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イキモノツキモノ  作者: 源 蛍
第一章『虎と猿と犬と猪』
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18話『猪との最後の闘い・1』

 倒してみろっていうんなら倒してやるぜ、と思ったが、俺とくるわは睨み合いを続ける。お互いに出方を窺っている状況だろう。

 正面からのやり合いになると、先攻か後攻かで多少変わる。出来れば、相手が動いたところを対処し攻めて行きたい。

 気づかれていない場合などは、先手必勝だけどな。


「……ふぅ、我慢比べはこのくらいにしておくか。いつまで経っても終わらないもんなこれじゃ」


 くるわにスタミナを回復されてもキツいし、動かそう。ひとまず仕掛けておいて、くるわが得意であろうカウンターも捌く。


「あまり手を出さなくても勝てないってのは、分かってんだろ。くるわ!」


 威嚇をするように声を張り、強く踏み込む。くるわが反撃することを想定した上での、側頭部を狙った大振りな蹴りを放った。


 くるわは世界チャンピオンだ。武術の世界は、守るだけでは勝てない。それは理解している筈。

 弱気なのはくるわじゃなくて実は猪の方だ。これでくるわが少しでも目覚めてくれれば、意識を取り返せるかも知れない。

 それに懸けたんだが……


「──そう来るよな」


 低身長を活かした、低い体勢で放つ蹴り上げのカウンター。狙いは俺の、太腿辺りだ。


「俺だって、伊達に優勝して来てないんでな!」


 強引に素早く、蹴りを終わらせる。勢いあまって回ってしまうタイミングで、身体を捻ってくるわの蹴りを躱した。

 今のだけで少々疲れるが、受けてしまうよりは大分マシだ。くるわはどれかといえばパワータイプ。一撃一撃が重過ぎる。


「うぉっと! 危ねぇ!」


 振り返ったら振りかぶられていて、反射的にバックステップ。少し滑ったのを無理やり堪えて、連続で放たれた上段への回し蹴りを腕でガードする。

 やっぱり一筋縄じゃ行かないな。明らかな隙を、容赦なしで攻めて来やがった。


「……ったく。鷹場といいくるわといい、男顔負けのパワーしやがって。受け止めるだけで腕が軋むんだよ、この猛獣共が」


 思わず声を出すなんて、試合じゃ有り得ない。試合では心で叫んでも、実際に「危ねぇ!」なんて出ないしな。

 ……危ないなんて感じたこと、殆どなかったからな。


「佐竹のお陰かも知れないな、今の俺があるのは」


 佐竹に負け続けて武術をやめたからこそ、試合の時のことなんか忘れていられる。感情を押し殺さずに闘える。それは、言ってしまえば気持ちがいい。

 ──なぁ、お前ら。


 強い奴と闘うのって、楽しいな。


「昼雅」


 ハッとして、振り向かずに少しだけ下がった。つんつん、と背中を触られて、鷹場が直ぐ後ろにいることを理解する。


「私は猛獣なんかじゃないんだけど」


「今また振り向きそうになったわ馬鹿野郎。比喩的表現だっての。そのくらい分かれ」


「私は小動物よ」


「っほほぉう? は? なわけないだろバカ言ってんな馬鹿。お前が小動物だったらこの世の何が猛獣だってんだ。んで小動物は何になるんだよ」


 言い切ってから「ハッ」とした。ヤベェ言い過ぎたか? またぶん殴られるだろうか。今の状況でそれは避けたい。


「危なかったわね。もし私を小動物扱いなんてしたら、その身体に私のことを教えてあげる必要があったわ」


「……安心したよ、それに関しては絶対に殴られないってことにな」


 本当に分からない女だ。か弱いオンナノコとして見られたいのか、全くの正反対なのか。

 可愛いって言葉には嬉しそうにするくせに、女扱いは嫌だとか……マジで迂闊なこと言えないじゃねーか。


「貴様も苦労しているようだな」


「まーな、察してくれて助かる」


 猪に哀れみの目を向けられた。鷹場と話している間何故か攻めて来なかったのは、優しさだろうか。

 だとしたら、良心があったのかって話だけどな。


「ならば直ぐに楽にしてやろう。この数日間調べて回ったのだが……この娘、空手の世界チャンピオンだったらしいではないか」


「……知らなかったのかよ」


 つーか調べたのかよ。調べて回ったってことは移動していた筈だが、全く会わなかったな。上手くすれ違ってたか。

 猪はくるわの身体を品定めするように、ゆっくりと動かす。腕を曲げ、ニッと笑みを浮かべて俺を、見下した様子だ。


「この娘の家に、武術大会のトロフィーなどが無数に飾られていた。全て空手だったがな。それで取り憑いたのだが、世界チャンピオンであることまでは気づいていなかった」


「無数のトロフィーね。俺はともかく、後ろのお嬢様なら気分が分かるのかもな」


 俺が軽く笑うと、背後から鷹場のムッとした声が返って来た。


「無数のトロフィーなんて言えるほど優勝していないわよ。せいぜい二十が限度ね」


「十分だろそれなら」


「バカね、その程度なら数え切れるじゃない」


 視認出来ない位置に鷹場がいるのは正直不安だったが、スッと右隣に出て来てくれた。ああ、安心するわ見えてると。

 コイツに背後取られていたら、避けられないもんな。パンチ。

 両腕が猿のものに変化した鷹場は、威圧的ではない真剣な目を、くるわに向ける。


「数え切れないってことは、それほどの相手ってことよ」


「……だな。名護くるわは中学二年生の昨年、空手の世界チャンピオンとなった。大人すら倒せるって実力を持つ……っていうのは、鷹場から聞いたことだ」


 だが、この数日間俺も何もしなかったわけじゃない。見つけられなかったら見つけられなかったで、せめて何か動くべきだ。


「俺だって調べて来たぞ。くるわは世界チャンピオンになり、その年に獲得出来る空手の優勝を全てかっさらった。そして、期待に胸を膨らませる大人達を裏切るように、『なんとなく』で辞めた」


 その「なんとなく」というのは、くるわの言葉だ。そして「気分で」と言っていた鷹場。

 二つの表現と、引退したタイミングを重ね合わせてみれば、ぼんやりとではあるが見えて来る。


「くるわは、空手が飽きたわけじゃない。自分と張り合える相手がいなくなって、それで退屈になったわけでもない」


 わざと気を引くような言い方をしておく。更に溜めを作って、相手に予想する時間を与える。こうすることで、不意打ちは成功しやすくなるのだ。

 さぁお前ら、予想はついたか? 俺は先に、ヒントを出してやっていたんだぞ。



「──くるわは、期待され過ぎて辞めたんだ」



 満を持した感じで、答えを言い放つ。正面の猪インくるわは表情に変化がなかった。

 ま、こういう時は大体、ドラマみたいにオーバーなリアクションは取れないもんだ。これが普通だろう。


「俺には痛いくらい分かるよ、その気持ち。鷹場も、そうだろう? 期待されるプレッシャーは、恐ろしく重たい」


 特に、「()()()()()()だろう」と、信じて疑わない期待は一層圧を増す。

 そのプレッシャーに押し潰され、去って行く選手は普通に存在する。何とか粘り、勝ち続ける者だって存在はする。

 ……だが、勝てば勝つほどプレッシャーは重くなる。どんどん負けられなくなって行くんだからな。


「くるわは、その圧倒的な強さ故に負けることはなかった。これからも、それは変わらないのかも知れない」


 ──けどな。

 けどな、たとえそれが定まった運命だと、知らされていたのだとしても、ぶっちゃけキツいんだよ。


「そうだろ? くるわ。全てを制覇すれば、自分が次に挑むべきものは一旦なくなる。だからそのタイミングで引退した。もう一生試合に負けることなく、栄光を手にしたまま去れば、自分を脅かすものはなくなる。それが、お前が空手を辞めた理由なんだろ……?」


 栄光のために闘い続ける人だっているし、プラチナメンタルの人だっているかも知れない。

 だがくるわは中学生だ。中学生にしてその重荷を背負うことになったんだ。こんな小さな身体で、大人すら潰せる圧力に四六時中襲われていたんだ。

 そんなの、耐えられるわけがないだろう。俺なら、分かってやれる。


 俺は諦めずに闘い続けた結果、敗北という最悪な結末を迎えたのだが。


「──知るか」


 不意に呟かれた言葉に、僅かに反応が遅れてしまった。俺はさっきまで何処を見ていたのか、目の前にいた筈のくるわの姿が見当たらない。

 反射的にであって意図的にではないが、腕をクロスしてガードの体勢に入ろうとした。

 しかし、そのコンマ数秒の間をすり抜け、くるわの拳が俺の胸に──


「……くるわ?」


 ──触れなかった。

 風圧を感じられたくらいの寸前で、その勢いは死んだ。


「……っ」


 ふらふらと身体を揺らしながら、くるわは後ずさって行く。驚愕の目が、自分自身の手を見つめていた。

 ……いや、アレは驚いているのか? 驚いてはいるのだろうが、俺には悔しさも感じられる目だ。


「昼雅あんた、また油断してたでしょ」


「……ああ。感情的になり過ぎてたな」


 隣でコソッと言う鷹場に、ボソッと返す。寸止めされてなかったら死んでたかも知れないしな。


「この我を御するか……これまで、抵抗することもしなかっただろう」


 低音のくるわの声が、苛立ちを抑え込むように呟く。それは恐らく、くるわに向けた猪の言葉だろう。

 くるわが猪の支配に抗い、自由が利いていない今がチャンス。分かっているが、俺も鷹場も手を出さない。


「……勝ち続けるのだって、簡単じゃないんだよ」


 小さく掠れた声で、再びくるわが呟く。今のは少し高めで透き通った声。

 ……くるわ本人の、声だ。


「皆私をターゲットにして、強くなって行くんだ。誰にも負けない私を倒すために、自分を鍛えて来るんだよ。スキルアップして、私を下すことばかり考えてる」


 拳を下ろして、くるわは語り続ける。他の誰の気配も感じない木々の中で、静まり返ったこの空間で一人、思いを吐き出す。


「私はいつだって誰かの敵。味方なんて、いなかった……っ」


 目尻に涙を浮かべたくるわが、ようやく顔を上げる。苦しさを前面に出したような声に、胸が、ギリッと痛む。


「私はさ、勝ち負けがあったとしても楽しく、空手をやっていたかったんだ。けどさ、けどさ……そう思ってるのは私だけで、皆は私を疎ましく思ってる。化け物だって、言うんだよ……?」


 化け物という言葉が出て来た瞬間、隣の鷹場がビクッとしたのが見えた。悪い、お前には俺が言うもんな。本当にすまん。

 自分を棚に上げて。


「本当のところ苦戦なんて、したことなかった。同年代の空手女子の中に、私と張り合える人なんて誰もいなかった。世界は広いからいつか見つかるって期待してたけど、チャンピオンになった瞬間にそれも潰えた」


 ──だから、全部自分の名前に変えて辞めた。


 くるわはそう零す。

 さっきも言ったように、くるわはその年に獲得出来る最強の称号を、全てかっさらったんだ。

 それは、誰にも超えられないため。

 結局誰も自分を倒せないなら、自ら無敵の称号を勝ち取って、殿()()()()すればいい。

 そうすれば、皆がくるわを標的とするのを諦める。くるわはそう考えたのだろう。

 ……結局は、批判を浴びるだけだったらしいけどな。


「辞めた時、お父さんもお母さんも、猛反対して来たよ。私に空手以外何があるんだって、凄く怒られた。でも私は、もう耐えられなかったから──」


「両親を、()()()()ってわけか」


 くるわは、酷く沈んだ顔で頷く。薄暗い森の中だからか、雰囲気は普段より増している。

 そうか、俺は勘違いしていたみたいだな。そりゃ、猪の神だってあんな態度でいるよな。


「神様が私に憑依したあの日、お願いしたの。『私を、解放して』って。その代わり、勝つために協力するって」


 ついさっきまで涙を溜めていた瞳は、強く鋭い光を得ている。何か覚悟が決まったのだろうか。

 いや、流石の俺でも察せる。くるわは、自分が助かるために猪と手を組み、猪は自分が勝つためにくるわと手を組んだ。

 なら、どうなるか。どうするのか。

 答えは一つしかないだろう。


「浅川くん、悪いけど負けてあげないよ。神様には私のわがままを聞いてもらったんだから、ちゃんと恩返ししなきゃ」


 これまでと少し違う、一切ブレのない構えを取るくるわ。

 そして曇りのない目で、俺をじっと見据える。それだけでもうオーラが違った。


「私にはもう、何も残されていないから。全力で行かせてもらうよ」


「鷹場、下がってろ」


 迫力だけで本気なのが窺えるくるわから、鷹場を離しておく。意外にも、すんなりと言うことを聞いてくれた。

 これは憶測だが、鷹場はきっと今、くるわに負けを認めたのだろう。コイツも実力者だ、闘わずに見極めることが出来たのかも知れない。


「……いよいよお出ましってわけか、世界チャンピオンが」


 ふぅ、気合い入れて行くぞ俺。思い出せ、佐竹とやり合った空手大会を。


 世界を制覇した人間は、絶対に一筋縄じゃ行かないからな。

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