表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
<R15>15歳未満の方は移動してください。

水辺の光る頃

作者: ネクロ眼鏡

 短編『寝室と奴隷ちゃん~悪徳商人初めての夜~』(https://ncode.syosetu.com/n9115er/)から大分後の話になります。企画時点より設定が多分に改変されており、その大半が未だ作者の脳内のみに存在することをご了承ください。

「夜の虫たちはね、何も食べないんだよ」


 夕食も終盤に差し掛かった頃、女の声を聞いた。

 俺はテーブルの食器から視線を上げる。正面に座っているのは旅装束を着崩したエーネだ。よく知るエプロンドレスの彼女じゃない。


「さっきの続きか?」


 問いかけをエーネが瞬きで肯定する。俺を捉えた目が閉じられ、また俺を見た。

 視線が絡みつくようだ。俺はここまでの道のりを思い出すのに専念する。


 川べりを徒歩で、徒歩で。村へ着く前に日は隠れてしまった。夜道を照らしていたのは、どこからともなく漂い始めた光虫たちだ。

 明滅する無数の仄かな光。マナの青光とは違う温かな色に、しばし依頼を忘れたのを覚えている。街の近くにはない光景だった。その中の一匹を連れて帰ろうとして、エーネに止められたのだ。


「命もずっと短いの。だから、死ぬまでずっと、だよ」


 憂いを帯びた瞳でエーネが締めくくる。俺にも情を掛けたくなる気持ちは分かる気がした。


「そうか」


 ナリアへ見せるのは諦めよう。


 返事を聞き終えたエーネの目尻が笑った。パンの残りを口に詰め、満足気にジョッキへと手を伸ばしている。

 その様を眺めながら、俺は彼女の出身が南だったことを思い出していた。いつの雑談だったか。この辺りのことなら俺より詳しいらしい。

 何か聞き出せないかと思案していると、エーネと再び視線が合った。だが今度は気配がやけにおとなしい。


 寂れた酒場が、本来の静けさを取り戻していく。人の気配のない店内は、背中越しにやけに広く感じられた。


「それってさ、あんたみたいだよね」


 突然突きつけられたのは簡素な一言だった。一片の疑いも含まない断定そのもの。エーネの中で俺は「夜の虫」らしい。

 思考が状況に追いつかない。だが、言わんとしていることは何となく察しがついた。


「ナリアちゃん、抱いてないでしょ」


 確認に見せかけた断定。やはり、ナリアだ。


「ああ」


「これからもないでしょ」


 次も、断定だった。


「ああ」


 俺はそのどちらにも肯定を返す。彼女の理解に誤りはない。

 繰り返すたび、エーネの視線が俺に定まって行くのが分かった。もう微塵も動かない。彼女の双眸は凍てついた月の光を宿している。


「惚れているのに?」


「ああ」


 詰問はなおも続く。


「あんたの物なのに?」


 声には侮蔑が混じっていた。だというのに、圧迫感がない。蔑みは俺ではない他の誰かへ向けられているようだ。


「だからこそ、駄目だろ」


 この場における最善を探りながら、俺は続く答えを考えた。

 惚れた女を金で縛った。もう側にいるだけで大きな罪だ。俺は選んだ代価を払わねばならない。

 彼女が巣立つその日まで。誰かが選ばれる瞬間まで。俺はただ死力を尽くしていればいい。一年や二年自分を抑えるくらいなんでもない。


「ハァ……」


 しかしエーネから漏れたのは、呆れとも諦めともつかない吐息だ。眉間にシワを寄せ、喜怒哀楽のどれとも判別の難しい渋い顔をしている。とりあえず、喜んではなさそうだが。態度に滲む俺への不満は明白だ。


「あんたはさ、それでいいの?」


 聞かれる理由が理解できなかった。やりたいようにしているからこそ今の俺があるというのに。

 俺ほど勝手な人間もいないはずだ。つまらない意地に人を巻き込み、振り回している。これ以上望むものなんてあるはずない。


「ああ」


「――それで楽しいの!?」


 視界の隅で皿が浮き、ゴトリと音を立てた。


 間髪を入れない怒声だった。エーネの瞳は揺らいでいた。泣いているのだと錯覚する。だが、俺が動くより先に彼女は持ち直した。

 睨むように見開かれた大きな両目と向かい合う。顔を逸らされないとは思わなかった。張りつめて、今にも崩れ落ちそうなのに、それでもなお引き下がらない。後ろめたさを覚えるが、彼女の姿勢をとても美しいと思う。


 俺のせい、なのだろうか。


「楽しい、か」


 反射的にぶつけられた言葉を繰り返してみた。


 俺にとっての楽しみ、それはナリアとの日々そのものだ。彼女が喜ぶ姿を見ると嬉しくなる。もっと喜ばせてやりたくなる。自分が「主人」なのだ、と忘れそうになる。

 ナリアが俺を否定できるはずなどないというのに。善人を気取って悦に入るなど滑稽だ。

 本当に彼女のことを考えるならば、俺に甘えは許されない。独りよがりな幻想にしがみつくなどあってはならない。選ぶべき道ならとうに決まっている。


「いつまでも続けてく訳にはいかないだろ」


 そう言ってぶどう酒を飲み下しながら、下手な答えだったと思った。でも、仕方がない。俺には答えられそうにないのだから。

 楽しい、楽しくない、その二択のどちらも俺には選べない。心は分かる。だからこそ、言葉に出来ない。


 どう突っ込まれるかと身構えていたが、エーネはそれ以上追求してはこなかった。全身から溢れ出していた熱気が消え、机のシミでも数えるように下を向いている。

 掛ける言葉は見つからなかった。俺に俺を変える気はないし、偽るつもりもない。ただ彼女に申し訳なく思う。


「……宿まで歩けるか?」


 これ以上やってもお互いに得はない。切り上げた方が得策だろう。

 エーネは力なく頷いた。いささか不安だが、彼女の実力を鑑みそっとしておく。そこらの農夫にも遅れを取るようなら、そもそもここには居られない。


「じゃあ、先に行くな。金は払っとく」


 外套を留め、俺は一足早く席を立った。仕事に備えて休まなくては。装備の手入れも欠かせない。……エーネは、大丈夫だろうか。

 俺の方は俺の方で帯びた剣がなじまない。本当に懸念事項ばかりだ。無事に帰れるだろうか。


 ――ご主人様……っ!!


 ベッドで見上げたナリアの、憔悴しきった顔を思い出す。俺が倒れれば、また彼女は傷つくだろうか。間違いなく傷つくと確信している自分がいる。ただ敵を殺すだけなら容易いのに、自分を守らなくてはならないなんて難しい。

 肉を切らせず骨を断つ。これまで何度か繰り返した空想は、全く感覚を伴わなかった。


(まあ、考えるだけ無駄か)


 明日のことは明日の俺に任せるとする。「夜の虫」は虫らしく夜風の中に出よう。

 遠目で沈黙を貫いていた男に夕食代を払い、店を後にする。水辺を離れたというのに、村にはまばらに光虫が漂っていた。

 お付き合いいただき、ありがとうございました。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ