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貧民窟の女神官 1

 今日はシエラと城前の広場の市に来ている。広場では毎日露天商が集まり、市が立っているのだが、月に二度、一と十五の日には特に多くの露天商が集まり、大きな市の立つ日になっていた。

 今日はその十五日、商会もお休みでシエラに誘われ、いつもより賑やかな広場の市をふたりでひやかしてまわっていた。

「ねぇ、こっちこっち」

 ナイフや剣など雑多に並べられた刀剣類を売っている店で立ち止まって見ていると、シエラに腕を引っ張られ、銀細工を並べている店の前に連れてこられた。

 広げられたほとんど黒に近い濃紺の布の上に、大きいものは燭台や皿などから小さいものは指輪や髪留めなどまで、いろいろな細工ものが並べられている。

「これ、どうかな」

 シエラは髪留めを手にとり自分の髪に当ててみせた。

「似合ってるよ」

「そう?」

 なぜかほんの少し不安をおぼえ、かるくほめる程度にとどめる。

 シエラは両手でその髪留めをもてあそび、ちらちらと横目でこちらを見てくる。

 おい! 俺の稼ぎを根こそぎ奪うつもりか!

 季節はもう春、去年の初冬にエレナの依頼を始めて受けてから、真冬の一時期、何回かお休みになった以外は月に二度、きちんと依頼をこなしてきた。もう十回以上やっていることになる。


「じゃあイシュルの取り分は十シールということで」

「ふざけんな。二十五だ」

「ええっ!? 半分も? ずいぶんと欲張りなのね。じゃあ十五で」

「はぁ?」

「だめ?」

「だめ」

「じゃあ二十で。これ以上はだめよ。もともとわたしが受けた仕事なんだから」

「……」

「なによ、口尖らしちゃって。ちょっと可愛いからって調子にのらないで」

「わかったよ」


 初めて依頼をこなした日、別れ際にシエラとはこんな感じで分け前を決めた。決められた。こちらの取り分は二十シールである。もう二百シール以上貯まっているが、彼女が手にしている物は明らかにそれを越えるだろう。銀貨一枚は百シールである。その髪飾りに使われている銀の量は銀貨二枚分くらいはあるだろうか。銀貨の鋳造コストは考えないとして、銀貨と髪飾りの銀の含有量が同じなら、原材料だけで二百シールになる。それに職人の工賃が加わったらいったいいくらになるのか。

 とんでもない話である。

 そもそも今日はそんなに持ってきてない。もっと安そうなやつはないのか。

 ここで何も買ってあげない、というのはまずい気がする。だが、こっちだってお金を貯めたいのだ。

 並べられた商品に目をやる。

「これなんかどうだい」

 向かいに座っている店主の老婆が声をかけてくる。

 小さな花の飾りがついた指輪をすすめてきた。

 指輪か。

 確かに値段は髪飾りより安そうだが、この世界においても指輪の授受は特別な意味を持つ場合が多い。

 指輪を渡す相手は男女を問わずごく親しい者に限られる。左手の薬指に結婚指輪や婚約指輪を、という習慣はないものの、男女間で指輪のやりとりをすれば、それはもう恋人以上の関係、ということになる。他には家族や師弟、親友どうしなど、特別深い関係でしかやらないことである。

 隣のシエラが静かだ。顔を明後日の方へ向けている。その頬がなんとなく赤い。

 買っちゃっていいのか。どうしらいいんだ。

 そのすすめられた指輪に手を伸ばそうか、伸ばすまいか、迷っているとシエラの反対側からひとが不自然に近づいてくる妙な気配が……。

 あっと目を向ける間もなく、子どもの後ろ姿が人ごみの中に消えていく。

 やられた!

 腰にぶら下げていた金の入った巾着が紐を切られて消えている。早業だ。プロのスリだ。

「スリだ。やられた!」

「えっ」

 シエラが顔を向けてきた。やはり顔が赤い。じゃなくて。

「捕まえてくる、ごめん」

「ちょっとぉ!」

 身を翻し、後を追う。巾着の中にはけっこうな金額が入っている。あれを盗られるのはやばい。スリの子どもは早くも市の混雑から抜けようとしている。人ごみの中とはいえ、そうやって早く動いてくれれば感知しやすい。


 子どもは街の南西に向かう道に入った。こちらは市の混雑を抜け軽く全身をアシスト、スピードをあげる。

 子どもはちよっと走るとすぐ建物の隙間を右に入っていく。逃走経路もばっちり決まっているらしい。

 もう無理だよ。すぐに追いつくぜ。

 走るスピードが違う。こっちだってそんなにからだは大きい方じゃない。たとえ狭いところに逃げ込まれたって問題ない。素早さだって負けない。

 もう距離はない。家と家の隙間に入ると先を走る子どもの後ろ姿が見えた。奥は行き止まりだ。奥の家の背の高い土壁が見える。土壁と左右の家の壁はほとんど隙間なく密接している感じだ。子どもでも通りぬけるのは不可能な筈だ。

 よし、追いつめた! と思ったら、子どもの姿がその奥の壁で消えた。

 なぜだ。子どもの存在感が一瞬希薄になる。と、壁の向こう側、少し離れたところで動く感じがある。

 奥まで行くと、下に敷いてある石板が土壁の手前でなくなっている。その下の下水路が隣の家の土壁の下を奥へと続いていた。スリの子どもはこの下水溝をくぐったのだ。

 これを通り抜けるのはちょっと無理だ。汚いし。

 仕方がない。少し後ろに下がってかるく助走、土壁の上に跳躍、奥にある家の屋根の上に飛び上がる。

屋根の上は明るい赤や茶色の瓦で覆われている。遠くの建物には青い色のものもあった。滑らないよう気をつけ、屋根伝いに飛ぶように移動する。屋根の上ならちょっとくらい風が吹いても気づかれない。下からはほとんど見えないし、どこかの建物から窓越しに見られても構わない。気にしている場合じゃない。

 問題の子どもは下水溝から出てきてその家の敷地を抜け、その先の狭い裏道を走るのを止め、普通の速度で歩いている。うまく撒けたと判断したのだろう。そのまま屋根伝いに子どもの後をつけていく。

 スリの子どもは狭い道ばかりを選んでジグザグに進んで行く。さすがに手慣れている。人気のないところで飛び降りて捕まえようかと思ったが、子どもの向かう先が気になった。

 もし向かう先が、大人がからんでいるような犯罪組織みたいなものだったら、ちょっと暴れてみるのもありだろう。

 だが、もし病気の親がいて、なんてお涙頂戴の展開だと、逆に金を取り返すのがつらくなってしまう。

 いずれにしろ、子どもの向かう先を確認しておいた方がよい。


 子どもはやがて街の西側、エリスタール川の下流に広がる貧民街に入っていく。建物も古く、小さく、木造の小屋みたいなものが増えてきた。

 屋根から降りて、子どもの後を少し距離をとってついて行く。歪み、傾く小屋が軒を連ねる小道を子どもは脇見もせずに真っすぐ歩いていく。道はやがて左右に走る大きな道に突き当たり、その子どもは左に曲がった。子どもの姿が消えると角まで走って距離をつめる。子どもの行く先、道の突き当たりには石造りの小さな塔をもつ、貧民窟には不似合いな建物が立っていた。

 子どもはその塔のある建物に向かっているようだ。確かあの建物はかなり昔に建てられた砦、エリスタール城の出城のひとつだった筈である。裏にはエリスタール川が流れている筈だ。だいぶ昔に廃城となり、今は使われていない。誰かが住んでいるのか? 男爵家も管理などしていないだろう。

 あそこがスリの子どものねぐらにでもなっているのか。それとも子どもにスリをさせている悪いやつらのアジトみたいなものがあるとか。

 いずれにしろあそこに入られては面倒なことになりそうなので、とりあえずその手前で盗られた金をとり戻すことにする。

 子どもに少し近づき、後ろから思いっきりジャンプして空中で回転、子どもの前に降り立つ。

「よう。そのお金、返してくれない?」

「!!」

 子どもはびっくりして声も上げずに固まっている。七、八歳くらいの、気の強そうな男の子だった。





「こんなこと、もう二度とするなよ」

 子どもから金を取り戻すと、すぐに解放してやる。そのまま追ってきた道を戻るように見せかけ、曲がり角から子どもの様子を観察した。

 その子は一度俯き、肩をふるわすと泣いているのか顔に手をやり、ごしごし拭うと、問題の、石造りの塔のある建物に走って入っていった。

 建物の正面の出入り口は開いている。厳つい青銅の両開きの扉がものものしい。

 建物に向かって歩き出す。

 よく考えてみれば、いくらここが貧民街だからといって、あんな目立つわかりやすい場所に街の犯罪組織みたいなものがあるのはおかしい。みなし子とか、親のいない子どもたちのねぐらにでもなっている、といったところだろう。

 建物の前まで来た。建てられてからだいぶ年月が経っているからか、かなり傷んでいる。積み上げられた石はところどころ欠け、ひび割れている。中を覗くと広い、何もないがらんどうな空間があった。

 中に入ってみる。上の方にある小さな窓からおちてくる光が、ぼんやりと辺りを照らしている。この部屋の左右にそれぞれ隣の部屋へと続く入り口がある。扉はついていない。さっき入っていった子どもはどこに消えたのか。おそらくこの建物にはいない。

 右、左、どちらに行こうか。

 左にいく。

 左側の部屋も同じような部屋だったが、北側の壁に小さな祭壇が設けられていた。主神、豊穣と救済の女神ヘレスの像が置かれていた。他の神々の像は置かれていない。女神へレスの像はベルシュ村の神殿にあった像よりもひとまわり小さいものだったが、彫像としての質は素人目にもわかるかなり高いものだった。手前に差し出された右手の指の造作が美しい。

 祭壇の傍らには蝋燭が一本も刺さっていない燭台がひとつ、小さな香炉がいくつか、雑然とおかれている。

 主神しか祭られていないのはめずらしいが、どうやらこの建物は聖堂教の神殿として使われているらしい。

 この部屋にも入って向かい側、東側の壁の端に同じように扉のない出入り口があったが、その奥にはもう部屋はなく、外から光が差し込んでいた。外を見ると、草が生えているだけの何もない空き地だった。右側の川に面した方にはこの建物から伸びた城壁が続いている。

 反対側の部屋に行ってみるか。

 女神像を一瞥し、真ん中の部屋に戻ろうと背を向けた瞬間、

「お祈りですか」

 いきなり後ろから女の声がした。

 え?

 振り返ると、白いローブをまとった女神官がひとり立っていた。


 外にいたのだろうか。東側の壁の出入り口を背に立っている。歳は二十歳前くらいか。逆光気味なのに光り輝くように感じられる美しい金髪、卵型の美しい顔立ち、すらりと伸びた四肢。きらびやかな美しさが見えない力となってこの部屋に充満していく。

 圧倒的な存在感に一瞬思考が止まった。

「どうしました?」

 女神官は微笑み、首を少し傾け聞いてきた。

「いや…」

 女の瞼が微かにすぼめられる。彼女に観察されている。

 俺の混乱を面白がっているのか。

 彼女の微笑みに楽しげな表情が加わる。

 女は主神の彫像の前に移動する。女の姿が女神へレスの像と重なった。

「ふふふ」

 女が笑う。

「どうされました?」

 女はもう一度聞いてきた。

 


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― 新着の感想 ―
[良い点] イシュルが故郷を飛び出してこれから何か始まりそうなのでとても楽しみです。 [気になる点] 主人公のシエラに対する甘さがとても気に食わないです。 分け前奪ってヘラヘラしてるようなやつに対して…
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