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ブリガール男爵

「ぴったりね、よく似合ってるわ。かわいいわねぇ」

 ブリガール男爵の居城、エリスタール城に行く朝、イシュルはイマルのお下がりの服をフルネに着せられた。

 かわいい、と言われてもあまりうれしくない歳になってきてるんだが。

 しかも内面的には前世の分を加えると、数えるのが億劫になるような歳になってしまっている。ただ成長期まっさかりのまだ若いからだや、少年としての普段の生活から強い影響を受けているので、かなり若い心持ちでいられるのは確かなのだが。

 今日は男爵本人からのお目見えもあるかもしれないと、イマルが商会に来てまもない頃にあつらえた一張羅を着ていくことになった。

 きちんとした仕立てのシャツにスカーフ、その上にチュニックを羽織り、頭にはつばのない帽子、下はズボンにやや短めのブーツという出で立ちだ。

「かわいい、と言われても」

「あら、そうね。男の子だものね。でもかわいいわ」

 フルネさん……

「イシュル、よく似合ってるよ」

 にこにこと顔をほころばせてイマルが声をかけてきた。

「セヴィルさんが相談したいことがあるって。ちょっときてくれないか」


 イマルに連れられて家の裏の方にある倉庫に行くと、セヴィルが待っていた。三人で奥の一画の小さ目の木樽が並べられているところへ行くと、その樽を指してセヴィルが言った。

「これは数年ほど前からフロンテーラで仕入れている酒なんだが、麦の蒸留したものを樽詰めにして四、五年寝かせたやつなんだ。なかなかうまい酒で、フロンテーラやとなりのアルヴァ、王都あたりでも王族や金持ち連中が飲み始めている。ちょっと値は張るんだが」

 セヴィルはそこで一度ことばを切り、渋面になって、

「これを男爵に売りつけたいんだがな。なかなかうまくいかない」

「エリステールでもお金持ちの商人の間では飲まれ始めてるんだけどね。男爵は吝嗇というか保守的というか、昔ながらのそれほど高くない蒸留酒でいいみたいなんだ。かなりの酒好きと聞いてるから、一杯、二杯でも飲ませれば本人も気に入ると思うんだけどね」と、イマル。

 セヴィルが言う四、五年寝かせた麦の蒸留酒とはウイスキーのことだろう。で、男爵の飲んでいるのはほとんど熟成していないものだ。水で薄めたり、果実水を混ぜたりして昔から飲まれているものだ。 

 フロンテーラのとなり、アルヴァとは辺境伯領の首府に当たる街だ。辺境伯の居城がある。フロンテーラは王国の中部、やや東南寄りにあり、西の王都ラディスラウスと東の辺境伯領の首府アルヴァを結ぶ要衝であり、商業も盛んであった。

「今日はこの前見せた黒糖を納めにいくんだが、次に行くのはひと月後になる。なんとかこの酒を買ってもらえるよう、いいきっかけをつくれないかと思ってな」

 なるほど。

 手がなくはない。いくつか質問する。

「黒糖はほかの商家でも扱っているんですか」

「ああ。それはもちろん。ただうちが一番安く、質も良い。本店から安く、いい物をまわしてもらえるからな」

「ええと、袖の下というか、男爵家の家人とかには働きかけてるんですか」

「ああ、それは適度にやってる。だが出入りしてる商人ならみなやってることだからな」

「昨日の話ですけど、やはりこれから魔獣が増えてくると、必需品の物価とかも上がりますよね」

「戦争になるわけじゃないからな。ただ、ここら辺ではどうしてもつくることができない品はある。そういうのはかなり高騰する可能性がある。例えば塩、とかな。もちろん、うちで扱ってる酒や黒糖も少しは値上げしたいところだが」

「じゃあ、今日持っていく黒糖、さっそく値上げしちゃいましょう」

セヴィルとイマルに、疑問の表情が浮かぶ。

「ええとですね。まぁ、たいした事ではないんですが…」

 ふたりに作戦を話した。





 木樽から酒を幾分か移しかえた、手頃な大きさの壷を抱え、セヴィルとイマルについて、あの広場に面した城門の前まで来た。今日も城門は開いている。夜間や、何か事が起きない限りは閉められないのだろう。

 中に入ると大きな石造りの建物がならんでいる。商人ギルドを始め、街の有力ギルドや聖堂教会の神殿、緩やかな坂道を登って行くと奥には騎士団の庁舎などがあった。

 城内外郭部の一番奥には本丸に当たる内郭の高い城壁がそびえ、正面にやや小さめの城門があった。そこも開いていた。中に入り、一本だけ生えている樟の下を抜けると建物の正面入口が見えてきた。

 イシュルら三人が通されたのは一階奥の領内の事務を執り行う部屋だった。石造りの城とはいえ、中の床や仕切りの壁は木材が使われているところが多い。その部屋はだいぶ年季が入ってるようで歩くと床がぎしぎし鳴った。中には事務を行っている者が数名、一番奥にまだ若い涼しげな風貌の青年が、暇そうに窓の外に目をやっていた。こちらが近づいても気づかないのか、無視しているのか、反応を示さない。

「ヴェルスさま、ご無沙汰しております」

 セヴィルが外づらの、いかにも媚を売るような声音で呼びかける。

 ヴェルスと呼ばれた青年はすぐに振り返った。

 その整った顔にはなんの表情も浮かんでいない。こちらをただぼんやりと見つめてくるだけだ。

「セヴィル商会でございます。本日は毎度ご注文をいただいてる黒糖をお持ちいたしました」

 セヴィルが腰をかがめ、露骨に揉み手をして話す。

「ああ、ごくろうさま」

 黒糖、という言葉でセヴィルが誰か思い出したのか、わずかにヴェルスの表情が動いた。

 まさか顔も憶えていない、ということなどあるまいに。

 ヴェルスはイマルが持つ黒糖の入った小さな壷に目をやると、事務をしている者に顎をしゃくって、

「じゃあ、それはあの者に渡して、お金をちゃんともらって帰ってね」

 だるそうに言った。

「それが…今日はご相談したいことがございまして」

「相談? なにを?」

 ヴェルスが目を細め、はじめてしっかりとセヴィルの顔を見た。

「先日、セウタの方で魔獣が出たとか」

「ああ…」

 さて、作戦が始まった。しかしこの男、捉えどころのない、感じの悪いやつだ。こちらのねらいどおりにいくかどうか。

 ふたりが話している間、横にいたイマルが顔を寄せてきてささやいた。

「あの人が男爵家の家令だよ。なかなかの食わせ者でさぁ」

 こいつがそうか。ブリガールに森の魔女の死を知らせた時、村にやって来てベルシュ家で聞き取りをしたやつだ。あの時はエクトルが応接し、途中でポーロが呼ばれ、魔女の家の焼け跡も見に行っている。

「……というわけで、道中により強い護衛をつけねばならなくなりました。ご存知のとおりこれが費用がかさみまして。買い取っていただく値段をご相談したいのです」

「それは困ったなぁ。ぼくでは決められないよ。上の方にお伺いを立てないと」

 上、とは誰だ? 男爵じゃないのか。騎士団長とか?それとも男爵夫人とか男爵の親族か。

 嫌な言い方だ。

 黒糖の値上げを告知し、相手が渋るところで値を上げるかわりに例の蒸留酒、“ウイスキー”をサービスで無料にて提供する、というのが今回の作戦なのだ。無料の“ウイスキー”をつけることで黒糖の値上げに対する不満を和らげ、高価な酒をただで飲める、あるいは“ウイスキー”を飲まないと値上げの分損をすると思わせて“ウイスキー”に口をつけさせる、というのがこの作戦の主旨なのだ。

 目的は黒糖の値上げを受け入れやすくするだけでなく、男爵の毛嫌いしているその蒸留酒をひと口でも飲んでもらってそのうまさを知ってもらい、定期購入につなげることだった。

 これが、黒糖を買っているのが実際には男爵本人ではなく、例えばその夫人など男爵家の女たちだったりすると、ちょっと事情が変わってくる。ものが黒糖だからその可能性がないとは言えない。購入する金さえ女たちの財布から出ているとしたら、その女たちが酒好きでもない限り、“ウイスキー”を買わせるどころか、黒糖の値上げも交渉が面倒になってご破算になりかねない。

 ヴェルスはわざと決定権のある者をぼかして言ってるんじゃないか。ただ面倒くさがっているだけならいいんだが。 

「では、男爵さまに直接お話を……」

 執務室の外の廊下の先、何人かがこちらへ歩いて来る気配がする。大股で威勢良く歩くやつがひとりいる。これは男爵さまのご登場か。

「いや、それはぼくの方で話しておくよ。今日は一旦それは持って帰ってもらって後日——」

 大股で近づいてくる足音がはっきりと聞こえだした。

 ヴェルスは話す途中で言葉を切り、椅子から立ち上がった。室内で仕事をしていた者も立ち上がる。

 男爵が部屋に入ってきた。


「ヴェルス!そこにいたか」

 男爵は後ろに数人の騎士なのか、革の甲冑を着た体格のいい男たちを引き連れていた。きびきびとした気持ちの良い動作の反面、本人は丸い腹を突き出した短躯、黒っぽい髪に濃い髭の丸顔で、見てくれはあまり良いものではなかった。快活な感じがなければ、物語にでてくる典型的な悪徳男爵、そのままの容姿だった。

 ただ男爵の肩や腕のあたりにはしっかりと筋肉がついていた。典型的な武人肌の領主とは言えるかもしれない。

「馬場に出ていたのだがな」

 そこで男爵は急な登場に一瞬呆然として、慌ててお辞儀をしたセヴィルに目をやった。こちらも遅れてイマルといっしょにお辞儀をする。

「その方らは」

「フロンテーラ商会のセヴィルでございます。今日はご注文の品、黒糖をお持ちしました」

 セヴィルは一旦顔を上げて言うと、さらに慇懃に頭をさげた。

「おおそうだった、フロンテーラのセヴィルか。それはご苦労」

「ありがとうございます。それでさきほどヴェルスさまにもお話させていただいたのですが……」

 セヴィルはヴェルスに話していた黒糖の値上げの件を繰り返し話し始めた。

 値上げの話を聞くと男爵は露骨に不機嫌な表情を見せたが、すぐに何か思いついたのか、考える仕草になってその顔に腹黒そうな笑みを浮かべた。

 誰でも考えることはいっしょだ。領主も麦以外に徴収しているものはある。物価を上げるのならそれはお互いさまだ。

 ヴェルスはその場に立ったまま、薄っぺらな微笑を顔に貼り付け何も言わない。

「それで、お持ちしましたのがこちらの酒でございます」

「今日は以前に王都から買い付けたクリスタルグラスで、ご賞味していただこうかと」

 セヴィルは懐からサテン地の布の包みを取り出し、中からワイングラスを小さく、少しいびつにしたような形のグラスを出した。色はついてないが、細かな模様のレリーフが施されていた。

 イシュルは抱えていた酒壷の布蓋をはずし、イマルに差し出した。イマルがそのグラスに酒を注ぐ。グラスが琥珀色に輝く液体で満たされた。

「最近は辺境伯さまも、王家のみなさまも、こうして少しずつ、味わいながら飲まれているとか」

「ほう」

 男爵の目に欲深げな色が浮かび、その視線がグラスに注がれた。





「すいません」

 イシュルがセヴィルに詫びをいれた。

「いやいや、大成功だよ」とイマル。

「うむ。樽酒もこれから買ってもらえることになったしな。利幅は薄いんだがグラスももっと都合しろと言われた」

 三人は今、城の内郭、本丸の門を出てきたところだ。

 イシュルが詫びを入れたのは、“ウイスキー”を注いだクリスタルグラスを男爵に献上、要するに取られてしまったからだった。熟成した蒸留酒は茶色に色づく。きれいなグラスに注げば琥珀色の色味も楽しめる、と“ウイスキー”をグラスに注いで男爵に見せることを提案したのはイシュルだった。

 セヴィルも実際に王都の貴族らがそうして飲んでいる、というのは耳にしていて、やってみた結果が高価なクリスタルグラスを献上するはめになってしまったのだった。

「まぁ、黒糖の値上げもできたしな。今後どうなるかは魔物次第だが」

 そう言ってセヴィルは皮肉な笑みを浮かべる。

 もし、ここひと月でエリスタール付近で魔獣が出なければ、来月には黒糖の値上げも取り消されることになるだろう。

 だがそうはなるまい。辺境伯領で魔獣が増えている、という情報があるのだ。しばらくはここら辺で魔獣が増えることはあっても、減ることはないだろう。

「いや、とにかくイシュルは良くやった。おまえの村での噂は俺も耳にしていたが、ただ物覚えがいいだけじゃなかったみたいだな」

「そんなことはないですよ。商いをしている人ならあれくらいのことは誰でもやってるでしょう」

「まぁ、そりゃそうだが」

 セヴィルが鼻白んだ表情をする。

 イシュルには今まで誰彼となく見てきたおなじみの表情だった。

「はは。イシュルは凄いけど、やっぱり変わってるなぁ。ふつうその歳でそんなこと誰も考えないよ」

 イマルは相変わらず人のいい笑みを浮かべている。

「とにかく、今回いろいろ手早くやれたのはおまえのおかげだよ」


 セヴィルは商人ギルドの前まで来たところで「ちょっと寄っていくから」と言って中に入っていった。

 斜め向かいには聖堂教の大きな神殿がそびえている。

「神殿に寄っていきたいんですけど、いいですか」

「ん?お祈りでもするの?」

「いえ、こんな大きな神殿、初めてなんで」

 ああ、そうだったね、と言うとイマルは先に立ってイシュルを神殿の正面にまわった。

 神殿の正面はベルシュ村やセウタ村の神殿とその体裁は変わらないが、さすがに大きさが違う。大きい分、なかなか荘厳なものだった。

 中に入ると、仕切りのない大きな空間が広がっていた。がらんどうの神殿の内部はうす暗く、奥に並ぶいくつもの燭台の蝋燭に灯された火の明かりだけが目に入ってきた。蝋燭に照らされ、主神ヘレスを中心とした十一柱の神々の像がぼんやりと浮かびあがっている。何人かが床にそのまま跪き、祈りを捧げていた。椅子や机などはひとつも置かれていない。奥には神々の像の足下あたりを掃除でもしているのか、背をかがめしきりに腕を動かしている子どもの神官見習いの姿が見えた。

 目が慣れてくると左右の壁の両側、上の方に、おそらく左は冥界、右は精霊界の様子を彫ったレリーフが掲げられているのが見えた。

 彫刻の様式は古代ギリシアやローマと似た感じだ。着色はされていない。

 一歩、奥に足を踏み入れる。奥にいる神々に再び目をやると、地の神とされている神の石像に目が止まった。地の神は男神でウーメオと呼ばれている。

 手に持つ大きな杖こそ違ったが、その姿はあの草原で見た老人にそっくりだった。



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