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短編小説 もし黒子と夢で逢えたなら。

作者: 菜月真直

 ★☆☆☆☆☆☆☆☆☆


 蒸し暑い初夏のころ、私は猫を拾った。

 学校の帰り道になんとなくいつものルートを外れて歩いていると、どこからかミィッーミィーとねずみが悲鳴をあげてるような音が聞こえたのだ。縁底の奥深くにその声の主は開かない目のまま、私を見ていた。

「おい、お前――ちょっと助けてくれよ」と言われた気がした。

 臍の尾が付いた仔猫。

 まだ体毛の生えそろわない身体は赤い素肌を露見させており、この猫は産まれたばかりなのだと確信させる。母親が移動中に落としてしまったのか、とにかくこのまま夜を過ごせば明日の朝には冷たくなっていることは間違いなかった。

 ―ー最初は放っておいた。

 うちには犬もいるし、親猫に捨てられた子猫なんて育てたことなどなかったからだ。面倒を見れないくせに助けるのはなんだか無責任な気がしたから、見て見ぬふりをした。

 ―ーけれど、私は見過ごせなかったらしい。

 気が付けば、家に帰って洗ったばかりの白タオルを手にするとまた同じ縁底まで戻ってきていた。

 子猫の鳴き声が聞こえると、『やっぱり親は来ないか』とどこか諦めたような気持ちがこみ上げてくる。

 結局、私は仔猫を引き取ることにした。

 ―ー名前は『黒子』。額には黒い斑点があるからである。センスは皆無。

 いま思えば、これは運命だったのかもしれなかった。

 ―ー作り物の物語にしては、なんとも味気ないものかもしれないけれど。

 とにかく、私と『黒子』の出会いはこんなところだ。


 ★★☆☆☆☆☆☆☆☆


 親には反対された。

 面倒も見れないくせに連れてくるんじゃない、返してきなさいと言われた。

 やっぱりな、と思った。家に帰って現実に引き戻された気がした。

 腕に抱えたタオルのなかで鳴きつづける黒子を眺める。

 やはり私には育てる自信がない、と諦める理由が出来てしまった。

 仕方なく、返しに行くことにした。

「ねえ、なんかうるさくない?」

 女子高生の姉が、学校から帰宅して姿を現した。

 そして事情を聞き、これから捨てに行くのだと説明するところで目の色が変わった。

 ―ー姉は根っからの動物好きなのだ。

「か、かわいい……。この猫は私が世話する!」

 形勢は逆転した。

 私と姉が飼いたい派、母が捨ててきなさい派。

 結局は母が折れる形で黒子は私のうちへと迎えられた。

 中二の海の日に起きた小さな事件である。


 ★★★☆☆☆☆☆☆☆


 黒子は元気に育った。

 うちは自営業で生計を立てる家庭だったので、幸いにも母乳を与えるのに苦労はなかった。あれだけ文句を垂れていた母も娘を育てた母なのだろう、文句も言わずに日中の母乳を与えてくれた。

 そして―ー黒子は母に懐いた。

「ああ、おまえか……」と言われた気がした。

 学校へ行って、帰ってきたころには黒子は開眼していた。

 その現場に居合わせたのが、問題なく母だったので大問題だった。

 私と姉にはデレずに、お母さんにだけデレた。

 正直、めちゃくちゃ悔しかった。


 ★★★★☆☆☆☆☆☆


 私が高校生になったころ、黒子も大きく育った。

 毛も生えそろい、立派な黒猫に成長していた。

 猫とはここまで大きくなるものなのか、と感心してしまうくらいのデカさだった。

 あと、あまりに機敏な動きなので猫じゃらしとマタタビが予想以上の効果を発揮したのだ。絵にかいたように悶え、猫じゃらしを追い駆け回し、そして疲れては自分の寝床へと帰って行った。

 また、黒子は空中戦に強かった。

 蝉や蝶、スズメ、コウモリなど徐々に大きな飛行動物を捕まえてくるようになったのだ。

 しかし、食べはしない。散々弄んでは捨ててしまう。

「なんだ、もう終わりか。……つまらん」と言った気がした。

 黒子はキャットフードしか食べないのである。

 私に懐く気配はまったくなかった。


 ★★★★★☆☆☆☆☆


 私が大学受験生の夏休み、黒子が突然姿を消した。

 なんの前触れもなく、挨拶するわけでもなくいなくなった。こんなことはは何度かあったけれど、何日も顔を見せないのはこれが初めてだった。

 探しても見つからない。北海道へ進学した姉は一番心配したのだろう。

 そして、黒子がいなくなって三日目の夜。

 黒子が夢に出てきたのである。

「おまえら、いつになったら俺を見つけてくれんだ?」

 すこしひねくれたようにそう言った。今度は本当に喋ったのだ。

「俺は裏庭の物置にいるんだよ、いいから早く来い」

 そのセリフを聞いた後、私は覚醒した。

 サンダルを履いて急いで裏庭へと走った。日中は薄暗い物置は夜中なのでさらに視界が悪くなっていた。一度探したことはあるのだけれど、確かめずにはいられない。

 そして―ーー黒子はいた。

 地面でぐったりと横になって倒れていたのだ。身体を動かせないのか、全身を強張らせて目だけでこちらをみていたのだ。黒い身体なのに、簡単に見つけることができた。

 ―ー来るのが遅い、とでも言いたそうにため息を付いていた。

 医者の見立てでは、あと数時間遅ければ死んでいたらしい。

 助けられる黒子と見つけた私は中二の夏を思い出させる。

 真夏の夜に起きた救出劇。


 ★★★★★★☆☆☆☆


 私が医療系の大学進学したとき、黒子と別れる。

 初めて独り暮らしをすることになった私は、荷物をまとめて出ていく準備をしていた。

 十八年ほど過ごした我が家を出ることに若干の寂しさを憶えながら、それでも新しい生活への期待で胸がいっぱいだった。

 玄関の敷居を跨いで、家を出るときに事件は起きる。


 ―ーマーオッ、と黒子が鳴いた。

 玄関の前で、黒子が座ってこちらを見ているのである。まるで別れの挨拶でもするかのように、明らかに私に向かって鳴いていたのだ。

 しかも、大人しく抱かせてくれるのである。

 いつもならギュッと力づくで抱き締めると、嫌がってすぐに逃げ出すのにこの時だけは決して逃げることはなかったのだ。まるでこれが最後なのを知っているようであった。

「気をつけろよ」と言われた気がした。

「行ってくるね」

 黒子は私が出発する駅まで付いてきてくれた。

 旅立つ日の可愛い事件。


 ★★★★★★★☆☆☆


 私は、大学の夏休みを実家で過ごした。

 黒子とも顔を合わせたけれど、べつに特別な反応があるわけでもなくーー力いっぱい抱き締めると、うっとうしそうな顔をして、暴れて逃げていった。

「ええい、暑苦しいんだよ。この間抜けめ!」

 良くも悪くも、いつもの黒子である。

 ただ、昔のように動物を捕まえてくることがめっきりなくなった。

 黒子の夢を見ることも決してなかった。

 ――黒子の餌場は高いところにある。

 それは足腰を鍛えるために食欲を利用する、一メートル近い台へと飛び上がらなければエサにありつけない――画期的なシステムだ。

 そこで、黒子が転んだ。

 台から足を滑らせて、床へ落下したのである。

 こんなことは初めてだった。

「黒子も歳をとるんだよ、わたしらと一緒でね」

 大学三年生になった姉はそう言って、黒子を台の上へと乗せてやった。

 黒子はもうすぐ七歳、人間にして55歳。

 老いを知ることになった二十一の春。


 ★★★★★★★★☆☆


 黒子が寝たきりになった。

 身体が言うことを聞かないのか、ぐったりと項垂れている。ただの夏バテなのだろうと思っていたが、黒子は目に見えて衰弱していた。

 食べ物も食べないし、飲み物も飲まないのだ。

 動物病院へ連れて行っても原因が判らず、あの一度死にかけた夏を思い出していた。

 一瞬だけ物置で倒れていた黒子の姿が頭をよぎる。

 寿命にしては、あまりに早い。

 けれど、平均寿命など個体差なのだから当てにはならない。若くても死ぬやつは死ぬし、老いていようと長生きするやつはいるものだ。黒子の場合は早かっただけなのだろう。

 黒子のために一室を用意する。

 動かなくても飲食に困らないよう整えた。

 それでも、やはり起き上がる気配はない。

 このまま一生、起き上がれないのかもしれない。


 ★★★★★★★★★☆


 私は、最後の夢を見る。

 場所は黒子を拾った縁底――いまはもう工事されていて、コンクリート加工されているけれど、当時のままであった。人気の少ない裏道、そこで私はただ目的もなく突っ立っている。

 黒子が私の前に座っていた。

 以前のように悠々とした様子で私を見ていたのである。

 私はその事実だけで嬉しくなって、名前を呼んだ。

 しかし、言葉にできない。夢の中では喋れない。

 ―ー黒子。

「うるせえな、なんだよ」と黒子が言う。

 喋れなくても、黒子は気づく。

 黒子が話すわけはない、私はなんとなくそう言ってるように脳内補完しているだけだ。

 私の理想で私の妄想なのだ。

 夢の中の内容は自由なはずだ。

 黒子は、私の前に座って――静かに言った。

「もしまた猫を拾うんだったら、もっと可愛いやつにするんだな。俺みたいな可愛げのない猫はもううんざりだろう?」

 ――たしかに最初はそう思った。でもいまは黒子の方がいい。 

「でも、楽しかったよ。いままでありがとうな」

 黒子はお辞儀をする。

 私の返事を待つ前に、夢から解放された。

 そして、起きてから二度驚愕することになる。

 私の寝床――私の懐で黒子が眠っていたのだ。

 黒子の寝床から来られないとは言わないけれど、一度も身体を動かせなかった黒子が私の寝ている部屋まで歩いてきたのである。

 さらに、黒子は死んでいた。

 小さな体の鼓動をピタリと止めていた。まだ温かいけれど、じきに冷たくなるであろう背中を丸くした黒子は二度とその目を開くことはない。本当に眠っているように息を引き取っていた。

 私は、不思議と涙は流さなかった。

 ものすごく悲しかったけれど、泣かずに済んだ。

 だって、黒子はちゃんと別れの挨拶をしに来たのだから。

 二十二の夏、縁底で拾ってから約八年。

 黒子はその生涯に幕を閉じた。


 いまはもう、私のうちに猫はいない。

 黒子の遺言(?)通りに可愛い猫を飼う予定もない。

 それでも、いいと思っている。

、また夢で逢えると信じてるから。


 ★★★★★★★★★★

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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