2話『鷹場純玲』
道場に照りつける夏の陽射しが、互いの眼を煌めかせる。故に自己主張が激しい睨み合いとなった。
大和撫子よろしく、清純な黒髪が風に揺られて踊る。袴姿の鷹場は普通なら見惚れてしまう程の美を感じさせる。俺はそう感じないけど。
対する俺は手入れのされていないボサボサの黒髪を波に触れた海藻の様に揺らし、菩薩の様な無表情で相手を見据える。
──だが俺達は両者共に、ある感情を押し殺すだけで精一杯なのだった。
「……武者震い」
先に沈黙を破ったのは、竹刀を放り捨てた武士の風上にも置けない鷹場の方だった。拾えそれ。
まるで何かを感じた様に右掌を窺い、薄く口元を緩めた。
何かヤベェ気もするけど、予想通りなら願ったり叶ったり……ってやつかな。
安心して溜め息を零すと、いつの間にやら木刀を所持していた鷹場が不敵な笑みを浮かべる。不敵と言うよりは不気味とも取れる程愛想の悪い笑みだ。
木刀の射程範囲内に入った事で、誤った選択だったことに漸く身体が気づいた。
「あんたが、憑き者ね。……感じてたの、ずっと前からこの学校で。まさか、あんただったとは予想外だったけれど」
鷹場の身体から悪霊の様な禍々しいオーラが確認出来る。それは次第にある動物のシルエットと変化を遂げた。
陽射しで映し出された影に、一頭の『猿』が浮かび上がる。──鷹場純玲は『猿』に憑依された様だ。
そして鷹場は、躊躇いも無く剣先を俺の首元に向ける。
「……おい、それでも武士かよ。いや武士ではないな。だとしても、普通会ったばかりの相手に木刀突きつけるか?」
「何おかしなことを言ってるの? あんただってこうしたくてうずうずしてるんでしょ? さっさと始めましょ? 『虎』の憑き者」
鷹場は剣を収めるつもりなどないらしい。幾ら憑依されて戦闘心が引き出されているからと言っても、ここまで容赦無く挑めるのは生粋の戦闘バカくらいだ。
鷹場純玲はこんなだから人間関係が悪いんだろうな。俺は言えないけど。
……俺だって戦うつもりなのは確かだ。間違ってはいない。だが、鷹場とは理由が根本的に違う。俺は勝ちたくて戦いたいんじゃない。
「俺は鷹場、お前を憑依から解放したい。だから適当にやり合って、負けてくれたらそれでいいんだ。お前も憑依から解放されなきゃデメリットとか辛いんじゃないか?」
「デメリットは無性に蟹を食べたくなることよ」
「マジですか」
「それから、適当にやり合って……敗けろ? はっ……」
鷹場は小馬鹿にした様に鼻で笑う。その笑みが段々と歪んで、最後には怒りの眼に変わっていった。
面倒くせぇ女だ。面倒なタイプだった。嫌な奴どころの話じゃない。
──鷹場純玲は、負けず嫌いな様だ。
「私は鷹場剣術道場の師範。あんたなんかに敗れる訳にはいかないのよ」
木刀を下ろし、ターンして道場中央に停止する鷹場。あの女は諦めた訳ではない。寧ろ戦闘態勢に入ったのだ。
面倒くせぇ戦いになりそうだが、仕方ない。そう自分に言い聞かせてお辞儀をし、道場に靴を脱いで脚を踏み入れる──瞬間、肌を切り裂く様な空気が全身を襲う。
鷹場は木刀の先をこちらに向けて低く構え、悪鬼羅刹を思わせる邪悪な視線を刺して来る。
「俺も負けてやらねぇよ。お前ら憑き者を全員解放する為にな」
──俺がそう宣言したことで、鷹場の闘争心には一気に炎が灯された。
「後悔して泣き叫んでも知らないわよ」
一度目の踏み込みは豪快に。二、三度目は軽く床を鳴らし、鷹場は風の様に一瞬で接近して来た。
突きが放たれる一瞬の間に身を返して躱し、容赦の無い上段蹴りを鷹場に浴びせる──が、鷹場はそれを上回る速度で木刀を盾にしていた。結構脛が痛い。
剣術に置いて鷹場に敵は居ない。そう言わしめる理由が何となく理解出来る程の圧を全身に感じる。
身を引いて距離を置こうと飛び退くが、鷹場はそれを逃がそうとはしない。同等以上のスピードで距離を詰め、木刀を下から振り上げる。
「はあああっ!!」
「な、何つぅ……」
間一髪で横に躱したが、その為太刀の餌食となった壁は爆弾にでも弾かれた様に粉砕した。グラウンドが見える。グラウンドからこっちも見える。
あまり大事にはしたくない為、早めに終わらせるしかない。だが鷹場は世辞を抜いても強いと言える。簡単には済ませてくれなそうだ。
「鷹場、何方かの攻撃がしっかりヒットしたら勝負は決まりってことでいいか!?」
「何故……!」
「人が来るだろうがよ……!!」
鷹場の太刀筋を見切り、受け流したり受け止めたり躱したりを繰り返す。そんな防戦一方の状態で鷹場に条件を出すと、鷹場は悔しそうに唇を噛んで手を止めた。
大人しく引いてくれた。一瞬そうじゃないかと確信しそうになったが、大いに間違いだった。先程も分析した様に、鷹場は負けず嫌いだ。
「いいわ、それで。ただし……勝つのは私よ!」
木刀が頬を掠める。木刀なのに、弾丸みたいな速度で飛んで来た。木刀なのに頬が浅く切れた。
ご乱心になってしまってしまったのかは不明だが、木刀をぶん投げた鷹場のポニーテールがゆっくりと床に触れる。その瞬間、俺は咄嗟に腕を交差して身を守った。
「はあぁっ!!」
「んぎっ……! ぐおっ!?」
鷹場の拳が交差した腕に突きを放つ。まるで砲弾を受け止めた様な破壊力を感じ、俺の身体は宙を舞って壁に激突した。
鷹場が眠れる力を解放して真の実力を発揮した──などと漫画みたいな現象が起きた訳ではなく、『イキモノ』の力が融合されただけだ。
「チッ。自分の力だけで挑んで来るタイプかと踏んでたが、それ以上に勝ちに拘るタイプか。有効活用してるじゃないか、その力」
「ふん、あんたなんかに負けたくはないから」
鷹場純玲はそう言って、一回り大きくなった毛むくじゃらの右腕を振る。
『猿』の腕が憑依している、一部憑依形態とでも言った状態だ。
つまり今の鷹場は本来の鷹場自身の力に加え、猿の腕力を得ている。並みの人間では、到底太刀打ち出来ないパワーを持っているのだ。
何せ鷹場は、木刀で岩を叩き切ることが出来るという噂が出回っている程だからな。
「あんたも、分かってるでしょ? この状態の私に憑依していない状態じゃ敵わないって。あんたも憑依しなさい。全力で潰してあげるから」
過信じゃなく、確信しているらしい鷹場は、俺をギロリと睨みつける。何処ぞの鬼かと勘違いしそうになる恐ろしい目つきだ。
元から目つきがよくないだけなんだろうが。
それと鷹場の言う通り、今の俺では鷹場相手に八割型勝つことは出来ないだろう。それは憑き者である俺自身、よく分かっている。
だがそれでも鷹場程度の人間には、憑依して戦うことは出来ない。
「いや、俺はこのままでやるさ。お前に大怪我なんて負わせたくないからな」
「……っ! 何様のつもりなの。あんたが憑依したところで私は負けるつもり無いわ。それに、怪我なんてどうとも思わない。全力でかかって来なさい!」
「俺が怪我させたくないんだよ。それと──」
心の中で虎が訴えかけて来る。「俺に変われば、あんな女どうとでも転がせる」と。だけど俺は頑として断った。
鷹場は剣術の他に格闘も心得ている完全武闘家だが、うちも相当無茶な特訓をさせられるのでね。崖登りとか、木から落ちない様に丸太を避けるとか。目隠しの状態で。
お陰で相手なんか居なくなるくらいに強くなれた。神様の憑依なんぞ大して怖くもないくらいにな。
「仰せの通り、俺の全力で戦ってやるよお嬢様」
寒気が走った。自分で自分の台詞に。何だお嬢様って。バカか。
寒気は鷹場も感じたのか、一瞬身震いしていた。それから猿の右腕を強く握り締め、一直線にその拳を振るう。
目がけるは、俺の顔面だ。
「残念ながら、さっきまでのお前の攻撃の方がよっぽど危ない。そのデカい腕じゃスピード活かした技は放てないだろう。俺はお前の速度だけを警戒していたんだ」
「バカにするな! はあぁっ!」
壁を突き破った猿の拳が勢いよく引き抜かれ、その遠心力を利用した振り下ろす打撃が接近。先程よりスピードは上がっているが、所詮この程度。俺を倒すには一段階足りない速度だ。
拳が何処かに触れる度にそこが粉砕する。このままでは道場がぶっ壊れそうなので、そろそろ決着をつけないと不味い。
ケリをつける為に正面で拳を構える。だがその間に鷹場は右腕を少し小さくしていて、元の鷹場自身の速度に近いくらい素早く俺の懐へ飛び込んで来た。
反応は遅れ、猿の腕が鳩尾に向かって正拳突きを放つ──が、俺は倒れることなく、その場で耐えた。
「なっ、いつの間に……!?」
「言っただろうが。俺はお前の元の速度しか警戒してなかったんだよ」
猿の腕は、左腕全体でガードしていた。かなりの衝撃だったがこんなもの、丸太の二連撃が脇腹にヒットした地獄の苦痛に比べりゃ屁でもない。
ガードされたことで気を取られた鷹場は、俺より更に反応が遅れた。剥き出しとなった細い腹部に、なるべく軽い蹴りを放つ。
「ぐっ……!」
少し浮かび、そのまま床に仰向けで倒れる鷹場は、悔しそうに拳を握り締める。一方俺はさっき猿の一撃で空いた床の穴に脚がはまって痛い思いをしていた。
格好つかないまま脚を引き抜き、鷹場に手を差し出す。案の定、この手には縋らずに立ち上がる鷹場。可愛くない奴だ。
「残念だが、一応勝負は勝負だ。俺の勝ち、だな」
「……そうね。……あ」
「ん、こんな風に解放されるのか。覚えておこう」
鷹場の身体から光の粒子が幾つも飛び出し、空中で消えた。恐らく、鷹場に憑依していた猿が山へ戻ったのだろう。
敗北を喫し、解放された鷹場は何処か物思いにふけた様な切ない顔を浮かべている。猿と友達になってたとかだったら悪いな。
道場の壁とか見渡して、派手にやってしまったと頭を抱えていると、鷹場は木刀を拾い上げた。まさかまだやる気か? 流石に面倒だが。
「ねぇ、あんた名前は?」
俺の予想とは外れ、鷹場は吹っ切れた様な清々しい空気を纏って眼を向けてきた。普段の睨んだ様な鋭い目つきではなく、鷹場そのものの通常の目つきなのが何となく分かった。
ところで何で今更名前なんだよとか気になったが、気にしない様に答えた。
「浅川昼雅……だよ。で、何か御用ですか?」
「ふぅん、珍しい名前してるのね。分かったわ、覚えておく」
鷹場はメモ帳を取り出して、そこに何かを記入した。持ち歩いているのか? メモ帳とボールペン。それと、それは覚えておくんじゃなくて記しておくって言うんだぞ鷹場。
あと今更だけど一応俺先輩だからな。せめて先輩をつけて呼べよ。
ずっと「あんた」だったなコイツ。
「あんたはこれから、十二支の競争に巻き込まれて『憑き者』になった人間達を倒して回るつもり? それが、限りないものだとしても」
鷹場は意味深に言ったが、俺は軽く頷いた。何せ元からそのつもりだったからな。
十二支達は、誰かが破れたら次の身体を求めて行く可能性もある。その場合、果てしない戦いとなるだろう。正直面倒だ。
だが、それ以上に不憫だ。これ以上面倒なことにならないよう、全ての『憑き者』を倒してみせる。
「そう……なら、手伝うわ」
「はい?」
鷹場は小さな声で呟いた。一応聞こえたから確認だが、まさか手伝うって言ったのか? あの一匹狼が? この鷹場純玲がか? 寧ろ不安しかない。
俺が心で拒否したのが顔まで滲み出ていたらしく、恐ろしく獣染みた眼で睨まれる。だから仕方なく許可した。
「ふん。あんたは私を破った唯一の人間よ。どうして負けたのか、というのも確かめたいし。それよりも、誰かに負ける姿を晒したら……承知しないから」
「えぇ……俺だって無敵ではないんだからな? 鷹場は猿だった分まだマシだが、龍とか馬とか相手に来たら殺される気しかしねぇ」
「そうね、その場合は私も加勢するわ」
「それで勝って、ルール適応されるだろうか?」
「多分大丈夫よ。きっと負けた方が解放される。──ちょっと前から思ってたんだけれど、あんた絶対に負けられないじゃない」
「ああー、実はそうなんだよ」
負けられないのは何故に? それは生き物に憑依された人間には俺一人の力では太刀打ち出来なそうだからだ。
負けたら俺の中の虎は出て行ってしまう。だとするなら、より強力そうな相手と戦う際厳しいものとなってしまう。だから負けずに勝ち進んで行くしかないんだ。
最後はきっと俺も誰かに負けて、虎の神様に見放される。俺はそういったシナリオを描いて行くつもりだ。描けたらいいなぁとかのんびり日々考えている。
面倒だし、鷹場でこの実力ならテレビに出ていたアイツはもっともっと苦戦しそうだな。
面倒臭いことになったと嘆息して項垂れていると、鷹場まで嘆息。真似したくなった訳ではないよな?
「まぁ、負けたらその時点で処刑だけれど」
「どうしたらそうなる。勝てるかどうか確証はないんだっつの」
「安心して、私も負けたら私も死ぬから」
「心中か何かかよ!」
鷹場と共にお墓が立てられることが無いよう、精一杯頑張るしかないな。
ぼっち二人がボロボロの剣道道場で真顔のまま見つめ合う。部員の一人が扉を開けたことにより、三人纏めて崩れた屋根の下敷きになってしまった。
痛ぇよ。クソ野郎。