4話『脅される兎』
憑き者が放つオーラは、恐らく普通の人間には分からない。
だからたった今、影のように浮かび上がる兎のことは、俺と鷹場しか気づいていない筈だ。
「……卯咲、提案があるんだ。それから解放されるため、簡単に話し合いがしたい。ここだと目立って嫌だろう? 俺だってごめんだ。だから一旦、俺達と一緒に……」
「生憎だけど、私は別に今のままで困ってなんかないから」
鷹場との勝負で使った、一発ヒットさせたら勝ちのルールを、提案するつもりだった。蛾堂家やくるわは無視だったが、卯咲はそれ以前の話だ。
この後輩、話を聞くつもりもない。
何気に鷹場しかマトモな奴いねぇじゃねーか……!
「おい、卯咲。見え透いた見栄を張るな。俺達はここで、見てたんだぞお前が跳ぶ姿を。その力の所為で跳べないんだろうが」
「そんな細かく見てたの? 本当キモ」
「あのな……」
流石にキレそうになったが、鷹場に腕をガッシリ確保されて踏みとどまった。
──が、卯咲の口撃は止むことを知らないらしい。
「鷹場さんも暴力ばかりで非常識でろくでもないけど、先輩もそーとー危険人物だね。下らないお節介で踏み込んで欲しくないとこまで入り込んで来て……デリカシーのない最悪な人間」
「……絶対に後悔するからな」
「脅すの? 心底呆れるね。あーあ、やっぱり」
卯咲は蔑みの目を、俺から鷹場へと向ける相手を変えた。
「……類は友を呼ぶっていうもんね。さよなら」
♣
我ながら、よく堪えた方だとは思う。鷹場がいなかったら怒鳴り上げていたと思うが。
それにしても卯咲の奴、他人を舐め過ぎじゃないか? 憑き者のことだけじゃなく、人として後々悔やむことになるだろうなアレ。
「でも、特に問題はないと思う。卯咲花蓮が狙ってるのはスポーツの推薦だし、それ以外にやりたいこともなさげ。高跳び一筋で行くなら、言うほど人との交流が必要なわけでもないでしょ」
「バーカ。コーチだの何だのと険悪だったら、マトモに練習すらさせてもらえないかも知れないだろ。ケアも雑なものになるかも知れない」
「卯咲花蓮には確かな実力があるわ。黄金の卵を捨てるようなこと、許される筈がないでしょ。頂点を取らせるため、サポートを怠る人はいないわ」
「他に有能なのが現れたら、簡単に切られそうだけどな」
「どうかしらね。確かに、彼女は昨年世界記録を塗り替えられなかった。けど、アレから一年。確実にレベルアップしているって、よく聞くわよ。今年は絶対獲れるって」
「……そうかよ」
まぁ、昨年記録を塗り替えられなかったってだけで、金メダルは獲れてるらしいしな。今見てる記事によると。
それに、アイツもまだ高二だ。まだまだ伸び代だってあるだろう。
確かに、方って置かれるわけがないか。ムカつくけど。
「それで、どうするの昼雅。卯咲花蓮、完全に私達を敵視していて、話を聞いてくれるとも思えないけど?」
「そこだよな、マジで腹が立つ。気づいてるか? 今のとこお前以外が話きいていないんだぞ」
「私がいい子ってことね」
「いい子は直ぐにパンチを飛ばしません」
自慢気に控えめな胸を張る鷹場は、何だか兎やハムスターみたいにピザを食べ始めた。
ここは俺ん家。ピザは帰宅して早々、親父に渡された。んで親父は何処かに出かけた。今は午後の十時。親父は帰って来ないし鷹場も帰らない。
いや時間考えろお前ら。
「鷹場、そろそろ帰らないとまずくないか? 時間見てみろよ。お前帰り道補導されてもいいのか?」
「よくないわ。けど、別に問題もないの」
「なーにが問題ねぇんだよ。有るだろが。お前が補導なんてされたら、父親の顔に泥を塗ることになるんだぞ。道場にも」
「だから、補導される時間には帰らないの」
「いやもう少しでそのくらいの時間ですが?」
補導される時間は、確か十一時以降だ。もう一時間を切っている。このバカはそんなことも知らないのだろうか。
「私、今日ここで寝るから」
「ふざけんな」
鷹場が、俺が普段使用しているベッドで、ころんっと転がる。その冗談は絶対に許さないからな。
だからキョトンとする鷹場を睨みつけて、もう一度言う。
「ふざけんなよ?」
「ふざけてない。今日は昼雅の部屋にお泊まりするわ」
「ふざけてんじゃねーか!」
「真剣よ」
「今直ぐ帰れ! 俺はお前を泊まらせるつもりなんてねーんだよ!」
「昼雅はなくても……」
「ただいまお二人! ほれ純玲嬢、寝巻買って来ましたぞい!」
「テメェかああああああああああああああっ!!」
きゅるんっ、としたテンションで部屋に侵入して来た、実の父親の胸倉を掴み上げる。買って来たじゃねぇんだよ大ボケじじぃ!
よく考えたら、俺がトイレ入ってる間に何か話し声聞こえてたわ! 人の目を盗んでその時誘いやがったな!?
「なぁ親父。あんた自分が何したのか分かってんのか? 俺に内緒で、俺の部屋に女を寝泊まりさせようとしたんだぞ? 頭おかしいんじゃねーの?」
「おおう? 純玲嬢には空き部屋をお貸しするつもりだったが……うーむなるほど。むふふ。そーいうことですかの〜? 純玲嬢も中々、積極的ですなぁ?」
「えっ、あっ、いや……」
「親父、何が言いたいのが分かんねーけど、鷹場が困ってるからやめろ。もう時間的に帰らせるわけにもいかねーし、仕方なく泊まらせるのは賛成してやる。けど、俺の部屋では寝させねぇ」
「純玲嬢、儂は耳栓でもして寝るから、存分に楽しむといい。むふふ」
「危ねぇから耳栓なんかして寝んな! いいから出て行け!」
鷹場が来ると果てしなく喧しくなるよな、あのじじぃ。しかも何か、凄ぇ気持ち悪かった。何だありゃ。
鷹場も目を丸くしてるし、今のと卯咲で疲れたし、もうさっさと寝たい。
「鷹場、空き部屋は廊下出て左奥だ。風呂も沸かしてあるから、先入っていいぞ」
「……」
早く行け、という意味で言ったんだが、鷹場はベッドから動かない。人の枕をギュッと抱き締めて、じっと俺をガン見して来る。
今度は何だ。人の言葉が理解出来なかったのかこの猿は。
「鷹場、俺は疲れたんだ。主にあの親父の所為で。早く風呂……」
「私、ここで寝る」
「……早く風呂に行け」
「ここで寝るって言ったでしょ、さっきも」
「最後だ。早く風呂に行け。そして空き部屋で寝ろ。出来ないなら追い出す」
「昼雅は私を、こんな時間に追い出さないと思う」
ブチ切れそうだ。何だこの我儘お嬢様は。
追い出さねーよ確かに。こんな夜遅くに、何の心配もなさそうだけど一応女であるお前のことは、確かに追い出すつもりはない。
けどな、そこで寝られたら俺が空き部屋使うことになるだろうが。つーか自分の部屋で誰かが寝るの、正直耐えられねぇんだよ。
「鷹場、そこは普段俺が寝てる場所だ。筋トレし過ぎで汗臭い、むさ苦しい男が寝てるベッドだ。気になるだろ? 気になるよな? ほら、空き部屋で寝た方がいい」
わざと嫌なことばかり言って、「やっぱやめておく」と言わせるための誘導をする。
ちゃんとシーツは洗ってるし、消臭スプレーとか何とか色々使ってるし、汚くも実は臭くもないのだが。このバカなら流されてくれるだろう。
「臭くない」
「嗅ぐな!」
すんすんすんすん枕の匂いを嗅ぐ鷹場。こんなことされるのは流石に恥ずかしいから、枕を思い切り引っこ抜──けねぇ。どんな力で掴んでやがんだ。
「おい、放せ鷹場。お互い力入れてたら破れるだろうが」
枕はこれ一つしかない。アニメみたいに引っ張り合って裂けるなんて、そんなバカなこと起こって欲しくないんだよ。
……だが、鷹場はムッとしたまま放そうとしない。
「だって、これ取り上げられたら別の部屋に行くことになるでしょ……?」
「いや取り上げる前から行けって言ってんだよ」
「私は、昼雅と一緒の部屋で寝ることに、抵抗はないわ」
「俺があるんだよ」
「私のこと女として意識してないとか言っておいて、何で抵抗があるのかしら?」
「何笑ってんだ。分かれよ明らかに狭いだろーが」
にこにこすんじゃねぇ。お前を異性として意識は、殆どしていないがそこじゃないんだよ。自分のベッドで誰かが寝るのが耐えられねーんだよ。
「どうしてもそこで寝たいって言うんなら、俺に乗られる覚悟をしろ。いいな?」
「…………ええ」
「いや拒否しろよそこは! ふっざけんなこのバカ! どうしたら別の部屋に行ってくれるのか教えてくれるか!? なぁ!?」
俺の周囲にいる人間達は、俺を疲れ果てさせたいのだろうか。とうとう泣きそうになったぞ今。
頼むから、誰か一人くらいは俺に優しくしてくれ。
「どうしたら別の部屋に行くか……?」
鷹場が、キョトンとして呟く。そこでその表情はおかしいだろうがよ。
「昼雅が一緒に来てくれるなら」
「意味ねーだろ!!」
「あんたは自分の部屋で寝られるのが嫌なんでしょ? その空き部屋だったら違うじゃない。問題ないわ」
「もう分かった! こうしよう! 俺はちゃんとお前を女として見てる! だから一緒には寝れない! オーケー!?」
「ようやく私の下僕になる気になったのね。いいことよ」
「そんなこと一言も言ってねぇんだが!?」
「偉いぞ昼雅! ようやく女子に興味を持ったか!」
「来んじゃねぇじじぃいいいいいいいいいいいいいいいい!!」
♣
──冷静に考えてみた。卯咲を相手にするのが、どうしてそんなに疲れるのかを。
わざわざ下手に出てるから悪いんだ。だからアイツも調子に乗るんだ。簡単なことだったんだ。
だったらもう、有無を言わさず連行すりゃいいんだ。こっちは先輩な上体格差もある。圧をかけて行こう圧を。
「──で、今に至るわけなのね。どう? 卯咲花蓮は連行出来たの? ていうか恥かかなかったの?」
「うるせぇ……」
下級生の教室に入るだけでわざわざ気合いを入れたのに、慣れない脅しを使ったのに、結果は大失敗だ。恥もかいた。
乗り込んで卯咲の席まで向かって、注目浴びながらも「話がある。来い。断ったら承知しねぇぞ」的な脅し文句を言ってみた。睨みも利かせた。
……が、残念ながら。卯咲の「またストーカーしてんの?」の一言で嫌な視線が集まり、「してねぇよ!」と叫んで逃げ出したのだ。俺がここまでヘタレだったとは。
でも、あのクラス全員を敵に回したようなもんだろ。居座るなんて無理無理。
「それで、次はどうするの? こんなとこで隠れて」
廊下の角で隠れる俺を背後で真似する鷹場が、呆れた口調で言う。勿論、待ち伏せに決まっている。
「アイツは俺達を毛嫌いしてる。どうせまた、周りに嫌な印象を与えるようなこと言って追い払って来るだろ」
「じゃあ、なおさら聞くけど、何をするの?」
「俺も手詰まりだ。基本的に温和な話し合いは出来ない」
「……? 意味分からないわ」
鷹場がムスッとする。安心しろよ、分かり難いことは言ってない。何の説明もしていないだけだ。
「そもそも、脅し方が間違ってたんだよな。あんなヤンキーみたいな威圧的な態度だけじゃ、あのタイプは怯まない。鷹場も同じだし、案外効かないんだよな」
だから、脅し方だけを変える。アイツの学校生活を脅かすことになるであろうことを言い、せめて話し合いに持ち込むんだ。
「来たぞ。鷹場、お前は……」
「私も出るわ。ちゃんと」
「……分かった。だがまずは俺に任せろ」
昇降口へ向かう卯咲とその友人二人の前に、堂々と立ち塞がる。その間横を通り抜けて行く生徒が、ヒソヒソと話し出した。
あまり見ないでほしいが、まぁここは我慢するしかない。
「……またセンパイ達?」
卯咲のウザったそうな、威嚇しているのであろう目が向けられる。神様に選ばれるだけはあるな、殺気が鋭い。
だがいい加減、話くらい聞いてくれてもいいんじゃないか? 卯咲。
「何も言わずに着いて来い。この場でバラされたくなけりゃな」
「……!」
卯咲の目が、少し細くなった。よし、この手段は正解だったみたいだな。コレが失敗なら諦めるところだった。
今がチャンスだ。畳み掛ける。
「知られたくないだろう? 流石に、穏やかな学校生活は送れなくなる筈だ。俺達を道連れに出来るからその方がいいか? 大変だろうな、昨年よりも多くのパパラッチが……」
「センパイ」
……やり方は気に食わないが、何とかなりそうだな。プライドが高そうな奴なら、過去のミスなどを突けば早かったんだ。
鷹場から卯咲の高跳びの記録を聞いて、調べた昨年のオリンピック。卯咲は────出場していなかった。
絶対に、圏内だった筈。ここに来る前に陸上部の顧問にも話を聞いた。卯咲は誰よりもやる気だったって。
「移動するならさっさと移動しましょう……?」
だが卯咲は、オリンピック出場を、自ら断ったらしい。




