19話『猪との最後の闘い・2』
右フックからの膝蹴り──足で払われ、脇腹を狙った掌底をギリギリのところで受け止める。
そのまま左側に手を引き、体勢を崩してガラ空きになった胴体目掛け、右からの蹴りを放つ──が、コレも躱された。
まさか片足を軸に回転し、そのまま距離を取られるとは。
やはり一瞬の判断力がケタ違いだ。蛾堂家や鷹場であれば、今ので一発はぶち込めていただろう。
それにしても、手首を掴まれたままなのに回転するとか、怖くないのか? こっちも離さざるを得なかったが。
「浅川くん、攻めも守りもどっちも出来るんだね。ビックリ。佐竹大熊以外にも、ここまで強い人がいたなんて」
「今はノールールだからな。試合中だった場合、俺はもう何度も反則してる」
「気にしなくていいんだよ、そんなこと。浅川くんも空手が得意みたいだけど、それに関しては私の方が専門家だからね」
「専門家なのか」
「だってそうでしょ? 私は空手一筋だったけど、浅川くんは違うんだから」
まーな。あの親父に色んな武術習わされて、年間逃げ出したくなるくらい大会に出たわ。
空手、合気道、柔道……弓道だってやったな。スポーツだと、キックボクシングや、少しだがレスリングなどにも挑戦したことがある。流石にルール覚え切れなくて辞めたんだが。
「でも、だからといって浅川くんの方が弱いとは言わないけどね。逆に考えてみれば、それらを熟す実力が備わっているってことなんだし」
「三つも下の女子にそんなこと言われるとは思わなかったわ」
うんうん、とか頷いていらっしゃいますがお嬢さん。貴女は一体何処目線なんだ? 俺の師匠かなんか?
残念ながら俺に師匠は要らない。何せ、武術とか続けてるわけじゃないからな。もうやっていない。
「ふふっ、浅川くんって本当に優しいんだね」
突如、クスクス笑い始めるくるわ。まるで気を抜いたかのように、リラックスしているように肩を下ろす。
──俺は、考えるより先に、右側頭部を両腕でガードした。
「……っ!!」
直後浴びせられる、意識が飛びそうになるくらい強烈な一撃。盾にした腕ごと、頭を蹴りつけられた。
ふらつく足で踏ん張り、次が来る前にくるわとの距離を取る。クッソ、ガードなんか意味ないか。
「あれ、浅川くんよく気づいたね。大抵の人はモロに受けるのに」
「ああ、先にお前を勉強しておいたからな」
ネットは凄いよな、調べたら世界大会の動画すら出て来るんだから。大体は誰かが撮影しているものだが。
それを幾つか観て、くるわの癖に気がついたんだ。
「一年前の動画を、可能な限り漁ってみた。全部で十七だったかな。その内二試合を除いて──全てくるわの一撃で決着がついている」
くるわは一瞬脱力し、相手がその隙を逃さずに攻めに出ると、直後に勝負が終わっていたんだ。
俺の言うくるわの「癖」というのは、その技を繰り出す寸前に見せる、首を右に傾ける仕草だ。
「くるわを前にしたことがない連中は、好き勝手言ってるみたいだな。何であんな攻撃を避けられないんだ、と。理由は明確だ。主観と客観じゃあ、見え方が全然違うんだよ」
客観的に見ると、くるわは少しゆっくりめに身体を傾け、遠心力を味方につけた超高速の上段後ろ蹴りを放っている。確かに、直前の動きに気をつければいいと感じるだろう。
だが、主観的に見ると世界は変わって来る。
くるわは脱力しながら、いつの間にか距離を詰めてきているんだ。思いの外それに気づけない。
そして身体を傾けた途端、一瞬にして視界から消える。あとは反応が遅れて、側頭部へのダメージで失神してしまう。
十七の動画の中でただ二試合。くるわに距離を詰めさせなかった者達はそれを受けることなく、一撃での敗北を味わわずに済んでいた。
「マジで人間業じゃねーな。撃ち落とす蹴りならまだしも、高い位置への攻撃がこんな重くていいのかよ」
ただでさえ、小柄な女子だというのに。
あの回転を支える脚も驚異的だが。
「負けてくれる? 浅川くん」
ニコッと、全く邪気を感じられない笑顔が向けられた。俺はあまりこういうこと言わないタイプだが、お世辞抜きでかなり可愛い。
……が、頷くわけにはいかないんだよな。
「悪いが、俺には憑き者を全員解放するって目的があるんだ。勝たせてもらう」
「大丈夫だよ、私がその役を貰ってあげるから」
「無理だな。お前には少し荷が重い」
「……へぇ」
ゾクッと、背筋が痺れた。くるわの奴、迫力を操れたりするのか? 今の「へぇ」だけで、心臓が握り潰される錯覚があったぞ。
「私じゃ無理だけど、浅川くんなら可能……ってこと?」
くるわの、邪気しかない笑顔が俺を捉える。初めての感覚だなこれは。
だが、気持ちで負けるのはNGだ。気持ちで負けていて、勝負に勝てるわけがない。
「そういうことだ。大人しく負けて、俺に全部任せろ」
「私は神様と一緒に闘うって、教えたつもりなんだけど……?」
「…………おい」
くるわの姿が──いや、コレは錯覚だ。あまりの迫力で、脳がバグってるだけだ。
くるわが猪に視えてしまうのは、幻だ。
「いくら猪に憑依されてるからといって、オーラでそれを表現しなくたってよくないか……?」
「私は自我を、失ってないからね」
ゴオオッと強い風の音が吹く。俺に向かって突っ込んで来るくるわが、突進して来る猪に視える。
「──っ! しまった……!」
気圧されて、躱すのが間に合わなかった。
くるわの進路から外れようとした俺の腕を、猛スピードのまま捉えるくるわ。肩が外れそうなのを堪えるが、このまま体勢が崩れた方が都合良かったのかも知れない。
──力を入れて耐える俺を利用し、くるわは背後に回るように跳ぶ。
俺の背中に、アウトであろう衝撃が、貫くように打ち込められた。
「んぐがっ──!!」
杭を打つような膝蹴り。丸太にぶちのめされた時でも、ここまで苦しくはなかったような気がする。
「ぐっ……」
くるわの実力に完全憑依状態が重なって、最早わけが分からない強さになっている。俺の心臓は生きているようだが、骨や他の内臓がどうなったかは正直心配だ。
……でも、まだ動けるな。丸太に殴打されたあの日も、死にかけはしたが生きていたんだ。そう簡単に死ぬ筈がない。
いくらくるわが強くても、一応人間なんだしな。
「……諦めたらいいのに。浅川くん、私に攻撃するつもりある? この体格差なんだし、強引に押して行けばどうにかなるでしょ?」
「うげぇ、口から血が出て来やがった。……安心しろよくるわ、もう迷ってねぇから」
「なら早く攻めないと、死んじゃうよ?」
首を傾げて、虚ろな目を向けて来るくるわは、恐ろしいものに感じてしまえる。人を殺めることへの躊躇いが、薄れているのかも知れない。
神様と意気投合していた鷹場は例外として、憑き者は完全憑依されると、人を襲うことに抵抗がなくなるみたいだ。
くるわは更に、一度人を殺している。それ故に、吹っ切れてしまっているのだろう。
「……そうだな、攻めるか」
神様と手を組んでいるくるわや、友達になっている鷹場だって相当だが、俺も何だかんだ特殊なタイプだと自負している。
「虎、手を貸せ」
俺の両腕に、虎の黄色い体毛が現れる。憑依状態だ。
俺に取り憑いた虎の神は、ニートだ。自分から闘うって言い出したのは、今のところ鷹場の時に一度だけ。それ以外は興味なさげだった。
そして今も変わらず、俺に腕だけ貸してくれるらしい。ついでに脚もくれって念じてみたら、テキトーに了承してくれた。
「「……出たな」」
おおっと、何だそりゃ。くるわと猪(くるわの低音)の声が混ざってたぞ。そんなことも可能なのか。
「やっぱり、規格外なのね名護くるわって」
背後で、鷹場がボソッと零す。そりゃあまぁ、強さで言うなら規格外に入るんだろうな。
「私と昼雅は一部だけ憑依するから意思が残るけど、あの子、完全憑依の状態で意識を保ってるわ」
「……言われてみればとんでもないことだよな。完全憑依なのに、乗っ取られてないんだもんな」
「完全憑依って言えるのかしら」
「分からん」
けど、全身に猪の神が現れているのは間違いないし、その神も意識があるみたいだからな。
問題なのは、同時にくるわの意識もあることだが。どうなってやがるんだ、アレ。
「でも、二つの意識が残っているってことは、案外倒すのは難しくなさそうよ」
「理論上はな。どちらかが苦手なことをすれば、意識でのズレが生じて〜ってなことが言いたいんだろうが、生憎、アイツらが別々に苦手なことを俺達は知らない」
「……それもそうね」
鷹場が諦めたように溜め息を吐く。それもその筈。
たとえば、猪が苦手とするガード面だが、それは完璧にくるわが補える。逆に、くるわが苦手だということは──この戦闘上では、全く想像がつかない。
「だから、やることは何一つ変わらない。一撃ルールだと下手をすれば俺が負けるし、そもそも乗っかってくれるとは思えない。犬神と違って野性的じゃないからな」
「続けよう? 浅川くん」
スキップ一回で、くるわがゼロ距離まで詰めて来る。相手の隙を逃さない点も、かなり厄介だ。
しかし今俺は、別に隙を見せてるわけじゃない。そう見せかけて誘ったんだ。
俺の腹部を狙った、拳を振り下ろす重たい一撃。全体重を浴びせるように放たれたそれは恐らく、並の人間であれば簡単に沈めることが出来るだろう。
「──甘いな、くるわ」
落とされたくるわの手を、上から掴む。勢いが完全に死ぬことはないため、掴んだ手の外側へ身体の向きを変える。
腕力なら、お互いに鷹場よりも上。だが、体格差で有利なのは俺なんだ。
「……」
「くるわ。俺はお前がこの状態で何をするか、分かってるぞ。後ろ蹴りを放つんだろ? また」
くるわが脚に力を込めたタイミングに、言葉での牽制をする。これで、後ろ蹴りは迂闊に出せない筈だ。
この状態なら、最もスムーズに繰り出せるのがその後ろ蹴り。他の行動は、腕を掴まれている限り難度が高い。
──くるわの弱点は、ここにある。
「くるわ、お前は俺には勝てない」
「……分からないよ、そんなこと」
「一つのことに縛られている時点で、俺にとってはカモだ」
思いの外、地力があったため大苦戦だがな。
悔しそうに睨みつけて来るくるわに、わざと勝ち誇った顔を作ってみせる。
「空手だけに特化してるんなら、その技に警戒すればいい。あとは、空手にない手法でやればいい」
俺は数多くの武術など、戦闘法を教わって来た。だからこそ出来るやり方だ。
挑発したり、掴んだり、空手にないだろう? 基本的には。
「それだけで負ける人間が、どうやって世界王者になるの」
くるわの怒りが込められた言葉に、俺は鼻で笑って誤魔化す。
悪いな、くるわ。俺は血を吐く羽目になったしきっと、骨は何処かしら逝ってる。だからどの道、お前は強い。
だがな、お前のその人間離れした怪力が一度でも当たれば、大抵の人間は倒せちまうんだよ。分かるか?
確かに、実力はある。世界とやり合えるどころか、圧倒出来るくらいにはな。
けど、全部同じなんだ。くるわの闘い方は、決まった動作の繰り返しでしかない。あまりの速さと恐怖を植え付けるその怪力で、対抗出来る人間がいなかっただけ。
初めから理解していて、冷静に対処出来る者なら、簡単にやられることはない。
「中には俺や佐竹みたいな奴もいる。お前と同じ、常軌を逸した人間がな」
「……っ!」
くるわの手を引いて、そのまま羽交い締めにする。これも空手では味わえない技だろう。
技なのか? これ。まぁ、いいか。
「……浅川くん、一つ知りたいんだ」
身長差的に、くるわは何も出来ない。脚を踏んだところで、俺は離さないしな。
だからなのか、くるわは無抵抗で力を抜いた。
「何だ」
「佐竹大熊と知り合いなの……?」
「まぁな。小六の一年間、同じ道場で空手をやってただけだ」
「そうなんだ」
ああ、そういうことにさせてくれ。俺の嫌な記憶を、掘り起こそうとはしないでくれると大変助かる。
と言っても、今のくるわの声色的に、察してくれたみたいだがな。
まぁ、アレか。あっちは世界チャンピオンで俺は引退してるってので、分かることだよな。
「さて、どうする? くるわ。そして猪。これを何とか出来るんであれば、闘いを続行してもいいが」
「性格悪いよ、浅川くん」
「……あまり言われたことないから、気づかなかった」
「友達いないんだ」
「うるせー」
くるわはクスッと笑うと、ゆっくりと両手を挙げた。
「降参します。初めて、負けちゃった」
その瞬間、ずっと黙っていた猪が、くるわの身体から抜けて行った──。




