現代のユートピア からの脱出
滋賀県の山奥に、現代のユートピア 松葉集落はある。
この集落の前集落長・湯来孝由(ゆき たかよし 45歳)は、半年前、京都で謎の自殺を図った。
それからは、孝由の長男・湯来由行(ゆき よしゆき 25歳)が集落長代理を勤めてきたが、半年間の死を悼む期間を経て、ようやく昨日から由行を正式な集落長とするための祭りが盛大に行われている。
松葉集落の全人口は25人前後。外との繋がりは極力持たず、自給自足を行い最低限の収入を得るために、育てている有機野菜や牛乳などを京都にある食品卸業者・風嶋興業を通じて都会に販売し、それで集落民の生活を賄っている。自分たちの世界で独自の幸せを追求する、まさに現代のユートピアである。
そんな集落に生まれながら、その集落の閉鎖性にどうしても納得できない少女がいた。孝由の長女・湯来奈由子(ゆき なゆこ 15歳)である。
「生まれたときから私は思っとった!この集落はおかしい!テレビやラジオ、パソコンはもちろん、雑誌や小説すらない。悪い情報に流されないようにとか言ってたけど、どう考えても異常でしょ!?私たちにしかない最高の幸せがこの集落にはあるとかいうけど、じゃあなんで父さんは自殺なんてしたの?!集落長を務めてこの場所で一番幸せじゃなきゃいけない人が、なんで自殺?しかも京都で!私なんかおかしいこと言ってる?・・・ねえ、啓介聞いてるの?!」
奈由子の怒りのスピーチは集落唯一の同級生・高橋啓介(15歳)に向けられていた。
「お前・・・。声がでかいし考えが飛躍しすぎだろ」
「何よ。じゃあ啓介は何も疑問に思ったことないの?!」
「え・・・。いや、外の世界と違うとは思っているけど、それをどうとかいうつもりはない。」
「あー。信じられない。啓介あんた緑里先生の話ちゃんと聞いてた?!」
「聞いてたよ!聞いてた上で言ってる。・・・というかまず、集落長が自殺かどうか、本当のところは分からないだろ」
「警察がそう言ったんだからそうなのよ。事実がどうであれ。・・・逆に自殺じゃないとしたらもっと問題よ。誰かに恨まれてたってことになる」
「突発的な犯人かもしれないだろ」
「もう分かんない。とにかく、私は一生この集落で閉鎖されて生きていくなんてほんと無理。絶対、進学を認めさせる、母さんとお兄ちゃんに。その為に、私は家出するから」
「は?」
「緑里先生の所に行く。その後はそれから考える」
「行くってったって・・・。そんなの」
「どうにかなるわよ。水野に行ったってことは分かってるんだから」
「お前、水野がどんだけ広いか分かって言ってるんだよな?」
「分かってるわよ。でも私は決めたの。祭りで集落が浮ついている今日が勝負。母さんとお兄ちゃんを困らせて、必ず進学を勝ち取る。あと・・・・もう一度、緑里先生に会いたいの」
緑里先生とは、3ヶ月前まで2人に勉強を教えていた専任教師のことだ。半年前にやってきて、たった3ヶ月で忽然といなくなった。今までもそんな専任教師は数多くいたが、緑里には他の教師とは決定的に違う部分があった。それは、奈由子と啓介に積極的に外の世界について教えようとしたことだった。それによって奈由子は外の世界を知り、自分の未来の為に、家出を決めたのだった。
「・・・・そうか」
「・・・じゃあね。」
奈由子は啓介にそう言うと、足早に集落の門を超えていった。
「おい!・・・死ぬなよ」
啓介のその言葉に奈由子は一度後ろを振り返り、すぐに翻し走って町がある方へ消えていった。
その頃、メイン会場では由行が最後の挨拶をしていた。
「半年前、親父が自殺なんてしてしまって、みなさんには本当に心配をかけました。村のしきたりに従って半年、喪に服しました。でもみなさん!これから俺は頑張ります。親父の時代より、この住民25人の松葉集落をユートピアにして見せます。だから、ついてきて下さい、よろしくお願いします!」
「よっ!新集落長!湯来由行!」
集落民たちが精いっぱいの拍手を送る中、後ろの入り口から場違いなフォーマルスーツを着た男が入ってきた。場が拍手に包まれる様子を無表情で見ている。その時、会場の最前列の端で由行を見つめていた女性が騒ぎ始めた。
「・・・?奈由子?奈由子はどこ・・・!?」
場の拍手が止み、みんなが周りを見回すが奈由子は見当たらない。その声を聞いてフォーマルスーツの男は静かに外に出ていった。
「利律子さんの隣にいなかったか?」
「外に出てるんじゃないの?」
ざわざわしている間に、騒ぎ始めた女性の取り乱しが激しくなる。由行が壇上から降りて彼女を落ち着かせる。
「落ち着いて母さん。大丈夫、外にいるんだよきっと」
その女性は、前集落長婦人で由行・奈由子の母、湯来利律子(ゆき りつこ 45歳)だったのだ。孝由が自殺してからというもの、少しでも不安なことがあるとすぐに取り乱す、非常に不安定な精神状態になっている。そんな中、啓介が戻ってきた。
「啓介!お前、奈由子を見なかったか?」
由行は啓介に尋ねる。
「あいつは・・・。緑里先生に逢いに行ったよ。自分の夢を叶えるために」
「どういうことだ。行かせたのか・・!?お前、自分が何をしたのか分かってるのか!!」
由行は啓介を殴り、胸ぐらをつかむ。
「奈由子は・・・教師になりたいって。そうなるには大学に行かなきゃいけない。その為には高校に行かなきゃいけない。あいつは、覚悟決めたんだよ。奈由子が出ていったのは意味が分からない理屈でこんな小さな村に閉じ込めてるみんなのせいだよ、あいつは、由行さんと利律子さんが進学を認めてくれるまで帰らないと思う」
利律子はパニックに陥り、泣き始める。由行は仕方なく啓介から手を離し利律子をなんとかしようとする。啓介が集落民に取り囲まれている時、フォーマルスーツの男が戻ってきた。
「外にも、いないみたいですね。」
由行は利律子に寄り添いながら男に懇願する。
「高家さん。あいつはまだ15歳で・・・。何も知りません。だから、心配されるようなことは起こらないと思います。だから・・・お願いします。なんとか、あいつを探し出して、ここに戻してください・・・。お願いします」
その男は、松葉集落の取引先・風嶋興業の松葉集落担当・高家宏見(たかいえ ひろみ 35歳)だった。由行は高家が頷くのを見てパニック状態の利律子を連れて外に出た。他の住民もなんとなくそれについて行くように、会場内の人がまばらになった。そして高家は残っている住民たちに、なんとか探してみますのでと告げ会場を出た。啓介は自分の親に捕まる前に高家を追いかけた。
「高家さん!」
「・・・ああ。君か。」
「頼む。あいつが自分の目的を果たすまで、連れ戻さないでやってほしい」
啓介がそう頼むと高家は啓介を一瞥してこう言った。
「自分を犠牲にしてもあの子を守る覚悟がお前にあるのか」
啓介は高家の予想外の返答に一瞬戸惑うが、迷わず「ある」と答える。高家はそれを聞いて、「・・・自分を大事にしろ」と言って松葉集落を後にした。その直後、啓介は両親に捕まり、家に引きずり戻され、一晩中説教された。啓介には分からなかった。子どもがいなくなって、安否の心配より、高家に「心配することは起こらない」と言った由行の心の中が、15歳の啓介には分からなかった。