16話『逃走』
左から、鷹場の豪速ストレート。右からは俺の下段蹴り。ほぼ同時に、距離を出来る限り詰めて放った攻撃だった。
──が、くるわはそれぞれを容易く弾く。
「俺と鷹場の力をものともしねぇとか、いよいよとんでもないなくるわ。鷹場は更に、猿の腕だってのによ……!」
接近し過ぎた故に、くるわのカウンター攻撃が返って来る。中断への回し蹴りだ。
だが俺も鷹場も見切っている。くるわも強いが、俺達だって負けちゃいない。
「鷹場、二人で行けば当然勝てるだろうが……どう思う?」
一旦距離を取って、両腕毛むくじゃらな鷹場に問いかける。くるわの元の強さを俺は知らないが、憑依されただけでこの強さというのは、相当だ。
まず、この鷹場純玲が警戒するレベルだ。元世界チャンピオンって時点で、恐ろしく強いのは分かってたんだけどな。それでも想像以上だった。
「私達二人がかりでも倒せない相手なんて、この世に存在するわけないじゃない。あんたも私も、この国を代表するほどの人間なのよ?」
「鷹場、お前と一緒にすんな。確かにお前はほぼ敵無しって域に立ってるかも知れないけどな、俺は違う。俺を越える人間は、普通に存在するんだよ」
「……そ」
佐竹とかな。それ以外にはまだ出会ったことがないが、きっと他にもいるんだろう。
鷹場が納得していなさそうなのは、きっと俺に敗けたからだろう。コイツは自信があるから、更に上がいるってことが悔しいのかもな。
──下手をしたら、今目の前にいる名護くるわも、その一人だ。
「退屈だな、人間の中でも強いのだろう? 貴様らは。我はまだ余裕があるぞ? そんなものか?」
突如、挑発を始める猪。恐らく、カウンターを狙っているのだろう。
今のところの戦いで、くるわの戦闘スタイルは大方分析出来た。攻められる時はとことん攻め、基本守りには入らない。だから思いの外攻撃が通用する。
しかし確実に避けられる攻撃は受けずに躱し、その上で即座にカウンターを仕掛けて来る。
正に攻めに特化したスタイル。攻撃こそ最大の防御……という言葉がよく似合う。
「……退屈か、猪の神様」
「ああ、退屈だな」
完全にこっちを見下している猪に、溜め息を吐く。あのな、俺を甘く見るな。
こんだけやり合っていて相手の弱点も見つけられない奴が、どうやって憑き者を全員倒し切るんだよ。
「もう退屈なんてさせねーよ。そんな暇、跡形もなく潰してやる」
俺が構えたら、鷹場が後ろに下がって行った。多分だが、俺を信じてくれたってことだろう。マジで多分。
くるわは俺を睨みつけ、小さな身体を更に低く構える。
「はっ!!」
──予想通り、先に動くのはくるわの方だ。俺が重心を前に傾けた瞬間を狙って、顎を狙った蹴りを放って来た。
足腰に負担はかかるが、即座に仰け反ってこれを躱す。
そして、
「ぅぐっ……!?」
「悪いな、くるわ」
支えていた足を変え、くるわの身体を支える足を払う。蹴りを放っている間は、無防備なんだよ。
「あんまりやりたかねぇけど、ごめんなくるわ!」
崩れたくるわの腹部に、膝蹴りを入れる。少ない打撃でカタをつけたいから、鳩尾を狙った。これで倒れてくれればいいんだがな……。
「……ぅ」
「猪、諦めろ。人体急所へのダメージは軽くない。もう動くな」
地面を引っ掻くようにして、くるわの身体を無理に立ち上がらせる猪。いい加減にしてくれよ神様。
いくら腕力があろうが常人離れしていようが、くるわは女子中学生なんだぞ。小さい身体で、俺の打撃を何度も受けたら流石に保たない。
人間をこれ以上痛めつけんな。
「猪! 俺は鳩尾に打ち込んだ。くるわはもう動けない! お前の負けだ!」
くるわの身体で無理するな。頼むから、もう解放してやってくれ。
傷ついていく少女を見るのは、精神的にキツい。しかもそれ自分がやってるからだし。
……だが、いくら言っても猪は止めない。踏ん張るように、ゆらりと立ち上がった。
「何を言っている、まだ終わってなどいない……この身体はまだ、使えるだろう」
「お前……っ!」
「貴様も何度も立ち上がっているだろうが。そんなに止めさせたければ、先に貴様が倒れればいいだけだ。……貴様もな」
猪は、俺の背後にいる鷹場にも目を向ける。深い溜め息は、鷹場のものだろう。
「お生憎さま、私はもうとっくに脱落してるの。そこの浅川昼雅に敗北して、一番最初にね。だから私のことは気にしなくていいわ。負け犬とでも思っておきなさい」
「ふん、負け犬……いや負け猿が。猿女が」
「……今だけ許してあげるわ」
背後からとんでもねぇ殺気が溢れ出した。珍しく負けを認めたかと思い切や、ただ我慢しているだけだった。
まぁ、鷹場は何気に、俺にはちゃんと「敗けた」って言ってるけどな。
でも鷹場、「今だけ」ってことは後々キレるってことになると思うが、それ猪にだよな? くるわにじゃないよな? 大丈夫だよな?
「とにかく一旦置いておいて、誰か来る前に終わらせないとな。こんだけ騒いでてずっとスルーされるわけがないし」
「そうね。ここにあるかは分からないけど、少し前に監視カメラも見たし。あっちの方」
「……お前そっち走って来た方だけど、走りながら監視カメラ見つけたのか?」
「そうだけど?」
「あ……そう」
コイツ確か、うちの高校の女子生徒の中で一番足が速いとか聞いた気がするが、それでよく監視カメラなんて見つけられたな。まず普通気にする物じゃないだろうに。
偶然だとしても、その動体視力とかが色々凄ぇよ。多分俺は無理だ。一瞬視界に入って「あ、監視カメラだ」なんてなんねーよ分かんねーよ。
──なんて感想を脳内に巡らせながら、ダイナミックにバックステップをした。
「あ、流石ね昼雅。またボケッとしてたのかと思ったわ」
「ボケッとしかけていたけど、今のくるわを前にして油断はするわけないだろ」
「そうね、下手したら殺されるものね」
「そうそう」
少し反応が遅れていたら、心臓を止められていたかも知れない。そのくらいくるわの掌底は疾く重たいんだ。
無意識に胸を撫で下ろし、ふぅっ、と息を吐いた。ついでに軽くジャンプをして、少しのウォーミングアップ。
忘れんな、俺。見た目は幼かろうが相手は世界チャンピオンだ。
肩書きだけなら、あの佐竹大熊と同じなんだ。
「──はぁっ!! 貴様も出て来い虎! まともに戦わずして敗けるつもりか!?」
左、右、左のフェイントから右そして間髪入れない上段への回し蹴り。全て捌き切ってから、力一杯デコピンしてやった。
「くっ……」
「痛いか? ははっ、俺も指が痛ぇわ。それよりやっぱ、カウンターには弱いみたいだな猪」
……今の嫌味は、心苦しいがくるわに向けたものだ。完全憑依された憑き者に効果があるかは微妙だが、精神攻撃をして、俺には勝てないと思わせることが大事。
何処かの鷹場お嬢様ではないが、強い人間はプライドが高いことが殆どだ。そのプライドを潰すことで、やりやすくなるは────
「ぬぅんっ!? ……っぶね!!」
下腹部に向かって、恐ろしいほどの力が込められていたであろう、低い体勢での膝蹴りが襲いかかって来た。
危な過ぎる。足を引いてるのに気づかなければ、今頃蹲っていたかも知れない。
身体を掴まれなくてよかった。
「……この野郎、あくまで攻めに徹するスタイルってわけか。怖ぇ戦い方だなチクショウ」
一撃一撃が重過ぎて、いつもより焦っちまう。と言っても、鷹場戦では殆ど焦ってはいなかったんだが。
パワータイプのやり合いでは、一発もらうだけでも不利だからな。もう何回も喰らってんだけど。
「虎……の憑き者。まずは貴様を倒し切る。後ろの猿はその後だ」
くるわのあの目、完全に暴走した蛾堂家を思い出すな。喋ってる分、こっちの方が冷静には見えるが。
「……よしっ、続けるか。甘く見んなよ猪、そしてくるわ。簡単に倒されるかってんだ」
「あんたやられかけてたじゃない」
「うるせーなバカ! 集中途切れ──」
思わず鷹場に振り返ってしまった。そのタイミングを待っていたかのように、脇腹が軋む。声が出ないほどの、痛みだ。
「ぐっ……ぁ!」
弾き飛ばれて地面に伏せる。いっ……てぇ。ここまで苦しいのは、丸太が直撃した時以来か。
諸に受けて、力が入らない。としても、気合いで立ち上がるしかないよな……!
「……あっ?」
息が乱れるのを気にせず、無理やり起き上がる。そのまま振り返ったら、くるわが木に激突していた。
ポーズで察せるが、鷹場が蹴り飛ばしたらしい。
「昼雅、やっぱりロリコンなの? あんたさっきからとろとろしてるけど、女相手だからって手を抜いてるでしょ」
冷めた目で見て来る鷹場にムカついて、取り敢えず立ち上がる。違うって言ってんだろうがバカ女。
「確かに、手ぇ抜いてるけどそれは蛾堂家にもお前にもだった。出来るだけ傷つけたくないからな。くるわは身体が小さいし、それ以上に手を抜くのは普通だろ」
「……呆れる。名護くるわは確かに小さいけど、力は昼雅並みよ? そんなハンデ、あんたが命取りになるだけなんじゃないの?」
「安心しろよ、その分ガードはしてるから」
「今の体たらくでそれ言うの?」
「今のはお前の所為でしょーが!」
「ごめん、隙を突きたくて囮にしたわ」
「何てことすんのお前!?」
俺がやられたら終わりだとか言っておいて、それはないだろ。お前まで防がれていたらどの道終わりだったろうが。
ごめん、と言いつつ悪気がなさそうなバカと口論していたら、視界の端でくるわが立ち上がった。直ぐ様向き直り、不意打ちは阻止する。
──つもりだったが。
「え……?」
「は……?」
くるわが、森林公園の出入口に向かって走って行った。
一瞬困惑して、鷹場と見合う。鷹場も驚愕の目をしていた。
つまり、反応が遅れた。
「待て! まさか逃げるつもりかアイツ!?」
「わざわざ人目につかない場所まで走ったのに、ふざけないでくれる!?」
鷹場と同時に走り出す。身体中痛くて仕方がないが、全力ダッシュだ。
まさか逃げ出すとは思わなかった。猪突猛進スタイルで、プライドが高いであろう猪の神が、背を向けるなんて予想だにしなかった。
「はぁ……はぁ……っ!」
公園を飛び出して、周囲を見回す。さっきまで背中が見えていたくるわの姿は、見当たらない。
「昼雅……どう? 名護くるわは……」
少し遅れて到着した鷹場は、珍しく肩で息をしている。コイツ、俺とやり合った際は息切れすらしてなかったんだけどな。
「逃げられた。クッソ……! もう俺らの力量は知られた。次会う時、真剣に真正面からやり合える可能性は低くなったぞ!」
「それどころか、正面から会えるかも不安ね」
「ああ。こっちの気配を察して逃げて、普段通りのくるわで気配を殺して、後ろから襲撃ってケースも有り得る」
「あんたも、気配消せないの?」
「生憎そういう訓練は受けたことがない。殺気自体は抑え込めるだろうが、憑き者の気配なんて自分では分からないだろ?」
「……今私のは感じる?」
「…………あれ? 感じねぇ」
鷹場をじろじろと眺めてみる。まぁ、目の前にいるんだから「ああいるわ」とはなるけども、憑き者の気配は感じられないかも知れない。
まさか、俺ってそういうの鈍かったりするのか? もしそうだとしたら、この憑き者同士の戦いでは不利になるんじゃ?
「違うわ、昼雅はきっと勘違いしてる。顔にそう書いてある」
「お、マジかよ。んじゃあ、どうして俺は憑き者の気配を探れない?」
「探れないんじゃなくて、相手がそれを隠す術を持ってるだけでしょ。あんたは私や、蛾堂家明日流の気配を感じ取ってたんだから」
思い返してみれば、確かに。コイツらの時は、離れていても普通に「おおいやがるいやがる」って思ったな。
もしかして鷹場は何かを察したのかと、期待した。そんな目を向けていたら、申し訳なさそうな目で首を振られた。
「ごめん、気配の消し方が分かったわけじゃなくて、個人的な話になるの」
「あー、そうか。まぁ別にいいんだが、どうした?」
「私ね……多分私、もう憑き者と呼べる人間じゃなくなったのよ」
「は?」
「神様は憑依してるんだけど、もう戦いに参加する資格は無くて……さっき言ったでしょ? 私は脱落してるんだって。もう、昼雅に敗けたから」
「……何が言いたいのかハッキリしてもらってもいいか? 悪いんだが」
「あのね」
鷹場はよほど疲れているのか、まだ少し呼吸が乱れている。
……今更気づいたがコイツ、腰の辺り手で押さえてるな。まさか、一発もらってたとか……。
鷹場が深呼吸したタイミングで、顔を見る。汗が頬に一筋伝う鷹場は、遠慮がちに笑った。
「私、もう憑き者の気配探れないみたい」
…………いや、それ少し前までと変わんねーから。




