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休憩:『お嬢様』の拳

 草原を横切る街道に、春の甘い風が吹き抜けた。暖かな陽気に通りゆく人々の気分も否応になく盛り上がるだろう。頭上の青い海に漂う白い船の影が、旅人のために傘となり眩しさを緩和している。お天道様も嬉しそうに笑顔を振りまいていた。

 誰もが踊り歌いたくなるような幸福感あふれる風景に、似付かわしくない、死にかけの旅人が二人。

「お腹すいたー……」

「空気でも噛んでなさい」

 お腰に四本の剣を、背中に空腹に苦しむ少女を背負う身の丈の長い男が闊歩する。レオン・ガンパレードとその旅の道連れ、エル。二人は前にいた街から考えなしに逃げ出してしまっていたため、まともな食料もないまま野宿で一夜を過ごした。レオンは旅ぐらしというのが慣れていたから、疲れが溜まって、ついでに今にも倒れそうな空腹でも長距離を我慢して歩くことができた。エルも食べ物を満足に食べれない生活を送っていたために、空腹は隣人とも言えるくらいには我慢していたが、どうやらこの日光の良さが災いしたらしい。日射病一歩手前で倒れてから数刻、近くの町までレオンに背負われていた。

 直射をさけるためにレオンが羽織っていたマントを、帽子の代わりにエルがかぶる。早めに適切な処置をとったほうがいいのだが、何分レオンは水すらも持ち合わせていない。旅をはじめてからすでに終わりが見えてきた。

「暑い、むれる、取っていい?」

「我慢しなさい」

 遠くに陽炎が揺らめいている。陽が昇るごとに初夏の気候が漂ってくる。レオンもそろそろ体力の限界に到達しつつあった。

「み、水……」

「唾でも飲んでなさい」

「さっきからなんでそんななげやりなのー!」

「お兄さんも同じことをして飢えをしのいでるからだよー」

 エルは空腹で苛立っていた。大人の体力や我慢強さと、子供のそれとを比較してはならないことをレオンは学ぶ。せめて町が肉眼で捉えられるくらいの距離にあれば、とレオンは奥歯を噛み締めた。

「……お! あれ見ろエル! 町だ!」

「本当! ……蜃気楼とかじゃないよね?」

「ここは砂漠じゃないんだよお嬢さん」

 レオンは地平線で陽炎に隠されるように頭を出した町に向い、全速力で駈け出した。振り落とされそうになり、エルが悲鳴を上げた。反り返った身体を無理やり戻し、レオンの背中にしがみつきながら、ぐんぐんと近づくオアシスに心を踊らせた。

 レオン一行がそうやって町に着いたのは、走りだしてからしばらくしてからだった。興奮のしすぎでペース配分を視野にいれていなかったレオンは、町の入り口に到着すると膝を崩し、勢い良く行き倒れた。

「ここまで来て死んじゃダメだよレオン! 目を開けてー!」

 エルの悲痛な叫びがレオンの混濁した意識に警鐘を鳴らす。波紋が壁にぶつかり新たな波紋を作り出すように、レオンの脳内ではエルの声が転がりまわっていた。気絶はするまいと踏ん張るレオンはしかし、防衛本能がもたらす強制的な意識の切断には勝てずに、エルを残してレオンの命の炎は燃え尽きた。残念、レオンの旅はここで終わってしまった。

「はいはいー、お嬢ちゃんそこどいてー」

 失神したレオンの頭上で、水がたっぷりと入ったバケツが逆さまになる。滝のようにこぼれ落ちる水の塊が、レオンの熱された顔をひっぱたいた。

「冷たっ!」

 急激な体温の変化にたまらず跳ね起きるレオン。突発的で局地的な雨に心臓の動きを活発にさせて、目の前に立つ人影に首を上げた。

 女だった。長い髪を後ろに三つ編みで束ねた、活発そうな町娘といった容姿の女性が、バケツ片手に眉を寄せていた。

「町の入口で勝手に死なないでよ、片付けるの面倒なんだから」

「はぁ……、えらくご迷惑をかけてしまってすいません」

「お腹空いてるならここ真っ直ぐに行けば酒場、疲れてるなら酒場の角を右に曲がって、しばらく行けば宿屋があるから。気をつけて旅をしなさいよね、まったく」

 町娘はぶっきらぼうに適当な説明をしてから、とっととどこかへと行ってしまった。嵐が去った時に似た静寂が訪れる。レオンは水の張り付いた顔を拭い、服についた砂を払って立ち上がった。

「親切な人だったね」

「命の恩人が増えてしまった」

 合計三人だった。気をとりなおして、女性の案内通りに指定された道を直進した。この町の商店街につながっていたのか、進むにつれて店の数と買い物客がレオンたちの行く手を阻んでいった。果物や珍しそうな装飾品に釣られるエルを、首根っこを掴んで制しながら、目的の酒場に入った。

 昼間から酒を嗜んでいる男が何人かいたが、ほとんどの客は食事を楽しんでいた。時間にして昼食だろう、涎がこぼれるような香ばしい匂いが店内に充満している。

「こういうところ、入るの初めて」

「金払えば飯を食わせてくれるありがたい店だ。覚えておくといい」

 レオンは物珍しそうに忙しく目を動かすエルを手招きして、近場のテーブルに腰を下ろした。筋張った筋肉から疲労が抜けていくようだった。つかの間の開放感を漫喫していると、慌ただしい人の波をかき分けて、水の入ったグラスをお盆に乗せた女性がレオンたちのテーブルに注文を取りに来た。なににしますかー、と尋ねながら二人の前に水を置いていく。

「鶏肉をくれ、焼いたやつ」

「あー……、うー……」

「……同じのをこいつにも」

 かしこまりましたー、と給仕役が店の奥に消えた。水滴が滴るグラスを手に取り、レオンは喉の乾きを潤す。汗で失った水分が五臓六腑にしみわたる。

「飲んでいいの?」

「いいぞ、水はタダだし」

 何分初体験のことなので、下手をうたないよう遠慮していたのだろう。狩りをする獣も目を丸くするほどの俊敏さでグラスを掴み、水に口をつけた。端から水がこぼれ落ちるのも構わず、エルはグラスの中身を空にする。酒飲みの大人に負けないいい飲みっぷりだった。

「ぷはっ! 冷たくておいしい!」

「おかわり自由だからな。飲みたくなったらさっきのおねーさんにでも聞け」

「はーい」

 これからの予定をエルと話し合っていると、前とは違う給仕役の女性が、白く湯気を立ち昇らせた料理をテーブルに運んだ。熱々に加熱された黒い鉄板と、火傷しないように鉄板に取り付けられた木の取っ手。鉄板の中央にはこんがりとグリルされた厚めの鶏のもも肉が肉汁を蒸発させながら鎮座している。食欲をそそる匂いと油の跳ねる音が、二人の腹の虫をたたき起こした。

 ナイフとフォークを受け取り、さっきのおねーさんじゃなかったので、水のおかわりの仕方がわからず戸惑うエルの代わりにレオンがお冷の注文をした後、二人はようやく食事にとりかかった。

「食べていいの?」

「いいぞー。でもタダじゃないからな。金は俺がだすけど、おかわりするときはちゃんとしていいか聞けよ」

「はーい」

 レオンはナイフで食べやすい形に切り分け、フォークで刺して食べるという、基本的な食事のとり方は知っていた。テーブルマナーを気にする生活を送っていた訳ではないために、あまり上品に食器を使いこなせてはいなかったが、フォークとスプーン以外の使い方を知らないエルよりかはマシな部類であった。

 エルは鉄板の熱気と格闘しながら、どうにかフォークだけで鶏肉を食べようと努力していた。当然、少女の口の大きさからしてそう上手く食べられる代物ではなかったため、口の周りを汚し、鶏肉の温度に悶絶し、涙目になりながら久方ぶりの食事にかぶりついている。見かねたレオンはエルの持つフォークと、放置されていたナイフを奪い取ると、子供にも一口で食べれるように小さく切り分けて、エルに返した。

「ありがとう!」

「困ったらとにかく聞けよ、この人生の先輩に」

 元気よく細切れにされた鶏肉を口の中に放り込むエル。リスが頬に食べ物を貯めこむようにして頬張って、うっとりとした表情で咀嚼する。パンを盗むのが精一杯の貧困街の生活で、肉を食べる機会がどれほどあったのか。

「おじいちゃんにも食べさせてあげたいな」

「……そうだなぁ。エルが旅して、大きくなって、偉くなって、一人で生きていけるようになっら、トナネオにもこれと同じもんを食べさせてやるといい」

「……うん! 頑張る!」

「その意気だ」

 頼んでおいた水のおかわりが運ばれてきて、料理で熱のこもった口内を冷やし、二人は食事を終えた。簡単に会計をし、商店街の人ごみの中へ戻った。相変わらずいい天気で、嫌気がさした。

「宿屋だよね、次は」

「泊まるとこ見つけてからだな、買い物は」

「買い物……。服!」

「そういえばそんな約束を、お?」

 長身のレオンは、ぞろぞろと行き交う人海の上から、なにやら揉め事が起きているのを見つけた。身なりの良い女と、柄の悪そうな三人組の男たちがなにやら口論している。四人の揉め事を人々は避けているようで、そこだけ広く空間ができていた。レオンは女と男たちを交互に見比べた後、見なかったことにした。

「どうしたの?」

「ん? あ、いや別になにも」

 ごまかしてレオンは騒動とは反対の道を行く。ふいにマントが引っ張られ、首が絞まり息が詰まった。

「おねーさんが行ってた道はそっちじゃないよレオン。酒場の角を右に曲がるって言ってたよ」

「ああ、いやそっちは……。おい、勝手に」

 エルに引っ張られながら、レオンは騒ぎの起きている方へと渋々と歩く。関わらなければ平気だ、と自分に言い聞かせてエルの後ろ姿を追った。

 曲がり角を指示通り右に行こうとして、ついにエルが騒ぎに気づいて足を止めた。レオンは我関せずと構わず素通りする。

「なんか喧嘩してるよ」

「そうだな。危ないから近づくのはよそうな」

 エルに下手な正義感を出されるのが心配だったのだが、エルもエルでちゃんとこういう時の世の渡り方を熟知しているようだった。あの街でも喧嘩のひとつふたつあったろう。関わると怪我をする、それだけ知っていれば世界はそれほど危なくない。

 大人の対応をみせるエルに関心しながら、レオンが宿屋へ向かおうとすると、あろうことかエルでもない第三者から腕を捕まれ、呼び止められてしまった。腕の主は買い物かごを抱えた主婦で、理由はわからないがなにかに憤慨しているようだった。

 この町に来てから会うのは女性ばかりだ。レオンはうんざりだと肩を落とした。

「……離してくれ」

「ねぇ、あなた旅の武芸者かなんかでしょ? あの娘助けてけてあげられないかね」

「どうして俺が?」

「腰に三本も物騒なもんぶら下げといて、なんでもなにもないでしょ!」

「すいません。信じてもらえんかもしれんが、これ護身用なんだよ」

「じゃあその護身用の剣で、あの娘のことを護身してやりなよ!」

 強引な主婦の圧力と、物理的な力の作用でレオンは一触即発の空気漂うコロシアムへと躍り出た。遠目にこの喧嘩を見ていた観衆から、感嘆の声が上がる。この状況では、誰が見てもレオンのことを、『絡まれている女性を助けるために現れた、旅の武芸者』としか判別できないだろう。

 たまらず深い溜息がでた。

「あ? なんだ兄ちゃん、何か用かよ?」

「もしかしてこの女助けに来ちゃったの? 一人で? うわー無謀もここまでくるとかっこいいわー。尊敬しちゃうわー」

「とっとと引換したほうがいいぞ、怪我したくなけりゃな」

「そうですわ、助けなど無用ですの」

 三者三様、加えて一人。言い方はそれぞれで違ったが、言いたいことはどうやら合致している模様。

 邪魔をするな。

「いやすいません、なんか水差したみたいで。お呼びでないなら、俺はこれで失礼して」

「逃げるんじゃないよ! やってしまいなさーい!」

 レオンが穏便にこの場を乗り切ろうと後退を開始したとき、事の張本人である主婦が迷惑にも激励をとばした。主婦の言葉で堰を切ったように、暇な見物人たちが無責任な応援を始めた。とても逃げ出せる雰囲気ではなかった。旅の疲れがどっと押し寄せる。

 可能性は低いだろうが、レオンはまだ自由の身であろうエルに救いを求めた。だがしかし、エルも主婦に人質にされているようにがっちりと両肩を捕まれ、身動きがとれないでいる。

「いい度胸だぜ、てめぇ!」

 男が一人飛び出した。レオンと同じ長身で痩せていた。長身痩躯の男は腰を捻り、右拳 を横から滑らせて、フックで襲いかかる。レオンは軽く上半身を反らせ、男の拳を空振らせる。男はそこからさらに踏み込んで、逆の拳から同じくフック。レオンは右手のひらで男の左拳を受け止めると、男の髪の毛を鷲掴みにし、手元に引き寄せて頭突き。尾骨への強烈な打撃に、男はたたらを踏みながら下がった。

「てめぇ……!」

「正当防衛だ、悪く思うな」

 レオンは若干の苛立ちを隠せないでいた。この後、宿屋で部屋を見つけ、エルの服やら他の日常品やらの買い物をし、風呂にでも入れれば入って、待望のベッドで疲れを癒したいと考えていた。色々と理由があって夜はまともに寝ていられないが、それでもちゃんとした宿泊施設で身体を休めることができればそれで満足だったのだ。

 無駄に汗を流すことを、レオンは望んでなどいなかった。

「調子乗ってんじゃねぇぞゴラァ!」

「そりゃ悪かった、な!」

 鼻を潰され、怯む男にレオンは跳躍で飛び込みながら腹に一撃、苦しげに下がった頭を狙って追撃の回し蹴り。もろに側頭部に衝撃が入り、踏ん張りきれずに男は地面を二回ほど横転。止まった所で、うめき声をあげながらうずくまっている様子をみると、どうやら戦闘続行は不可能だろう。

 仲間がほとんど子供扱いで倒されたことに、残り二人は恐怖で冷や汗を流す。転がる長身痩躯の男を眼中の外に、レオンは残りの男達を威嚇した。本人にしてみれば、これ以上動きたくないと逆に切望するような感覚だったのだが、それが裏目にでたのか、錯乱したがっちりとした体型の男が、言い争いの相手であった女性を盾にしようと襲いかかった。反応はできたが距離がありすぎたため、レオンは巨躯の男を止めることができない。

 女の肩を手加減なくむんずと掴み、平常心をいくらか取り戻して、巨漢がレオンと対峙する。

「動くな! この女がどうなってもいいのか!」

 男が形勢逆転だと笑う。レオンも事態の急変に本腰を入れ始める。望んだ戦いではないが、一度そうだと始めた以上レオンにも責任があった。

 どうにかして無傷で彼女を助けてやりたいと願うレオン。しかし、そんな純粋な人助けの思いと、騒動を遠巻きに眺めている市民の織り成す緊迫感を、人質になっている本人がぶち壊した。

「気安く、触らないでいただけますの!」

 捕まえている男に比べれば小柄であろう女の細腕から、削岩機も真っ青な肘打ちが繰り出される。油断して防御がおろそかであった腹に、殺人肘が文字通り突き刺さった。巨躯をくの字に曲げて悶絶する男。非道にも女は、すでに怪我人と認定していい男の丸太のような腕を両手でがっちりと締め上げると、背負い投げの要領で投げ飛ばした。

 大きさでいえば熊ほどの巨体が空を舞う。受身も取れずに落ちた巨大な男は、そのまま沈黙した。レオンからは、男が口から泡を吹いているように見えた。

「あ、あうあが……!」

「そこのあなた!」

「は、はい!」

「この方たちを、邪魔にならないようにどこかに運んでおきなさいな」

「は、はいいいい!」

 一人残った、いかにも普通のゴロツキといった男が、特攻隊長と怪力自慢をそれぞれ圧倒する化物二人を相手に勝てると思うはずもなく、素直に背負い投げ女の命令を受け入れて、気絶する巨人と呻く痩男を死にたくない一心で回収して一目散に逃げていった。人を引きずる砂埃が見えなくなった頃、大きな歓声があがった。

「すっげぇなねーちゃん! あんなでっけぇ男を投げちまうなんてよぉ!」

「たまげたぜぇ。いや、いいもんみせてもらった!」

「兄さんの方は必要なかったなぁ!」

 湧き上がる大衆。レオンの活躍は謎の格闘娘のおかげですっかりなかったことにされている。一部で慰めに似た声援がレオンにも浴びせられるが、骨折り損なこの上ないレオンには嘲笑のようにも思えた。レオンを喧嘩の仲裁に割り込ませた主婦の姿はなく、エルが迫力のある見世物をみて、無邪気にはしゃいでいる姿があった。

「なんだこれ。……行くぞエル。宿屋で休もう」

「えー。もっと見たーい」

「見世物じゃないんだ、もうやらん」

「そうですわ、もう少しゆっくりしてらしたらいかがですの?」

 騒ぎに乗じて消えてしまおうとしたレオンたちを、物足りなさそうな暴れん坊娘が呼び止めた。自信満々に腕組をする姿は、路上での喧嘩を生業とする格闘家の威風に包まれている。今回の言い争いの原因はつかめていないが、もしかしたらこの女が暇つぶしに喧嘩を売っていたのかもしれないと、レオンは恐ろしい発想に至る。

「言っておきますけど、別に試合などの申し込みではございませんですの。今さっきの騒動も、あの方たちの素行があまりにも目に余るものだったので、成敗してさしあげたまでですわ」

「ああそれはそれは、とんだありがた迷惑だったようで」

「おねーちゃんすごいねー!」

 子供は性別に関係なく、強いヒーローというのに憧れるものらしい。レオンに慣れるには時間を要したエルも、巨漢を軽々と倒してしまう女傑には一直線だった。加減なき子供タックルを女はにこやかに受け入れた。

「どうしてそんなにかっこいいの?」

「ふふ、毎日鍛えてるからですわ」

「私も鍛えればおねーちゃんみたいになれるかな?」

「それはあなたの頑張り次第ですわね。諦めなければ、だれだって強くなれますわ」

「あの、ひとんちの子供に格闘家人生を歩ませようとしないでくれる」

 三つ子の魂百までらしいので、今この出会いがいつかの世界最強を生み出すきっかけにならないとは言い切れない。エルがそうだとは言わないが、エルを屈強な女戦士に仕立て上げてしまったら、育ての親はなんというだろうか。

(独り立ちするには申し分ないし、むしろ歓迎しそうだな)

「あななたち、これからなにか用事があって?」

「宿屋で寝」

「買い物!」

「……そうそれ、買い物」

 頭をかかえるレオン。当分は休憩できそうになかった。予定通りに行けばそれほど苦ではなかったはずが、精神的にも打ちのめされて、レオンの今日この町を練り歩こうという気力は底を付いていた。しかしエルのきらきらとした成分の混じった熱視線に、レオンからはすでに強硬手段をとろうという気は、物の見事に失せていた。

 半分自暴自棄に、レオンは酒場で決めた予定通りに今日を過ごすことに決めていた。

「なら、わたくしもご一緒してよろしいかしら? なにかお礼もさせてもらいたいものですし」

「恩になるようなことをやった記憶がないんだが」

「器量の小さい男は嫌われますわよ」

「おねーちゃんと一緒に買物する! いいでしょレオン?」

「あ? ……ああ、いいぞ。断る理由もないし」

 袖をすりあってしまったからには、少なからず縁はあるのだろう。お礼の件は納得いっていないものの、レオンはエルの楽しそうな気分を害するのも悪いと思い、女の同行を了承した。

「ありがとうございますわ。わたくしの名前はエリザベート・グロウといいますの。エリザ、とよんでくださいな」

「俺はレオン・ガンパレード。レオンでいい」

「エル!」

「よろしくお願いいたしますわ、レオン、エルちゃん」

 レオンは改めて女の格好を見る。ざっと眺めて眼に入るのは、初め見た時も感じたエルやレオンとも正反対な、身なりのよさであった。止事無き高貴な人間と評してもいいかもしれない。美しく波がかかる栗色の髪。エメラルドに似た翠の瞳。形よく整った鼻に、薄く桃色が引かれた色っぽい唇。美人とはこうであるべき、な見本になるような女性として完成した容姿。普段から鍛えているらしい身体にも無駄な肉はなく、かといってひどく痩せているようにも見えず、服から覗く腕を見てもきっちり引き締めている印象が強い。あまり女性的な身体とは言い辛い体型であるが、ほっそりとした流れるようなラインを持つ身体は、十分に男の目を奪う。

「買い物って、なにを買うのかしら」

「食べ物とか、旅の道具とか、あと服!」

「そればっかりだな」

「あらそれは仕方ありませんわ。女の子はおめかしが大好きなのですから」

「どんなのがあるかな」

「よろしければ、わたくしがエルちゃんの服を見立ててあげますわ」

「本当!」

「ええ、まかしてください」

 ついには手をつないで歩き出すエルとエリザ。レオンと連れ立って歩くよりも、彼女らの方がお似合いであった。男として妙な疎外感を覚えつつ、レオンは談笑する二人を見失わないように、少し早足で追いかけた。

 買い物中、エリザがエルの服を選んでいる最中などは、レオンは店の外でつったっているだけだった。エルはレオンにも選んでほしかったようだが、店内の男子禁制の雰囲気におされ、レオンは断った。暇そうにあくびを繰り返しながらエルたちの帰りを待ちぼうけていると、店の扉に設置されたベルの音と共に二人が出てきた。

 エルは元の布の服から、なんとも年頃の女の子らしい愛らしい服装へと変わっていた。旅をしていく上で動きやすさを求めるようには言っておいたが、機能性などは特に問題なさそうに見えた。エリザには特に変化は見られなかった。エルの格好を褒めて、そのまま次の店へと歩き出すと、レオンは突然エリザに怒られた。どうやらエリザはエルの服と一緒に装飾品を買っていたようで、知らぬ間にその細首には銀色の鎖が巻きつき、胸元には凝ったデザインで、羽根を広げた鳥の飾りがぶら下がっていた。

「女の子の些細な変化にも気を配らないと、男性として恥ずかしくてよ」

「よくわからんが、以後気をつける」

 和気あいあいと三人は店を巡回し、食料と野宿の必需品を買い込み、一段落して町の広場に用意されていたベンチに腰掛けた。

「いっぱい買ったね」

「まぁしばらくは持つだろ」

 荷物袋はこれでもかというほど膨れていた。一応内部で食料とその他を別々にしておくくらいの機能はあったが、整理されているようにも思えず、袋の中身は統一性なくばらばらに収められていることだろう。

「それ、もう少し上手にしまうことはできませんの?」

「入ってればなんでも一緒だろう」

「こんな殿方と旅をするエルちゃんが不憫でなりませんわ……」

 レオンもエルも、規則正しいという言葉からは無縁の存在だった。きちんとした生活をしているエリザには、二人の意識の持ち方は理解の範囲外のことであっただろう。

「買い物は終わったな、そろそろ宿屋を探さないとな」

「あら、まだ今日の宿をお決めになっていなかったんですの?」

「ゴタゴタに巻き込まれてな、それどころじゃなかった」

「そういうことなら早く言ってくださればよろしかったのに」

 エリザは立ち上がって、胸を張った。

「よろしければ、今夜のお宿に、わたくしの家をお使いくださいな」

「あんたの家を?」

「町の宿屋よりかは、ずっと立派なお屋敷ですわよ」

「おねーちゃんの家に泊まれるの!」

「ええ、お礼も兼ねて、喜んでご招待いたしますわ」

 買い物で少し旅の資金も減り、節約できるならしたかったところ。エルに至ってはすでにそのつもりのようであったし、人の好意を邪険にするのも悪いので、レオンはエリザの提案を受け入れた。

 エリザの家は町外れにあるようで、エリザの案内のもと町の説明を聞きながら、レオン一行は、町の宿屋よりも立派だと豪語する噂のお屋敷を目指した。空が夕焼けに染まり始めた頃、そこらの民家の二倍以上はありそうな大きな建物の前で、エリザが止まった。

「こちらですわ」

「はー……。なるほど、でかいな」

「おっきー」

 これと比べられる宿屋といえば、王都などで見られる豪華宿泊施設と銘打った宿屋くらいなものだろう。この巨大建築物を見る限り、エリザの家は相当の資産家だろうと簡単に想像がついた。下手すればレオンやエルなんかとは一生縁のない、『お金持ちの豪邸』であった。

 だらしなく口を開けて、レオンとエルは建物の高さに圧巻されている。

「中はもっとすごいですわよ」

 エリザの招きで、二人は緊張しながら異世界への扉をくぐる。広々とした豪華なエントランス。どこに繋がっているかも見当のつかない数々の扉。敷き詰められた絨毯が足音を消し、中央には奥で左右二手に分かれる巨大な階段が鎮座する。壁際には何個か高そうな花瓶に、美しく咲き乱れる色とりどりの華が飾られる。上を見上げればシャンデリアが来客の目を楽しませ、天井の紋様の並びが絵画を思わせる。

「こ、これは本当に家か?」

「なんか怖い……」

 好奇心旺盛なエルでさえも、言い知れぬ場違い感を感じて萎縮してしまっている。レオンも今までの人生でこんな空間に踏み入ったことはもちろん、外から眺めたこともなかった。異世界というより異次元だった。

「緊張なさらなくてもいいのに。なにかを壊したとしても、弁償を要求するようなことはございませんわ。……まぁ程度によりますけど」

「エル。無駄に走りまわって壺とか落とすな」

「頑張る」

「いや本当に頼むな?」

 エルに釘を差す。レオンもこの家のものには滅多なことが無い限り触らないように、と心に刻み付ける。それこそグラスのひとつだけでもレオンの全財産を超える代物かもしれないと考えると、意識せずとも動きがぎこちなくなることだろう。

「お帰りなさいませ、お嬢様」

「ただいまクォルト」

 クォルトと呼ばれた使用人らしき男性がエリザを出迎えた。黒い衣装に身を包み、一部の隙も見せない佇まい。クォルトからもまたエリザに負けず劣らない、武人の空気を感じる。

 クォルトがちらり、とレオンたちを見る。

「こちらの方々は?」

「こちらの長身の殿方がレオン・ガンパレード、女の子の方がエルちゃん。わたくしの友人たちですわ。今夜の宿を探していらっしゃったようですから、招待させてもらったの。だから人数分のお部屋を用意してくれる」

「レオン様に、エル様ですか。かしこまりました。お部屋を二つ、ご用意させていただきます」

「お願いね、クォルト」

 一礼して、クォルトは立ち去った。上流階級の華やかさを垣間見て、レオンは感嘆の息を吐く。

「どうにも気が抜けないな」

「慣れていただくしかありませんわ。お部屋の方はすぐに用意できると思いますから、それでま食堂でお茶などいかがかしら?」

 食堂は一階、左側に並ぶ扉の先にあった。中央に入ると、すぐに長く白い清潔なテーブルクロスがきちんと被せてあるテーブルを見つける。その先には暖炉と、またしてもどこかへとつながる扉が数個あった。食堂というからには、どれかは厨房にでも繋がっているのだろう。微かに流れこむ料理の仕込みの香りが、レオンたちの鼻孔をくすぐった。

 エリザが呼ぶと、どこからともなく白いエプロンをつけた使用人が駆けつけた。クォルトとは別の女の使用人であった。

「紅茶を三つお願いね」

「かしこまりました、お嬢様」

 深々と頭を下げて、使用人は暖炉脇の扉の中へ入っていった。紅茶を準備している間、エリザに勧められて、レオンとエルは椅子に座った。それを見届けてから、エリザも二人の対面に腰掛ける。

「改めまして、あの時は助太刀ありがとうございましたわ」

「いや、お嬢様も相当腕が立つようで」

「からかわないでくださる? これでも女なのですから、殿方三人に囲まれて内心怖がっていましたのよ」

「そうは見えなかったがな……」

 勇猛果敢に男たちに食って掛かっていたあの姿は、この世で一番恐怖という言葉とは無縁だった。お嬢様というのはお淑やかなものだとばかりレオンは思っていたが、今回の件で考えを改めるべきだと、教訓を新たにした。

「お待たせいたしました」

 使用人の手で、紅茶が各々の手元へと置かれる。指紋をつけるのも躊躇われる、白と金色で鮮やかに彩られたティーカップにレオンはたじろぐ。エルはしっかりと使用人にお礼をいいながら、落とさないよう慎重に両手で持ちながら、紅茶に口をつけた。

「あまーい!」

「うちの庭で自家栽培してる葉ですわ。さすがに高級茶葉には劣りますけど、いいお味でしょ?」

(……紅茶の良し悪しはよくわからん)

 紅茶を飲みつつ他愛ない話をしていると、扉を叩く音が食堂に響く。クォルトとと呼ばれていた男の使用人が現れ、エリザの後ろに移動した。

「お部屋の準備の方が整いましたのでお知らせにまいりました」

「ありがとうクォルト。ついでにこの二人を案内してさしあげて」

「かしこまりました。ではお二方、どうぞこちらへ」

 ティーカップを置いて、レオンとエルは指示に従った。食堂の外の廊下もどうにも豪華な作りで、エルは終始首を動かしていたようだったが、レオンは慣れたのか、はたまた飽きてしまったのか無関心にクォルトの背中を追った。

「こちらになります」

 案内された部屋は、廊下の左右の壁に向かい合うようにあった。扉からでればすぐにレオン、エルの部屋どちらにも行き来できる形で、何かあれば即座に合流できる配置になっていた。

「なにかございましたら屋敷の者にお気軽にお声をおかけください。では、ごゆるりと」

 二人を置いて、クォルトは廊下をもどっていった。レオンたちは中を覗いて、特に両部屋とも構造が同じであったため、適当に場所を決めて中に入った。エルを一人にするのは不安が残るが、子供の力で壊せそうな家具は見当たらなかったし、なにかあればすぐに駆けつけることができる距離なので、レオンは気を緩め腰の剣や道具袋などを壁に置くと、ベッドに背中から倒れ込んだ。予想以上に弾むベッドに驚きながら、ようやく訪れた静寂に心を落ち着けた。

(眠い……)

 レオンの睡眠不足は持病とも言えた。寝ている最中、おどろおどろしい怨嗟の声に悩まされ、強制的に起こされても夜は長く、冴えてしまった意識を鎮めるために毎夜剣を使って素振り。これを五年以上続けている。そろそろ短時間の睡眠でも疲れがとれるように慣れ始めてはいるが、昼寝もろくにさせてもらえない日常に、レオンはほとほとうんざりしていた。

 『勇者』を殺した晩、正確には怪我をして気を失っていた間は悪夢らしい悪夢はみていない。その事実が、『四英雄』を抹殺すればレオンも静かな夜を過ごせる証拠になるかどうかは、本人の与り知らぬところであろう。

(村の連中もそろそろ諦めろよ)

 今日も覚悟の上でまぶたを閉じる。ベッドの綿に沈み込む感触に身を委ねていると、次第にうとうとと自分が希薄になっていく。浅い睡眠状態に入り眠気を楽しんでいると、見計らったかと疑えるタイミングで、扉が鳴いた。

「し、失礼いたします!」

「……あー、はい、どうぞ」

 髪の短い女の使用人だった。しかし、女は他の使用人と雰囲気が違っていた。どこかぎこちなく頭を下げ、紅潮した頬でレオンを直接みないように視線をせわしなく動かしている。レオンは眠たい目をこすりながらベッドから起き上がった。

「あ……、す、すいません! お休み中のところを!」

「いや、いい。慣れてる」

「あ、あああの、お嬢様からのご提案で、浴場のご用意させていただきましたので、そのお知らせに……はい」

「浴場……。ああ風呂か、ありがとう。助かる」

「いいいいいえ! どういたしまして! そ、それでは失礼します!」

「あ、おいちょっと」

 猛獣とでも遭遇したように、髪の短い使用人はレオンの呼び止めも聞き入れずに退散してしまった。走り去った方向を見ても、すでに陰も形もなかった。

「……場所どこだよ」

 仕方なくその辺りを歩いている他の使用人に道順を訪ねて、レオンは浴場までやってきた。曇りガラスに阻まれて中の様子は見て取れないが、人が居るような気配はないため遠慮無くレオンは浴室へと続く脱衣所へ進入した。左右に白い棚が設けられ、四角い枠の中には編み籠が一つずつ配置されている。籠に衣服を入れておくのだろう。どこか大衆浴場の趣を感じさせる造りで、レオンも裕福な人間のやることに呆れて果てていた。

(お金持ちってのは、どこもこんなもんなのかね) 

 脱いだ衣服を適当に選んだ籠の中に放る。脱衣所の入り口と同じ曇りガラスでできた戸を開けようとしたとき、後ろから騒々しい声が脱衣所に飛び込んできた。

「まままま待ってくださいお客様あああああ!」

「あ?」

 前後のガラス戸が開くのは同時だった。レオンの肌に湿った生ぬるい風が吹きつけた。白い湯気が脱衣所に逃げこみ、曇った視界が晴れる。

 獅子の頭が口から滝を作っている。大理石でできた浴槽に乳白色の湯が溜まっている。椅子に座り洗剤の泡と戦っているエルと、エルの頭を洗うエリザが裸でこちらを凝視している。

「お、お嬢様とお連れの方がすでに入浴中だったのを、伝え……忘れて……」

「ずいぶんとあわてんぼうだな、あんた」

「す、すいません。以後気をつけますので……」

 入浴中のエル、エリザを無視して真っ裸の男と忙しい女がのんきに話している。エルは泡が目に染みるのか力強く目をつぶって涙まで流しているが、エリザはわなわなと震えながら近くにあった風呂桶を掴み上げると――。

「なんでもいいから早く閉めなさあああああい!」

 縦に投げられた風呂桶が、何事かと振り向いたレオンの顔面に直撃する。不意打ちにレオンが倒れこみ、慌てた使用人がガラス戸を閉めた。その後絹を裂くような女の悲鳴が浴場にまで響いたが、エリザは無視し、泡に敗北したエルに助け舟を出していた。

「ごごごごごごごめんなさい! 私の不注意で!」

「……厄日だな今日は」

「なにかございましたかお嬢様! ついでにミュオン!」

 廊下側のガラス戸が弾けた。顔をのぞかせたのはこの屋敷に入って最初に出会った使用人、クォルトだった。鬼のような形相をみせるクォルトは、地面に裸体で寝そべるレオンを見つけると、両手の指の骨を不気味鳴らす。

「貴様……。お嬢様の客人だと思って油断したのが私の一生の不覚であったか……!」

「ち、違うんですクォルトさん! 私の不注意のせいでこの方は」

「言い訳無用!」

 クォルトの握り締められた岩のような拳が、仰向けで惚けるレオンの赤く腫れた鼻先に迫る。ミュオンは咄嗟に顔を隠す。が、クォルトの拳はレオンに激突することなく、既の所で急停止した。レオンは特に慌てた様子もなく、間近に迫った拳を悠長に眺めている。

「……なぜ避けようとしない」

「……疲れた」

「ふん」

 クォルトはいやに素直に拳を下げた。惨劇が回避されてミュオンが肺を空っぽにするほどたっぷりと息を吐く。

「次からは気を付けろよ。もし同じことが起きれば、その時は非がそちらになくとも問答無用で殺す。お嬢様のお美しい裸体を見ようなど、不届き千万」

「ぞっとしないな。せいぜい風呂に入るときは中を確認するとしよう」

 占い師がレオンを調べれば、一目で女難の相がでているとわかるだろう。男の裸体に興味津々とばかりに指の隙間から伺うミュオンを尻目に、籠に入れた服を着直すレオン。よろよろとした足取りで、レオンは脱衣所から脱出した。風呂に入る気分ではなかった。

 クォルトの怒鳴り声とミュオンの盛大な謝罪の声が交互に聞こえたが、関わり合いになりたくないレオンは大人しく客室へ引き返した。

 疲れ果てたレオンがベッドで横になっていると、ほかほかになった女性二人がレオンの部屋を訪ねてきた。

「お風呂おっきかったよー!」

「そいつはよかったな、エル」

 抱きつくエルを撫でる。エルの方は見ての通り、レオンの乱入があったにも関わらずご機嫌ムードであったが、エリザは不満げに軽蔑の眼差しでレオンを睨む。レオンには取り繕う体力もなかったが、ここまでエリザに散々と男のあり方を仕込まれていたレオンは、とりあえず謝罪することにした。

「すまんかったな、風呂では」

「……原因は知ってますわ。こちらの不注意でもありましたし、今回の件は不問ということで。あの娘にはよく言い聞かせておきますわ」

「助かる」

「……顔は、大丈夫ですの?」

「ん? あぁ、それなら平気だ。慣れてる」

 幸い鼻血もでていない。腫れもずいぶん前にひいた。ガス欠のレオンは役目を終えてそのままベッドに沈み込んだ。

「悪い、疲れた、休む」

「そうですの……。お食事の方はどうなさいますの?」

「俺の分はいい。エルに食わせてやってくれ」

「わかりましたわ。それじゃエルちゃん、夕食ができるまで一緒に遊びましょう」

「うん! じゃあねレオン、おやすみー」

「おやすみー」

 レオンは力なく手を振り、二人の退出を見送った。レオンはまるで自分がボロ雑巾にでもなってしまった気がした。指を動かすのも億劫で、目をつぶるとすぐに睡魔が襲ってくる。このまま朝までゆっくりできればな、と自嘲気味に笑ってからレオンは眠った。


               ◇


 地の底からねっとりと耳に粘り着く、汚泥のようなおぞましい声がする。気味の悪い絶叫に脳を犯される。雷鳴が腹の底まで響く感覚がいつまでも消えない。下から湧きでて腰まで浸からせている、ぬらぬらと輝く液体はおそらく血液だろう。日に日に増量する血沼をずぶずぶと歩き、決して辿りつけない光に向かう。

 慣れた光景。疲れと恨みと狂おしさが支配する世界。とある村の住人全員の怨恨を煮詰めた、魔女の釜の中。レオンはここに数年間、夢を見るたび思い知らされる。

 虐殺の中で生き残った人間の使命。望む望まざるに関わらず強制される復讐。死んだ人間がしがみつく願いを、生き残ったレオンが叶えねばならぬ理不尽さ。

 殺せ、と聞こえる。恨め、と肩に手を置かれる。そのたびに、自分でやれ、とレオンは言う。だがレオンにもわかっている。

 死んだ人間にそんなことはできない。

 そうして機嫌を損ねた連中が怒り、レオンを血の沼に溺れさせる。窒息する直前で、毎回目が覚める。

「…………成仏してくれよ、くそ」

 身体が重い。珍しく疲労が残っている。色々なことに慣れていたレオンも、ここ最近の不慣れの連続には勝てなかったようだ。窓を見ると半分に欠けた月が真横に見えた。夜はもう少し続くだろう。

 壁にかけてあった四本の剣のうち、自分のものを持ち、部屋を出た。廊下の明かりはまだ点いている。中庭の場所がよくわからずさまようものかと思ったが、案外わかりやすい構造になっており、すんなりと出入口を見つけ、中庭に出た。

 庭の中央には小さい噴水が鎮座している。水は吹き出ていない。庭で栽培していると聞いた紅茶の茶葉が奏でる音楽と共に、レオンは日課の素振りを始めた。

 無心に剣を振っていると、疲労も幾分か散っていくように感じた。単調な上下の素振りだったが、精神統一という面でみれば十分に修行になった。

「眠れませんの?」

 気配を感じてレオンが止まる。エリザだった。寝間着だろうか、桃色の薄いネグリジェと、白いガウンを羽織っている。

「どうした、こんな夜更けに。血気盛んな使用人に怒られるぞ」

「血気盛んなんて、もしかしてクォルトのことですの?」

「風呂を覗いたときに、殺されかけた」

「クォルトはわたくしのこととなると、少し見境がございませんの」

 いたずらっぽく笑いながら、エリザは噴水の淵に座る。

「……ひどく、危険な旅をしてらっしゃるようですわね」

「なんで分かる?」

「脇腹の傷を、あの時に」

「こいつか」

 包帯が取れ、人に引かれない程度に傷は治癒している。痕に残っているくらいで、動く分には問題なかった。トナテオの治療がよかったのだろうか、単にレオンの自然治癒能力が高かったのか。

「エルちゃんは……」

「預かってるだけだ。といっても、一緒に旅を始めたのは本当につい最近だが」

「じゃあ、これからエルちゃんも危険な目に……」

「できるかぎり守っていくつもりだ。命の恩人だしな」

 剣を鞘に戻し、噴水の淵にエリザとは背中合わせにレオンも座った。月明かりが弱々しく、二人の表情は暗闇に遮られている。

「なんのために旅を?」

「……さぁな。こういう時は、ただ眠れないからとだけ言ってる」

「よくわからないようでいて、なにか意味深な響きですわね」

「さてな。俺自身もよくわからん」

 英雄を殺して回っている、とはさすがに言い難かった。彼ら四人の素性は世間一般に知れ渡っていることであるし、そもそも人殺しは犯罪だ。エリザは昼の一件を見るに正義感が人より強そうな女で、下手をうてば牢屋につながれてしまう。レオンは四英雄の殺害に執着しているとは言わないが、それとこれとは話が違った。

 お咎めなしで太陽の下を歩けるとは思わないが、今はまだ自由の身でありたかった。

「ねぇ、わたくしをここから連れ出してくださらない?」

「……眠たいのか?」

「寝ぼけているのではありませんわ。真面目な話です!」

「急な話だ」

「出会いはいつだって突然ですわ」

 昼に会って一日も経たない人間を信用して、旅のお供にしてほしいとはなんとも無用心な考え方であった。エルの時も今と似たような状況であったことをレオンは思い出す。危険な香りを嗅いでおきながら彼女らはレオンに寄り付く。アウトローな身の上が、彼女らの興味を引いてやまないのであろうか。トナテオの場合は、男同士で通ずるものがあったのかもしれないが。

「いつかは、わたくしもこの家を出て、広い世界を見て回りたかったのですわ」

「あの使用人と一緒に行けばいいだろう。クォルトとか言ったか」

「クォルトは駄目ですわ。生粋のお母様派で、わたくしをどうしても箱に入れて大事に保管しておきたいようですの」

「そういえば親にはあってないな。いるのか?」

「お父様とお母様は、わたくしの小さい頃に……」

 地雷を踏んだ、とレオンは軽はずみな言動に後悔した。

「そうか、すまないこと聞い」

「勤め先を辞めて始めた事業が成功しまして、今や世界を股にかけるすごうでの商人でございますの。ですから家に居ることの方が少ないんですの」

「……ああそう。だから大金持ちなのか」

「お父様はわたくしの考え方には概ね賛成してくださるのですけど、お母様はわたくしをまるで宝石扱い。あまり家の外へ出したくないようでして……。クォルトはもう少し融通が利くのですが、旅をしたい、なんて言ったら監禁されてしまいますわ」

「大変なんだな、あんたも」

「お互い、上手くはいかないものですわね」

 自分の置かれた現状だけを言えば、エリザの言うとおりレオンもエリザも上手くいっていないのであろう。食う物着る物住む所に困らない裕福な生活を送るお嬢様の、些細なわがままとしてレオンは受け止めた。間違っても他の誰かに言っていい台詞ではなかった。

「お願いしますわ! どうか、わたくしをこの家から連れ出してくださいませんこと?」

「おうちの人に確認を取って、お許しがでてからもう一度来なさい」

「わたくしはもう子供ではございません! 迷惑はかけませんから、どうかレオンの旅に同行を……」

「毎日しっかりと身をお清めにならなければ満足のいかないお嬢様に、泥と砂に塗れる過酷な旅はできないものかと、私、使用人クォルトは進言させていただきます」

 闇からの来訪者に、エリザは驚きのあまり噴水の中へ落ちそうになる。黒の袖に包まれた二本の腕が、エリザの手と背中を丁寧に支えた。

「ク、ククククォルト! いつからそこに!」

「驚かしてしまい申し訳ございません。お嬢様とそこのケダモノのお姿が見えましたので念のためにお側で待機させてもらいました」

 レオンにも、側に居たというクォルトの気配をつかむことはできなかった。お嬢様のお守りをするにはそれほどまでの高等技術を必要とするらしい。隠密性の高さから、噂に聞く忍者とかいう戦闘民族の末裔なのではないかと、レオンは訝しんだ。

「わたくしの客人へ向かって、いささか失礼な物言いでなくて?」

「たとえお嬢様のお客人とはいえど、お嬢様をたぶらかす不埒な輩は、ケダモノと称すだけでも十分でございます。ましてやこの男、浴場ではお嬢様の」

「それはミュオンの責任でしょう! レオンは関係ありませんわ!」

 脱衣所での一件がここまで根にもたれるとは、正直レオンも予想していなかった。ミュオンという使用人が起こした事故であったのは明白なはずだが、クォルトの病的な忠誠心の前にレオンはただ頭の下がる思いだった。

「なににいたしましても! お嬢様がこの屋敷を出るなどということはお認めになるわけにはまいりません!」

「それもお母様の命令なのでしょう!」

「その通りでございます。母君様には、お嬢様を全力で、命を賭してでもお守りしろときつく申し付けられてございます! 万が一お嬢様の身になにか起きましたら、このクォルト、ご両親になんとお詫びすればいいのか!」

(そこまで心配するほど『お嬢様』でもない気がするが)

 暴漢くらいなら持ち前の実力で退治するくらいはできるだろう。むしろ暴漢側の身を案じた方がいいとも言える。並大抵の危険では、エルザはひるみもしないのではないか。言葉にするとクォルトが怒り狂いそうだったため、レオンは一人心のなかでつぶやく。

「心配せずとも、レオンは腕の立つ殿方ですわ。盗賊などに囲まれましても、彼の実力ならちぎっては投げちぎっては投げ……」

「ほう、その実力というのは、私よりも上だというのしょうか?」

 レオンはきな臭い空気を嗅ぎとった。話の流れからすると、次は間違いなく引き下がれなくなったエリザがクォルトの意見を肯定し、そのまま……。

 レオンに寒気がはしる。身震いすると、腰を浮かしそろりそろりと抜き足差しでレオンは二人の前から立ち去ろうとする。

「それは、まぁわかりませんけど……。でも決して劣っているとは思いませんわ!」

「そうですか、わかりました。……レオン様!」

 レオンの足元に弓矢を射る威嚇射撃のような気迫が、クォルトから発せられた。たまらずレオンの足が止まる。強制的に背筋がピンと伸びて、直立不動になった。

「突然なことで大変失礼だが、私とここで一度立ちあっては貰えないだろうか」

「立ち会うって……。俺、剣持ってるけど?」

「構わん、こちらは素手で結構。お嬢様をお守りするために、私も対武器のために日夜修練を積んでいる。むしろ私の修行の成果をお嬢様に御覧いただけるいい機会だ、さぁ! 私と戦いその力を証明してみせろ!」

「一応聞いておくが、なぜそんなことを?」

「私より実力が劣っていては、お嬢様の身辺警護をするなど言語道断! お嬢様をこの屋敷から連れ出したくば、私の屍を越えていくがいい!」

「そ、そそそそうです! お嬢様を連れていきたいなら、私のしし、しか、しかば……。私を倒してからにしてください!」

 どこからか乱入者が一人現れた。なにやらファンシーな寝間着に着替えた、髪の短い女の使用人がクォルトを盾にしながらレオンに啖呵を切った。屍になるのが怖かったのか、最後の方は情けない感じになっていたが、エリザを思う気持ちはクォルトに負けてはいないようにレオンには感じられた。

「ミュオン! あなたまでどうしてこんな所に!」

「すいません……。中庭から声がしたので、泥棒かと思ってやってきたんですけど……」

「じゃあ早く部屋に戻って寝てなさい」

「い、いえ! 私もお嬢様にお仕えする者の一人! お嬢様のためなら火の中……は熱そうですから、水の中……は溺れそうだし」

「しっかりなさいな……」

「うむ、よくぞ言ったミュオン! 後半はどうしたものかと思うが、お嬢様のために悪漢に立ち向かう姿勢! 私は強く評価するぞ!」

「あ、ああありがとうございます! クォルトさん!」

「悪漢ね……」

 よくできた茶番劇に引っ張りこまれたようだった。レオンが勝てばお嬢様を誘拐する悪名高い犯罪者として追われることになり、負ければエルザに散々小言を言われそうな状況だった。レオンにしてみればなにをしても得にならないため、いっそ降参してできるだけ肉体的損傷を得ないようにしたいところだが。

「レオン! 負けは許しませんわよ!」

 事を起こした張本人がレオンの逃亡を許すはずもなかった。拒否ができないことを悟ったレオンは、剣を適当な場所に立てかけると、格闘戦の構えをとる。

「ほぉ、わざわざ徒手空拳で挑むか。意地を張ると、思わぬ大怪我をするぞ」

「こっちのはあくまで護身用として通らせてもらってるんでね。無闇に人を傷つけたりできないんだよ」

「面白い男だ……。ならば男同士、拳で決着をつけようか」

 両者の目先から細い電が生まれ、中央で衝突した。弛緩していた空気が、男たちの気合に触れ、引き締まる。エリザの喉元が上下に動く。動いたものから殺される、そんな緊張感がぬるい夜風を渦巻かせる。

「わ、私は……えーと、うー……。な、なにか武器になるものを探してきます!」

「あ、ちょっとミュオン!」

 耐え切れなくなったミュオンが背中を見せた。その際、蹴り上がった小石が都合よく噴水の方へと放物線を描き、縁の中の水溜りに波紋を作った。

 だがその水への落下音が合図となり、両者拳の決闘の火蓋が切って落とされることになる。

 先に仕掛けたのはクォルトだ。レオンとの間合いを神速の足運びで詰め寄ると、弾幕を張るように左拳による高速のジャブ。顔面を狙って放たれる弾丸を、レオンは首を振って的を散らす。当たらずと見たクォルトはすぐさま戦法を変え、レオンの脇腹を狙い回し蹴り。怪我の位置とは反対だったが、レオンは腰を折り、身を低くして肩で防御する。そのまますかさず無防備の軸足を払い、支えを失ったクォルトは背中から地面へと落ちる。

 衝撃に顔を歪めるクォルトに構わず、胸を踏みつけに入るレオン。その隙にクォルトは地面の転がり、間合いを広げた。回転の運動力を利用して、隙を作らぬように体制を立て直し、レオンとクォルトは再びにらみ合った。

「子供を連れて旅をしているだけの実力はある、ということか」

「なに、人より起きてる時間が多くてな。暇ができるとつい特訓しちまう」

「下積みは完璧というわけか。おもしろい……!」

 攻防が続く。両者の実力は互角に見えた。常日頃から、要人の警護のために修練を積んでいるというクォルトの攻めは激しく、常人であればすでに三度は気絶しているだろう。その拳と蹴りについていくだけでも褒められたものであったが、レオンはクォルトの嵐のごとき攻撃の中で、的確に反撃を繰り返していた。時にレオンも攻めるが、クォルトも守りと的確な判断で攻撃を返し、両者とも一歩も引かぬ戦いが繰り広げられていた。

 拳をうてば蹴りが飛び、命中したと思えば避けている。やるべき場所でやれば、いくらか金も稼げるだろう手に汗握る闘争が、閑静な中庭で巻き起こっている。

「大変ですお嬢様あああああ!」

 二人の熱気にたまらず逃げ出したミュオンが、真剣な面持ちで戻ってきた。手には木製の柄の先端に、湿った太い紐状の布を括りつけた掃除道具を持っていた。

「どうしたのミュオン?」

「はぁ、はぁ、そ、それが大変なんです! 私に使えそうなのがモップしかありませんでした! どうしましょう……これではあの方に勝てる気がしません!」

「気持ちは受け取っておくから、そこで大人しくしてなさい……」

 しゅんとなるミュオンをエリザが慰めている頃、レオンたちに動きがあった。

 クォルトの腹への横蹴りがレオンに直撃する。腹部から猛烈に込み上がってくる吐き気と鈍痛に耐えるが、足が踏ん張りきれず一瞬、膝から力が抜けた。

(もらった!)

 クォルトがその崩れを逃すわけがなく、ここぞとばかりに追撃に走った。苦悶の表情を浮かべるレオンの顔に、容赦なく止めの拳が猛突する。

 誰かが息を飲んだ。しかしクォルトの攻撃が決まればそのまま決着は着いたのだが、レオンも大人しくしてはいなかった。

 拳を前から真正直に受けるのではなく、腕を回し横から軌道をずらす方法でクォルトの鉄拳から逃れた。

(廻し受け……だと!)

 前に踏み込んだクォルトの復帰よりも、レオンの握りこぶしがクォルトのあごを捉える方が早かった。折れた膝に力を入れ、大地を踏み抜きながら下から突き上がる。衝撃に備え、クォルトはぐっと奥歯を噛み締め、目をつむった。

 だが、クォルトのあごが跳ね上がることはなかった。レオンの攻撃はあごの先端数寸といった所で止まり、微動だにしない。クォルトは眼下で止まった拳を見据えながらレオンに吠えた。

「貴様……! なぜ振り抜かない!」

「……疲れた」

「なんだと!」

 レオンから闘気が薄れていく。今の一撃で勝負は決まったと言いたいのだろう。クォルトはそれに納得がいかない様子で、レオンに食い下がった。

「貴様、愚弄するのも大概に……!」

「やめなさいクォルト」

「お嬢様……」

 仲介を買ってでたのはエリザだった。さすがのクォルトも主には逆らえず、レオンから一歩下がると、いつも通りのきちんとした姿勢でエリザの横に立つ。レオンは疲労が残留する身体を幽鬼のごとく左右に揺らしながら、糸が切れた人形のように噴水の縁に座り込んだ。その姿は燃え尽きた拳闘士のそれと酷似していた。

「今のでわかったでしょう。彼があなたにも決して劣らない実力を持っている、ということが」

「……たしかに先程の受けは見事なものでした。賞賛に値するものでしょう。ですがまだ勝負はついておりません!」

「女々しいことを言うのはやめなさいクォルト。男らしく負けを認めてはどうですの?」

「……そこまで言われては、私も男として反論しようもございません。わかりました。今回の立会い、レオン様の勝利ということで、私も潔く負けを認めましょう」

 こうして真夜中の決闘は一応の決着を見た。未だ因縁の残る戦いであるが、クォルトもこれ以上レオンとの立ち回りは望まないだろう。振り回されっぱなしのレオンにしてみれば、ただ疲労と腹に残る鈍痛を得るだけに終わった。改めてそれを思い知り、余計に肩が下がる。

「というわけで、レオンが勝利したので、わたくしはレオンたちと一緒に旅にでさせてもらいますわ」

「ミュオン、いつからそんな話になっていたんだ?」

「え? わ、私に聞かれても……」

「あら、レオンがクォルトに劣るようであるなら、わたくしの護衛は荷が重いという話でしたでしょう? ならレオンが勝利すれば、その評価は逆。つまりわたくしがレオンたちに付いて行ってもなんら問題がないということですわ」

「あー……。お嬢様頭いいですね」

「馬鹿者! こういうのは屁理屈というのだ! ミュオン、お前はどちらの味方だ!」

「あら。それならミュオンはわたくしの味方ですわよね?」

「そうですね、お嬢様にお仕えしている身ですし、どちらかといえば……」

「貴様という奴は……!」

 話の行く末はエリザがレオンたちの旅に付いて行く方向でまとまりそうだった。話の中心であるレオンは、三人の言い争いを対岸の火事というように右から左へと流していた。付いて来るというなら止はしないし、エリザならそこまで神経質になって気を張らなくても心配なさそうだ。エルのお守り役として連れて行っても、それほど悪い話でもないだろう。

「それじゃあレオン、次からはよろしくお願いいたしますわ」

「……ああ、まぁ、気楽にやってくれ」

 交渉が成立したところで、いい時間だったのでレオンは中庭から部屋へ戻る。が、まだ後ろの方でクォルトが抗議している声が聞こえてきたので、少しばかり事の顛末を見届けることにした。

「わかりましたお嬢様。でしたら不肖、このクォルトが旅の護衛役として」

「あなたがお屋敷から出たら誰がこの家を守るのですか!」

「それはミュオンに任せまして……」

「え? いやいやいやいや無理無理無理無理無理ですよぉ!」

「そうですわ。ミュオンに任せていたら、帰ってきたときにはお屋敷がなくなってそうですもの」

「さすがにそれはひどいですよ……」

「ではどうすれば私はお嬢様のお側にいられるのですか!」

 論点がエリザを旅に行かせないことから、どうすればクォルトがエリザの側にいられるか、にすり替っている。

「クォルト。それほどまでにわたくしの横に立っていたいのならば、まずはあなたのお気に入りであるこのミュオンをしっかりと教育して、あなたの目からでもミュオンにお屋敷の管理を任せられるようになったのであれば、その時はわたくしの後を追う許可をだしてさしあげますわ」

「お嬢様。その言語に嘘偽りなどございませんね?」

「もちろん。使用人に対してといえども、わたくしエリザベート・グロウは嘘などつきませんわ」

 胸を張って高らかに宣言するエリザ。これに闘志を燃やしたクォルトは、ほけーっとしているミュオンの二の腕を捕まえる。エリザを前に軍隊に所属する兵のように一直線に綺麗な直立体制をとった。

「承りましたお嬢様。このクォルト、見事ミュオンを一人前の使用人に仕立て上げた後、必ずやお嬢様のお側でお守りできるよう刻苦精進させていただきます! ゆくぞミュオンよ! さっそくその怯え癖を治すぞ!」

「ええ! でも今日はもう夜中ですし明日からでもあああああああ!」

 ミュオンの懇願はクォルトに受け入れてもらえず、ミュオンはレオンの横を馬車に運ばれる家畜のように引き摺られながら、屋敷の中へ連れ込まれてしまった。

「騒がしい奴らだな。最初の印象とは真逆……いや、女の方は見たままか」

「楽しい人たちでしょう? わたくしのお気に入りなんですの」

 自慢げにエリザは笑った。退屈はしないだろうとレオンも笑う。

「……本当についてくるのか?」

「ご迷惑はおかけいたしませんわ。野宿でもなんでもござれですの」

「タフなお嬢さんだ」

 そよ風が葉を揺らし、どこからか虫の鳴き声を運んできた。

 

               ◇


 翌朝。エリザの豪邸の前で、レオンとエルはエリザが旅の準備を終えるまで二人で待っていた。エリザのことは朝食の時に本人がエルに伝えており、その際エルはエリザの同行を大いに喜んだ。単純に、旅の仲間が増えることがエルは嬉しいのだろう。大勢の方が賑やかで楽しいという考えは、レオンの理解の範疇内であった。

「お待たせいたしましたわ!」

 エリザが大きめの鞄を手にやってきた。服装もひらひらした豪奢なものではなく、動きやすそうな茶色いジャケットと、活発そうな印象を与える半ズボン。見れば見るほど『探検家』といった装いだ。

「こういう時のために前から用意しておきましたの。似合います?」

「意外と本格的なんだな」

「かっこいいよおねーちゃん!」

「ありがとうエルちゃん」

 エルの中ではもうエリザ=かっこいいという図式が成り立っていることだろう。女性としてそういった評価のされかたはどうなのだろう。エリザも特に気にしている様子はないので、これからもかっこいい女性でいてほしい。レオンは自然とそう思えた。

「レオン様」

「ん?」

 クォルトだった。苦しそうに眉を寄せて、それでもなお腕のいい使用人として振舞っている。心なしか歯を食いしばっているように見えるが、レオンはあえて指摘しなかった。

「お嬢様の身に何かあったら……いや、お嬢様の身に何かしてもだ。危害の一切を加えようなものなら、お嬢様とのお約束を破ってでも、貴様を八つ裂きしに行ってやる。例え輪廻の先に行こうとも必ずだ! 必ず殺す!」

(おっかねぇ……)

 愛想笑いでクォルトの脅迫を流すレオン。エリザが見えないところで勝手に傷をつくらないように祈るしかレオンにはできなかった。

 エリザが使用人たちに別れの挨拶を告げて、一人増えたレオンたちの旅が再開した。レオンを先頭に、エリザとエルがそれに続く。

「お嬢様あああああ! お達者でえええええ!」

 ミュオンの震える声が早朝の静けさにこだまする。どうやらつい先程までクォルトの特訓に付き合わされていたようで、なけなしの気力を振り絞って出す魂の絶叫に、エリザの顔が緩んだ。

 町の出入口を抜けて、一行は次の目的地へ向かう。

「そういえばどこに行くんですの?」

「どこだっけレオン?」

「えーっと、確か『ナイトパイア』って街だ」

「『ナイトパイア』……。『四英雄』の一人、『女王』が統治する街ですわね」

「あ、そういえば道聞くの忘れてたな……」

 出発早々に忘れ物に気がつくレオンだったが、落とした肩をエリザが強く叩いた。

「安心してくださいな。ちゃんと地図を持ってきてますの」

「準備いいな、あんた」

「これぐらい旅人の嗜みですわよ」

「おねーちゃんはやっぱりかっこいいや!」

 地図を広げると、目指す地『ナイトパイア』はここから西の方角に位置している。徒歩でも二日、遅くても三日でつく距離だ。

「じゃあお日様と反対の方向にいけばいいんだね」

「わかりやすくていいな」

 こうしてレオン一行は、昇り始めた朝日を背に、『女王』の街『ナイトパイア』へと進路をとる。

 三つの影が、楽しげに大地に踊った。

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