凶報 2
最初、何を言われたかよく理解できなかった。
皆呆然として、言葉にならない。
「え……でも、どうして」
「そんな」
ベルシュ村が、ブリガール男爵に襲われた?
なぜだ?
何が起こった?
村の者がほとんど殺された?
両親と弟の顔が浮かんだ。
あり得ない。そんなこと信じられない。
「本当なんですか」
そんなこと訊いても意味がない、のはわかってる。こうしてセヴィルとフルネが目の前にいるじゃないか。エリスタールから逃げて来た、セヴィルとフルネが。でも……。
「商人ギルドで聞いた話じゃ、辺境伯がブリガールに要請、というか命令をだしたらしい」
「は? ベルシュ村を襲え、とですか?」
「まぁ、待て、坊主。とにかくここに座って。疲れたでしょう、フルネさん」
ゴルンが遮ってきた。年の功か場を落ち着かせようと、フルネとセヴィルを荷車の荷台に座らせようと導く。
「ちょっと、そこで止まるのやめてくれないかな。俺たちを先に行かせてくれないか」
後ろに並んでいた商人が荷車の御者台から降りてきて声をかけてきた。
イシュルたちは荷車を街道の道端に寄せた。傍らを後ろにいた荷車の車列がゆっくりと進んでいく。
セヴィルは荷台には座らず、ため息をひとつ吐くと、表情を再び引き締め話を始めた。フルネは荷車に力なく座り、俯いている。
「イマルは聞いたことがあると思うが、イシュルは知っているかな? 森の魔女が数年前に火事で死んだろう? その時、森の魔女が持っていたとされる風の魔法具も燃えてしまった。その時のベルシュ家の報告を男爵や辺境伯は一応受け入れたものの、そのベルシュ家が実は風の魔法具を隠し持っているのではないかと、ずっと疑念を持っていたらしい」
「森の魔女ですか…それがどうして」とイマル。顔が真っ青だ。
イシュルは唾を飲み込んだ。
風の魔法具!!
何を今さら。
「今、辺境伯は大きな苦境に立たされている。みんなもう耳にしていると思うが、赤帝龍がクシム銀山を襲った。この先、辺境伯領だけでなく王国全体にも悪影響を及ぼしかねない重大事だ。辺境伯は賞金稼ぎやハンターを集めギルドに投入し、傭兵を集め領民から兵を募り、もちろん現地に討伐部隊を派遣しているが、その程度では赤帝龍を倒すどころか撃退もできないだろう。王家や近隣の有力領主たちに魔法使いの派遣を要請しているらしいが、もし王国や周辺国の魔法使いが集まったとしても、赤帝龍が相手では無理だ」
イマルが革袋の水筒をセヴィルに渡した。
「ありがとう」
セヴィルは一口水を飲むと話を続けた。
「レーヴェルトは藁にもすがりたい状態だ。だから万が一の望みをかけて、ブリガールに風の魔法具がベルシュ家にあるか再確認させたんだ。風の魔法具を持っていた若い頃のレーネの強さは伝説になる程だったからな」
「イヴェダの剣、か。俺も聞いたことがある」
ゴルンが呟く。
レーヴェルトは当代の辺境伯の名前、イヴェダとは風の神の名である。「イヴェダの剣」とははじめて聞く名だが、当時のレーネ自身か、彼女の持っていた魔法具の通り名、ふたつ名の類いだろう。
「ブリガールも馬鹿じゃない、最初からいきなりベルシュ家や村を襲ったりなんかしないだろう。かなり強面でいっただろうが。エリスタールの商人ギルドではブリガールとベルシュ家で交渉してるときに何かあったんじゃないかと言っていた。俺も話を聞いてすぐに逃げ出したからな。あの時点ではまだ詳しい情報はギルドにも入っていなかった」
セヴィルは北の空の方を見た。
「……と、以上が商人ギルドで事情通や頭の切れる連中が話していたことだ。もちろん俺の見立てもはいっている。まだ不確かではっきりしないことも多いが。それで、エリスタールではベルシュ村出身の者は捕らえられ城に連れていかれて、風の魔法具のありかを知らないか尋問される、って噂が流れてな。俺は眉唾だとも思ったんだが、ギルドの連中からは逃げた方が良いと勧められたわけだ」
セヴィルはイマルとイシュルを見て言った。
「おまえたちも親や親戚のことが気になるだろうが、今エリスタールやベルシュ村へ行くのは危険だ。俺はフルネの実家にしばらく身を寄せようと思ってな。運良くおまえたちとも会えたし、詳しい情報が入ってくるまで、しばらくいっしょにフロンテーラで身を潜めていよう。フロンテーラは王領だ。俺たちがベルシュ村の出身だからといって、いきなり捕われたりしない。俺たちの出身を知っている者だってほとんどいないし、もちろん男爵家も王領には手がだせない」
喉がからからに乾く。冷や汗が背中を伝う。
イシュルは両手を握りしめた。
俺の、この風の魔法具が、俺のせいで……いや、違う。そうじゃない。なぜ村人が、エルスやルーシが、ルセルが、俺の親や弟が殺されなければならない。
レーネが、俺が、赤帝龍が、辺境伯が、そしてブリガールが。
「イマル、イシュル、いいな?私といっしょにフロンテーラに行こう。まだ、おまえたちの家族が殺されたと決まったわけじゃない。短慮はだめだぞ」
セヴィルの言うことは正しい。至極まっとうな考えだ。だがそうはいかない。
俺も当事者なのだ。もしブリガールが一方的に村を滅ぼしたのなら、なんの関係もない家族や村の者を殺したなら……、そんなことは絶対に許されない。
「セブィルさん、申し訳ありませんが、ぼくは行きます。ベルシュ村に」
セヴィルが厳しい目を向けてくる。
「いかん。危険だ」
「大丈夫です。危険なことはしませんよ。村の様子を見て来るだけです」
笑みを浮かべたつもりだが、おそらくうまくいっていないだろう。
「イシュル、危ないよ。一旦フロンテーラに行こう。近いうちにかならず、村に行ける時がくるよ。ね?」
イマルが引きつった笑みを浮かべて言ってくる。彼も父のポーロのことが心配だろうに。
「行ってはだめよ。今は我慢して。またいつかエリスタールにも戻れるわ」
俯いていたフルネも顔を上げて言ってくる。
「赤帝龍がどう動くか知らんが、どうせブリガールはおしまいだ。自領の村を皆殺しなんて、命を出した辺境伯でも庇いきれん。王家はいずれ厳罰を下すと思う。どうせ俺たちでは何もできないんだぞ」
確かにセヴィルの言うとおり、今辺境伯領で起きている騒動が落ち着けば、ブリガールが王家に処断される可能性はあるだろう。
だが、とにかく今は家族の安否を知りたい。ベルシュ村だって広い。男爵家がどれだけの兵力を動員したか知らないが、村人全員を殺すなんてそう簡単にできることではないだろう。もしかしたら、両親や弟もうまく森の方に逃げたり、セウタ村の親戚の家に匿われている可能性だってある。
ブリガールのことは後だ。あいつを破滅させることなんて簡単だ。自分にはそれをやれる力がある。今はとにかく家族がどうなったか、村の連中、顔見知りのメリリャやイザークたちがどうなったか、今、村がどんなことになっているのか、現地に行かなければならない。
「ぼくは行きます。大丈夫、心配しないで」
セヴィルやフルネの顔に苦悩の色が濃くなる。イマルは泣きそうだ。
このひとたちに心配をかけて、さらに心の重荷を背負わせることになるのだ。
でも行かなきゃならない。俺が風の魔法具を持っているのだから。
「確かに、誰かが現地に行って、しっかり様子を見てくることも大事だ。それができる者がいるのならな」
ゴルンが助け舟を出してくれた。
「坊主なら大丈夫さ。俺より強いくらいだし、おまえは目端がきく。男爵家がどう動くか、領主とはどういうものか、まだガキのくせによくわかってる」
「……」
セヴィルが腕を組んだ。
「イマルさん、ポーロさんの消息も調べてきます。ポーロさんは腕利きの猟師だから、森に逃げこめば男爵の追手なんていくらでもかわせると思う。セヴィルさんの親戚も調べてきますよ。村の南の方に住んでましたよね?」
「あ、ああ。俺の方は年取った兄がいるだけだが…」
そこでずっと黙っていたビジェクが、覆いかぶさるようにして近づき、小声で言ってきた。
「一族の者、村の者の無念を晴らすのは生き残った男の務めだ。それは村の掟だぞ」
「ビジェクさん…」
ビジェクが見つめてくる。あくまで真摯な目だ。
ビジェクは北の森の村の出身だ。それは彼の部族の掟なのだろう。しかし王国をはじめ大陸にも似たような考えや習俗はある。
敵討ちや決闘などに関しては神殿に届け出て、月の女神レーリアに誓願を立てることがある。レーリアは夜と冥界、運命を司る神である。呪いをかけるなら、邪神や悪しき魔を統べる神バルタルに贄を捧げるのだ。
周りには仕方がないか、という空気も流れはじめている。ゴルンは聞こえたのか顔をしかめているが、ビジェクの言は他の者には聞こえなかったようだ。
このまま押し切ってしまおう。
イシュルは自分が一部分けて持っていた、フロンテーラで使う予定だった商会の資金をイマルにわたした。
「路銀はたくさん持って来てます。ベルシュ村には気をつけて向かいますから」
背中に背負っていた剣を腰に差し、荷台から、干し肉や塩を少しもらい、布袋につめてかわりに背中に背負う。セヴィルらの気持ちが揺らいでいる間にてきぱきと仕度をすませてしまう。
「村を見てきたら、ぼくもかならずフロンテーラに行きますから」
イシュルは精一杯の笑顔をつくった。
「気をつけるんだぞ」
ゴルンが後押しするように言ってくれた。
セヴィルもイマルも、フルネも不安そうだ。だが、もうイシュルを制止するようなことは言わなかった。
「気をつけて、無理をしちゃ駄目だよ。ぼくの父さんのことは気にしなくていいから」と、イマル。
セヴィルは懐から金の入った小袋を取り出し、イシュルに渡した。
「持っていなさい。つかまっても男爵家の小者くらいなら買収が効く筈だ」
イシュルはフルネをそっと抱きしめると、皆に「すぐ戻って来ます」と最後にひと言挨拶し、間をおかずにみなに背を向け、急ぎ北へ歩きだした。ベルシュ村をめざして。
イシュルはひとり、街道をこれまでとは逆に北に向かって歩きはじめた、のだが、今は前方より背後の動きにひとつ気になることがあった。
イシュルが一行と別れる間際、道からはずれ言い合いになっていたのを不審に思ったのか、前方にいた魔法使いの女の子がこちらを見ていたのだった。後ろにいるお付きの男もこちらを見ていた。
イシュルが背を向けて歩きはじめるのとほぼ同じタイミングで、彼女らがこちらに歩きはじめた。彼女は間違いなくセヴィルらに声をかけるだろう。彼女らがベルシュ村の件をもう知っているか、まだ知らないのかそれはわからないが、いずれにしろセヴィルらから詳しく話を聞き出すだろう。
彼女は彼らと分かれて北に向かったイシュルのことも訊くかもしれない。
あの魔法使いに目をつけられるかもしれない。それも王国の宮廷魔導師に。
だが、それにかまっている余裕はない。今はそれどころじゃない。
とにかくベルシュ村へ行かなければならない。
両親や弟の無事をただひたすら祈るしかない。
街道をしばらく歩くと渋滞していた荷車も少なくなり、前方、左側にも木々が増えはじめる。このまま進むと道は両側を雑木林に囲まれ、やがて長らく閉鎖され待ちぼうけをくらった橋のたもとに出る。
左手の草原にも前方から木々の繁りがせまって来、人の少なくなった夕方の街道は寂しい。
木々の向こうから野鳥の鳴く声が聞こえてくる。目を向けると、まるで計ったように鳥の群れが木々の影から飛び立った。
夜になり、人の往来がなくなったら魔法でアシストをつけて明け方まで走り続けよう。
じりじりと焦る心を押さえつけ、俯き加減に歩いていると、後ろから馬蹄の音が迫ってくる。一頭の馬にふたり乗り、振り向かなくてもわかる。
おそらく宮廷魔導師とお付きの男が追ってきている。あっと言う間にその馬はイシュルに追いつき追い越すと、思いっきり手綱を引かれ、派手にいななき前足を上げてとまった。馬首をこちらに向けてくる。
魔法使いの女の子が杖を持ったまま馬に乗っていた。うしろに手綱を持ったお付きの男。
「降ろして」
魔法使いの女の子が男に命令すると男は無言で馬から降り、女の子を降ろした。
彼女はぼんやりとイシュルを見ている。そのまま後ろに立つ男に杖を振り上げた。
男は一礼するとひとり馬に乗り、イシュルに目もくれず去っていた。
彼女はとことことイシュルに近づいてくると、懐からナイフを取り出してイシュルに差し出してきた。
昨晩、イシュルが火龍に投げたナイフだ。
「あの時はありがとう。助かった」
やはり顔を見られていたのか。
だがしかし…どう対応すればいいんだ?
まさかこちらから、はい、昨日火龍にナイフを投げたのは私です、などとは言えない。
「……」
イシュルが黙っていると、ちゃんと柄の方を向けてナイフをぐいぐい押し付けてくる。
イシュルが仕方なく受け取ると微笑みを浮かべた。
「わたしはしばらくフロンテーラにいる」
彼女はさらに近づいてくるとイシュルを見上げ、
「イシュルは大事な用事がある。それをすましたらわたしに会いに来てほしい」
と言った。
馴れ馴れしいというか何か変だ、この子は。
少し鼻にかかったような、しかもちょっとダミ声のような。なんというかちょっと残念感が漂う。なかなか憎めない感じなのだが、セブィルたちから聞いたのだろう、ちゃっかり名前を憶えられてしまっている。
そして自分の向かう先も。しっかりこちらの事情を把握している。
「こちらも大事な用事」
彼女は今ひとつよくわからない事を言って、数歩後ろに下がると片手を上げ、かるくふりふりすると背を向け去って行った。
いったいなんだったんだ。何が言いたい?
それと、あんた名前は? 宮廷魔導師でいいのか?
イシュルが呆然とその場に佇んでいると、
彼女が振り向いて言った。
「待ってるから。イシュル、がんばれ」