11話『猫耳』
親父……あのじじい、何で岩を二つに増やしやがった。くるわ背負ってるからジャンプで渡るのは危険だし、二回も登り降りする羽目になったぞ。
くるわはくるわで、俺の背中に張り付いたままなのは凄いな。
「本当に岩あったんだ。しかも二つ」
「今朝は一つだけだった。あの親父、俺を鍛えるために増やしやがったんだ。俺が鍛えるのは半分趣味であって、武術のためじゃないのに」
「もう半分は?」
「……秘密だ。悪いな」
くるわは顔を横に振った。「気にしない」ってことだろう。
俺が鍛えるのは、ちょっと前まで本当に趣味だったんだが、今は憑き者を倒すためだ。
武術の達人達に憑依しているなら、鈍った状態で挑んだらアウトだしな。蛾堂家みたいな弱い奴もいたが、鷹場くらいの化け物だっているんだから負ける可能性がある。
負けたら虎が消えてしまい、憑き者解放は更に厳しくなる。
「汗臭い部屋」
「仕方ないだろ、大体筋トレしてんだから。結構全力で。お前は女だから気にしなくていいだろうけど、男は筋力あった方が何かと得だからな」
「モテるため?」
「いや、一番は岩を登るため」
常人じゃ登る前に諦めて、学校永遠のサボりどころか引き篭もりになってしまうからな。
岩の横は人口の林があるが、何でそんなもんがあるのか理解不能なトラップも無数にあって危険だし。
因みに俺は一度、全方向から丸太の突撃を受けた。ギリ生きてたが。
「女は、筋力必要ないの……?」
くるわが、何故か真剣な表情で俺を覗く。何か変なことを言ったつもりはないが、何処か引っかかったのか?
「別に必要ないってわけじゃない。あった方が便利だし。ただ、体重を気にしたり、か弱い自分でいたいなら要らないだろってことだ。何か力仕事でもあれば、男に頼ればいい」
うちの担任の先生のようにな。あの人は、容赦なく俺に押しつけてくる。かなりムカつくぞ。
小学生でもモテるようなダンボールを渡してくるのは何なんだか。
「ん? どうした? そのダンベルは、二十キロくらいあるぞ。迂闊に持とうとすると腕が──」
「ん」
「嘘だろ……⁉︎」
俺ですら片手で持ち上げるのはあんまり余裕がない二十キロくらいのダンベルを、くるわは簡単に持ち上げて見せた。
どうなってるんだ、あいつ。見たり触ったりした感じ、大して筋肉はついてなかったのに。
「私、筋力あるよ。鷹場純玲よりも」
「えっ」
ダンベルをそっと置いたくるわは、淡々と言った。
その小さい身体で、鷹場より筋力があるだと……? コンクリート凹ませられるような奴より、上だと……⁉︎
そのほっそい腕で、どうやって……。
「私、筋肉はつき難いんだけど、生まれつき筋力はあるの。腕力も脚力も、普通の高校生男子なんかよりよっぽどある」
「おお、マジかよ。女ってやっぱり筋肉が目立たないのか? お前は腹筋割れてたりするの?」
因みに鷹場は割れている。あいつはかなり無防備だから、シャツが捲れて胴体が完全に露わになったことがあった。だから知ってる。
ただ、下着もつけないのはどうかと思った。
「うん、割れてる。ほら」
「見せなくていいからな! ……って本当に割れてんだな」
「嫌だ?」
「いや、別に嫌じゃないけど、その顔で腹筋割れてるとギャップが凄過ぎるというか」
つーか今更気がついたんだけど、くるわは頭に灰色の猫耳をつけている。
何で猫耳? 何かコスプレでもするのか? 何で少しも気にしてないんだこいつ。
「……これ? これは、私の趣味。猫耳集めが好きで、数十個持ってる」
「多いな。全部バッグに入ってたりするのか?」
「流石に全部は持って来れてないけど、十個ある」
「どっちにしろ多いな」
猫耳集めが趣味って、あんまり聞かないような。独特だな。
集めてるのって、単純に違う猫耳ってことなのか? それとも、耳のモデルになってる猫の種類が違ったり?
「その灰色の猫耳は、何の種類?」
「猫耳って思いの外、種類を意識してないものが多いんだよね。これもその内の一つ」
「へぇ、そうなんだ……?」
何だ大したことないな猫耳も、なんて考えてたら、くるわが自分のバッグに手を突っ込み始めた。
取り出したのは、白黒縞模様の猫耳。
「これはアメリカンショートヘア。こっちのはラパーマ。これはシャム。これは黒猫。これはサイベリアン。この、小っちゃいお気に入りのはスコティッシュフォールド」
「へー、そうなんだー」
まだ取り出そうとするくるわの手を無理やり止めて、お腹いっぱいをアピールして見せた。せっせと片付けを始めてくれる辺り、いい奴だ。
細かく設定されてるのがそんなにあるんだな。俺は猫に詳しくないから、耳だけ見ても何がどれなんだかさっぱりだ。
癒されるから嫌いじゃないんだけど、うちは親父が動物苦手だったか何かで飼えない。
「浅川くんが筋トレ好きだとしたら、私は猫耳好き」
「だな」
やたら胸を張って言うくるわの頭を撫でたら、猫耳に触れないように両手でガードされた。悪い、軽率な行為は慎むようにする。
ところですっかり脱線したため、猫耳トークが終わるのを待ってから訊いてみたいことがあった。
「お前何か武術とかやらされなかったのか? ほら、筋力もあるし」
くるわがぴたりと止まる。俺を、まるで怪しい人間を睨みつけるように見て来た。
急に雰囲気を変えるのだろうか、憑き者達は。どんだけ裏の顔持ってんだ? 人間誰しも表裏あるだろうけど。
「やってた。って言ったら、どうする?」
悪役みたいな言い回しで返された。しかし顔から警戒の色は消えていない。
んー、どうする? と言われてもな。
「知り合いに、めちゃくちゃ強い奴とかいなかったか? 何やってたかは知らないが」
「私は空手をやってた。気分で辞めたけど。知ってる限り、一番強くて佐竹大熊。世界チャンプだし」
「……まぁ、だよな。だと思ったよ。同世代では誰かいないか?」
「……」
くるわは黙り込んで、腰を下ろした。記憶の中を探っているのかも知れない。
もし親に言われて始めてテキトーに辞めた感じなら、あまり詳しくなくても仕方がない。別にやる気があったとかじゃないんだろうからな。
「いないかも。中学生に佐竹クラスの人は」
暫くしてくるわが口を開いた。何だか、死んだ魚のような眼をしてるなこいつ。どんだけやる気ないんだ。
別に佐竹くらい強い奴を探してるってわけじゃないんだけどな。
「そうか、ならいいや。……収穫はなしだな」
残念だが、また明日パソコンでデータを漁ってみるか。凄い面倒ではあるし、無駄な気もするんだけども。
くるわが立ち上がって、無言で部屋を出て行く。
数秒で戻って来た。
「どうした? トイレなら右だぞ」
「ありがとう。……それとさっきの、憑き者の話でしょ」
「えっ、な、何でそれを知ってんだ……⁉︎」
「この時期に強い相手を探してるなら、大体はそうじゃないかなって。トイレ借りるね」
くるわは廊下を右に歩いて行った。何だか急いでる様子だったから、多分ギリだったんだろう。
まさか憑き者を探していることがバレるとは思わなかった。親父が聞いていなきゃいいけど。
「てか俺重要なことを考えていなかった。くるわを連れて来たはいいし親父も快く受け入れてくれははくれたけど、いつまで置いとくべきなんだ……⁉︎」
両親がいないなら、伝えることも帰らせることも無理。だとしてここに置いておいていいわけがない。
くるわは正真正銘中学生だし。
色々困ったことにはなったな。一応、一応! 鷹場には伝えておいてやるべきか。隠しごとすると何だかうるさい気もするし。
──って、鷹場のことを考えてやったのに、
『誘拐犯と共犯者にはなりたくないわね』
「堂々と犯罪者呼ばわりしやがったなお前。俺は家出したらしいし親もいないっつー中学生を保護しただけだ」
『交番にでも連れて行けばよかったじゃない。初対面で家に招くなんて、怪しい人間のやることだわ』
「俺も交番に〜と考えたよ。でも親がいないんだったら迎えは来ないし、何処かの施設にぶち込まれる可能性も充分あるだろ。それは可哀想だ」
『……一理あるわね』
スマホの向こう側で、鷹場の溜息を吐く音が聞こえた。諦めたというよりは、呆れた感じの。
『でも、あんたが解決出来る問題じゃない。その子が誰か知らないけど……誰であろうと、下手をしたら犯罪者として扱われるわよ』
「まーな。なるべく早く、決断してもらうよ。施設に入るか、警察に事情を説明するとか諸々」
『そうしなさい。じゃあ、またね。私はもう寝るから』
「まだ九時なのにか」
『もう充分な時間でしょ』
また溜め息を吐いた鷹場が通話を切り、強制的に会話は終了。
歳下のバカに色々真剣に答えられると何か、結構効くなぁ。状況が重いもんだって分かってても、そこまで考えてなかった。
部屋が少なくて、地下で寝ることになったくるわを想像してみる。安らかに寝てた。
恨みやしないだろうか。無責任に拾っておいて、簡単に突き放すみたいなこと。
恨まれたとしても、そうするしかないんだけどな──。
「やべ、何か眠くなってきた。もう少し筋トレしたかったけど、寝るか」
くるわのことは、また後で考えよう。
部屋の電気をリモコンで消して、敷布団の上で眼を閉じた。
♣︎
朝のことである。俺は昨日とは別の猫耳(確かあれはシャムだ)をつけたくるわに甘えたような声で起こされ、朝食を腹に入れた。
そこまではよかった。くるわのエプロン姿も中々決まっててよかったが、アレを普段親父がつけてると思うと何か面白い。
別にそれもよかった。全然よかった。
よくないのは、家の前で仁王立ちしていた鷹場だ。
「スケベ」
「突然どうしましたかお嬢さん。俺の何処がスケベなのか言ってみろクソ野郎」
「猫耳とふりふりのエプロン身につけた女子中学生を見て鼻の下伸ばしてたとこ」
「はっはっは! 言っておくが俺は冗談が通じないことで有名なんだ。鼻の下なんざ伸ばしてねーよボケ」
「本当かしら?」
「神に誓っても構わない」
「ふーん」
鷹場は今日会ってから何故か不機嫌だ。初めて会話した、鷹場を倒したあの日みたいに。
俺としては特に何かした覚えはないから、普段通り接してやるけど。
「……名護くるわ、だっけ」
登校中、自販機で天然水を買っていたら、背後で鷹場が呟いた。
昨日一回しか名前出してないのに覚えてたのか。ただのバカじゃないんだな、こいつ。
「合ってるがそれがどうした? そういやあいつ中学校行かないのかな。親がいないし学費は払えないだろうし」
「その子、空手のジュニアチャンピオンよ」
「──あん?」
思わずペットボトルを強く握ってしまい、制服が濡れた。冷てーな、タオルタオル。
「元、だけどね。中学二年生の時、女子の世界チャンピオンになってる筈。下手すれば大人さえ倒せるってくらいの実力で、一時期話題になってたんだけど……覚えてない?」
「一年前か……。俺は武術とかに別段関心とかないからな、噂で広まったことすら記憶してない」
「そっか。……それでその子、今は『何となく』で辞めたらしくて、そっちも話題になったわ」
ふーん、「何となく」ね。確かにくるわは昨日、「気分で辞めた」って言ってたから間違いないだろう。
しかしまたとんでもないのが出て来たな。気配は感じなかったから憑き者じゃないだろうけど、世界チャンピオンか。大人すら倒せるって、相当だぞ。
「くるわが憑き者じゃなくて安心したよ。そんだけ強いなら、龍とかが憑依してた場合勝てる気がしない」
「少なくとも、私とやり合えるくらいはあるでしょうからね」
それもすげーな。いやくるわがじゃなくて、鷹場が。
だって空手の世界チャンピオンで大人すら倒せるような相手に、平然と「やり合える」なんて言ってるし。どっちかって言うと上からだったし。
まぁあの小さな身体じゃ、やたら背の高い鷹場に勝つのは厳しいだろうな。
「今日はテレビに映り込んでたあいつのことを探る。パソコンで無駄なこと調べたりすんなよ、鷹場」
「しないわよ。私はその人知らないから、ちゃんと教えなさいよね」
「分かってる。行くぞ、遅刻すっから」
まだ朝の五時半だから絶対遅刻はしないけどな。
♣︎
昼雅が家を出て直ぐのこと。夜武の眼を盗んで外に出たくるわは、千鳥足で獣道を進んでいた。
その様は倒れそうなくらいふらふらで、すれ違った者達は必ず彼女の歩みを見届ける程。
「……っ」
路地でたむろする男子高校生の集団を視界に捉えると、くるわの鼓動が早くなる。
一歩引き摺るようにして進み──彼らに向かって、全速力で駆け出した。




