男爵の凱旋
ツアフは女に化け、ギルドの仕事の副業として夜は歓楽街で情報屋をやっていたのだった。
考えてみれば傭兵ギルド、実質何でも屋をやっているのなら、これ以上はない副業といえるかもしれない。何でも屋のギルド長ならいろんな情報が入ってくるだろうし、いろんな情報が欲しいだろう。
「坊やはどちら? 情報を売ってくれるの? 買ってくれるの?」
フードに半ば隠れたツアフの気味の悪い顔を見つめ、どう答えるか考えてみる。
今、特にこれといって知りたい情報はない、というよりこいつに聞ける、聞いて簡単に教えてもらえるような事はない。
おまえの持っている魔法具は何だ?なんてまさか聞ける筈もないし、いきなり風の魔法の呪文を教えろ、とか聞いてもこいつには答えられないだろう。
レーネのように魔法使いの弟子にでもならなければ、あるいは魔術書を手に入れなければ呪文は憶えられないだろう、ということはわかっている。
それとも魔術書の入手法とかなら知っているか?
でもそれを聞くということは、私は魔法具を持っています、と間接的にツアフに教えることにならないだろうか? とにかく何かと勘ぐられることにはなるだろう。そういうことはなるべく避けたい。
「特にない、が」
ただ、どういう情報がどれくらいの値段で取引されているのか、相場みたいなものは知っておきたい。
「こういう情報ならいくらだとか、値段が知りたい」
「そうねぇ」
ツアフ、情報屋は顔を俯ける。
「例えば街の噂、程度の情報だったら百シール(百銅貨・一銀貨)、くらいね」
高いな。
「そうねぇ。例えば、男爵領の去年の麦の収税量が知りたいとかだと二百シールね」
「高いな。そんなこと、この街の商人ギルドなら把握してるだろう」
「そうね。高いと思うならあきらめてもらうしかないわ。他で調べればわかることならそこで調べればいい。でも調べられない者には、どうしても知りたい者ならそれでも払う人はいるわ」
まぁ、そういうことはあるだろう。
「こちらで情報を売るときはどうする?」
「どんな情報か、さわりをかんたんに教えて頂戴。そうしたらこちらで値をつけるわ。もちろん、あたしがすでに知ってることならお金は出せないわ」
「こちらから売るときの相場も知りたいな。また例を出して説明してくれよ」
「そうねぇ。例えば男爵に四人目の愛人がいたとして、その愛人の名前とか」
「それだといくらになる?」
「五十シールね。ただその女がどこに住んでいるのか、男爵が週に何回、いつ通っているのか、と教えてくれるのなら金額は少しずつ上がっていくわ」
「案外安いもんだな」
男爵の愛人に関する情報、確かにそれは街の噂話のネタそのもの、と言えないこともない。
「ただし」
目の前の中年女がほくそ笑む。
ちらっと目が見えた。
「もし仮にその時、男爵家で正夫人が急死した、なんてことが起きていたら、その値段は何倍にも跳ね上がるわ」
その眸は昼間のギルド長のものではなかった。何か得体の知れない、狂気の色があった。
その日、イシュルは商会の店舗で帳簿をつけていた。
店舗とはいっても、近所の者に小売りする油や酒の壷がいくつかと、打ち合わせ用の机や椅子などがあるだけの、とてもお店とは呼べない殺風景な場所だったが。
イシュルは前月の売上金額の確認をしていた。帳簿の横に石盤を置き、そこに桁数の多い計算を書き込んでいく。間違いがあれば帳簿を訂正し、正しければ石盤を布で拭いて前の計算を消し、次の計算をはじめる。
先週からセヴィルはフロンテーラの本店へ黒糖や樽酒、少量の油や塩などの買付に行っている。フロンテーラまでは往復するとひと月近くかかる。その間はイシュルとイマルで商会を切り盛りしていた。
スリの子どもを追いかけて貧民窟の神殿で美しい女神官に出会い、その後歓楽街で情報屋、ツアフの化けた不気味な中年女に出会ったあの日以降、特に変わったこともなくのんびりした日々が続いている。
もちろんあの後、シエラには財布をすられた後の顛末をしっかり説明した。十五の日の大市を途中までしかいっしょに見てまわれなかったことを、彼自身の責任ではないのにもかかわらず彼女にきちんと謝罪した。
シエラは財布を取り返したことについては素直に喜んでくれたものの、髪飾りだか指輪だかを買ってもらえなかったせいか、ちょっと不機嫌な感じだったが。
欠伸をかみ殺し、計算を続けていると、店の扉を叩く者がいる。扉を開けると子どもがひとり立っていた。
子どもは巻物の束を差し出した。巻物を受け取ると、今度は右の掌を出してくる。
イシュルは子どもに銅貨を数枚握らせた。子どもは何もいわずに去っていった。
巻物はセヴィルやイマル、そしてイシュル宛の手紙だった。
子どもはベルシュ村へ行った行商にでもお使いをたのまれて、手紙を届けてきたのだろう。
イシュル宛の手紙は二通あった。ひとつはエルス、つまり家族からの手紙、もうひとつはファーロからのものだった。
エルスからの手紙は筆跡を見るにルセルが書いたようだ。なかなか上達している。思わず微笑んでしまう。読むとみな変わりなく元気なようだ。ファーロからの手紙は商会をしっかり勤めよ、という小言と、今さらながら村を出た時に魔獣、大牙熊と遭遇した時のことを詳しく知らせろと書いてあった。
そんなこと、同行したエルスやポーロ、他の村人たちからすでに詳しく聞いているだろうに、と思ったが、ファーロはそれとは別に自分の見立てを聞きたいのかもしれない。魔法を使ったことはもちろん書けないので、どう書くかちょっと考慮する必要があるかもしれない。
ファーロへの返書は後にし、家族に宛てた手紙を先に書いていると、今度はノックもなしに店の扉が勢いよく開けられた。
「イシュル!」
イマルが商人ギルドから帰ってきた。定例の会合があり、セヴィルの代わりに行っていたのだ。走ってきたのか、はぁはぁ、と肩で息をしている。
「どうしたんですか。慌てて」
「男爵と騎士団の凱旋だよ」
「凱旋?」
「十日ほど前から領内で魔獣狩りをやっていたらしい。あれは狩った魔獣のお披露目行進だね。中通りでやってるよ。城前広場に向かってる。帳簿はぼくの方でみておくから、見にいっておいでよ」
中通りとは、城前の広場から南に伸びているエリスタールの目抜き通りのひとつだ。
男爵と騎士団の凱旋パレードといってもたいしたことはないだろう、とは思ったがイマルが急いで走ってまでして知らせてくれたのだ。一応見に行くことにする。
イマルに礼を言い、広場の方へ出かけることにした。
広場は市に加え、男爵騎士団の凱旋パレードを見に来た人で混雑していた。広場の中央から城門前の階段のあたりを、男爵家や騎士団の従僕らが見物人を押し退け、凱旋行進のスペースをつくっている。
中通りの方から歓声が聞こえてきている。凱旋パレードの行列が近くまで来ているようだ。
中通りに近い方で見よう、と広場の端をまわって歩いていると、イシュルは後ろから肩を叩かれた。人ごみではイシュルの感知能力はほとんど意味をなさない。振り返るとシエラがいた。ちょうどシエラの家がやっている宿屋の前だった。
「いっしょに見よ」
シエラと連れ立って見物人の列に割り込む。ほどなく男爵家の行列が見えてきた。見物人の歓声が大きくなる。
先頭は先触れの騎馬、次に男爵家の旗持ち、騎士団長を先頭にした重装騎兵が七騎、甲冑はピカピカに磨かれている。騎士団長は緋色の羽の飾りのついた兜を小脇にかかえ、顔を見せていた。よく手入れされた口髭を生やした嫌みな感じの中年の男だった。
そして木の棒に両足を縛って吊るされた赤目狼が続いて来る。前後四人の従者が棒を担いでいた。赤目狼は鉄の口枷を嵌められていた。だいぶ弱っているようだがまだ生きているのだ。赤目狼はここら辺の森や山にも時たま出没する、よく知られた魔獣である。疾き風の魔法と呼ばれる、おそらく加速か脚力アップの身体強化系の魔法を使う。普通の狼より大型で当然早く動き、強い。陽光に銀色の体毛が美しく輝いている。取って付けたような赤色の目の違和感が凄い。
「わざわざ生け捕りにしたんだ。大変だったろうね」
「ああ」
頷く間もなく、大きな濃い灰色の毛皮を広げて飾った荷車がひとに引かれて通っていく。毛皮の大きさが半端じゃない。あの毛皮は大牙熊のものだろう。
「あれ何?」
「おそらく大牙熊だな」
「ああ、イシュルがエリスタールに来る時襲われたっていう」
「そう」
シエラの反応が薄い。いくら大きくても毛皮では実感が持てないのかもしれない。
次には赤目狼の毛皮を積み上げた荷車が続き、竜騎兵に囲まれた男爵本人が現れた。美しい栗毛の馬にピカピカの鎧、濃いグリーンのマント、あの短躯の男爵でもなかなか立派に見える。両脇に並ぶ見物人に時折手を振り笑顔を見せ、愛想をふりまいていた。
最初に重騎兵を並べ男爵家の武威を、次に狩りの獲物を見せその成果を、そして男爵本人のご登場、というわけだ。
男爵の後には数十名の槍、弓兵が続く。
「嫌なやつ」
シエラが小声で呟く。もちろん男爵のことを言っているのだろう。
「ふふ。そうだな」
ブルガールは周辺で魔獣の出没が増えていることを理由に、領地の北に住む小部族に横流ししていた麦の値段を最近つり上げたらしい。
また食い扶持を失い野盗化する者が出てくるだろう。それで被害を被るのは村や街の者たちである。
「愛人が五人もいるんですって。中には夫がいたのに無理矢理別れさせられたひともいるって」
「そっちか」
「何よ」
シエラが唇を尖らす。
ちょっと話を変えよう。それがいい。
「行列に家令のヴェルスの姿がないな。男爵に同行しなかったのかな」
「ああ、あいつ」
シエラが露骨に嫌そうな顔をする。
ヴェルスと会ったことがあるのか。
「シエラも会ったことあるの?」
「うん。去年の収穫の宴で。男爵の城に街の商人とか、うちみたいに古い地主とか、騎士爵を持っている人達が城に招かれるのよ。わたしも親に連れられて初めて行ったの」
秋の収穫期には男爵家でも街の有力者を城に招いて、パーティみたいなものを催すのだろう。
シエラが顔を近づけてきた。声をひそめる。
「それでね、ヴェルスに声をかけられたのよ。しかも親が男爵と話してるすきに。向こうに甘いお菓子がありますよ、いっしょにどうですか? なんて感じで」
「はは、そうなんだ」
「怖かったわ。っていうよりムカついたわ。ちょっと顔がいいからって鼻にかけてさ。わたしは他の娘みたいにお安くないんだから」
ヴェルスも男爵に負けず劣らずやっているらしい。
シエラはさらに近づいてきた。そしてイシュルの耳許でささやいた。
「ヴェルスってね、男爵の隠し子なんだって」
シエラの話によると、ヴェルスは男爵が若いころ、歓楽街で遊びまわっていたころ街の娼婦に生ませた子らしい。ヴェルスは男爵の最初の子ども、長男になるが、相手の女の身分が卑しく嫡子とは認められなかった。
その後、男爵は王都の執政、大臣の肝いりで王国騎士団の団長の娘を娶り、一男一女をなした。ヴェルスはその歳の離れた腹違いの兄弟によく仕え、可愛がりながらも、男爵の後継を狙っているという。
「ふーん」
イシュルは気のない返事をした。
まぁ、男爵家のことなんかどうでもいい。
槍兵と弓兵の行進が終わるとしばらく間があいた。もうパレードは終わりかと思ったが、後ろの方ではまだ喧噪が続いている。
しばらくすると、前後を四名の槍兵に囲まれ、おそらく罪人だろう、汚れたみすぼらしい身なりの男に引かれた荷車が近づいてきた。
荷車にはところどころに鉄枠のはまった木製の檻が載っており、中にはコボルトが二匹入れられていた。檻の中で一匹は「キーキー」と耳障りな声をたてながら立ち騒ぎ、もう一匹は力なく座り込んでいる。
汚らしい布切れを腰にまとい、汚れた灰色のからだ、くすんだ茶色の毛髪に顔は皺で覆われている。
コボルトは小悪鬼とも呼ばれ、東の山岳地帯やラディス王国の南西部から西部に広がる山岳地帯に数多く見かける人型の魔物であるが、人里で見かけることはあまりない。猿のように群れをつくって生活し、他の獣や魔獣と対抗している。群れを離れれば人なみに弱い存在で、獣や魔獣のいい獲物になるだけである。
「あれは…」
前世ではファンタジー系のゲームや小説に、それほど詳しかったわけではないイシュルにとっても、コボルトは前の世界でよく見聞きしたおなじみの存在であった。
「コボルトね。わたし、生で見るのは初めてかも」
檻に入れられたコボルトを街の子どもたちが数人、追いかけて石を投げてつけていた。
コボルトは他の魔獣以上に人里に姿を現さないが、自身より弱い存在には残虐で容赦がなく、森林地帯や山間部の村の、女や子どもを攫って食用として食べてしまうことがあるので、多くの人から蛇蝎の如く嫌われていた。
「あれがこの辺にも出てきたってことはけっこうまずいことになってるのかも」
確かにそうなんだろう。前にセヴィルが言っていた、強い魔物が人里の方に移動すると弱い魔物がその人里の方へ押し出されてくる、という説にそって考えるのなら、群れで行動する分にはそれなりに強い存在であるコボルトがこの地域で出没し始めたということは、より多くの魔物がすでに人里に降りてきている、という推測が成り立つからだ。
そこでシエラがより気になることを言ってきた。
「辺境伯領で赤帝龍が出たってんだって」
「え?」
「この前うちに泊まってたお客さんがお父さんと話してたわ。ちらっと聞こえてきたの」
赤帝龍とは、東の山岳地帯奥深くに住むドラゴンの親玉みたいなやつだ。名のとおり、その口から炎を吐き、強力な火の魔法を使うという。魔法使いだろうが、剣の達人であろうがとてもひとが戦えるような存在ではない。山に住む人々からは神のごとく怖れ敬われて、信仰の対象となっている。
ラディス東方史には二百年ほど前に、ラディス王国の辺境伯領とオルスト聖王国の国境付近に一度現れたとある。
ここら辺でも魔獣の出没が増えてきているのはそいつが原因なのか。
そしてなぜ二百年たった今、また人里に出てきたのか。
二百年前の赤帝龍の出現もラディス東方史ではかるく触れられている程度だ。赤帝龍に関する解説もたいしたことは書かれていない。あっさりとしか触れられていない、という事は裏を返せばそれは赤帝龍の出現期間が短かった、人里にたいした被害がでなかった、などと受け取れなくもないが……。
ツアフが女に変装している、あの不気味な情報屋にでも聞いてみるか。しかしいくら取られるだろう。おそらくシエラの言ったことにちょっとオマケがついた程度で百シールはいくだろう。あんまり金をかけたくないんだが。
「イシュル!」
シエラに腕を引っ張られる。
「もう行列は終わっちゃったよ」
彼女が指差した先には、散り始めた見物人の向こうに、城門前で下馬し、階段を上る男爵と騎士団長らの姿が見えた。広場の北の道に、先ほどの兵士やコボルトの檻を積んだ荷車の姿が消えていく。あの先には城外に馬場や兵舎があった筈だ。
「ね、お昼まだでしょ。うちの食堂でいっしょに食べよ?」
「ああ」
ファーロに出す返書にたくさん書くことができたな、とイシュルは幾分皮肉な気分になって小さく呟いた。