
……誰かこのループから助けてくれ。何でこのバカ、同じことしか言わないんだよ。基本的には二回くらい答えたら正解を教えるだろ。
俺が答えないでいても、鷹場の表情はクールなまま変わらない。じっと、俺が正解を言うのを待ってる様だ。
残念ながら俺は普段公園になんて行かないから、何があるのかなんて見当もつかないんだよ。
「悪いな、そろそろ本当に教室戻る。お前が答えを教えるつもりがないんなら、無駄な時間だ。俺にはお手上げでしかない」
鷹場の顔色を最後に窺って、ストレートが飛んで来ないだろうって確信した。何せ、まだ沈んだ表情をしているからな。
俺が踵を返して壁を登り始めると、鷹場のらしくないか細い声が聞こえた。
こんな苦しそうな声、こいつでは初めて聞いた。
「──砂の城よ」
「砂の城? 何じゃそりゃ」
砂の城って何かたまに聞くんだがイマイチ理解出来ないんだよな、使われ方とか。砂の城って、砂浜とかで作るアレじゃねぇのか?
──あ、つまり、
「砂場に城が作られてたってことか? だとしたら尚更それがどうした、だよ。砂の城がどうかしたのか? 何十階建てか分かんねーくらいデカかったのかよ」
「違う」
分かっとるわ。こっちだってわざとだよ。
お前が、いつもと違い過ぎるからほんの少しだけ……砂つぶ以下程度くらいには心配になったってだけだ。少しふざければいつもの調子に戻ると思って。
けど、鷹場の様子はうんともすんとも、変わらない。
「砂の城には、ある思い出が深く残されているの。とても、苦い思い出なのだけれど」
「苦い思い出? 人見知りが酷くなる原因でも作られたか?」
「……うん」
今口を動かした俺自身を呪った。何も鷹場のことを考えずに発言するべきじゃなかった。続けて、「砂の城なんかである訳ねーか」と笑い飛ばすつもりでいたし。
何か全身がキツいって感じて、よくよく考えりゃ俺は壁にぶら下がってる変な奴だった。
……こんな雰囲気で、戻る訳にもな。
「よっと。それで、お前は俺にその思い出話を聞かせに来たってことで合ってるのか?」
壁から降りて、その場に腰を下ろした。もう直ぐ午後の授業が始まる時間だし、渡辺先生に説教食らうのも俺のプライドが許さないが今の鷹場を放って置きたくはない。
ここでもし、俺がスルーしたとあれば、恐らく鷹場は更に人を信用しなくなる。それでは後が生き難いだろう。
だからだ。だから俺は、一旦鷹場の話を聞くことにする。
「……私は小学生の頃、砂場で遊ぶのがとても好きだったの。中でも、城を作るのが楽しかった」
「すんげー意外」
鷹場でもそんな大人しい時期があったのか。いや、今でも俺や憑き者以外には大人しいか。人見知りだから。
「でも、周りはそれを良しとはしてくれなかったの。私、当時は将来を危惧される程に成績が悪かったから」
「当時だけの話ではないだろうが」
「剣術を始めてからは、そうじゃなくなったのよ」
どういうこった。今でも充分に将来が危うい鷹場が、剣術を始めただけで心配されなくなったってのか。
反応に困っていたら、鷹場はじっと俺を覗き込んだ。百七十越える鷹場に見上げられるって、俺デカいよな本当。
比較してしまえば、鷹場は俺より一回りくらい細いし。
「あんたも、似た様な経験があるんじゃない? 私みたいな、勉強が出来ずに運動は万能な人間は、ある一つの選択肢を無理矢理選ばされるのよ」
鷹場の言葉で、直ぐに思い浮かんだことがあった。それは今日も感じた、全く嬉しくない期待。
「俺の場合は武術。お前も、そうってことか」
「ええ、その通り」
鷹場は俺と同様に、幾つもの大会で記録保持者となっている。陸上関係や、勿論剣道など様々な。トータルで見ると、俺より多くの賞を取って来た筈だ。
必ずしもそうといった訳ではないが、運動が出来て勉強が出来ない人間は、その道を進ませられるんだ。
俺も未だに親父に期待されてしまっている。鷹場も、そうなんだろう。
「そっちで稼げりゃ問題ないってことか……。でも、砂の城と人見知りはどう関係すんだよ」
「期待され過ぎると、心を閉ざしたくなるでしょう? 数年振りに作りたくなったのよ、城を」
鷹場は段々と落ち着いた口調に戻って行く。嫌な思い出が、話すことで少しずつ緩和されていってるんだろう。
カウンセリングしてる気分ではあるな。
「中学生の時に城を幾つも幾つも、無我夢中で作り上げていたわ。でも、それは壊されてしまうの。見知らぬ大人達に蹴飛ばされて」
知らないおっさん達が、突然蹴り飛ばしてったってことだろうか。よく分からないな。
「絶望を感じたわ。唯一の楽しみであったそれすらも受け入れてもらえなくて、自分の人生は武術のためにしかないんだって」
「お前は自分で、やりたくてやってんのかと思ってたわ」
「今では楽しめているわ。相手になるようなのが減ってきて憂鬱ではあるけど」
鷹場は何かをバカにしたように鼻で笑う。ようやく感じて来た楽しみがまた一つ減ったってとこだろう。
それより、砂遊びが唯一の楽しみってどんな中学生だ。
「砂遊びから始まり、武術を経験した。そして砂遊びで、終わった」
その「終わった」は、人間関係のことだって、何となく予想がついた。
鷹場は悲しそうに柵に腰掛け、それから自然な微笑みを浮かべる。
「憑き者達は私の想像を遥かに越える強さを持ってたわ。蛾堂家明日流はとっても弱かったけど、特に昼雅は目を丸くしたいくらい」
「そりゃどうも。生まれつき、何だか強いんでね」
「その憑き者達と戦うことが、今の私の楽しみでもあるわ。絶対にあんたから離れてやらない。憑き者が全部解放されたら、もう一度勝負を挑むから」
「おい、マジでか。色々マジでか」
何で戦うことを楽しむようになっちゃってんだよこいつ。「楽しむ」っつーよりは「愉しむ」だよコレ。
憑き者は俺を含めて、あと十人。の筈。それを全部解放出来るのはいつになるか分からないが、その時が来たらこいつに狙われんのか。
……まさかとは思うが、
「お前ってもしかして、最後に俺のことを解放するつもりでいるのか?」
そんな想像を、直接確認してみた。
鷹場の、女子にしては細い目が少し大きく開かれたかと思いきや、直ぐに元のサイズに戻った。急に聞かれて驚いただけっぽいな。
「どうかな……」
鷹場はボソッと呟くと、軽く手を振って校舎から飛び降り────おおおおおおおおおいいいっ⁉︎
「鷹場……⁉︎ っていねぇ‼︎ あのギガントピテクス一瞬の内に何処行った⁉︎ テレパシーかと思ったがテレポートの方だったのか⁉︎ いや有り得ねぇけども!」
鷹場のことを見失った上に、俺は授業に遅刻した。
因みに鷹場は普通に間に合って、何事もなかったかの様にしていた。あのバカ女、締めてやろうか。