17話『くるわの裏』
くるわを見失って早三日。あれ以来、誰かが襲われることもなく、平和な日々が過ぎて行った。
だがそれは俺にとってはそこまでいい話ではなく、焦る理由にもなってしまう。
「鷹場、マズいぞ。もう全く憑き者を見つけられていない」
くるわは憑き者の気配を消せる。いや、恐らく他の憑き者達も同じなのだろう。この革奏町を探し回っているのに見つからないのは、そういうことだ。きっとな。
……いやでも、憑き者が別の町に引越しとかしていたら、分からないよな。
「……そうね、名護くるわだけでなく、他の憑き者とも遭遇していないわ」
「ああ。神様達は闘うことを目的としている筈なのに、気配を消せない俺を襲って来ない。妙だよな」
「そう言われてみればそうね。名護くるわ……猪の神みたいに、昼雅には勝てないと踏んで逃げ回ってるとかは?」
「神様が『勝てない』って、俺なんかに思うかよ」
「そんなの分からないじゃない」
ぷくっと左頬を膨らませた鷹場は、意外にも綺麗で手馴れた所作で茶を口に運ぶ。そう言えばコイツ、一応お嬢様なんだっけな。ただ金持ちなだけだが。
父君もさぞ悲しいことだろう。唯一の娘であるコレが、常軌を逸した大バカなのだから。
──哀れみの目を向けていたのがバレて、弾丸スピードの拳が飛んで来た。ギリッギリで躱せたが。
「ま、お前がいうことも一理程度はあるかも知れない。俺は既に二人憑き者を撃破していて、三人目を追い詰めた。残りの憑き者達がそれを知っている可能性もなくはない」
プライドが高く、勝負をしている奴らが、そんなことで逃げるとは思えないんだがな。あの時の猪を見たら、ゼロパーセントではなくなる。
だが、鷹場戦でも蛾堂家戦でもくるわ戦でも、他の憑き者の気配は感じなかった筈なんだよな。見られてた可能性は低い。
「……ところで、昼雅」
せっかく憑き者について話しているってのに、鷹場が遠慮がちに話を変えようとする。何が言いたいかは、何となく分かる。
ここに来てからずっとそわそわしてるもんな。落ち着きないもんな。
「お、お父様はいらっしゃらないの、かしら……? 浅川師範は……」
「さっき靴見てみたらなかったぞ。どっかに勧誘に言ってるのか、普通に買い物でもしてるのかどっちかだろ」
「そ、そっか。挨拶しようかと、思ったんだけど……」
「いい、いい。気にすんなそんなこと」
そう、ここ俺ん家。今日は話し合いをするために呼んだ。
鷹場でも挨拶しようとはするんだな。安心しろ、親父が帰って来る前に家から出すからよ。
せっかくの休日だ、積極的に動こうぜ。
あと親父には事前に、〜時まで帰って来んな、とメールしておいた。
「それはそうと本題に移るぞ鷹場、ティータイムは終わりだ」
「まだ飲み終えてないんだけど」
「話しながら飲めばいいだろ」
「それティータイム終わってないじゃない」
「……」
何だ、コイツ。どうしてこんなにバカなんだ? どうしたらここまでバカになれるんだ?
腹が立って来た。
「今日これから、くるわのことを調べて回る。一応問題もあるが、それは俺が何とかしてみるよ」
「うん、どうするの? またインターネットで調べるの?」
「いや、くるわが通っていた中学校に乗り込む」
バカ正直に、バカでも分かるように簡単に答えたら、怯えたような表情をされた。
「え、堂々と犯罪者になられても……」
「違ぇよ。まぁ、問題ってのはそのことなんだけどな。くるわのことを聞きに行って、変質者扱いされないかってな」
「されると思う」
「だから、くるわが憑き者であることを教える」
「えっ……」
非道かも知れないが、そうでもしないと怪しまれるからな。くるわが空手の世界チャンピオンであることを知っているなら、俺の説明にも納得いってもらえる筈だ。
いざとなったら、俺が憑き者であることも暴露する。口封じは念入りにするが。
くるわは親がいない。そして親がいないのに、家出をした。その時点でもうおかしい。
親がいない……つまり、両親が他界したというなら、誰かに引き取られるか施設に保護されるだろう。でもくるわはどちらでもなさそうだった。
くるわの家に何が起きたのか、知っておく必要があると、俺は思う。
「行くぞ、鷹場。あの猪がそう何日も我慢出来るとは到底思えない。また犠牲者が出る前に行動に移す」
「分かった。その代わり、名護くるわについて話を聞くのは昼雅に任せるから」
「お前何のためにいるんだよ」
この人見知りが。そんなんでよく俺の親父に挨拶するとか言えたな。
呆れつつ玄関に向かったら、勢いよく扉が開いた。立っているのは、満面の笑みを浮かべた脳筋じじぃ。
「おお昼雅よ、まさか儂に黙って娘っ子を呼ぶとはな。しかも、帰らないように念を押すとは……残念! 気になったから帰って来ちゃった」
「親父、下らない話を聞く時間はない。今から出るからどいてくれ」
「まぁまぁ、お客様に挨拶くらいさせろ。名護ちゃんではないのだろう?」
心底楽しそうに、親父は鷹場の元へ歩いて行く。もういいわ勝手にしろ、俺は靴を履く。
「おお! これはこれは鷹場嬢ではないか! いやぁお目にかかれて大変光栄でございます」
親父のテンション更に上昇。やっぱ鷹場のことは知ってるよな。敬語になるのは驚きだが。
道場としても格上だし、そういうことなのかも知れないが。
「で、昼雅の何処を気に入って下さったのかな?」
「おい、何聞いてんだじじぃ」
「えっと、なんだかんだ……優しかったり、するとこ……」
「お前もマジメに答えんでいい」
「昼雅はぶっきらぼうな奴ですが、末永くよろしく申し上げまする」
「あ、こちらこそ……」
「いいから行くぞ鷹場! 時間かけてらんねぇんだよ! 早く来い!」
ひらひらと、間抜けな顔で手を振る親父を無視して、家を出る。因みに鷹場は岩を難なく越えるので、やっぱりバケモンだ。
つーかさっきの会話なんだよ本気で。俺と鷹場は恋人かってんだ。ふざけんな。
♣
「名護くるわのことが知りたい……? 君達は一体何者なんだ?」
くるわの通う学校については、事前に調べておいた。大会の記録から、簡単に知ることが出来る。
メガネの男性教員は、まぁ当然の反応をした。
「俺達は、名護くるわと面識がある人間です。彼女、ここ最近登校していないんじゃないですか?」
「……ああ、来ていないよ。もう直ぐ三週間くらいかな」
「家に連絡は?」
「何度もしたさ。昨日もね。でも、一度も出たことがない。家に行ってもみたが、応答はなかったよ」
「それは当然です。くるわは、家出しているんですから」
「……何だって?」
教員は嫌な表情で眉を曲げる。やっぱり知らなかったか、くるわの様子を見た感じ、誰にも言っていないようだったしな。
親もいないっていうんだから、学校には何の事情も説明されていないだろう。
「──親御さんは一体何をしているんだ? 義務教育の娘が家出した? せめて一言こちら側に伝えるべきじゃないのか? その上で呼び戻すべきだ。まったく、これだから若者は……」
──教員が呆れた様子になる。あんまり聞きたくない言葉もついでに呟いて。
ちょっと待て、どういうことだ? コイツは何を言ってる?
「なぁ、くるわの親は何も言えないんじゃないか……? いや、詳細は俺も聞いてないけど、もういないらしいし」
「……は?」
教員が、更に呆れた表情をする。鷹場やめろ睨みつけるな。
「君は何が言いたいんだ? 確かに、親御さんとは程連絡が取れないが、三週間前までは一緒に暮らしていた筈だぞ」
「……くるわは、いないって言っていたんですが」
「「「…………」」」
全員が、顔を合わせたまま無言になった。鷹場は元から喋っていなかったけど。
嫌な予感がするぞ。多分、ここにいる全員が同じことを想像した筈だ。
直ぐに真実を確かめる必要がある。
「すみません、お話ありがとうございました。最後に、くるわのことを教えておきますが、これは秘密でお願いします」
「……何だ?」
「名護くるわは、憑き者です。知っていますよね? 未だに話題からは消えていない筈だ」
「……ああ、知っている。うちの生徒達も、特に武術系の部の連中が、疑心暗鬼になっているところだしね。迷惑な話だよ」
「くるわは猪。数日前まであった通り魔事件の原因になっています。俺達は、くるわを神様から解放するために、彼女の行方を追っているんです」
俺の話を聞いている間、ずっと不満気な顔をする教員。状況が状況だから、伝えるだけ伝えさせてもらうぞ。
「憑き者は、敗北することで解放される。終わったらまた報告に来ますんで、また」
「待て」
背を向けたら、即座に呼び止められた。ですよね、そうなりますよね。このまま帰らせてはくれないよな。
耳打ちして鷹場だけ、公園へ向かわせた。俺は教員に背を向けたままにして、続く言葉を待った。
「君達は一体何者なんだ。何故、憑き者の解放のしかたまで知っている?」
質問は予想していた通りだから、ノータイムで返事をする。
「──同類ですよ。これも、秘密で」
♣
鷹場と公園で合流する。次に向かうのは……
「ここが、名護くるわの家ね。何で場所知ってたの?」
「……調べた時に出て来たんだよ、何故かは知らんが。まさか家まで公表してたとは予想外だったけどな」
「お陰で、知りたいことを突き止められるかも、知れないけど」
「ああ、そうだな……」
インターホンを押しても誰も反応しない。ドアを叩いても、足音すらしない。
……まさかとは思うが、俺が想像した最悪な事態が起きてしまっているのかも知れない。
「鷹場、後のことは後で考えて、いいか」
「……私も、丁度同じこと考えていたわ」
「……行くぞ」
鷹場と顔を見合わせて、家の敷地内に入る。庭に回ってみたが、カーテンが完全に閉まっていて、中は確認出来ない。
だから玄関をこじ開けて、中に入った。
──ああ、思い過ごしであってほしかった。俺の、最悪な想像だけであってほしかった。
「……酷い荒らされ様ね。予想的中ってことで、いいのかしら」
「ああ……そのようだ。心から悔やむことだがな」
名護くるわの家の中は、まるで猛獣が暴れたかのようにぐちゃぐちゃにされていた。窓が割れていないのは、偶然だろうか。
砕かれた物。破られた物。壁や床には穴が空き、テーブルなどは真っ二つ。
何より、放棄された男女は、圧倒的な存在感を放っていた。
「くるわの両親に、連絡なんてつく筈がなかったんだ。くるわがいっていた『いない』は、『いなくなった』ってことだったんだ」
「恐らく、猪に憑依されて……よね」
「ああ。それで、理性を取り戻した結果、逃げ出したんだ」
そうじゃなきゃ、あんないい奴がこんなことするわけがない。連絡が取れなくなった時期的にも、猪の仕業で間違いないだろう。
……最悪だ。神様だろうが何だろうが、ここまではしないって信じていたのに。
「どうするの……? 昼雅」
鷹場が、酷く落ち込んだ声で訊いて来た。そうだな、どうするか。
やるべきことはいくつかあるのかも知れないが、俺達にやれることは、きっとそんなにない。
「──くるわを捜すぞ。今度こそ、猪から解放する」
鷹場と顔を見合って頷き、くるわの家を飛び出した。
この家のことは、まだ警察には伝えない。じゃなきゃ、俺達も自由には動けないからな。
全部、決着をつけてからだ。すまんお二方。
──前回、くるわと闘った森林公園。木々に囲まれた薄暗いスペース。
広さは十分、外からは見え難い。ここなら、心置きなくやり合える。
アイツは、そう思ったのかも知れない。
「くるわ……いや猪。お前がやったことは、絶対に許されることじゃねぇ」
ボロボロになった身体で、ぐったりと地に伏せるくるわ。それを無理やり起こすのは、猪の意思だろう。
まともに飯も食えていない筈だ。もう、くるわ自体が限界だと思う。
「何回も言わせんじゃねぇ、くるわを解放しろ。もう苦しめんな、これ以上……!」
「この娘の家にでも行ったのか? 加減が聞かなくてな、やり過ぎてしまった。まぁ、我々には関係のないことだがな」
──一気に距離を詰めて、思いっ切り後ろ蹴りを放った。
「関係ないで終わらせられることじゃねぇんだよ! ふざけんな自己中野郎が!!」
「……ふん」
俺の渾身の一撃だっていうのに、くるわは腕をクロスして難なく受け止めた。大して動きもしなかったのは、脅威でしかない。
くるわの雰囲気はゼロ。完全憑依状態の猪は、抉り込むような鋭い視線を向けて来た。
「なら、我を倒してみるがいい」
逃げたくせに、偉そうにしやがって。




