三本目
「朽木ィ~、まだ着かないの?」
先輩は不機嫌な声で、山に入って七回目になる台詞を僕に投げてくる。
荷物は僕が全て持っているにも関わらず、先輩の足取りは重い。
「そろそろです。もう少し辛抱してください」
「ああ~着いて来るんじゃなかった。家でゲームしてりゃあよかった」
事前情報がないと、会う人皆が驚くけれど、先輩は女性である。しかも、年齢よりもはるかに若く見え、美人だ。男がプロデューサーだと、アイドルとのあらぬ噂が立つものだが、女性ならばその点心配はいらない。それに男のファン喜ばせ方というのは、女性のほうがいろいろと気がつくので、都合がいいのだ。
「もうすぐのはずですから、辛抱してください」
道の周囲にキノコが増え始めたのを確認して、僕はそう言った。
「あ、見えましたよ。あそこです」
ようやくフリゴさんの家が目に入った。僕は先輩を奮い立たせようと、振り向いて声をかける。
「あの家の中です。あそこへ行けば、松茸食べ放題ですよ。先輩」
フリゴさんには先輩を連れてくる秘策があると息巻いたものの、そんなものはもちろんない。
しかし、先輩を連れていかなければ僕は殺される。とはいっても、正直に話したところで、先輩が信じてくれるとも思えない。そこで僕は、松茸が取り放題の山があるんですけど、行きませんか? と先輩を誘ったのである。
先輩を騙し、巻き込む形になってしまったのは申し訳ないけど、先輩だって可愛い後輩の危機だとわかれば、きっと助けてくれるはずだ。……多分。
玄関扉の前に立ち、ノックをする。フリゴさんがすぐさま、いそいそと出てきた。
「ああ、来たわね。その女の人が例のプロデューサー?」
「そうです。……ただ、約束してほしいことがあるんですけど。たとえ断られても、先輩に手出しはしないって」
「分かった、分かった、とりあえず中に入りなよ」
先輩は僕達の会話を聞いて、訝しげな顔をしていた。
松茸狩りをしに来たというのに、いきなり森の中の家に通されたのだ。警戒して当然だろう。僕は、とりあえず中に入ってください、説明はそれからしますと、へりくだりながら言った。
先輩が家の中に入りテーブルに備え付けられた机に腰掛けるなり、僕はスライディング土下座をした。
「先輩、申し訳ございませんでしたーッ。実は先輩をここまで連れてきた本当の理由を、今まで隠していたんです!」
僕は頭を床につけたまま、これまで起こった経緯を説明した。キノコの娘たちのことや、彼女らをアイドルにすれば、会社としてもいい見世物……いや、宣伝効果抜群の有名人に仕立て上げることができることなど。
あらかた説明し終わって、恐る恐る顔を上げる。きっと驚いているだろうなと思ったが、先輩の顔には驚きの色は見えない、いつもどおりの気だるそうな表情をこちらに向けていた。
「えーっと、以上です……」
「……キノコの娘、ね……」
あ、疑っている。まあ、当然か、僕だって最初はそういう反応だったもんね。まずは、フリゴさんが本物のキノコの娘だという証拠を見せてから説明すべきだったと、段取りの悪さを反省した。
「フリゴさん、先輩が疑ってらっしゃいます。例のキノコ生やすやつ、やってください」
「分かった」
フリゴさんが机に手を載せると、手が触れている周囲が淀むように光り、机からニョキニョキとクロタマゴテングタケが生えてきた。
「どうですか、これで信じていただけたでしょう」
僕はこの能力を見ることで、先輩がキノコの娘だと認めてくれるだろうと信じて疑わないまま、先輩のほうを振り向いた。
――が。
「へえ、こんなつまらない作り話と、手品を見せにわざわざここへ連れてきたわけね……」
あきれ果てた様子で、ため息とともに呟いた。
あれ? ……手品だと疑っていらっしゃる?
「え、いや、先輩。手品でもないですし、作り話でもないですよ。これは本当にキノコの娘による、キノコを生やす能力で……」
「バカバカしい。タネがどうなっているかなんて知らないけど、私が本気で信じると思ったの? 帰るわよ」
先輩はすっかりと騙されたとばかりに、踵を返し、家から出ていこうとした。
「わーっ、待ってください。分かりました、他に証拠を見せます。彼女がキノコの娘だという証拠を見せます。だから、帰らないで」
先輩に帰られては、僕の命の保証はない。必死の思いで先輩の足にしがみついて、懇願した。
「さっきみたいな、くっだらない手品見せたら承知しないわよ」
先輩は面倒くさそうに、腕を組み、椅子に座り直した。
「ちょっと、なんなのこの女、私の事、頭のおかしな奴だと思い込んでいるわよ」
フリゴさんが先輩の耳に入らないように、小声でささやく。
「いや、すいません。でも、よくよく考えてみれば僕の先輩がこういった非科学的なことを信じないのも当然でした」
仕方ないのだ。彼女は今まで何人ものアイドル志望の女の子たちを見てきた。そして、そういった子たちは、どこか頭のネジが外れていたりすることが多い。自分を可愛く見せようと、ちょっと痛い子を演じていたりするような娘を先輩は数多く見ているのだ。
例えば、アイドルの志望動機が『友達が勝手に送った』なんていうのはまだ可愛い物で、『神からの啓示』『サタン復活を阻止するため』『故郷のきらきら星の成人儀式だから』『かいわれ娘だから』などなど、こちらの脳細胞を破壊するようなことを、臆面もなく言い切ってしまう娘がいる。
僕はまだ新人だから、実際に見たわけではない。そういった話も飲み会の席で、先輩に聞かされただけだ。だけど、先輩からしたら、そういった非科学的な生物になりきった娘というのは、現実を見ていないジャンキーのようなもので、ただ不快なだけなのだろう。そんな人達と関わっていれば、嫌でもアンチファンタジーの現実主義者になるか。
「じゃあ、どうやって信じさせればいいのよ」
フリゴさんが険しい顔で囁く。
「まあ、簡単な事です。あなたが、人間じゃなくて、キノコの娘だという証拠を見せればいいのです」
「……」
「どうしたんです?」
「キノコの娘って信じさせるには、どうすれば?」
「え、キノコの娘にしか出来ないことをすればいいんじゃ……」
そこで僕も気がついた。キノコの娘にしか出来ないことってなんだ? 人間とはかなり違った生態系のようだが、詳しくは知らない。よく考えてみれば、この家だって人間が住むものとは大した違いもない。生活習慣などは、人間のそれと殆ど同じのようだし。
「キノコを生やせる以外で、何か能力はないんですか?」
フリゴさんは腕を組み、しばらく悩んでこういった。
「……キノコをいっぱい生やせる」
「それ以外で」
「キノコで殺せる」
「……それ以外で」
「……」
「ないんですか!?」
フリゴさんは俯いて、顔を逸らした。
「それじゃあ血気盛んで、やたら人に自殺を進めて、行動範囲が狭い、コスプレしているだけの娘じゃないですか!」
「う、うるさいわね。私だって自己の存在のあり方を考えたことなんてないんだから」
「どうするんですか、先輩は現実主義者だから、絶対に認めてくれないですよ」
「あんたが勝手に、キノコの娘だっていう証拠を見せるとか言うからでしょうが! あんたが何とかしなさいよ!」
完全に誤算だった。僕はキノコの娘のことをろくに知らないまま、先輩を連れて来てしまったのだ。先輩以外、彼女らをアイドルに出来る人間などいるわけもないし、アイドル計画が破綻してしまえば、僕は殺される。それを避けるには、何としても先輩にフリゴさんをキノコの娘だと認めさせなければならない。
先輩は苛立たしげに足を小刻みに動かし、さっさと人間離れした能力を見せてみろと言いたげである。
「えー……先輩、実はですね」
先輩に少し時間をいただこうとした時、玄関を誰かが軽く叩く音がした。来客のようだ。
「誰ですか?」
「多分、友達よ。キノコの娘の」
「そうですか! 来客! だったら、仕方ないですね。先輩、申し訳ないのですけれど、フリゴさんはお客さんの対応をしないとならないので、能力を見せるのは、もう少しだけ待っていてください」
「しょーがないわねー、早くしなさいよ」
とりあえず、時間稼ぎの口実はできた。僕はフリゴさんの背中を押し、玄関から外に出た。
外に立っていたのは、全身漂白したような、真っ白な服を着たきれいな女の人だった。真っ白な帽子を、真っ白な髪の上にかぶり、背中に羽の生えたドレスも真っ白で、ブーツも真っ白、とにかく山の中には不釣り合いな真っ白だ。
彼女の全身で白以外の色といえば、ブーツの底と、ベルト、そして真っ赤な目ぐらいのものだった。
しかし僕は、初めて見るはずなのに、彼女とどこかであったことがあるような、奇妙な既視感を覚えていた。そして、毒キノコを判別するためにさんざん見た、キノコ図鑑の中の一ページを思い出す。
「ドクツルタケだ! ドクツルタケのキノコの娘ですね!」
「せいかーい。彼女はドクツルタケのキノコの娘、アマニタ・ヴィロサよ。私達キノコの娘のリーダー的な存在」
有名な、猛毒のキノコだ。同じテングタケ科だからなのか、アマニタというファーストネームがフリゴさんと同じだ。
「ヴィロサ、何か用? 今ちょっと立て込んでいるんだけど……」
「ああ、ちょっと。夕ごはんを作りすぎちゃってね、おすそ分けしようかと思って」
そう言って、ヴィロサさんは、フタ付きの鍋を差し出してきた。フリゴさんが開けてみると、芳ばしい香りが漂った。
「わ~美味しそうなビーフ・ストロガノフ」
……キノコ要素一個もねえ。
そこはキノコ料理だろ。なんだ、ビーフ・ストロガノフって、牛肉どこで手に入れたんだよ。
いや、本当に彼女たちはキノコの娘なのだろうか、こんな町内のババア同士みたいな会話聞かせられたら、なんだか僕まで自信がなくなってくるぞ……。
「ところで、そちらの方は? 迷いこんできた食料?」
ヴィロサさんが僕を指さして、なんだか物騒なことを言い出してきたので、慌てて否定する。
「いえ、違います。いや、そうなりそうですけど、諦めません」
首を振りながらも、僕の目はヴィロサさんの、背中の羽に釘付けになっていた。ドレスの腰部分から生えており、偽物のアクセサリーだとばかり思っていたが、よく見ると小刻みに動いているし、見れば見るほど本物の羽に見える。
「あの、ヴィロサさん、その羽は……」
「これが何か?」
ヴィロサさんが体をよじって、ドレスの背中を見せつけるような格好になってくれたので、僕はそれをしっかりと見ることが出来た。真っ白な羽は、確かに皮膚と一体化して背中から生えている。
これは、ドクツルタケの特徴的な袴だ。どうやら、フリゴさんの先端にいくほど淡くなる髪といい、彼女たちには元となるキノコの特徴が色濃く出るらしい。
「ヴィロサさん、ちょっと家の中に来てもらっていいですか?」
僕は返事を待たず、ヴィロサさんの手を引いて、彼女を半ば無理やり家の中に連れ込んだ。フリゴさんも一体何ごとかと、慌てて付いてきた。
「先輩、見てください。この羽! 貴方はこれを見て、彼女が人間だなどと言えますか?」
僕はヴィロサさんの背中の羽を、先輩に見せつけた。フリゴさんがキノコの娘だと、信じされられなくても、ようはこの世にキノコの娘というものが存在することを先輩に認めさせればいいのだ。
先輩はヴィロサさんの背中の羽をしげしげと眺めた。ヴィロサさんは、わけが分からずといった困惑の表情をしている。
「あいたっ!」
先輩が急に乱暴に羽を引っ張った。作り物が背中に貼り付けていると思ったらしい。しかし、体の一部なので、当然外れない。
さすがに先輩もこれで納得してくれるんじゃないかと、僕とフリゴさんは、期待して先輩を見つめた。
「背中毛ね」
「……」
ええ~……。
「……いや、先輩、こんな背中毛生えた人間はいないでしょう……」
「日本の元首相にも、すごい眉毛の人とかいたじゃない。あれと似たようなものでしょ」
……いや、ぜんぜん違うと思うけど……。
「もう諦めなさい。この世にキノコの娘なんているわけがないでしょ」
「じゃあ、もしいたらどうしますか!?」
僕は先輩の馬鹿にするような言い方に、少しむっとして、初めて挑戦的な目を向けた。
「そうねぇ……それじゃあ、あんたのお望み通り、その娘達をアイドルにして見せるわよ。社長に頼んだげる。ま、いるわけがないんだから、絶対に認めないけど」
なんと! 先輩は冗談半分で言ったのだろうが、どのような形であれ約束は約束。口約束だって約束だ。こちらとしては、先輩にキノコの娘が存在することを認めさせれば、抱えている問題が全て解決することとなる。これはいい流れだ。
「すいません、またちょっと外に出てますんで、もうちょっと待っていてくれませんか?」
作戦会議を立てなければ、僕は先輩に確認をとる。
「え~、一人だと暇なんだけど」
「音楽でも聞いていてくださいよ、ほら」
僕はフリゴさんの首にかかっていたヘッドフォンを奪い取り、先輩の耳に装着した。そして、抗議するフリゴさんとヴィロサさんを連れて家の外へと再び出た。
「ちょっと、さっきから何なの? 説明してくれない?」
何の説明もないまま、いいように扱われたヴィロサさんが説明を求めてぷりぷりと怒る。
僕とフリゴさんは、これまでの流れを簡潔に説明した。