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二人目:『怪人』と踊ろう。

街灯の光に惑い、醜悪な羽根の蛾が舞っている。生暖かい不気味な風が民家の窓を叩いている。犬も鳴かない、寝静まった住宅街。ここは夜を恐れる街『ナイトパイア』。『四英雄』が一人、『女王』が統治する、王国内有数の大都市である。

 闇に包まれた『ナイトパイア』を一望できる小高い丘。美しい景観に囲まれた天上に建造された、人々を圧倒する荘厳な城。そこが領主たる『女王』の居城であった。

 城の一室。城の主が眠るための寝室に、儚い月明かりが入る。満月とは程遠く欠けた三日月を眺めて、『女王』キャミア・ルードヴァンベッヒは、手中で揺らすワイングラスを傾ける。透き通る赤いワインの香りを楽しみ、葡萄の甘みに喉を潤す。

 キャミアの背後で、扉を叩く音が聞こえる。

「どうぞ」

「ご主人様。お休みの所失礼致します」

「構わなくてよ、セバス」

 初老の男が姿を現した。老眼鏡と黒い燕尾服を着た、いかにも執事といった風貌をしている。セバスと呼ばれた男は寝室に一歩だけ踏み込み、扉を静かに閉じた。

「ご主人様の仰られていた件の男が、どうやら明日の昼にはこの『ナイトパイア』へ辿り着くだろうという情報が入りいました。いかがなされますか?」

「あら、案外遅かったのね。バンの居た街からここまで、もう少し早くこれたでしょう」

「途中、『ラルラハ』より北の町、『ノムド』に寄られていたようでして」

「私を放って道草なんて、礼儀がなってないわね」

 悪態をつくも、機嫌はずいぶんと良さそうだった。グラスに残った赤ワインを飲み干して、近くのテーブルの上に置いた。

 街を展望できる大窓にかかった白い薄透明なカーテンが、風に翻る。ただでさえ少量の月光に雲がかかり、街は一層の暗闇に落ちる。

「余計な手出しは無用よセバス。彼は私の大事なお客様。主である私自らがお持て成ししてさしあげなければ」

「では、そのように」

 セバスが外に出て、再び一人となったキャミア。口端が釣り上がり、今宵の月のように細く細く、怪しく微笑む。

「では今夜も、下準備をすすませなければね」

 キャミアの背に、剣の収まった鞘が柄が横になるように装着される。軽やかな足取りでキャミアは開け放たれた大窓から、眼下に広がる街へと繰り出す。

 ここは丘の上に佇む、『女王』の居城。闇を拒絶する街を治める王が構えた見張り台。天空の月は目を隠され、地上の罪は見逃される。

 夜が更けていく。


               ◇


「すっごい賑やかだねー」

「はぐれるなよエル」

「はーい!」

 見渡すかぎりの人、人、人。多種多様な格好をした人間たちが隙間なく交差しあい、流れにのれない田舎者を排斥する。民家の背も高く、壁の模様や草花による飾り付けに精を出し、来訪者の心を和ませる。そこら中にそびえ立つ古めかしい街灯が、この街の歴史を物語っている。大都市『ナイトパイア』。その名に恥じぬ盛況ぶりであった。

「お祭り?」

「いや、きっとこれは……」

「そうですわね。レオンの考えてる通り、都会ではこれが普通ですわ。『ナイトパイア』は元々、歴史はあっても『ラルラハ』などと同じくらいの街でしたわ。しかし『四英雄』の『女王』が統治を始めた頃から一変、『英雄』人気が人を呼び、金を呼びで街の経済は活性化。数年と経たないうちに、『ナイトパイア』は大都会の仲間入りを果たしたのですわ」

「『英雄』ってすごいんだね」

「魔王とその軍勢を退け、暗黒に閉ざされた世界に光を取り戻した。『四英雄』と言えばこの世で知らぬ者はいないほど、有名な方たちなんですのよ」

 そう、英雄たちはエリザや他の民が知るとおり、事実世界に平和をもたらした。ここに嘘偽りはなく、彼ら四人の英雄たちは讃えられるに相応しい人間たちだ。それはレオンも理解していることだった。納得していないのは、『四英雄』の罪によりこの泰平の世を生きていくことのできない、とある村の住民たち。その生命を犠牲にして世界を平和に導いたと言われることもなく、闇から闇へと葬られた歴史にこびりついた怨念。晴れない霧。

「レオン? どうかなされましたの?」

「……人の数に圧倒された。賑やかなのはいいが、少しうるさいな」

「直に耳の方から慣れていきますから、もう少しの辛抱ですわ」

「そうなることを祈ろう」

 一行はまず宿を探すことにした。飛び出た釘のように目立つレオンを目印にしながら、人込みをかき分け進んでいく。エルは一人で付いて行くのが困難であったため、エリザと手をむすびながら街の中を散策した。

 人の群れを避け中央部から離れていくと、次第に人の数も落ち着いてきた。街の入口などに多く見られた新築の建物と比較すると、人気のない裏路地には歴史を感じさせる古い建物が多く建っている。輝かしい表の顔とその影、などというと貧富の差が激しいように思うだろうが、それほど明確な差は無いようにレオンたちの目には映っていた。

 表通りのそれとは色の違う活気が、裏の街に充満している。温故知新の精神が、この大都市という街を形作っているのだ。

「表を歩けば新しきに歓迎され、裏を行けば古い歴史の風を楽しめる。なんとも素晴らしい街ですわね」

「少しジメジメしてるがな」

「静かだねー」

 露店のようなものはさすがになかった。看板を店先の街灯にぶらさげた、職人が開いている店といった敷居の高そうな軒並みがレオンたちを出迎える。生憎と宿屋の看板は見当たらなかった。

 街路上に向けられた窓越しに、店内を覗く。お土産用の木の彫り物、時計屋、パン屋、大小様々なランプを取り扱っている店、多種多様な目的に答えられるだけの数を取り揃えた、職人の商店街。

「泊まれそうなとこはないな、ここは」

「一度表に戻ります?」

「おじさん、宿屋さんがどこにあるかしらない?」

 エルが通りがかった街灯の上で、照明部分を修理している男に道を訪ねた。慌ててエリザがエルを抱き寄せた。

「失礼しました。すいません、お仕事中に」

「いいよいいよ。なんだい、おたくら観光客かい?」

「ええ、そんなところですわ」

 陽気に笑いながら男が街灯から降りてきた。

「宿屋なら表の中央広場におっきいとこがあってな、後はこの道を真っ直ぐ行って、金物屋を左に曲がると、俺のオススメの宿屋がある。銀の鶏の看板が目印だな」

「どうもご親切にありがとうございますわ」

「この街に観光ってことは、おたくらもキャミア様目当てで?」

「キャミア様?」

「『四英雄』の一人、『女王』のお名前ですわね」

 首を傾げるレオンにエリザが説明した。

 エリザが街の入口で説明したとおり、この街の発展には『女王』キャミア・ルードヴァンベッヒの名が深く関わっている。キャミアはよく城下街にやってくることで有名で、間近でキャミアの素顔を拝見したい一心で、わざわざ遠くから旅をしてくる人間もいるという。

 キャミアは『四英雄』の紅一点として知られ、幼さが残るものの、そのキレのある目付きで男たちを骨抜きにしている。少女のあどけなさと熟女の色気を合わせ持つ、生きる宝石ともうたわれる美女だという話だった。その美貌はとどまることを知らず、魔王との戦い以後も何一つ変わらずに健在し続け、一部では不老の秘術を使った、今のキャミアは影武者だ、などの根も葉もない噂がたっているらしい。

「俺も何度か見てるよ。いやー、本当にお美しい方だったよ」

「街に出てくるのは、なにか理由があるのか?」

「さぁねぇ。ただ単に買い物に来てるんじゃないかって言われてるけど、俺ぁあのお顔をみられるだけで満足さね」

 天上人の生活を空想するよりも、現実に目の当たりにする伝説の方が、民衆には色濃く見えるのだろう。『女王』という存在は、すでに街の領主としてでなく、ひとつの観光名所として名を馳せているようだった。

 男と別れて、一行が向かったのは銀の鶏が目印の宿屋だった。エリザの援助のおかげで資金の方は問題ないのだが、エリザが豪華な生活には飽きたというし、レオンもエルもあの独特な圧迫感を好きにはなれなかったため、もう少し格の下がる宿屋で夜を過ごすことになったのだ。

 道なりにまっすぐ進むと、金物屋の看板が見つかり、十字に分かれている道を左に曲がる。するとすぐに銀の鶏の看板が風に押されて前後に揺れているのが見えた。

「あら、中々レトロな感じがして、いい宿屋ですわね。私の街にもこんな宿屋がほしい物ですわ」

「どうせ利用しないだろ……」

 男のオススメは、どうやらエリザの趣味に合ったようだ。元は白であったろう外壁の色が、雨などでくすみ、所々黒く変色している。それなりに手入れはしてあるのか、苔や蔦といったいかにもありそうな植物は生えていなかった。

 宿屋の扉を開けると、頭上で鐘の音が鳴る。来客を知らせる音色に導かれて、店の奥から宿屋の主人と思われる髭の男がやってきた。

「やや、どうもどうも。お泊りで?」

「ええ。三名なんですけど、お部屋空いてますの?」

「えぇえぇ大丈夫ですとも。お一人様一晩で銀貨二枚なんですが、平気で?」

「飯は付くのか?」

「はい。朝と晩だけですが」

「じゃここで決まりですわね。いいでしょレオン」

「いいかエル?」

「いいよ!」

 意見がまとまったところで、宿の主人が鍵の束を持ってレオンたちを案内する。一階は食堂になっているようで、宿泊部屋は二階だけとなっていた。エリザが気を使い、エルと同じ部屋に泊まろうとするが、エルも大人ぶりたい年頃なのだろう、わがままを言って三人ともそれぞれ別の部屋に宿泊することになった。大事をとってエルの部屋とは正面になるようにレオンが、隣にエリザが入りエルを囲む。

「なにかあったら、どっちのでもいいから部屋に来いよエル」

「大丈夫だよ、私だって一人で寝れるもん」

「トイレとか平気ですの?」

「暗いのなんか怖くないもん」

 夜の闇にびくつくような年齢でもないのだろう。エルの言葉を信じて、レオンとエリザもそれぞれの部屋で自由にくつろぐことにした。

 レオンが棒になった足を放り出し、背中に固いベッドの感触を味わっていると、エリザの声が扉の向うから聞こえた。

「これからエルちゃんと街の観光に行こうと思うのだけど、レオンもついてきます?」

「一緒に行こうレオン!」

 エルも同行するらしい。この誘いには乗らなければいけないはずなのだが、レオン自身で別の用事があったし、エリザが側にいるのなら安心だと考え、レオンは街の探検を断った。

「じゃあ行ってきますわ」

「夕飯には帰ってこいよ」

 足音と共に気配が遠のく。階下から微かに鳴る鐘の音を聞いてから、レオンは窓から下の街路を見下ろす。実の姉妹のように笑い合いながら表道へと歩いて行く二人を見届け、レオンも行動を開始した。

 持っていく剣は一本だけ。英雄たちの所有物の三本の内からではなく、レオンが普段から愛用している物だった。それというのも、『四英雄』が使用していた特別な剣は、所有者にしか鞘から抜けないようになっており、レオンにも、ましてや他の一般人にもその力を使うことはできないのだ。四本の剣は厳重に封印されていたものの、他者による悪用が困難であったことから、剣の封印場所は公開されており、王国の警備の元で『四英雄の旅路』という観光コースの最終地点として、一般公開されていたのだった。

 レオンがこれを持ち出すことができたのは、そういった警備兵などの油断を逆手に取った上でのことで、盗み出した際にはかなりの話題になるものかとレオンも身構えていたのだが、まだそれほど事件として取り上げられてはいないようだった。

 警備している王国が真実を隠蔽しているのか、それとも所有者である『四英雄』たちが見て見ぬふりをしているのか。『勇者』の反応からも、その答えはわからずじまいであった。

「あなた様も、おでかけで?」

「夕食には帰る。準備しといてくれよ」

「それならよろしいのですが、どうかくれぐれも『夜』は外出なさらぬよう、お願いします」

 強調された時間帯に、レオンは違和感を感じた。夜間は店の出入口を封鎖してしまうということなのだろうか。宿の主人の口調は、そういった単純なものではないような気がレオンにはあった。

「なにかあるのか?」

「はい……。先ほどお出かけになられたお連れ様にもお伝えしたのですが、最近になって妙な事件が、この街で起こり続けているのです」

「事件?」

 この街に訪れた時は、治安の悪そうな街には見えなかったものだが、この大成功を収めた都市の裏側で、レオンは物騒な匂いを嗅いだ。『英雄』が住んでいるという街で、未だに解決されていない事件が、民衆を悩ませているという。

「よくある通り魔の話なんですけどね。キャミア様の指示の元で街の憲兵も見張っているようなのですが、これがまだ犯人の影も形も発見されていませんで、襲われた人らも咄嗟のことでなにも見てないって言うんですから、怖い話ですよねぇ」

 目撃者皆無の真夜中の通り魔。宿の主人から詳しい話を聞くと、犯行内容自体は単なる殺傷事件らしく、金品の強奪や性的暴力の後も見受けられないことから、ただ人体を斬ることだけを目的とした犯行である可能性が高いという。正体不明の犯人は、人々から畏怖の念を込めて、夜を牛耳る怪人『ナイト・ジャック』と名付けられた。

「まぁそんなわけですから、あんまり夜中にであるかない方がよろしいですよ。奴にいつ襲われるかわかったものじゃございませんから」

「わかった、気をつけよう」

 素直に忠告を受け取り、レオンは鐘の音をくぐった。

 レオンの用事は、ただの情報収集だった。バモンという酒場であった老人から入手できたのは居場所だけ。それ以上の詳細は、現地で直接手に入れた方が信頼性がある。人の多い表通りで集めたかったが、エリザやエルと蜂合わせると取り繕うのが面倒だったので、仕方なくレオンは裏通りを歩きまわり、住民から『女王』キャミアに関する情報を収集しはじめた。

 集中して集めたのはキャミアの居城についてだった。城から街にやってくる理由を知れば、キャミアと一対一で戦えるように作戦のとりようがある。だが話を聞いてまわるうちに、キャミアを街で見かける時は、必ず護衛の者が何人か側にいるらしい。相手は領主なのだから当然といえば当然の結果だ。

 レオンは裏通りからでも眺めることができる、丘の上の城を見上げた。夕暮れの空を背景に悠然と建つ巨大な城。レオンの胸中に「暗殺」という言葉が浮かんだ。

(……馬鹿馬鹿しい。なんのために剣を持ってきてると思ってる)

 英雄を英雄たらしめているのは、魔王を倒したという「伝説」である。ではその伝説を後世に伝えるために必要だったものはなんなのか。

 『四英雄』の剣。悪を退ける人智を越えた力。その力を自由に行使できる人間を、人々は『英雄』と呼ぶのだ。

 レオンがこの剣の封印を解き、ただの人と成り下がった彼らにわざわざ剣を渡しているのは、単に強者を求めているからではない。あの『儀式』で得た力の一端である剣を持たせることで、四人を人ではなく『英雄』として殺すことを望んだからである。気付かれずにただ殺すだけでは、己の悪夢を払うことはできないと、レオンも漠然とだが理解していた。

 陽が沈む。空が黄昏ていく中、レオンは宿の主人の警告通り、完全に暗闇に街が包まれる前に、宿屋へ帰ることにした。街灯がまばらに明かりを灯し始め、いよいよ夜の気配が近づいてくる。

「血と炎の香しさに惹かれて来てみれば……。あなた、どこかで会ったことない?」

 どろりとした血生臭さが、レオンの鼻を刺激した。宿屋の手前、金物屋の十字路。店の影から現れたのは、漆黒のドレスを纏う女だった。

「……あんたが、今街で噂の通り魔か?」

「さぁ? なんのことかわからないわね」

 女は美しかった。搾り出したかのようなごく僅かな日光の中で、女の顔の造形ははっきりと浮かび上がっている。

 切れ長の目と薄い紅色の唇が女の妖艶さを増長させる。金色の髪は砂金のように煌き細糸のように流れ綿のように舞い上がる。肌の色は白く輝き、年齢にしてまだ成人を迎えていないように思える。それでいて女として完成している風格。首筋を舐める艶めかしさ。少女と言うには大人びて、熟女と言うには若すぎる。女の成長段階の中で見られる一時期の神秘を永遠のものとした、奇跡の女がレオンの目の前に突如として現れたのだ。

「はじめまして、でよろしいわよね旅の御方?」

「さてね。俺はあんたの素性をまるで知らないからな」

「じゃあ互いを知るために、お茶などいかがかしら?」

「悪いが、夜は怖い怖い怪人がでるらしいから、一足早く帰らせてもらえると助かる」

「男の癖に意気地のないこと……。『勇者』を倒した人間の台詞とは思えないわね」

 クスクスと女が笑う。レオンは腰の剣の手を回す。英雄の剣を持ち合わせていないことを思い出し、強く舌打ちした。

「『女王』、キャミア・ルードヴァンベッヒか?」

「うふふ、ご名答。ま、これでわからないのは、ただの馬鹿か間抜けよね」

 キャミアの動作は、いちいち色っぽかった。口元に寄せた小さな手の挙動に、一瞬レオンの目が奪われる。急いで視線をそらし、首を左右に振った。

「あなたのことは私の諜報員がすべて調べさせていただいています。お会いするのはきっと二度目なのでしょうけど、あなたの旅のことは大体は知っていますのよ」

「『女王』陛下は覗き見が趣味でいらっしゃられるようで」

「これから私を殺しに来られる方を恋焦がれるのは、悪いことかしら?」

 キャミアの言葉には殺意や敵意といったものが感じられなかった。レオンに会いにわざわざ城から降りてきたのも、気まぐれの一種なのだろう。護衛も付けずに一人で会いにきたのは、諜報員の情報からレオンが今、英雄の剣を持っていないことを知っているからだろうか。

「力を持たない、護衛連れていない私を襲わないのは、やはり私たち『四英雄』に剣の力を使わせ、『英雄』として殺すためなのかしら? ……自分から困難な道を選ぶなんて、あなたマゾヒスト?」

「痛いのは嫌いだ。だがいたぶる趣味もないんでね」

「余裕ね。『英雄』としての力がない私なら、どうとでもできると思っている……。意外とうぬぼれ屋さんなのね、あなた」

 『儀式』を行う以前も、彼女らは魔王の軍勢と戦いを繰り広げていた。ただ剣の扱い方だけを見ても、腕は一級品であることは確かだろう。『勇者』バン・デュラミスとの戦いの際は、彼の感情の昂ぶりが剣の技術を曇らせ、勝利できたのはその結果にすぎない。英雄譚の中で『女王』が剣の扱いに精通していた、という記述は無いが、それでも油断できる相手でないことは明白だった。

「安心しなさい。今ここで戦う気はないわ。あなたもそれを望んでいるわけではないのでしょう?」

「ただお茶会の誘いにきただけか?」

「直接顔を見たかっただけよ。あの村で『生き残らせた』子がどんな成長を遂げたのか、死んでしまう前に見たかっただけ」

「それは、あんたがか?」

「やぁね、そういう冗談は嫌いよ」

 静かにレオンに歩み寄るキャミア。優雅な指先がレオンの頬を撫で、離れ際に綺麗に整えられた爪先が、顎の先を軽く引っ掻いた。

「お城の方は開けておくから、私に会いたくなったらいつでも訪ねてきなさいな。私も、あなたにとって『相応しい準備』をして、待っているから……」

 それだけ言い残して、キャミアは真っ暗な路地を帰っていった。レオンの身体から一斉に汗が吹き出す。間近に迫った大きな瞳が、残像となって眼球に揺れている。この感情は恐怖ではない。そう思いたいレオンだが、そう考えた分だけ、汗の気持ち悪さが増した。

「『女王』……キャミア・ルードヴァンベッヒ……」

 知らず知らずのうちにつぶやく、敵の名前。呼べばすぐ隣で返事をしそうな存在感が暗闇に残留している。振り払うように、レオンは宿屋へと戻った。

「やぁ、お帰りなさいお客さん。心配しましたよ、もうすっかり暗くなってしまいましたから」

「心配させて悪かった」

「いえいえ、私なんかよりもお連れ様に無事を伝えてください。心配していらしたようですよ。今、食堂の方でお待ちですから」

「世話になる」

「仕事ですから」

 夕食の準備に厨房へ戻る宿の主人。言われた通り食堂へ行くと、入り口のすぐ近くでエリザとエルが暗い面持ちでレオンの帰りを待っていた。

 レオンの帰宅に二人が気づくと、いち早く席を立ったのはエリザだった。

「遅いですわ!」

「悪かったよ」

「平気、レオン?」

「ああ。残念ながら、噂の通り魔には会えなかったがな」

「そんな冗談はやめてくださいですの!」

 エリザがレオンを叱りつけた。軽率な言動だったことに気づき、レオンは頭をさげる。無事を祈って待っていてくれたであろう二人に対して、デリカシーにかけていた一言だった。

「……本当にナイト・ジャックについて調べていたんですの?」

「まさか。俺が厄介ごとには首を突っ込まないことをしらないのか?」

「わたくしの喧嘩に割入ってきたのは、どこのだれですの?」

「レオンだよねー」

「あれは俺の意思じゃない」

レオンの旅は世直しのためでも、人助けのためにでもない。言うなれば逆。世界を安定させている楔を砕くことで、著しい混乱を撒き散らそうという存在。本人はそうと決めて実行しているわけではないが、結果的には世界に無為な騒ぎを植えつけようとしている。たまに善行を積むのは、そういう後ろめたさへの慰めなのだ。

「とにかく! この街にいる間は夜出歩かないようにしましょう。用事がすみましたら、すぐにでもこの街を離れますわよ」

「えー! もっと遊びたーい」

「俺の用事も、当分済みそうにないしな」

「そうですよ。夜さえ避ければ、この街の治安はとても良いのですから、もう少しゆっくり観光してください。そして私の宿を使ってください」

「なんでご主人まで……」

 夕食の配膳に宿の主人がやってきた。商売人魂を燃やしながら、レオンたちの滞在を強くすすめる。きっとこの街の良いところを、エリザやエルにもっと楽しんでもらいたいのだろうという気持ちもこもっているはずだ。半分くらいは。

 善意と欲望の厄介さを知り、レオンはひとつ賢くなった。

「ナイト・ジャックは家の中に進入してまで人を襲う怪人ではないと聞きます。戸締りをして下手に出歩かなければ安心ですよ」

「そうだといいがな……」

 壁をすり抜けてやってくるような怪物、魔物でもなければ閉じこもった人間を襲うのは難しいことだろう。夜に外を歩く無用心な輩がこの街から消え、ナイト・ジャックが己の欲求を抑えきれなくなったのなら、もしかしたら無理やり扉を蹴り破ってくる可能性は否定できなかったが。

「さぁさ、とにかく夕食にしましょう。この街の名産品であるトマトをふんだんに使った特性のパスタ料理です。お口に合いますでしょうか」

「綺麗な赤色……。とても美味しそうですわ」

「トマト……」

 明日の食料にも困る生活をしていたエルにも、子供らしく好き嫌いがあった。

「大丈夫だエル。ちょっと酸っぱいだけだ」

「うん……。大丈夫、トマトだって食べるよ!」

 これもトナテオの教育の賜物だろう。ためらう素振りはみせるが、基本的に出された食べ物はすべて食べるように躾てあるようだ。レオンが背中を押してやり、意を決してトマトソースで味付けされたパスタを食べるエル。我慢して頑張って噛み砕いていたエルの顔が、突然明るくなった。

「甘い!」

「この街で取れるトマトは他のトマトよりも甘味がありましてね。トマトの嫌いなお子さんでも、安心して食べられると評判なんですよ」

「野菜よか果物みたいだな」

「ほのかな酸味が絶品ですわー!」

 各々が甘いトマトソースのパスタに舌鼓を打つ。エルとエリザはたまらず二杯目を注文していた。宿の主人も自分の料理を楽しんでくれている二人に、嬉しそうに笑顔で対応している。

 レオンは二杯目をいただく気にはなれなかった。パスタに混ざるトマトの色が、先ほどの『女王』との出会いで、どこか血の色に見えていた。食欲の無さを気取られぬようなんとか一皿平らげて、レオンはエリザたちを食堂に置いて、部屋へ戻った。

 腹の底に入れた物がせり上がる。嗚咽を噛み殺し、ベッドに倒れ込む。『勇者』を殺してから今日まで、夜に寝床に倒れこむことが多くなった。野宿の時はエリザやエルに心配をかけまいと、誤魔化すことに精一杯だった。

(気持ち悪い……)

 胃液が喉まで遡る。焼ける痛みで目の端に涙が浮かぶ。闇の中に無数の瞳が浮遊している錯覚。逃げるようにレオンは目を閉じた。

 睡魔がやってこない。いつもならこのまま眠り、夜中に悪夢で目が覚め、朝日が昇るまで剣を振る。その循環から抜け出るために、この旅をしている。だが眠れない。神経が逆立っている。

 眠るのを諦め、レオンは不眠のまま身体を動かす。腕立て伏せや腹筋などの訓練と、素振りによる精神統一。せめて疲労で眠気を誘おうと努力した。全身が流れ出る汗で濡れていない箇所がなくなったころには、東の空から仄暗く陽の光が差し始めていた。

 結局一睡もできないまま、レオンは各部屋に用意されている小型のシャワー室で汗をすすぎ流す。蓮口から噴き出す湯がレオンをうつ。幾許か、緊張で収縮した筋肉がほぐれていくような気がした。

「おはようございますわ、レオン。……あら? 目の下に隈がありますわね。寝不足ですの?」

「寝付けなくてな。まぁ平気だ、眠いのは慣れてる」

「ずいぶんと色々なことに慣れてますのね。旅のおかげですの?」

「そういうことにしといてくれ」

 ふわふわと徹夜をした時特有のゆったりとした思考で、エリザの皮肉をかわし、レオンは大きく欠伸をした。朝のまぶしさに気が緩んでしまったのか、今頃になってレオンは眠気を実感しはじめていた。

 朝食のために階段を降りていたエリザが、エルがまだ部屋から出てこないことに気づいた。自室の前をうろつくレオンに、エルを起こすように呼びかけた。うつろな返事がレオンから返り、だらけた姿勢でエルの部屋に入っていく。

「…………遅いですわね」

 エルの部屋から物音ひとつしないまま、数分がたった。エルはともかくレオンまででてこないのが不思議なエリザは、きた道を返り、部屋の中を確認する。

「……すー」

「……ぐー」

 寝ていた。エルはそのままといった形で横になっており、レオンはエルの身体を触ってはいるが、そこで力尽きたのかベッドに突っ伏しながら寝息を立てている。

 エリザは深く息を吸った。

「ふたりとも起きなーい!」

 早朝に啼く雄鶏のように、エリザの怒声が宿屋に響き渡った。


               ◇

 

 朝食を終えた三人は、眠たそうなレオンを引っ張り出して表通りを歩いていた。昨日とまるっきり同じく、大勢の人々が忙しなくあちらこちらへと歩を進めている。

「それで? あなたの用事って一体なんですの?」

「え? 俺?」

「『ナイトパイア』に進路をとったのはレオンですわ。昨日の夜も、「まだ用事がすんでない」とおっしゃってましたし。わたくしたちも手伝いますから、はやくこんな物騒な街からは出発しましょう」

 レオンは言葉に詰まった。あの時はここを離れるというエリザを納得させるためにその場しのぎに言っただけで、それ以上の言い訳を考えてはいなかった。領主を殺す、などと真正面から言えるはずもなく、レオンはどうお茶をにごすか頭をひねる。

「あー……。まぁ、人探しだな。人探し」

「人探し?」

「そう、人探し」

 その探していた人物とはすでに昨日の夕方に会ってはいるが。レオンにはこれぐらいの理由しか咄嗟に浮かんでこなかった。とはいえ、どうやらエリザの目を誤魔化す程度の弾幕にはなってくれたようだった。

「その人はどのような方ですの? よければ一緒に探しますわ」

「レオンの探しもの手伝うよ?」

「いや、口で言ってもわからんだろうし、それに会う約束も取り付けてある。数日中には約束の場所で落ち合う算段になってるから、それまでこの街でのんびりしていればいい」

 レオンはほとんど嘘をつかずに、エリザの捜査の手をかいくぐった。間違っているとすれば、探している人間は口で言えば誰もが知ってる人物である、という部分だけだ。

「もしかして女性の方かしら?」

「どうかな」

「やらしい方ですわね、あなたも」

 とびきりの美人に会いに行くといえば、エリザの批難もまんざらはずれでもなかった。レオンにとっては、そこまで軽い言葉で片付けられるほど単純な問題ではなかったが。

 エリザが軽蔑の眼差しをレオンに向けていると、急に人混みが騒がしくなった。川が堰き止められるかのように、歩いていた人間たちは皆立ち止まると、数々の乗り物が通行する中央の道に顔を向けた。

 馬蹄が石畳を踏む音が聞こえる。大勢の目線の先には、上質な赤茶色の毛並みをした馬が闊歩している。その馬に革紐を引っ掛け、引かれていく車が一台。上流階級の人間が移動用に使う豪華な馬車が、道の中心を悠然と行く。

「あれ、領主様の馬車じゃないのか?」

「ああ、我らが『女王』様専用の馬車だ」

 人が集まってくる。レオンたちは一番外から馬車を眺めているはずだったが、気がつけばそのまた後ろにも、『女王』の姿を一目みたいとかけつけた野次馬が列をなしている。できるだけ前でみようとする民衆心理から、レオンたちの身体は翻弄され、前にある背中に押し付けられた。

「く、苦しい……ですわ」

「助けてレオーン!」

「あーあー……。エル、こっちこい」

 レオンが狭い中でどうにかしてしゃがみ、目を回しているエルを担ぎ上げた。レオンが立ち上がると、エルの頭は人の壁をゆうに超え、息苦しさから開放された。

「たかーい!」

「あ、ずるいですわ! わたくしも!」

「俺は一人だ……。我慢しろ」

 エリザが視界を確保できないのをよそに、エルとレオンは通り抜けていく馬車に見入った。初老の男が手綱を持ち、ガラス窓が張られた籠の中には数人の影が見える。いかつい男たちに守られるように、見目麗しき『女王』が座っていた。見間違えるはずはない。レオンの拳に自然と力が込められる。

 『女王』がこちらをちら、と見た。群れの中でも一際目立つレオンを見つけ、薄く微笑んでから、また前を向いた。

「馬車の中にいたきれいな女の人が、『女王』さま?」

「たぶん……! そう……! ですわね……!」

 エリザは定期的に訪れる圧迫感に負けじと声を出す。限界が近そうだった。

 『女王』の馬車が見えなくなると、ようやく人の群れも薄れてくる。エリザもそれらから解放されて、一息ついた。美しかった髪の毛はボロボロになり、体力も根こそぎ奪われていた。

「じょ、『女王』人気を、侮ってましたわ」

「街を発展させるきっかけになった奴なんだろ? 当然の反応だと思うがな」

「次に『女王』さまがみえたら気を付けないとね」

 肩車していたエルをレオンが地面に下ろす。同時にエルが『女王』の行った道を目指して駈け出した。数歩ほど行って立ち止まると、馬車があるであろう方向に手を振った。

「さよーならー!」

 無垢なその姿にエリザもレオンも微笑する。エルが別れを終えてレオンの元へ戻ろうとした時、通行人にぶつかり、エルが盛大に転倒した。エリザがすぐに駆け寄る。

「大丈夫エルちゃん? どうもすいません、この娘が……」

「ああ? 邪魔なんだよ、ガキが!」

「まぁ……! あなた言い方ってものがあるでしょう!」

「なんだと? やるのかこのアマぁ!」

 つっかかるエリザをレオンが手で制する。出掛かりを潰されて、エリザは仕方なく拳をしまった。

「すいませんね。少し血の気の多い女でして」

「なんだお前、こいつらの仲間か? じゃあそこのガキに言っとけ、ふらふらと歩いてんじゃねぇってよ! 道の真中で邪魔なんだよ! あぁ!」

「まぁ、その話はあっちの路地の方で……」

 そういって、レオンは狭く暗い路地の方へ男を誘導する。二人が路地に入り、数秒後にレオンだけが戻ってきた。力を抜いて、右手をぷらぷらと振っている。

「……意外ですわね。あなた、そんな熱血漢でしたの?」

「別に」

「ううう……」

 転んだ時に擦りむいたのか、エルの腕から血が出ている。目元には涙がたまり、なにかの拍子でこぼれてしまいそうだった。

「エルちゃん大丈夫? ……大変、すぐに消毒しないと」

「痛いよー……」

 鼻をすする音がする。レオンは泣きべそをかくエルの目の前にしゃがむと、その頭を力強く鷲掴みにした。

「エル」

「……なぁに?」

「泣くな」

 レオンの眼差しは真剣だった。涙で濁るエルの瞳を見据え、レオンは語りかける。

「ちょっと痛いくらいで泣くようだと、じいさんにあの鶏肉を食わせてやれないぞ」

「……おじいちゃん」

「お前は強くなるんだろう?」

「……うん!」

 エルは涙を拭った。一人でも生きていけるようになるという決意を新たにし、両足に力を込めた。すでに涙はなく、胸を張る姿には威風を感じる。

「えらいぞ、エル」

 照れてはにかむエル。二人の親子のようなやり取りに、エリザも頬を緩めた。

 エルの傷を消毒するため、一行は医者のもとへ行き、そこで簡単な治療を受けた。傷口へ染みる消毒液の痛みにも、エルは耐えて耐えて耐えぬいた。治療が終わった時には若干涙声ではあったものの、レオンとの約束がエルの心を支えたというべきなのだろうか。

 それから街を周り、エリザの買い物に付き合ってから、レオンたちは宿屋へ引き返すことにした。少し遅くなったか、すでに空の色は薄暗い紫色へと変わっていた。

「ずいぶんと暗くなってしまいましたわね」

「そうですね」

「……なにか言いたそうですわね」

「別に。ただ怪人がどうとか、早く離れたいと言っていた割には、度胸があるなと」

 お金持ちとはいえ、住んでいたのはここよりも小さい町だったエリザにとって、都会のお店は刺激が強かった。あれもこれもと表の商店を回っているうちに、予定していた時間を大幅に過ぎてしまったのだ。

「そ、それは……その…………ごめんなさい」

「わかればよろしい」

 見慣れた十字路にさしかかる。金物屋の看板が錆びた金属の音を鳴らせる。暗闇の向うにキャミアの姿を投影させる。

 今日は念の為に英雄たちの剣を持ってきてはいる。だがエルたちが代わりにエルたちがそばにいる。城で待っていると言ったキャミアが、昨日の今日でまたやってくるとは思えないが、もしキャミアの放った刺客などが攻めてくれば、果たして二人を守りきれるか。

 守れないとは言わせない。レオンにはそう、クォルトの声が聞こえたような気がした。事の発端はどうでもいい。エリザやエルの同行を許したのは紛れもなくレオン自身だ。守れる自信があった。その時は。

 突然、目の前の暗黒から鳴る固い靴音が、レオンたちの鼓膜を揺らした。反射的に身構えるエリザとレオン。エルはきょとんとしている。近づいてくる足音に導かれる緊迫感。うっすらと、人影が浮かび上がってくる。

「まさか……でましたの?」

 エリザの問いに沈黙で答えるレオン。この時間帯に出歩く住人がいるとは考え難い。未だ被害者がいることからその可能性もなくはなかったが、とてもそんなふうに楽観視できるはずもなかった。

 姿を現した怪人。この街の夜を司る者『ナイト・ジャック』。漆黒のマントに包まれ、闇の静寂を乱す者を斬る断罪者。不敵に笑んでいる模様の仮面をかぶり、頭には黒色と先端に白い珠をつけた、二股のパーティ帽。その配色以外は、まるっきり道化師そのものであった。

「『ナイト・ジャック』……で、いいのか?」

 こくり、と怪人の頭がわずかに振れた。今までの『ナイト・ジャック』の事件はすべて咄嗟のことで被害者もなにがあったのかわからないという話だったが、今回の『ナイト・ジャック』はどうやら意思疎通する時間までレオンたちに与えてくれるらしい。

「た、戦いますのレオン?」

「さてな。奴さん次第だな」

「平気? レオン」

「死んだりはしないさ。まだな」

 ナイト・ジャックのマントの中から、すらりと白刃が伸びる。獲物を目前にして逃すほど欲求が足りてはいないらしい。レオンも背中に装備した愛刀を手に、構えた。

 ナイト・ジャックが地面を蹴った、と思った次の瞬間には、すでにレオンの刃と怪人の刃がぶつかり合っていた。金属の衝突する甲高い音がエリザたちの身を竦ませた。

「エリザたちは先に宿に戻ってろ。こいつは俺が足止めする」

「で、でも……」

「俺は腕が立つ殿方なんだろ、お嬢様」

「わ、わかりましたわ。すぐに人をよんできますわ!」

 腰を抜かすエルを抱き起こして、エリザは宿屋への道を疾走する。ナイト・ジャックはそれを追う予兆すら起こさずに、レオンと切り結ぶ。

「だとさナイト・ジャック。人が来る前に、逃げたほうがいいんじゃないか?」

「フフ……。そうも行きませんな」

 男の声。若々しさは感じられず、老人のしゃがれた声が、ナイト・ジャックの喉から発せられた。だが老齢の男にしては反発する力は強い。

「これも我が主人の命。簡単に持ち場を離れてしまうのは、執事としての尊厳が許しません」

「執事……?」

「そうです。主人のために身を費やし、身を粉にし、命すら捧げる。それが私の執事としての尊厳。運転手もまぁ、その仕事の一環ですよ」

「運転手……? ……お前!」

「お気づきですか? いやはや勘がよろしいようで。ですが主人に言わせれば、これぐらいできなくてはただの馬鹿か阿呆だ、と言われてしまいますがね」

「キャミア・ルードヴァンベッヒ……!」

「そうです。それこそが、我が主人のお名前でございます」

 レオンの剣が弾かれる。距離をとり両者後方へ跳ぶ。『女王』の執事だと語る男、怪人『ナイト・ジャック』。夜に隠れて人を襲うことをキャミアが命じたのか。それともレオンと接触させるために『ナイト・ジャック』を演じさせているのか。どちらでもいい、とレオンは怪人に斬りかかる。

 レオンの剣を紙一重で躱すナイト・ジャック。キャミアの運転手の姿は、馬車が通った際に見ている。領主の運転手として相応しい姿勢と身嗜みだとレオンは思ったが、ここまで武闘派だとは想像だにしていなかった。位は違えど同じお金持ちであるエリザの使用人があれなのだから、やはり主人の側近的立場のものは強くなければならないのだろう。

 レオンの斬り込みを踏み込みながら躱し、無防備な腹に膝蹴りが入る。強烈な閉塞感に息が排出される。レオンがよろめいた隙をつき、ナイト・ジャックの白刃が水平に振り抜いた。レオンは即座に顔を上げて剣の軌道から外れた。前髪と目の下の部分が浅く斬られて、路上に血の斑点を作った。

「じいさん、あんた強いな」

「こんな年寄りを捕まえて、なにをおっしゃりますか。しかし、もしこの私に本当に敵わないのであれば、我が主人を超えるなどとてもとても」

「超えてほしいのか? 『女王』を」

「そういうわけではございません。が、主人からは決してあなたを殺さぬように申し付けられておりますので。あまりにも弱すぎると、こう、はずみで、主人の命を破ってしまいそうでして」

「いい挑発だなじいさん。伊達に長くは生きてないか」

「最近では身体にガタがきているのでね。早めに若いものに次を任せたいものですな」

「執事ってやつは冗談もうまいらしい」

 レオンが動く。剣を走らせ、ナイト・ジャックと再び切り結ぶ。二度、三度と火花が光る。レオンがナイト・ジャックの剣を大きく上に弾き飛ばし、懐に潜り込む。仰け反った状態で格闘戦もなにもない。そのまま半身を逸らしながら距離を取ろうとしたところを、反応の遅れた軸足を狙い、レオンが踏んづけた。

「ぬ……!」

「お返しだ、じいさん」

 足捌きを中途半端な箇所で止められ、大きく隙を作るナイト・ジャック。空いた腹にレオンが膝蹴りを叩き込む。深く肉体にめり込んだ膝はナイト・ジャックの内蔵にまで衝撃を余すことなく伝える。

「ごぉ……!」

 肺の空気がすべて絞り出される。吐瀉物を仮面の下から垂らしながら、腹を抑えてナイト・ジャックは両膝を地面につけた。

「悪い、老体だったな」

「ごふっ……! フフ……、もう少し若ければ、このような不覚はとりませんのになぁ」

 ナイト・ジャックの首筋に刃が向けられる。レオンはすぐに止めをささなかった。キャミアの側近であるならばそれ相応の情報を持っていると踏んだのである。レオンはその情報を引き出そうとしている。内心では、この忠義厚き男が主人の秘密を大人しくしゃべるとは微塵も思っていなかったが。

「じいさん、なぜキャミアはあんたにこんなことをさせている? それとも、あんたがナイト・ジャックなのは今日この夜だけなのか?」

「『ナイト・ジャック』ですか……。確か、この街の夜を牛耳る怪人、という触れ込みでしたか?」

「ああ。そんなことを、言っていた気がする」

「フフ、この街を夜の間だけとはいえ、我が主人から奪う怪人ですか……。なんとも不敬な話でございますな」

 老人は、なにか話をもったいぶっているようだった。レオンが刃を首筋にさらに近づける。薄く肌が切れ、血液が老人の首を伝う。

「ナイト・ジャックのことはどうでもいい。『女王』キャミアはなぜあんたにこんな真似を……」

「わかりませんか? あなたもおっしゃったではありませんか。私に対して、あの御婦人方を逃がす際に。お忘れですかな?」

「お前……!」

「少し稼いだ時間も短すぎましたかな。やれやれ、これでは帰っても私の居場所はございませんな。どうぞ、私のことはご自由になさってくだされ」

「ふざけろ、くそ!」

 首をさしだす老人を無視し、レオンはエリザたちの元へ全力で駆けた。

 迂闊だった。この距離ならば宿屋まで誰にも襲われないだろうと、勝手に決めつけていた。レオンはどこか自惚れていた。自分ならなんだかんだで二人を守ることができるだろうと。愚かな自分を殺したい気分だった。

「あら、役立たずの騎士様のご到着ね。うふふ、セバスももう少し意地を張ってほしかったわ。こんな未熟者を相手にして時間も稼げないようだと、彼もただの馬鹿か阿呆だったようね。帰ったら解雇にしなきゃ」

 辿り着いた時には、なにもかも遅かった。エリザは肩や太ももから血を流し、それでもエルを守ろうと立ち上がっていた。エルは『女王』の片手に首を捕まれ、苦しげにもがいている。

「ごめん……なさい。エルちゃんを……」

「いい! わかったから座ってろ、出血がひどいぞ!」

「安心なさいな。そのくらいの傷ならそうそう簡単に死にはしないわよ。毒を使ってるわけでもないしね」

 キャミアはエリザを傷つけた剣を見せつける。血の雫が滴り落ちていく様に、レオンの身の内で怒りが込み上げてくる。心の底から沸き上がってくるレオンの殺意が、キャミアの気分も盛り上げさせる。

「そうそうその調子よあなた。憎しみで恐怖をかき消しなさい。そうすれば、臆病者のあなただって、私の城にやってこれますものね」

「キャミア様……なぜ、このようなことを!」

「人が秘密にしてることを暴露するほど、私も鬼ではないわ。詳しく知りたければ本人に尋ねることね、お嬢ちゃん」

「レオンに……?」

 あくまでこの惨事の原因を、本人の口から語らせようという意地の悪さが、キャミアにはあった。親切心などでは決して無く、ただレオンに重圧を加えようとしているだけだ。

 レオンは黙っている。エリザはレオンに問い詰めようとするが、エルの苦悶の声を聞いて、まずはこの場を乗り切ることが最優先だと悟る。

「その娘を離せ、キャミア」

「この娘がこうなっているのはあなたが悪いのよ。優雅に肩車なんてしてるから、顔、覚えちゃったもの」

 キャミアが馬車からレオンたちを見つけた時には、エリザは群衆に潰され見える位置ではなかった。レオンと、その肩に乗っていたエルは、キャミアにしっかりと顔を見られていた。今回、エリザがキャミアに捕まっていないのは、その程度の優先順位だったのである。

「離せと言った」

「あら怖い顔。この娘に傷をつけたら、その顔はもっと醜くなってくれるのかしら?」

 レオンは動けなかった。エルを無闇に傷つかせるわけにはいかない。できるなら無傷で取り戻したい気持ちが、レオンの足を鈍らせる。

 キャミアの刃がエルに向けられる気配はない。だがレオンの剣がキャミアに到達するよりも、キャミアがエルの首筋に切れ込みを入れるほうが、どう考えても早い。

「そうね、仲間というのはそういうものでなくてはならないわよね。ふふ、馬鹿な男。自分の目的の枷になる者を大事にして、最後にはなにもできなくなるなんて」

「キャミア!」

「卑怯だと思う? ……まぁそうよね。人の宝物を盗んで得意げにするなんて、子供のやることよね。いいわ、返すわよこの娘」

 エルがキャミアの拘束から開放される。首を絞められ呼吸が困難だった状況が長時間続いたせいか、エルが糸の切れたように前のめりに倒れた。

 地面と衝突する前に、レオンは溜めていた力を爆発させ、エルの元へ駆けた。その視線はエルに集中し、他のことなど眼中に入らなかった。エリザの声も、キャミアの笑い声さえも。

 エルが倒れきる前に、レオンの腕が間に合った。抱き支えると、息を吹き返したエルが強く咳をした。レオンがほっと一息つくのもつかの間、キャミアが刺突でエルの背中とレオンの心臓を狙う。一気に貫くつもりだろう。エリザの叫びに我を取り戻したレオンはエルを押し倒し、キャミアの剣から逃れる。レオンの肩に発火したような痛み。剣の先に血が流れる。

「レディを前にして縮こまるような臆病者と思えば、案外大胆に動くのね。頭に血が上ると周りが見えなくなるタイプかしらね、あなた」

 レオンの背後から迫る剣を身を捻って迎撃する。エルを抱えてすぐにその場を離れて、キャミアから距離を置く。エルは気絶しているわけではなく、衰弱しているが自力で動くことができそうだった。

「エリザのところまでいけるかエル?」

「がん……ばる……」

「……巻き込んで悪かった」

「レオン……?」

「早く行け! 危ないぞ!」

 レオンの催促に、エルはたどたどしい足でエリザの方へ近づいていく。

「ようやく、落ち着いて話せるのかしら?」

「城で待っていると言いながら、我慢できずに自分からやってくる。言ってることがちぐはぐだな、それでも『英雄』か?」

「今日はあなたを迎えるための準備にきただけなのだけどね。その娘たちを無様な姿に変えてあなたに発破をかけようとしたのだけど、役立たずな執事をもつと宴の準備もままならないわね」

 すべてはレオンを自分の城へ招くためにやっていることだと、キャミアは告げた。レオンはキャミアの城に出向く日を、自分の中でも具体的に決めてはいなかった。勝算を高めるためにこれをしようとか、この日なら有利に戦えるとか、作戦も考えずただ立ち止まっていた。躊躇っていたといえば、キャミアの指摘通り、レオンは城に行くことを恐れていたのかもしれない。

「好機を与えてあげたのだから、その日のうちに実行なさいな。優柔不断は色々なものを失っていくことになるわよ? 今日の日のようにね」

「ご指摘、痛み入る」

 レオンは腰に下げた英雄の剣をベルトから外す。柄の下部分に装着された紅いガラス玉が、所有者を見分けるための目印だった。

「物のついでだ。そこまでいうなら、今ここでやろうか」

「後ろの方たちに配慮しなくてもよろしいの?」

「お前のおかげで、隠し事はなくなった」

「そう、ごめんなさいね」

 剣をキャミアへと放り投げるレオン。今はただキャミアを殺そうという衝動だけが、レオンを支配している。エルたちを傷つけられた怒りの憎しみが、レオンの中で蠢く数多の恨みと結合していくようだった。

 キャミアは自分が『英雄』となれる力を手に――――取らなかった。受け取ろうと伸ばした手で剣を払いのけ、手に持った普通の剣でレオンに跳びかかる。

「なっ……!」

 見事な不意打ちでレオンの虚をつき、有利を取るキャミア。正面からだったのがせめてもの幸いで、レオンはどうにかキャミアの剣捌きについていく。刃が振るわれ、幾度となく鉄と鉄のぶつかり合いが続く。

「お前、剣を……!」

「必要ないわよ、あんなもの!」

 キャミアの技術はさすがと言ったところだった。素早く、正確に振るわれる剣はレオンにとっては驚異だ。だが目で追えないわけではなく、力を比べてみても先ほど戦った執事の方がまだ強いだろう。

 キャミアの戦い方は、レオンの目には異様に映っていた。力で劣っていながらわざと力での勝負を挑んでいるかのようながむしゃらさが目立つ。真正面から剣を合わせるのは、キャミア本来の戦いではないようにレオンは感じた。

「手加減かキャミア。英雄の力も使わずに、こんな戦い方で」

「そう思うのであれば遠慮無く殺してもらっても構いませんのよ? ……ああ、あなたが殺したいのは『英雄』である私でしたっけ? 残念ね、だったら使ってあげません!」

 レオンを徹底的に揺さぶるつもりか、剣の力に一切頼らずにキャミアは戦う。『英雄』の力を使わなければ、レオンはキャミアを殺さないと確信した言葉。レオンの手に余計な力が入る。

「女だから斬るのはいや? なさけない人ね、こんなつまらない男だと知っていたら、わざわざ生き残らせたりしなかったのに」

 一瞬、レオンの視界が真っ赤に染まった。キャミアの斬撃を力任せに弾く。あまりの勢いにキャミアも柄を握り続けることができずに、剣を離してしまった。

「あは!」

 円を描き宙を舞う剣にキャミアは目を奪われた。レオンは高く足を上げ、武器を失ったキャミアの肩に靴底を当てると、躊躇いなく踏みつぶした。腕の三倍と言われる脚力に女の下半身が耐えられるわけもなく、キャミアは仰向けに地面へとたたきつけられる。肩の骨が外れるくぐもった音がしたが、その痛みをキャミアは感じてはいない。力づくで転倒させられた身体のあちこちから悲鳴があがって、ただ一箇所の激痛すらもかき消した。

「乱暴なエスコートだけれど、やればできるじゃないの」

 足で押さえつけられ、横転で避けることもできないキャミアの胸へ、レオンの剣が突き立った。衣服に血の染みがじわじわと広がっていく。キャミアの口から大量の血液が溢れ出す。溺れるように一度酸素を吐き出した後、キャミアは動かなくなった。

 剣を血の海から引き抜くレオン。穴の開いた胸から血の塊が飛び出し、路上を赤く染めた。

「レオン!」

 エリザがやってくる。布を裂いて作った包帯による応急処置が痛々しい。

「殺して……しまったんですの?」

「ああ」

「なにもそこまで……」

 レオンは答えることができなかった。相手は『英雄』と呼ばれるほどの腕の持ち主で、手加減されていたとはいえ生け捕りにするなど不可能だっただろう。それに、レオンには初めからキャミアを生かして帰すという選択肢はなかった。キャミアの妖気が恐怖を呼び寄せ、挑発が怒りを生み、レオンの思考回路は正常に作動していなかった。ぐちゃぐちゃに混ざり濁った感情がレオンを蝕んだ。

 キャミアの死体から広がる血溜まりが二人の靴を濡らす。直接触れているわけではないのに、染み入ってくるような触感が脳髄を刺激する。粘液のように絡みついて、あまりいい気分ではない。

「とにかく人を呼びますわ。キャミア様の死体をこのままにしておけませんわ」

「通報するか、俺を?」

「それは話を聞いてからですの。……どんな理由があっても、許されることではないと思いますけど」

「あら平気よ。私、死んでないもの」

 何本もの水流が滴り落ちる音が聞こえる。大雨が屋根に当たり、地面に落下するような音が聞こえる。背後。血の原に横たわる女王が目を覚ます。

 心臓が凍りつく。レオンとエリザの瞳孔が揺れる。ありえないものを見て、身体中の水分が毛穴から放出される。

「迷わず心臓を狙ったのはさすがよね。もっとも、私にとって心臓など飾りのようなものなのですけれど」

「キャミア……!」

「ああ、動かないで。これ以上身体を濡らすのはごめんよ」

 キャミアが手をかざすと、まずレオンたちの足が地面から離れなくなった。地面と同化してしまったのか、いくら力を入れても紙一枚の隙間ほどもできない。

 次に道に広がっていた血液がさざ波を立てた。指の少ない赤い手が足首を掴み、ふくろはぎ、太ももにまで浸食すると、乾いたひび割れの音を立てながら凝固していく。岩が身体を押さえつけている感覚に、エリザが悲鳴を上げる。

「な、なんですのこれ! 血が、固まって……動けませんわ!」

「キャミア! お前、剣も無しに!」

 レオンが投げた剣はまだ道に転がっている。キャミアはそれに触れてさえいないし、興味もないのか視線すら向けない。奇っ怪な術を使う魔女が、レオンとエリザの間を悠然と歩き抜ける。

「ねぇ、あなたの言う剣って、これのことかしら?」

 キャミアはドレスのスカートを捲り上げた。腰からぶら下がるものがある。紅いガラス球を柄につけた、どこかで見たことのある剣が隠されていた。

「言っておくけど、本物よこれ。でなきゃ、普通の人間が胸を刺されて立ち上がれるわけないでしょ?」

 鞘より引き抜く。剣身は白銀ではなかった。反射する光などないのに、その剣は煌々と輝いた。

 紅い刺突剣。理より外れた、人が持たざる超越の奇跡。鮮やかで、闇夜に光り輝き、見るものを畏怖させる圧倒的な『恐怖させる力』。

 魔剣・『紅月の血脈』。

「本物だと……? まさか、あれは偽物か!」

「ご名答。悪かったわね、苦労して盗みだしたんでしょ、あれ」

 愕然とするレオン。キャミアがレオンの渡した剣を捨てたのは、それを持たずともすでに『英雄』であったからだ。

「まぁ所有者以外に抜ける者はいない、っていう代物だから、わからないのも無理ないわね。本物の剣に精巧に似せた剣を鍛冶屋に打たせ、特殊な手順をふまないと抜けないように細工させた鞘を極秘に作らせて、他の三剣と一緒に封印した『ように見せかけた』。とはいっても、『賢者』あたりは気づいていたようだけど」

「だが、剣を持っていたとしても、お前は今死んだだろ!」

「その辺りの説明はまた今度してあげる。その前にやらなければいけないことがあるわ」

 キャミアが見つめる先には、血に汚れた女に怯え、蛇に睨まれた蛙のように微動だにしないエルがいる。逃げようと必死だったが、腰が抜けているの後退ることしかできないでいた。

 レオンはキャミアを止めようとするが、下半身はキャミアの血が岩のような硬さで絡みつき、叩こうが斬りつけようがびくともしなかった。エリザももがいてはいるが、欠片さえも血の柱からはでなかった。

「エルに手を出すな! キャミア!」

「吠えないで。言ったでしょ? 迷えば迷っただけ、あなたは色々なものを失う、と。優柔不断は人を殺すわよ」

 キャミアがエルの髪の毛を掴み、強引にレオンたちの前へ歩かせる。

「痛い! 離してよぉ!」

「ごめんなさい、もう少しの辛抱だから」

 紅き剣が、ボウガンの矢を引き絞るように構えられる。キャミアの表情は、家族でどこかへ遊びに行った子供と同じ、うきうきとしていた。

「これはかなり痛いけど、お嬢ちゃんは耐えられるかしら」

「レオン……!」

「エ――――!」

 ぞぶり、と。エルの脇腹から紅い光が覗いた。細い刺突剣の刃が貫通している。紅剣は血をかぶっておらず、端からみればただの奇術劇のようにも思えた。だが真実としてキャミアの持つ紅き魔剣は、エルの幼い身体を貫いている。

 キャミアが剣を引き抜くと、支えを失ったエルが膝から崩れ落ちた。熱にうなされながら傷口を押さえる。血が溢れだし、キャミアの時と同じように血の池を広げていく。

「エル! エル! 返事しろ、エル!」

「あはははははは! あんなに取り乱して、お馬鹿さんよねぇ!」

「キャミアァ!」

「ふふ、一応情けをかけて死ににくい箇所を刺してあげたけど、この娘の体力で持つかしら? 早く医者に連れていかないと死んじゃうわねぇ!」

 レオンは一目散に駆けて、キャミアの首をねじ切りたかった。腹を刺し、腕を落とし、血が枯れるまで磔にして、苦しませて殺してやりたかった。だが動かない。動けない。紅剣の力なのか、血がしがみついてにすり足で近づくことすらできない。

「悔しそうね。いいわ、その枷を解いてあげる」

 キャミアが再び手をかざすと、レオンとエリザを拘束していた血の柱が液体に戻り、絡み付いていた血が脚へ付着する。つんのめり前へ倒れそうになりながらも、構わずレオンは両手で地面を拒否すると、キャミアの元へ突進した。

「あら怖い。猛犬はしっかりと杭につないで置かなければね」

 瞬時にレオンの脚に付いた血液が固まる。関節を自由に動かすことができなくなり、レオンは無様に転んだ。

「あははは! あなたって道化師に向いてるわ! よかったら私の専属としてお城で働かない?」

「黙れキャミア!」

「連れない子ね。それじゃあ、後は頑張りなさい。もし気が変わったら、お城の方にでもくればいいわ」

 高笑いと共に、キャミアは夜に消えた。紅い光が揺らめいていたが、反響する声が聞こえなくなった頃、光もかき消えた。

「エリザ! 動けるか!」

「わかってます! 急いでエルちゃんを医者に連れていきますわ!」

「頼む! 俺もすぐに追いつく!」

 エルの出血の量が多い。脇腹を刺されたといっても、相手は子供だ。そう長くはもたないだろう。止血にエリザが自分の袖を破いて包帯にし、傷口を塞ぐように縛り上げた。生存の可能性を上げるためにも、最低限必要な措置だ。

「医者の場所はわかるな!」

「昼間に行ったばかりですもの、まだ覚えてますわ!」

 エルの擦り傷の消毒に使った医者を頼りに、エリザがエルを背負い裏道を走る。

 レオンは固められた部分の服を切り裂いた。最低、関節部が動かせるようになればそれでよかった。膝から下の部分を無くす。幸いな事に靴が脱げるようだったので、裸足になり自由になった両足で、エリザの後を追った。

(エル! …………キャミア!)

 どす黒い感情が、レオンの心中に渦巻いていた。

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