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フロンテーラへ 1

 いよいよフロンテーラへ向かう日が来た。

 早朝、商会の前に荷馬車を出し、イマルと積み荷をまとめているといつもの大きな両手剣を背負ったゴルンともうひとり、大きな弓を背負った男が、商会前の通りを北の方からやって来た。長槍を持った男とともに弓を装備した小柄な男が、ゴルンといっしょによくベルシュ村に護衛に来ていた。彼がその男だろう。小柄で、小さな整った顔、ゴルンよりひとまわりは若く、二十代半ばほどだろうか。目が会うと「よろしく」とだけ言ってあとは無表情にその場に佇んでいる。

「ああ、悪いな。こいつは愛想がなくてな、無口なやつなんだ。ビジェクって言うんだ。ベルシュ村にもよく来ていたから、おまえも憶えてるだろう? 北の森の村の出身でな」

 と、ゴルンがにこにこしながら言ってきた。

 北の森、というのはエリスタールの北、沼や湿地帯をはさんで奥深く広がる針葉樹林の森のことだ。北の森では気候や土壌が麦の栽培に適さず、狩猟や林業が中心で、それほど多くの人は住んでいない。ラディス王国は自国領としているが、王国の人々の間では別の種族、民族と見られていた。

 あらためてビジェクに目をやると、すがすがしい朝日の中、彼は微かに笑みを浮かべ頷いた。


 フロンテーラに輸送する売り物は実はあまり多くない。エリスタールの産物でフロンテーラに持って行って売れるものがないのだ。エリスタールは麦の生産が主でこれといった特産物がない。北の森林地帯から持ち込まれる魚の干物や、緑柱石、つまりエメラルドやヘリオドールなどの原石か半加工品などがフロンテーラでは希少品扱いで高値になる。

 イマルと積み荷をまとめていたのも、ほとんどは片道で半月以上かかる旅路に備えたものである。縄や布、布袋、水や油、塩を入れた大小の素焼きの壷や樽、酒樽。コロとして使う丸太、鋤、鍬や予備の馬具もある。そして革袋に入れられた鱒に似た川魚の乾物が数袋。これにゴルンとビジェクの持ち込んだ荷物が加わる。

 北部より輸入される鱒?の川魚の乾物は見た目が鰹節のようで、相当乾燥、加工された物だ。フロンテーラでは適当な大きさに割り、水か酒に漬けてある程度戻し、漬け汁も使って他の具材を加えスープにして食す。半ば珍味扱いで高級食材としての需要があった。やはりなのか、酒の肴として酒席や飲み屋で出されることが多いようだ。

 もちろん緑柱石も持っていくが、これらは香辛料(香辛料はこの地方ではそれほど高価ではない)や、軟膏など薬を入れた革袋らと、同様の物として革袋に入れて、筆記具や少量の紙を納めた木箱といっしょにまとめてある。それほどの貴重品ではない、と一応は偽装していることになる。

 金はイマルとイシュルで分担して所持している。火打石を入れた革袋、仔牛の胃袋でできた水筒などといっしょに、ジャラジャラと貨幣の当たる音がしないように中に布切れをかませ、他と同じような革袋に入れて腰のベルトに吊るしていた。

「お早う。準備はできたかい」

 セヴィルが商会から出て来る。

「セブィルさん。お早うございます」

 あのゴルンが腰を低くして挨拶している。彼にとってセブィルは重要な顧客なのだろう。往復一ヶ月以上の長期の護衛だ。報酬は相当な額になるだろう。

 エリスタールへの帰り道は荷物が増えるとはいえ、荷馬車一台、高級酒や黒糖など高額商品が主な荷物で、それほどかさばるわけではない。以前のように魔獣が出なければ、盗賊、野盗にさえ気をつけていれば良かった。そしてフロンテーラ街道は王国の主要な街道のひとつで、沿道で干ばつでも起きなければ通常は治安が良い。

 ゴルンら傭兵、用心棒にとってはエリスタールでは最も実入りの良い仕事だろう。

「ホッポの件はすいません。今は俺らも忙しくて。あいつは今別の仕事してまして」

 ホッポとは誰だろうか。よく村に来ていた長槍を持っていた用心棒だろうか。

「仕方がないさ。それに」

 セヴィルがイシュルの方を見ると、ゴルンがすかさず、

「へえ。商会の坊ちゃんはなかなかの遣い手でさぁ。騎士団の見習いなんかよりぜんぜん強いですよ。なぁ、坊主」

「はぁ…」

 前にギルドで対戦したことがセヴィルにも伝わっていたらしい。

 もちろんイシュルは背中に両手剣を背負っていた。ただナイフは腰に差しているものの鎧、防具の類いは一切なし、夏用の薄い布地のマントを羽織り、つば無し帽をかぶって、一般的な商人の服装に両手剣を背負っているのだから、ちょっとちぐはぐな外見だった。


 セヴィルとフルネに見送られ、イシュルたちは商会を出発した。イマルが御者を務め、他の者は徒歩だ。

「イシュル、街を出たら御者の練習をしようね」

 イマルがにこにこと語りかけてくるが、言葉の端々に微妙に棘がある。

 先月のエレナを救出した事件以降、イマルの態度が冷たい気がする。その時知ったシエラとの関係を邪推しているのか、何か冷たい気がする。

 そのシエラはあの救出劇で得た大金で、いよいよ来年か遅くとも再来年あたりには王都へ行くと言っていた。彼女には歳の離れた弟がいる。彼女もまた婿を迎えるなどして無理に家を継ぐ必要はない。これからいろいろ策を弄し親に彼女の王都行きを認めさせるのだろう。

 そしてイシュルのことだが、彼は早くから村を出たのでまともな御者の経験がほとんどない。ベルシュ家で何度か遊び半分で練習したくらいで、乗馬も下手である。荷馬車を曳く馬は充分に慣れた馬だが、イシュルはこの旅行で商人としてしっかり御者の練習と荷馬車の取り扱い覚えなければならなかった。


 エリスタールの市街地からそのままフロンテーラ街道を南下する。フロンテーラまではほぼ一本道である。エリスタールの郊外、南部は数件から十軒ほどの民家が固まる小集落が点在し、遠方に森らしきものが見えるだけでひたすら畑や牧草地が続く。夏の麦畑は黄緑から黄色へと穂の色が変わりつつある時期で、目にやさしく心を和ませてくれる。日差しも汗をかくほどではなく、日中の徒歩も苦痛を感じない。旅情をひき立てられるというよりは今はまだ散歩をしている気分だった。

 エレナの救出劇の後、数年間は遊んで暮らせるほどの大金を得た。今まで貯めていた給金も合わせると相当な額になる。その時点で商会を辞め、かねてからの目標である魔術書探しか、ハンターとして辺境伯領の東部や、聖王国の東部の山岳地帯に行くこともできたのだが、さすがに商会に勤めて一年も経たずに辞めました、では村の両親も心配するだろうし、口を効いてくれたファーロの面目は丸潰れである。それに今回のフロンテーラへの買付けは初めての長旅でいい経験になるし、フロンテーラの街を見、書店を探すことはもちろん、本店に行ってエリスタールにもないような大店の商いを見ておくのもいい体験になる。まだ自分は数えで十四、十五になるまであと少し、それまでは商会で働かせてもらおうと考えている。

 そして商会を辞めた後どうするか、今はちょっと迷っていて、考えがまだしっかりとはまとまっていない。

 とりえず今は、辺境伯領の東部や、聖王国の東部の山岳地帯に行き魔獣狩りをするよりも、魔術書を先に入手する方が重要なのではないかと思っている。風の系統の魔術書を入手し、呪文を覚えるなりしなければ、おそらくこの身に宿る風の魔法具の力を出し切れない。その魔術書も、王都よりもオルスト聖王国の都、聖都エストフォルに行けば、比較的容易に入手できるのではないかと考えている。エストフォルには聖堂教会の総本山があり、魔術を教えているかはわからないが、神学校のような神官の教育機関があると聞いている。学校があり、学生がいるのなら書店や図書館なども市中に存在する可能性は高い。


 魔術書を入手し独学で覚えるよりも、なんとか縁故をつくって魔法使いの弟子になるのが一番の早道なのはわかるのだが、かつて魔法具を身に宿していると疑われて、レーネに殺されそうになったのだ。

 弟子が風の神イヴェダ直伝、かもしれない最高位の魔法具を身に宿している、その弟子を殺せばその魔法具が手に入ることを知ったら、知っていたらその魔法使いの師匠はどうするだろうか? 魔法具を身に宿している者を殺せばその魔法具が手に入る、ということは誰にも、魔法使いらにもほとんど知られていない、というようなことをかつてファーロが言っていたが、当然そのファーロの言で安心するわけにはいかない。また、魔法具の存在をかくして弟子入りするわけにもいかないだろう。何かで偽装しても相手は専門家だ。すぐにバレるだろう。

 魔法使いの弟子になるのは自分にとっては危険すぎることなのだ。有力なコネもない。だからとにかく魔術書を手に入れ、書物をもとに学んでいかなければならない。

 レーネに関してはまず辺境伯という有力者の口利きがあり、そして風の神の神殿跡から入手したという特殊な事情があったとは言え、彼女が弟子入りした頃はまだ、彼女の身に宿した魔法具のことも風属性の強力なものだろう、という程度のことしか知られていなかったのではないか。少なくとも彼女を殺せばその風の魔法具を奪える、などということを知る者はいなかったろう。彼女はいろいろと幸運に恵まれていたのだ。

 風の魔術書を手に入れ、呪文や、より良い魔法具の使い方があるのならそれを学び、それから東方の山岳部にいって実力試し、魔獣退治などの冒険にいそしむ、というのが筋の通った目標なのだろうが、そうと決められないことが辺境伯領で起こっている。

 それは辺境伯領で赤帝龍が現れた件だ。以前に出てきたのは二百年前。なぜ今再び現れたのかその理由はわからない。物見遊山ではないが、今赤帝龍を見ておかなければ、次に見ることはもうできないのではないか。地元に住む人々にはお気の毒としか言いようがないが、これを見逃す手はない。今戦っても勝てる見込みはないだろうが、もし勝てる、逃げ切れる可能性があるのなら、一度勝負してみるのもあり、かもしれない……。

 辺境伯領で赤帝龍をちら見して聖都に魔術書探しに行く、という案も考えられる。だが、現地に行ったら、そのままずるずると長い間魔獣狩りを続けてしまうようなことにならないだろうか。

 これから、どうしたらいいだろうか。どの道を行くのが正しいのか、どれが自分の一番やりたいことなのか、今はまだはっきり決めることができない。

 もう少しで十四歳、数えで十五になるのだが、商会をその時点で辞めさせてもらうとしてその時までにどうするか、先のことを考えておかねばならない。


 途中イマルに御者の手ほどきを受け、夕方には男爵領最南端の村、ファッビオに到着、村の宿屋に宿泊、翌日にはオーヴェ伯爵領に入った。

 ラディス王国は一部都市貴族の存在はあるが、基本的には封建体制の国家である。各々の領主はその領地の自治権を持っていて、領主によっては領境に関所などを置いている場合もあるが、フロンテーラ街道沿いの領主で関所を置いている者はいない。いくつかの小領主の村で若干の通行税を取るところがあるくらいだ。フロンテーラは王領である。物流都市としてのフロンテーラの繁栄のため、フロンテーラに接続する街道に領地を持つ諸候が、厳しい関税をかけることを王国が嫌っているのは確かなことである。


 何事もなくオーヴェ伯爵領に入って三日目、途中村の宿屋に一泊、この旅初めて野宿で一泊、オーヴェ伯爵領の居城のあるオーフスに向かう途中、イシュル達は緩やかな丘陵の登りにさしかかった。

 道の先に、早めに収穫したのか刈った麦の束をいくつか載せた荷馬車がいる。近隣の農家のものだろう。荷台にこちらを向いて男の子がひとり座っていた。子どもは草笛を吹いている。イシュルたちが追いついてくると男の子は草笛を吹くのをやめ、一番前を歩いていたイシュルに話しかけてきた。

「あんちゃんたち、どこから来たの」

「エリスタールからだ」

「ふーん」

 子どもはエリスタールを知っているのかどうか、興味なさそうに返事を返してきた。

「どこに行くの?」

「フロンテーラ」

「へぇー」

 男の子は今度は眸を輝かせて言った。

 それから子どもはまた草笛を吹き始めた。

 前の素朴な感じの曲とはちょっと違う、流麗な、少し洗練された感じの曲だ。

 陽が微かに傾き始めた青く冴えた空を、小さな草の音がなぜか空高く響いた。

 前後に並んで道を行く二台の荷馬車がちょうど丘陵の頂上にさしかかった頃、子どもは草笛を吹くのをやめ、

「この曲はフロンテーラで大昔に流行っていたんだって」 

 と言って微笑んだ。




「どうだ凄いだろう」

 ゴルンが自慢げに話しかけてきた。

「イシュルははじめてだったね。この景色」と、イマル。

 今、イシュルら一行は丘陵の頂上部にいる。彼らの行く手には、壮大な風景が広がっていた。

 目の前に見渡す限りの広大な平原が広がっていた。この街道の先、この丘より高いところはないようだ。

 濃い緑の帯は森、黄色い帯は麦畑、陽の光を反射させて輝いている銀色の線は河川だろう。平原の中央に見える白と明るいグレーの複雑な輪郭の固まりはオーヴェ伯爵の居城があるオーフスだろう。その先にも点々と集落らしきものが見える。

 そして様々な緑の織りなす彼方の地平線は青く白く霞み、靄の中に消えている。あの青く白く霞むあたりにおそらくフロンテーラがあるのだろう。

 地は広く、空は高い。丘の下から柔らかい風が吹き上がってくる。

 丘の上に佇むイシュル達をおいて、子どもを乗せた荷車がその平原の中を降りて行く。

 子どもの吹く草笛の音が、かすかにイシュルの耳許まで聞こえてきた。


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