二本目
「いや、信じてもらえないのは腹が立つけど、そういう反応もなんていうか、傷つくから……」
「すいません、キノコ人間に出会った時の反応っていうのが、いまいち掴めなくて」
僕は今、クロタマゴテングタケのキノコの娘、フリゴさんの家にいる。森のなかの、ちょっと開けたところに立てられた一軒家で、狭いが色んな家具が揃っている。電気も通っているし、家電らしきものもある。キノコの娘の家とはいえ、正直人間の住む家とは大した違いがない。
「まあ、いいわ。とりあえず私がキノコの娘だと認めてくれたみたいね。まあ、そういうわけだから諦めて死んで養分になってね」
そう言って、フリゴさんはお茶とお茶うけ、それと物騒な言葉を僕に差し出した。
「いや、ちょっと話が見えてこないんですけど。貴方がキノコの娘なのと、僕が死んで養分になるのに何の関係があるのですか」
僕はお茶をすすりながら、話が見えてこないと不平をいう。
「私達キノコの娘は、死にたての生物から生気を補充しないと生きていけないのよ」
「私達って、他にもいるんですか?」
「うん。六十人ぐらい。椎茸とか舞茸とか、皆個性があって、可愛いわよ」
改めて説明を受けるが、ここは異世界の森で、僕が入山した山と『ゲート』と呼ばれる特別な門で繋がっており、その『ゲート』をくぐることで、ここへと引き込まれる。
つまりは『ゲート』は漁業の網で、一度中に入ってしまうと、自力では引き返せない仕掛けとなっており、僕のように知らずに『ゲート』をくぐって、ここへ迷いこんでしまった不運な人たちは、彼女たちの養分となってしまうそうだ。
つまり今お茶を飲んでいる僕は、捕食者に飲み込まれる前の餌なのである。
「遭難者が迷いこんできたら、皆で別けあって養分をいただくのよ。特に自殺者の生気は極上の養分になるわ、陽気な奴は駄目ね。あんまり美味しくない、陰気でオタク臭いやつなんかはジメジメしているから最高の味なのよ」
ああ、それで自殺させようとしたのね。でもあいにくですが、僕は陽気だから、自殺なんてしましぇん。
「で、今の山の持ち主がやる気のないやつでね。もっと人間を入山させるように言っているんだけど、まったく仕事しないのよ。ほら、この登山者収穫量を見てよ、年々減っているでしょう?」
そう言って、フリゴさんは机の上にグラフが書かれた資料を広げた。折れ線グラフになっているが、確かにここ数十年は減少傾向にある。
しかし、人間の捕獲量なんて、魚じゃあるまいし、あまりいい気がしないものだ。
「いや、でもおかしいじゃないですか。食料不足なら、ここでじっと人が来るのを待っていないで、人里に降りれば食い放題でしょう」
「いやね、それがキノコの娘の弱点なのよね。あんたキノコの本体って知っている?」
フリゴさんはかいつまんで説明した。
僕達が普段見ているキノコ、あれは実は本体ではない。本体は菌糸と呼ばれる部分で、土の中に隠れている。そして土から出ているのは、胞子を飛ばすためのいわば生殖器だ。
でも、地面から生殖器が生えているなんて、なんかいやらしいですね。でも花だって似たようなものなので、あんまり生殖器とか言わないであげてください。
「で、私達にも本体の菌糸があって、そこから離れることが出来ないわけ。だから、ここ、キノコの森から出られないのよ」
「なんだか不自由ですね」
「だから人間を呼び寄せるのには色々と限界があるのよ」
僕はふーん、と思った。
そして、すぐにハッと気がつく。このままじゃ食べられるぞ、何を納得しているんだ。
「そんな、人間を食料にするなんて止めてくださいよ。食べるなら、イノシシでも捕って食えばいいでしょう。あいつらなら今増えていますし、ちょうどいいじゃないですか」
「何よ、私達は昔っから人間を食べてきて今の姿を保っているのよ、これは文化なのよ。口出ししないで」
「人間はそこいらの動物よりも知能が高いんですよ、可哀想とか思わないんですか?」
「やたら増えているんだから別にいいでしょうが、むしろ間引きするのを手伝ってやっているんだから、感謝しなさいよ」
「むしろ日本人は減っているんですよ。保護すべきなんです」
「その証拠となるデータはあるわけ?」
言いながら僕は、なんだかどこかで聞いた議論だなぁ……。と、思い始めていた。
「じゃあ、なんとか殺さなくても、生気をもらう手段はないんですか?」
「一応あるにはあるけど、あんまり効果的じゃないのよね」
「どんなんですか?」
「ちょっと、手を出してみて」
そう言って、握手を求めるときのようにフリゴさんは手を差し出してきた。しかし、僕はすぐに手を出すほど、不用心でもないので、躊躇した。
「別に死んだりしないから、安心しなさい」
思い切って手を握る。ひんやりしていて、気持ちのいい弾力だった。しかし、彼女が強く握った瞬間、僕の体から何かが吸い取られたような、おぼろげな感覚を覚えた。
慌てて手を離す。
「なんですか、今のは!?」
「だから、別に害はないから安心しなさい。生気をほんの少し吸っただけよ。献血で少し血をいただくのと一緒」
とりあえず害はないようなので、一安心した。生気を吸い取られたせいか、少しだけ疲労感がある。しかし強く警戒していたから、そのわずかの疲労感にも気づいたのであって、普通に握手しただけなら気づかなかっただろう。この方法で生気を吸い取るのなら、別に問題はないはずだ。
「いまのでもいいんですか?」
「いいえ。今のじゃ全然足りない。この方法で満腹になるまで吸い取るとなると、何百人もの人から吸い取らないと駄目ね。こんな山奥に何百も人を呼ぶなんて現実的じゃないでしょ? 昔は信仰深かったから、できていたけど」
確かに現実的ではないが、人を殺すよりは遥かに穏便だ。僕はこの方法による解決法を突き詰めるべきだと思った。
「何かしらここまで来るだけの魅力があれば、人も呼び寄せられるかも。何か観光名所とかがあれば」
「キノコならいくらでもあるけど……」
「やっぱそれか……」
予想通りの答だった。いくらキノコが取り放題とはいえ、ここまで来てくれる人たちがどれだけいることやら、徒労の報酬に見合うとはとてもじゃないけど思えない。
フリゴさんは可愛いから客寄せには使えそうだが、彼女目当てに来るというのも流石に厳しいか。しかも、ここまで連れてきて握手をさせないとならない、無理にやらせるわけにもいかないし、自然に。
立ち上がって部屋をうろうろと歩きまわっていると、隣の部屋が開けっ放しになっているのに気がついた。覗いてみると、楽器が見える。
「フリゴさん音楽やるんですか?」
「まあね、聞くほうが好きだけど、たまに自分で作曲して弾いたりするわよ、下手の横好きだけど。そこにある楽器は迷いこんできた人間のよ。音楽家を夢見て、挫折して、ここに来たんでしょうね」
僕は部屋の中に入り、転がっていたエレキギターを手にとった。
音楽、音楽ねぇ……何百人も、山の中に集めて……。握手……?
「そうだ!」
僕の中に解決法が閃いた。安心で、安全で、僕も、キノコの娘たちも、皆が幸せになれる、実に合理的で素晴らしいアイデアだ。いや、今の今までこの方法を思い浮かばなかったなんて、なんて馬鹿だったんだろう。僕は、一体何の仕事をしている?
「握手会ですよ、握手会! この森から出られないのなら、ここで、歌って、踊って、CDを出すんですよ! 宣伝して、ファンをここまで連れてきて、ここで握手会をすればいい。フリゴさん綺麗だから、きっと、大勢のファンが来ますよ。アイドルの追っかけなら、ここまで来ます。人気が出れば、何千人でも来ますよ」
「アイドル? 何を馬鹿なことを……そんなの出来るわけないじゃない」
僕は興奮して、言葉を並べ立てる。そのあまりの剣幕に、フリゴさんは引き気味だ。
「でも、フリゴさん音楽好きなんでしょう? だったら、皆の前で歌いたい気持ちだってあるんじゃないですか?」
「私のはただの趣味よ」
フリゴさんは口では否定しつつも、内心まったく興味が無いわけではなさそうだった。当然だ、女の子なら誰だって一度はアイドルに憧れる。キノコの娘だって、例外じゃないはずだ。
「いや、止めてよ。私だって無知じゃないわよ。人間社会の厳しさなら十分知っているわよ、有名なプロデューサーや、スポンサーがいないと、アイドルにはなれないんでしょ?」
僕はそれを聞いて、くっくっと笑う。
「それなら心配ご無用。僕の仕事まだ言っていませんでしたね、実は僕、大手芸能プロダクションで働いているのです」
そう言って、僕は懐から名刺を取り出した。いざという時役にたつから、肌身離さず持っていろ、という先輩の忠告を守っておいてよかった。
「ええ……あんたがプロデュースするの……?」
フリゴさんは露骨に困惑した顔を浮かべた。まあ、僕は青二才だからしょうがないとはいえ、そうもがっかりされると、なんか傷付くな。
「いえ、違いますよ。僕はまだ新人で、プロデュース経験なんてないですからね。するのは、僕の先輩です」
「先輩?」
「はい、ここにはいないから一旦里に降りてから連れてこないと行けないですけど。腕は最高です。何しろ、今、日本で一番売れているアイドルグループ、それをプロデュースしていたのは、うちの会社の先輩なのですから」
先輩はまさに天才と言っていいほどのプロデューサーだ、それは間違いない。自分が受け持ったアイドルは、どんな無能の娘であろうが、必ずトップアイドルになっている。
ただ恐ろしいほどの気分屋で、自分が認めた女の子じゃないと仕事を引き受けない。
先輩の手にかかれば、どんな素人でも金を生む鶏になる。だから、事務所はなんとか先輩に、自分たちの選んだ娘をプロデュースさせようと躍起である。しかし、先輩はたとえ何を言われようが、自分が気に入らなければ仕事を引き受けないので、社長ですら説得は不可能だ。
しかし、その先輩にプロデュースさえしてもらえば、山の奥地に住むキノコの娘だってアイドルになれるはずだ。先輩が推薦すれば、社長だって鶴の一声で宣伝してくれるはず。問題は、先輩をどうやってその気にさせて、連れてくるかだが。
「行かせてください。僕なら先輩を説得できます。秘策があるんですよ!」
「そんなこと言って、逃げる気じゃないの?」
「何いってんですか。これが成功したら、我が社だって得をするんです。キノコの娘のアイドルなんて、宣伝効果抜群ですよ。お互いにとっていい話なんです。どうですか、もしやる気があるなら、僕を里に帰してください。先輩を連れて、必ず戻ってきますから」
「うーん……」
彼女はしばらく悩んでいたが、僕の熱意が通じたらしく、ようやく首を立てに振った。
「分かったわ。面白そうだし、あんたに賭けてみる」
「ありがとうございます。それで、里に戻るには、どうすればいいのですか?」
「ここをまっすぐ進めば、降りられる」
「分かりました! では、また後で!」
僕はいそいそと駆け足で山を降りた。しだいに禍々しい空気は次第に正常に代わり、道に生えているキノコの数も減っていった。やがて、見覚えのある山道に出た。元の世界に戻ってこられたのだ。逸る気持ちで山を降り、僕は自分の車が停まっている駐車場まで一気に駆け下りた。
まずは腹ごしらえだ。コンビニに行って、おでんや弁当を沢山買い込み、車の中で食べ終わると、生き返るようだった。その後、銭湯へ直行した。体についた汚れを落とし、風呂あがりにコーヒー牛乳を一気飲みした。
ふう……。
ざまああああああああああああああああ!! 騙されてやんのおおおおおおおおお!!
先輩を連れて必ず戻ってきますだって? キノコの娘をアイドルにするだって? そんなこと、僕がするわけないだろ。誰があんな危険なところに戻るものか!
いや、僕が有名プロダクションで働いているのも、先輩の存在自体も本当だけど、わざわざそんな面倒事に巻き込まれるつもりなんて毛頭ない。人間の生気を吸い取らないと、死んじゃうだって? 食べるのが神聖な行為なら、食べられないように身を守るのも神聖な行為さ! もう二度とあの森には近づくもんか!
あそこの森には熊が出るとか適当な嘘をついて、人が近づかないように取り計らってもらおう。残念だけど、今回の知恵比べは僕の、いや人間の勝利みたいだ。ま、キノコ風情が、人間様の上手をいこうなんて、百年早い。
僕は上機嫌で脱衣所に戻って服を着ようとした。
すると、上着の隙間から何かが落ちた。拾ってみると、それは文章が書かれたメモだった。いつの間にか、差し込まれたものらしい。
「なんだ、これ?」
僕はそこに書かれていた、日本語の文字を読んだ。
『私はあなたを信じているけど、万が一逃げたとキノコとを考えて、あなたの体内に殺人胞子を忍ばせておきました。もし、”キノコの森”に戻ってこなかった場合、その胞子はあなたの体を蝕み、まあ、殺しちゃうんだけど。ちゃんと戻ってくるなら、取り除いてあげるから、安心してね。 フリゴ』
「……」
すいません、人類の皆様。キノコの娘のほうが、一枚上手だったみたいです。