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一人目:丘の上で『勇者』と握手。

 人々の喧騒とランプの灯りで賑わう夜の酒場で、小さく木の軋むような音が鳴った。備え付けられていた扉の開く音だ。入ってきたのは男で比較的背が高く、同じ歳の男よりも頭二つは抜けていた。特に奇抜な格好はしておらず、その辺でよく見かけるような旅人と同じ格好をしている。布の服にズボン、砂埃を避けるための薄茶色のマント。格好を見ればたしかに旅人そのものであったが、ひとつだけ、人の目を引くものが男にはあった。歩くたびに微かに鳴く、腰に差した四本の剣。左右に二本ずつ、飾り気のない剣を携えた物騒な男――レオン・ガンパレードは店の奥にあるカウンターへと向かった。

 酒場の中はまるで祭りのようだった。とにかく大きな笑い声が四方八方から飛び交い、たまに怒声、脇からは泣きじゃくるような情けない声あった。ちら、と辺りを見物するようにしながら、レオンはグラス磨きに精を出す酒場のマスターの前に座る。

「なんにする?」

「ミルクと、あとサンドイッチ」

 レオンの注文を聞いた途端、マスターの表情にわずかばかりの変化あった。磨いていたグラスをレオンの手前に出し、どこからかミルク瓶を取り出し少々乱暴に置く。レオンは差し出されたミルクをグラスに注ぎ、一気に飲み干した。少々乾き気味だった喉が、小気味の良い音を立てた。

「ここにゃあんたに教えるような情報は取り扱ってねぇよ」

 不機嫌にマスターは言い放った。レオンは、事前にこの酒場特有の合言葉のようなものを入手しており、それが『ミルクとサンドイッチ』。訳としては、簡単に『情報を求む』といったところ。

「まだなにも聞いてないだろ」

 突き放されたレオンもまた、不機嫌そうにマスターを言及した。

「格好を見りゃわかる。おまえさん、旅の殺し屋だろ? オレは犯罪者は嫌いでね」

「勘違いするな、こいつは……ただの護身用だ」

 言い訳としては苦しかった。護身用といえばナイフ、どこの世界に護身に剣四本使う人間がいるのか。とはいえ、実際この剣をレオンは人殺しどころか、獣にも振ったことはなかった。血の匂いひとつしない、世にも珍しいなんとも無垢な剣だ。

「まぁ合言葉を知ってるってことは信頼できる奴ってことか。わかった。で、なにを聞きたい?」

「この街に、英雄に詳しいじいさんが住んでると聞いたんだが」

「英雄に? あぁバモンじいさんのことか。珍しいな、あのじいさんに客かい」

「じいさんに教えてほしいことがある」

 言いながら、レオンは二杯目のミルクを半分ほど飲み干す。あまり飲み過ぎると腹の調子がいまいちになるということで、レオンはグラスを遠ざけた。

「じいさんなら店の端っこで飲んでるよ。たまにひとりで来てちびちびとやってんのさ。前は四英雄様の荷物運びをしていた、とか言ってたが、どこまで本当なんだか」

 呆れたような物言いだった。事実、レオンがこの街でバモンの情報を集めている最中、誰もかれもが似たような反応を示していた。この国に広まっている公式な英雄譚の中に、バモンなる者がいたような記録は一切残っていないからだ。おかげで四人の英雄たちはそれぞれ己の望む地位を手に入れることができたが、バモンは大法螺吹きの老人として、酒場の端で安酒を飲むことを生きがいとした生活を送っているらしい。

「ありがとうマスター、助かった。そうだ、ついでにウィスキーをボトルでくれ」

 金貨を三枚ほどカウンターに置くと、マスターは多種多様の酒の並ぶ棚から、琥珀色の酒が入った小さめのボトルを金貨の隣に差し出した。レオンはボトルを片手に、バモンの座る席へと向かう。

 バモンは誰に意識を向けるともなく、右手でグラスを傾け、左手でレオンの持つものと同じウィスキーのボトルを握り、舐めるようなペースで飲んでいた。そんなバモンの前にレオンは優しい動作で追加のボトルを見せる。

「金なら持ってねぇぞ」

「別にいらんが、ただよかったら話を聞かせてほしい」

 バモンは訝しげな顔でレオンを見上げた。レオンの表情は柔らかく見えたが、どうにも目の方は真剣といったふうだった。ふん、とバモンは鼻で笑ってからグラスに半分ほど残っていた酒を、残らず喉に流し込んだ。

「なんだ、嘘つきじじいの妄想でも聞きたいってか」

「いいや、俺が聞きたいのは真実だ。街の人間はあんたをホラ吹きと馬鹿にするが、俺は知ってる。あんたが四人の英雄たちの背中を間近で見てきたことをな」

 レオンがそう言うと、バモンの動きがピタリ、と止まる。レオンには、彼の瞳に輝きが灯っているように見えた。その瞳は、自分の宝物を嬉々として自慢する少年のそれと瓜二つという感じだった。よほどこの件に関して、周りの人間たちから虐げられてきたのだろう、とレオンは同情を寄せる。

「そうかそうか! で! なにが聞きたい! なんでもいいぞ、俺は英雄の荷物持ちバモン様だからな!」

「わかった、わかったから少し落ち着いてくれじいさん」

 猫のように丸めていた身体を精一杯に乗り出し、酔って赤くなった顔を近づけられ、酒の匂いに染まった息を吐きかけてられて、レオンはたまらずバモンを押し戻した。なだめるように両肩を軽く叩いてやると、バモンも少しは我を取り戻したのか何度か頷きながら椅子に座りなおした。

「いや、慌てちまってすまなねぇ。つい興奮しちまって」

 鼻息を荒くするバモンをいなしながら、レオンは本題へと会話を誘導する。

「とりあえず、まず四英雄がなにをしたのか教えてくれ」

「なんだ、お前そんなこともしらんのか! 今時ガキだって知ってることだのに……。でもいつも英雄たちの背中を見ながら旅してきた俺の話を聞いたほうが、そりゃ臨場感があるってもんだな! ガハハ、兄ちゃんわかってんじゃねぇか!」

 熱が入りすぎているのか、容赦なくレオンの背中を張り手するバモン。痛みに苦笑いで返しながら話を進ませるよう催促する。バモンはやや役者がかった口調で、四人の英雄たちについて語り始めた。

 この世界で、今英雄と呼ばれる人間は四人いる。『勇者』『女王』『剣神』『賢者』と呼ばれるこの英雄たちは、今から十年ほど前に異界から突如この世界を侵略しにきたとされる、邪悪な魔王と戦い、その軍勢と魔王自身を退け世界に平和をもたらした。その後、彼ら英雄たちは各々で望む地位を与えられ、今も尚生きた伝説として人々から信仰されている。その英雄たちの活躍を、断片的ながらも記した書物は『四英雄譚』として、学校の教科書に載るほど一般人の中に浸透していった。今でも魔王の軍勢と戦った平原や、魔王との最終決戦に使われた神殿などは、すっかり有名な観光名所として成り果て毎日のように観光客が訪れているという。まさに『世界の危機を救ったすごい四人組』である。

「俺は元々は『女王』の従者だったんだ。その縁で英雄ご一行と旅することができたんだがな……。魔王との戦いが終わってから急に『お前はもう不要よ』なんて一方的にクビにされてよ。だぁれも俺の話なんざ信じちゃくれねぇし、一緒に旅した仲間じゃないですかねぇ。私にもそれなりの待遇を」

「じいさん、ただの愚痴になってきてるぞ」

「ああこりゃいけねぇ。英雄たちの華やかな旅人生活からこんなところに落ちてきちまってからずっと、口から出てくるのは不満ばっかりでよ。でもよ、それでもおれぁあの人達のことを尊敬してるんだぜ」

 調子よくグラスに酒を注ぎそのまま飲み干す。一仕事終えたような勢いで、バモンはグラスを強くテーブルに叩きつけた。残っていた酒が飛沫となってレオンの顔に飛ぶ。バモンの過度な興奮に軽く引きながら、レオンは頬に付いた雫を拭った。

「こんなにも英雄が好きなじいさんだ。英雄たちが今どこでなにしてるのか、あんたなら全員分把握してるんだろ?」

 トントン拍子に話させるために、レオンは新たな燃料と新たな酒を注いだ。酌を受けたバモンはこれまた豪快にグラスを空にした後、得意げな顔でレオンの問に答えた。

「あったりまえよ。つか、誰でも少し調べりゃわかることだけんどよ。まず有名なのが、英雄たちの知恵袋であらせられた『賢者』様だ。あの御方は今や大都市『ネオドラン』を統治する領主様になってる。それに領主様といえば、もう一人有名なのが元我が主であられた『女王』様だな。『ネオドラン』には劣るがそれなりに大きな都市『ナイトパイア』を治めていらっしゃる。あとまぁ残りの二人、『勇者』様はあんまりパッとした地位に就かなかったみたいでな、どうやら王国の一兵士として活躍しているらしい。……なんで『女王』様たちみたいにしなかったのかねぇ」

 まるで自分のことのように残念がるバモン。もったいない、もったいないとつぶやきながら酒を口に含んだ。

「『剣神』はどうしたんだ?」

「それが『剣神』様はどっかの山に入ったっきり行方が知れねぇらしい。元からすこし変わったお人だったからなぁ、思うところがあったんだろうよ」

 話の勢いに任せて、気づいてみたらレオンの持ってきたボトルの残量は半分を切っていた。だいたいめぼしい情報も聞けた所で、レオンは残り少なくなったウィスキーをバモンに押し付け、腰を上げた。と、酔いが回りすぎて大人しくなり始めたバモンの手が、蛇のごとく素早く伸びてレオンの服を掴み、強引に席に引き戻した。

「まぁ待てよ兄ちゃん。『剣神』様の行方はさすがの俺も知らねぇが、代わりにひとついいこと教えてやるぜ」

「……いいな、教えてもらおうか」

「実はよ……」

 ふたりだけの内緒話にしたいらしく、バモンは手で壁を作りながら口をレオンの耳元に寄せてきた。近くに寄られると酒臭い息が煙ったかったが、レオンはなんとか我慢しながらバモンの秘密の話に耳を傾けた。

「実はな、王国の兵隊がこの辺りで演習をしていてな。どうやらその中に、なんとあの『勇者』様がいらっしゃるらしいぜ」

「この街に着てるのか!」

「おっと、大きい声は無しだぜ。……ああ見たって奴がいる、確かだぜ」

 思わぬ朗報に、レオンも身を乗り出す勢いでバモンの話しに聞き入った。バモンの吐く息の匂いは、すでに気にならなくなっていた。

「でよ、こっからが重要。兵隊の演習ってのは一週間ほどここでやるみたいでよ。街外れに野営してんだけど、街で聞いた話にゃ『勇者』様は夜中、一人抜けだして丘の上で剣の練習をしていらっしゃるみてぇなんだ。もし『勇者』様にあいてぇってんならよ、この機会を逃すわけにはいかねぇぞ」

「確かにな。だが無用心だな、いくら英雄だといっても一人で」

「そりゃこの街も物騒な連中が入り込んでるって噂だが、そいつらも盗賊でさえも、英雄様から身ぐるみ剥ぎ取るなんざ不敬な真似、さすがにやらんだろうよ。英雄様が頑張ってくださらなかったら、人間がいなくなって追い剥ぎどころの話じゃなかったろうしな」

 意地悪そうにバモンは笑った。レオンは完全にバモンが酔いつぶれる前に、件の丘の場所を詳しく聞き出し、例を言って席を立つ。

「じいさん、最後にひとつ聞きたい」

 去り際に、レオンは酒をグラスに注ぎ入れているバモンに寄った。泥酔一歩手前といった、意識が混濁し始めているバモンは、レオンの顔を見上げながら不思議そうに首を傾げる。レオンは声の音程を少し下げて、最後の質問を投げかけた。

「『四英雄譚』第十二章・神誕の儀式に書かれている内容は、『本当にあった真実』なのか?」

 睡魔に半分意識を奪われ、船を漕いでいたバモンが、レオンの問いに身体を震わせた。完全に覚醒しきった様子でレオンから顔を逸らすバモン。居心地が悪そうに酒を飲もうとしたが、ボトルの中身はすでに空だった。悔しそうにバモンはボトルをテーブルの上に転がした。テーブルから落下するすんでのところで、レオンがボトルを拾い上げきちんと立てる。

 レオンがずい、とバモンに詰め寄ると、バモンは怯えたように身をちぢこませた。明らかにレオンの問いに対して警戒心、あるいはもっと別の感情を抱いているようだったが、バモンの口は先ほどとは打って変わって、紙一枚ほども開くことはなかった。レオンはその様子を見て、沈黙を返答と了承しその場を後にした。

 未だ喧騒鳴り止まぬ酒場と、忘れていた悪夢に怯え頭を抱え込み震えるバモンを残し、レオンは店の門をくぐった。

 酒場の熱気で汗ばんだ身体に、夜風が冷たく通り抜けた。一息深く呼吸をすると、レオンは力強く夜の街を歩き出す。道を行き、レオンとすれ違う人間は特にレオンに何かを感じてはいなかった。レオンもまた、特に特別な感情を生んでいたわけでもなかった。どこにでもいるような市民のように、レオンの存在は街の風景に違和感なく溶け込んでいた。

 歩を進めしばらくすると、ランプの火に取り残された暗い裏路地から、レオンに向ってなにかが勢い良く飛び出した。人の形をしていたが、レオンとは正反対に小さな背をしていたことで、レオンも反応できず小さな影は見事、レオンの足にぶち当たった。硬い壁でなくてなによりだったが、子供と思われるその影は体制を崩し、砂埃をあげながらたまらず尻餅をついてしまった。

「あ、おい、大丈夫か?」

 思わず、レオンは倒れた子供を気遣った。わずかに差し込むオレンジ色の照明が、子供の姿を顕にする。

 影の正体は、長いパンを抱えた幼い少女であった。薄汚れた、一枚の布で作られた簡素な服に身を包み、所々が破けている薄い皮の靴を履いている。女の子らしい装飾品のひとつも身につけておらず、手入れも行き届いていない髪の毛が、あちらこちらに飛び跳ねている。見た目は可愛い少女であったが、埃にまみれたその風貌が、少女がまともな生活を送れていないことを証明していた。

 突然の出会いに、レオンは押し黙ってしまった。少女はレオンを震えた子犬のような目で見上げながら、両腕に抱えたパンを誰にも奪われないようにと、ことさらに強く抱きしめた。まるで親の形見のようだ。意識を戻したレオンは、怯えて動けない少女を起こそうと、上半身を倒しながら手を差し伸べる。少女はレオンの様子に、警戒心を緩めながらおそるおそると手を伸ばし始めた。野生動物を手懐けているような錯覚をレオンは感じていたが、唐突に裏路地の暗闇の向うから、男の野太い大声が響いた。

「兄さん! そいつを捕まえてくれ!」

 懇願と怒声が入り交じった必死な声に、少女は伸ばした手を一瞬で引っ込め、パンを抱き直すと脱兎のごとくレオンの横を通り抜けた。急な事であったため、またもレオンは反応できずに、少女の逃走を許してしまう。そのまま人の群れに紛れ、パンを抱える薄汚れた少女は消えてしまった。

「ああくそ! 逃がしたか!」

 通路の奥からやってきた声の主は、小太りの白いエプロンを着た男だった。見た目通りに運動が苦手なのか疲れ切った走り方で、額に汗をにじませ荒い呼吸を整えながら、ゆっくりとレオンの前まで来てようやく足を止めた。

「あの子は?」

 男の体力が回復するのを待って、レオンは少女のことを尋ねた。手の甲で額の汗をぬぐいながら、小太りの男は恨めしそうにレオンに語り始める。

「泥棒だよ、パン泥棒。うちの店の商品を持ち逃げしやがったんだ」

 男はパン屋の店主らしかった。パン屋はレオンを尻目に、悔しそうに地団駄を踏んでいる。特にレオンが気に病むことでもなかったが、目の前に泥棒がいて、それを捕まえられなかったことでレオンは針に刺されたような罪悪感に苛まれた。申し訳ない、とレオンはパン屋に頭を下げる。

「いやいいよ、兄さんが悪いわけじゃないからな」

 苛立ちも幾分か緩和し始めたのか、パン屋の言葉からは先程よりかは棘が抜けていた。

パン屋は泥棒を捕まえられなかった腹いせのように、レオンに少女への恨み言をこぼし始める。

「あの子供は初めてみるが、きっと貧困街に住んでる連中の一人なんだろうな。貧困街のボロどもはな、時々そこから出てきてはちょいちょい盗みを働いていくんだよ。まだそれほど大規模な盗みは行われちゃいないから、領主様も貧困街の連中をまとめてどうにかする気はないらしい。だから店側の方でどうにか対策をしないといけないんだが、ちょっと店が忙しいと見張りも満足にできない。迷惑な連中だよまったく」

「大変なんだな」

「兄さんも気を付けろよ。最近はあそこの人間の他にも、物騒な奴らが街に入り込んでるらしいからな。そんな安っぽい剣でも、お構いなしに盗まれちまうぞ」

 冗談ぽくレオンをからかうパン屋。安物であっても、剣が四本もあればまとまった金になるだろう。それを狙われないようにと、レオンはパン屋の優しい忠告として、言葉を受け取った。

 パン屋は元来た道に足を向けながら、愚痴を吐きたりないのか頭を掻きながらレオンにもわかるほど大きな声で独り言を路地裏に転がした。

「とりあえずあの子供のことを憲兵に教えとかないとな。見つけたら捕まえてもらわんとな」

「捕まえて、どうするんだ?」

 レオンが抱いた疑問は、ひどく単純であった。盗まれた物が宝石などならいざしらず、食べ物では捕まえた所で戻っては来ないだろう。まさか吐き出させてまで盗品を取り戻したい、とでも言うつもりなのだろうか。呼び止めるレオンにパン屋はだるそうに振り返りながら、心底呆れたようにため息をついた。

「盗んだパンの代金分、働いてもらうんだよ。まぁ普通の給料よりも、かなり低い賃金でこき使ってやるんだがな」

 盗人への罰としては厳しくもなく、また甘くもない妥当な罰。盗品を返せないというのならば、代金分働いて返せと、しごくまっとうな意見に思える。レオンは今回の件になにか意見を述べれる立場ではなかったし、それにパン屋に対してこのことに特に文句はなかった。――それが子供でなければの話だったが。

「なぁ、あんた」

「なんだい兄さん。なにか文句でも?」

 睨みつけるパン屋の細い目を正面から受けて、レオンはたじろぐことなく、懐から小さな革袋を取り出した。口を縛る紐を解くと、袋に詰まっていた金貨の山が崩れ、人の気を集める独特な摩擦音を鳴らした。パン屋はレオンが財布を取り出したことで、なんとなくレオンの言いたいことを見通したようだった。片方の眉を吊り上げ、下唇を突き出し、疑うような目付きでレオンを見据えた。

 パン屋の熱い視線の中、レオンは財布から金貨を一枚取り出し、パン屋の手の平にそっと乗せた。

「わからないね。あの子供と兄さんは他人だろ? しかもあの子供は」

「ただの自己満足だ、ただのな」

 レオンの考えをパン屋は理解などできなかったが、金貨一枚という、実際の金額銅貨五枚のパン代よりも多めに手渡されたことで気を良くし、興味をなくしたようだった。笑顔を取り戻したパン屋は、金貨を握り締めながらレオンに軽く礼を述べると、今度こそ元来た路地裏へと帰っていった。

 レオンは何事もなかったかのように振る舞いながら、路地裏を素通りし、目的地へと急いだ。去り際に何者かの視線を背中に感じたが、レオンはそれを無視し、その足で街を横切り、周囲をぐるりと取り囲む石塀に開いた大門をくぐり抜け、さらにそこから石塀伝いに街の周りを半周ほど歩く。

 しばらくすると街の騒がしさとは違う、別の賑やかな男達の声が聞こえてきた。バモンが言っていた王国の兵士の野営地だろう。焚き火の明かりに照らされ、数人の人影が地面に模様を作り、その風景は一刻ごとに変化していった。当たり前であったが、人の数が多い。真正面から目標の人物に会いに行っても、門前払いを食らうのは明白であった。

(今の時間なら、例の丘にいるのか?)

 王国の兵隊がまだこの街にいることを確認したレオンは、踵を返し野営している兵士たちに見つからないようにその場を後にした。

 バモンから聞き出した丘は、兵隊の野営地と反対の方角に位置していた。すぐ後ろに大木が生えているからすぐわかる、という謳い文句の通り目的の丘にはすぐに辿りつけた。街の灯りが届かない代わりに、月明かりが眩しいほどに降り注ぐ小高いこの丘からは、夜空いっぱいに敷き詰められた星が見えた。大量の砂金を鷲掴みにし、種まきでの要領で無造作に放り投げたふうに、乱雑で、それでいて不思議と形作られた星の海。黒の大地に芽生えた小さな命のように、儚く強く煌めいていた。

 レオンは金貨をいくら集めても手に入らない極上の夜空に、いつかの己の記憶を重ねあわせていた。

 黒煙と、炎の熱さと、暗い闇夜と、四人の影と。ここまでくればなにか込み上げてくるものがあるだろう、とレオンは考えていた。ただ実際にはいつもと変わらず、起伏のない感情が凪いでいるだけ。我ながら薄情だと、レオンは軽やかに笑った。

 丘を登り切り、大木の麓から下界を見下ろした。街の全貌と、わずかに見て取れる兵士たちの野営地。闇に捕らわれないように、地上の落下した星のごとく、地上は輝き、人の繁栄を誇る。いい景色だ、とレオンは心のなかでつぶやいた。天気の良い昼間にやってきて弁当でも広げたら、とても有意義な時間を過ごせるだろう。

「いい景色、だと思いませんか」

 呼びかけられて、レオンはそれが当然だといったそぶりで、振り返った。

 眼鏡をかけた男が、大木の陰から月光の下に抜けでてきた。背は高さは、レオンよりもひとつ分頭が低いといったところか。皓々と降る月明に照らされた端整な顔立ち。風に揺れる薄衣に似た、男のものとはにわかには信じ難いゆるやかな黒髪。野営地で見かけた王国兵と同一の出で立ちに、腰には国から軍に支給されている専用規格の剣が差さる。兵士というには、なんとも華のある鮮やかな男であった。

「王国の兵士が、どうして一人でこんなところに?」

「僕は寝付きが悪くてですね、夜にこうやって、身体を動かさないと眠れないんですよ」

 にこやかな面持ちで男は腰の物を抜き取ると、正眼に構えた後に思い切り素振りした。姿勢の美しさと、文字通り「風を切った」といえるほどの鋭い風切音。打ち下ろす速度と剣捌きはまさに達人のそれであった。素人目に見たとしても、他の兵の素振りとは段違いの技術と判別できた。

 レオンは男の技量の高さを目の当たりにし、この男こそが『四英雄』の一人、『勇者』その人であると確信した。剣を一振りしただけで感じ取ることができるこの威圧感は、一般兵としての規格を大きく上回っている。長く険しい旅と、数々の修羅場をくぐることで鍛えあげられた、屈強な戦士。『英雄』、今ここに。

「お前が、『四英雄』『勇者』バン・デュラミスで、いいか?」

「……生憎と、あなたに差し出せるものはありませんよ」

「懐かしくないか? この剣」

 レオンは自分が身につけていた一本の剣を鞘ごと外すと、そのままバンの方に放り投げた。反射的にバンが剣に手を伸ばすのと同時、レオンは腰の後ろに手を回すとそこに装備していたもう一本の剣、数にして五本目の剣を抜き放ち、躊躇いなくバンに向けて刃を滑らせた。バンは投げられた剣を手にすると共に、受けるのは間に合わないと後ろに跳び、間合いを広げた。水平に振るわれたレオンの白刃は空を切り、裂いた空間に風を呼んだ。

剣を空振らせたレオンは姿勢を低く保ち、剣身の切っ先をバンに突きつけた。

 場が硬直する。平和な星空の丘は一転、二人の男の決闘場と化した。

「僕を殺したいのであれば、わざわざこの剣を持ち出さなくてもよかったでしょう。あの封印を解いてまで、僕に殺されにきたのですか?」 

 バンは抜いてあった剣を元の鞘に戻し、レオンより受け取った飾り気のない剣を、鞘から抜いた。

 剣身が、蒼く輝いていた。陽の光が水に反射しているかのように煌めいて、水晶を光にあて覗いているような透明感に溢れ、暑い日に海に飛び込むような爽快さで。青空を集めて結晶化したように、その剣はこの地上のありとあらゆる宝石類などよりも美しく、そこに存在していた。

 奇跡。他の何者でもそう結論付けるであろう、蒼の力。

 神剣・『蒼空の魂源』

「こっちにもそれなりの理由がある。『英雄』として、その力を発揮するあんたを殺して初めて、俺はあれらから解放されると思う」

 地面すれすれに飛ぶ燕を思わせる動きで、レオンは素早くバンとの距離を詰めた。手に持つ剣の射程範囲にバンが入ったその数瞬後には、もうレオンの剣は半円の軌跡に振り抜かれていた。バンは軽く後方に身を反らすことでこれを回避、一呼吸後にしなった竹が反動で戻るように、苛烈にレオンに斬りかかる。

 身体を上げたレオンの左肩から、袈裟切りに刃が走る。蒼の発光が残像を残し、可憐な空の道しるべを創りだす。これを、レオンは半身になりバンの腕の外側に避けやり過ごすした後、引いた腕をバネにすかさずバンの胸を狙い刺突する。が、返す剣でバンが蒼剣を切り上げ、レオンの突きを強く弾いた。

 両者の呼吸と刃の踊る音、強く打ち付け合う剣の響きが夜陰の丘にこだまする。距離を起き、互いに睨み合いながら剣を構え直す。その沈黙の中で、バンは問う。

「理由が明確ではないですね。なぜ、僕を殺すと言う?」

「お前らなら、言わなくてもわかってくれると思ったんだがな……」

 レオンの返答には、どこか落胆の色が混じっていた。続けて、レオンは淡々とした口調で告白し始めた。

「『四英雄譚』第十二章・神誕の儀式」

「……!」

 苦虫を噛み潰したような表情を浮かべるバンに対し、レオンは構わず話を続けた。

「お前たち『四英雄』の活躍を記した本には、侵略を開始した魔王を退治するまでの行動のすべてが記録されている。だがその記録の中には、『操作された真実』が存在する。……それが『四英雄譚』の第十二章目、神誕の儀式の内容だ」

「君は、……なるほど。『剣神』が拾った命、あの村の生き残りか」

「あぁ勘違いするなよ。俺自身は、別にお前らを恨んでる訳じゃない」

「どういうことだ? あの『儀式』の生き残りであるなら、君が僕らを恨むのは……。それに、仮に恨んでないとするなら、どうしてこんな」

 動揺。当然の結果が突如覆されたほどに、一時的な精神の変調。気を戻すために頭を振りながら、バンはレオンに問い詰めた。それは過去の話。魔王が健在していた時代、バンに、いや英雄たちにしてみれば忘れられない、忘れてはいけない血塗られたの惨劇。人類を救うという大義名分のもと実行された、口にだすのもはばかられる、抹消された『神誕の儀式』の真実。英雄の隠された黒い歴史、人々にはただ耳障りの良い物語として改変された『儀式』を知る、世界でただ唯一の男、レオン。

「夢に、見る」

「夢?」

 ぽつり、とレオンがこぼす。

「あの時まだ子供だった俺にしてみれば、お前らのことを恨み続けてられるほど、短い時間じゃなかった。親も友人も殺されたが、なぜかものを真面目に考えられる年齢になっても、英雄であるお前を目の前にしても、怒りも悲しみも湧いてこない」

 レオンは剣を構え直す。が、バンは未だレオンの思考を理解できず、喚いた。

「訳の分からない事を並べ立てて、なにが言いたい……? 君がしたいのは、結局はただの復讐だろう!」

「復讐なんてくだらねぇよ」

 バンの叫びを、レオンは真正面から一刀両断した。バンの混乱は速度を増していく。脳内では疑問符が際限なく増殖していく。思考というものを器に例えた時、今の状態は水が器をあふれんばかりに注がれている事態。バンは流れ落ちる水の奔流を一時切り離し、理解不能として脳の隅に追いやったあと、すぐさま目の前のよくわからない男へと意識を切り替えた。

 そこへ、レオンは追い討ち気味にバンに告げる。

「ただ俺以外の、あの村の連中がどうしようもなく恨んでるようでな。毎晩夢に見る。殺せとか、生かしておくなとか、うるさいもんでよ。この五年ほどまともに夜を過ごした記憶がない」

「復讐の代理人……はは、なんだかんだ言いながら、とどのつまりこれは復讐なんじゃないか」

 バンはどこか安堵したように短く息を吐き出した。長年の夢が水泡に帰すその一歩手前で踏みとどまれたと言わんばかりに、その態度の変化は異様であった。

「下手な言い訳はしなくていい、素直に復讐なら復讐とそういえばいい。誰も君を責はしない、君にとってその行いは正当性のあるものだからね」

「正しいとか、正しくないとか、そんな単純なことで自分の生き方を決めちゃいねぇよ」

 バンの言い方は、まるで復讐されることを望んでいるかのような台詞だった。だがレオンは己の行いがバンの言う『復讐』ではない、とはっきりと否定した。誰かを殺されたがために、殺した誰かを殺す。その負の循環が途方もなくくだらないと、レオンは確信していた。

「いい加減にしてくれ。たしかに君自身の恨みを晴らすのではない、というのは認めるとしよう。だが君以外の恨みを晴らすために僕を殺すというのなら、それは立派な復讐だ! 僕らの犯した罪を君が断罪する! それ以外に解釈のしようがあるか!」

「あるさ。言ったろ? 俺だってたまにはぐっすり寝たい」

 バンの熱が、身体に汗をにじませるほどに上昇した。怒りを覚えて、感情の昂ぶりとは逆に声色が落ちる。バンは長年の宿敵を見つけたような鋭利な目で、レオンに強い眼差しを向けた。目で殺す、とはこのことのようであった。

 当の本人、レオンはのれんに腕押しといったふうに、バンの刺すような視線を受け流していた。軽口をたたき飄々としているレオンに腹を立てたか、バンは地面を蹴りレオンへと肉薄、蒼剣を全力で横に薙いだ。

 その速度は今までのものとは段違いに速く、レオンは辛うじて反応をすることができたものの、胸の皮を浅く切ったか、服の切れ端と共に鮮血が宙に舞った、

 バンの手に握られた神剣・『蒼空の魂源』に変化が見られた。蒼の光は勢いを増し、押きれない力の波動が物理的な現象をもって、周辺の草花を焼く。風に舞う葉、衝撃にちぎれて飛ぶ草も、蒼の光に触れるたびに火花を起こして黒く灰となり、夜空に霧散する。

「僕らはあの『儀式』でこの力を手に入れた。君が、この力を手に入れてしまった僕らへの断罪人であったとしたら、僕も素直に君を受け入れていただろう。だが、ただ『眠れないから』だと! この力の代償は、そんなくだらないものではないはずだ!」

 外へ放出される蒼の輝きに倣い、バンの怒りも激怒に、憤怒になって溢れ出す。英雄としての尊厳が、人々のためにと心を鬼にし、発動させた『儀式』とそれによって得ることのできた『力』への執着心が、バンの心を黒く塗りつぶしていった。

 罪を背負った英雄として、バンが望んだ結末は『断罪』であった。己の遂げた功績を讃えられ、人々には世界を救った英雄として信仰され、その裏でレオンのような英雄の罪を知る人間に復讐を成し遂げさせ、『英雄として人々に信じられながらも誰に知られる事もなく、犯した罪をすすぎ落とし死んでいく』。

「だから僕は『剣神』の言葉を受け入れた! あの時見逃した子供が! お前が! 僕の罪を洗い流してくれると信じていたからだ! しかしこれでは……! なんだったのだ!あの時の僕の決意は! ふざけるな……、ふざけるなよこのガキィ!」

 その殺意は、まるで獣の牙。剥き出しの感情に反応し、許容量を越えた蒼の光が濃く深く、太陽の没した天空の色へと変貌していく。蒼を煮詰めた、深い濃紺。光に触れた地面が、極度に重力をかけられたように勢い良く抉れた。爪痕のように丘を傷つける濃紺の激流。バンの烈火の如く膨れ上がる怒りが、暴力となってレオンを襲う。

 力に規則性はない。ただ溢れ出るままに暴れ回る力が、変則的に周囲をなぎ払う。大地がめくれ、その度に舞い上がる粉塵に隠れ、バンが一足飛びにレオンへと迫る。

「死ねぇぇぇぇぇぇ! 僕の誤算ぁぁぁぁぁぁぁん!」

 両手持ちに、真上からレオンの頭へと一刀両断。熱したナイフでバターを切るほどに、やすやすと岩を切断できるであろう凶刃がレオンへと落ちた。動きが掴みづらい濃紺の光を注意深く観察しながら、レオンは命からがらといった様子でバンの剣を避ける。今までと同じ要領で紙一重に避けていては、確実に重傷を負ってしまうであろうほど、バンの持つ剣の威力は強大だった。かすっただけで肉を引きちぎられる、と恐怖を錯覚させるほどの威圧感に、レオンは全力で間合いを開けることしかできなかった。

「ははははは! 僕にこいつを持たせたのは失敗だったな! どうだ、これが『神誕の儀式』で生み出された剣と、剣により増幅される僕の身体能力、そして紛れもない僕自身の力だ! 『蒼空の魂源』の力の源は『魂』! そして僕に授けられた力の源は『使命』! 殺せるものなら殺してみろ、レオン・ガンパレード! ははははははははは!」

 バンは休まず攻勢を仕掛け続けた。バン自身には決してその猛威を振るわぬ濃紺の光を盾に、バンは真正面からがむしゃらにレオンに突っ込んだ。自身で防御することなど全く考えていない極めて幼稚な特攻に思えたが、その実バンの攻撃後の隙を埋めるように地を抉る光が蠢き、自動的な守りとして働いているせいで、レオンは反撃の糸口を掴めずにいた。バンの動きに合わせて光が一定の軌道を通るようになったため、回避すること自体は難しくはなくなっていたが、問題はその光の威力。直撃すれば即死、良くても重傷は免れないであろう。一度の判断の遅れが命に直結する戦場で、レオンは慎重にならざるを得なかった。

 怒りの荒波がバンの剣捌きを単調なものにしているように見えた。大振りな攻撃の隙に懐に潜り剣を振るう、そんな子供にでもわかるだろう戦い方を実行できない歯がゆさに耐えながら、レオンは殺意に形作られた光の群れをくぐり抜ける。

「しつこいな! 眠れないのならば永眠させてやる、大人しく首をはねられろぉ!」

 バンの咆哮に合わせて、光の束が包囲する壁となってレオンに襲いかかる。多方向から槍で突き入れる動きで、濃紺の光がレオンを中心として逃げ場を無くしながら一斉に踊り狂う。

「悪くないが、あの悪夢を払う前に長い眠りにはつきたくないね」

 光の軌道が今まで一番読み易くなり、ここぞとばかりにレオンは前方へ全力で駈け出した。光の反応速度よりも速く走り抜けて、レオンはようやくバンの懐に辿り着いた。右手に握った剣をバンの腹目がけて振り抜こうとした時、レオンはバンの不敵に釣り上がった唇をみた。

 光が逆流する。レオンの走り抜けたバンへの到達路に沿うように、一度やり過ごした濃紺がレオンの背中に飛来する。バンごとレオンを貫き殺そうとする容赦なき光の槍に、レオンは脇腹を裂かれながらも横に飛び退き、一命を取り留める。なんとか致命傷を避けることはできていた。

 傷口が高熱という悲鳴を上げる。流れ落ちる血液の量からしても、ただのかすり傷とは言い辛い。早めに血止めをしなければ、出血多量で動けなくなる。剣を支えに片膝をつくレオンの中で、初めて焦りが生まれた。

 バンは光を避けることはしなかった。自爆覚悟の気迫を持ち合わせた攻撃だったが、バンは光に腹を貫かれていても微動だにしなかった。いや、実際には光はバンの身体を貫通すらしてはいなかった。光がバンに衝突した瞬間弾け跳び、飛沫となった後、水滴が肌に浸透していくように、光がバンの身体へと吸収されていった。

「不思議かい? この剣の力の源は『魂』。今は僕自身の『魂』を使っているからね、この光は僕自身の魂の輝きと思ってくれていい。僕の魂が僕に効かないのは当然のことだろう?」

 罠にかかった仔兎を笑う。バンの口元は緩んでいた。光の流れを操り、レオンを自らの前へと誘き出し、油断したところを己には無害な光の凶器で仕留める。殺すまでには至らなかったが、バンの狙いは半分は成功したと言えるだろう。

「僕自身の魂の力を引き出すには、感情をある程度まで昂らせないといけないんだが、そうすると頭に血が上ってまともに剣を交わすこともできない。ま、それでもこれくらいの戦略は思いつくぐらいには、修羅場を越えているつもりだよ」

「魔王を倒すために、守るべき民の村を焼き払う英雄さまは、さすが頭の出来が違うな」

「皮肉のつもりかい? 気を付けろよ。その手の台詞は、僕の力をさらに増幅させかねないぞ」

 レオンの挑発が少しは効果があったか、濃紺の光がさらに色を増した。それは光源といえるものではあったが、その色はほぼ辺りの闇夜に同化していると言ってもよかった。巨大な力に大気が震え、丘の象徴ともいえた大木がざわめく。枝につられて揺れる葉が、レオンの乱れた呼吸音をかき消した。

 鎌首を持たげる殺気。もう満足に足も動かないだろうか。激痛に引き出された汗が、玉になり流れ落ちる。灼熱にうなりそうになりながら、レオンは傷口を押さえ突き立てた剣を構え直し、バンと向きあう。

「まだ立ち上がるのか。いちいち感情を逆撫でしてくれる奴だ。そんなに僕を怒らせて、勝つ可能性を狭めたいのか」

「なるほどな。怒りっぽいお前には、その剣はお似合いのようだ」

 レオンが言い終わるやいなや、たまらず突進するバン。怪我で思うとおりに動けないレオンを、容赦なく粉微塵にしようと暴れ回る濃紺の光。外れて、地面を抉り揺らすその振動にも、レオンは足を取られた。劣勢の中で、レオンはバンの猛勢をくぐり抜ける努力をしていた。ただ直撃せずともレオンの身体を傷つけるバンの力が、徐々にレオンを崖の淵まで追い詰めていく。

「もう後がないとは、思わないか!」

 バンの蒼剣が水平に飛ぶ。足取りもままならない今のレオンでは避けることもできず、剣で防御するしかない。蒼剣を持つことで増幅された腕力に耐え切れず、レオンはたたらを踏む。崩れた体制を好機にと、猛々しい光がレオンの胸を狙い撃つ。耐えることを諦めて、勢いを利用して地面を転がり、光をやり過ごす。

 地面に血の跡を残しながら、レオンはすぐさま立ち上がり次の攻撃に備える。上空から引き裂く爪のように迫るいくつもの光を、後ろに転がるように跳躍して追撃を振り切る。生への執念がみせるレオンのあがきが、バンの力を増大させる一因となっていた。

「さっさと死ねぇ! 出来そこないの断罪人がぁぁぁ!」

 吠える。バンが剣の先をレオンに向けると、光が弧を描きながら幾重にも重なりあってレオンにのびた。バンの仕掛ける罠。その軌道はレオンを殺すために用意した、二度目の光の檻。

 それに気づきながら、レオンはまたもバンに向い走った。最後の力を振り絞り、この機会を逃さぬようにバンの眼前へと詰め寄った。レオンの体力も限界だった。これを失敗すれば、後は嬲り殺される運命しか残っていない。レオンは覚悟を決める。

「通らば……! 俺の勝ち……!」

「ところがどっこい! そうは問屋が卸さなぁぁぁい!」

 濃紺が背後より忍び寄り爪をたてる。それだけではない。向かい来る光の槍から、さらに四方に牛の角のような光が生える。バツ印を作るように斜め四方からのびた光は、レオンの行く手を封じ込めながら、鷲掴みに急襲する。

(殺った!)

 バンは勝利を確信した。しかし、レオンは敗北を受け入れてはいなかった。

 光が到達する前に、レオンはバンの頭を掴み、そこを支点にしながら真上へと跳んだ。レオンを狙った四方の光は、互いにぶつかり合い大きく発光しながら消滅。一直線に突き進んできた光はバンという壁に突き当たり、飛沫となって吸収される。

 レオンは縦に半回転しながら、バンの背後へと落ちていく。レオンの突発的な行動に唖然とするバンは、レオンの動きに遅れること数秒、振り返る。

 視線が交差する。逆さまになりながらも落下するレオンは、その落下速度に自身の腕力を加算させ、バンの首めがけ剣を振り抜いた。肉を切り広げる感触はほとんど感じず、硬い骨に手応えを実感しながら、レオンはバンの首を切断した。 

 レオンが空中で身体を捻り、背中から落下すると同時に、血液の噴水が起きる。赤い雨の降る丘に、『勇者』の死体が立つ。やがて姿勢を保てなくなった肉体が、血飛沫をまき散らしながら前のめりに倒れこんだ。

 血溜まりを作るバンの死体を、立ち上がったレオンは、服についた土を払いながら見下ろした。不気味に痙攣する死体。驚きに目を見開かせたバンの首は、視線のもう少し先に落ちていた。

「……頭ががら空きだ」

 辛勝だった。血濡れた剣を振り、こびりついた赤い液体を払う。腰につけた鞘に剣を収めると、出血多量でふらつく身体と、意識が飛びそうになる頭をなんとか動かしながら、レオンは早々にこの丘を去った。墓を作る気力も体力もなかった。同僚の兵士がバンの死体を見つけ、墓を作り埋めてくれることを期待しながら、レオンは丘を下る。一歩ごとに脇腹から命が流れだすようだった。どこに向かっているかも判別できず、もつれた足を直すこともできずに、レオンはたまらず倒れこんだ。

 受身も取れない。転倒した衝撃がレオンの寿命を削る。草に隠れる虫の足音を耳元で感じながら、レオンは意識を手放した。黒く天幕が落ちる直前、小さな影を見た気がした。

 

                  ◇


 ――その後、レオンが目覚めたのは古びた石造りの部屋の中だった。窓のない、狭く囲まれた壁に反響する、暖炉の中で燃ゆる薪の弾ける音が、レオンが意識を取り戻すためのきっかけとなった。だるく、重苦しい身体に鞭を打ち、上半身だけをなんとか起こす。額の上から冷たいものがズレ落ちる。水に濡らした、折りたたんだ布だった。

 レオンは濡れた布を腹の上から取り上げながら、部屋の中を見渡した。外から陽を差し込ませるための窓がなく、時間の感覚も曖昧であった。ただ多少の薄暗さはあったが、暖炉の火が照明代わりに揺らめいていたため、視界の確保には困らなかった。家具の類は、レオンが使っているベッド以外に、水の溜まった器を載せる小さなテーブルがあった。耳に心地いい火花の音を聞きながら、レオンは意識を失うまでの状況を思い返す。気づいて、脇腹の傷を確認した。包帯が巻かれていた。痛みはあるが、出血はしていない。

「……服。と、あー……荷物も」

 治療をするため仕方なかったのだろう。レオンは下着を残し、ほぼ裸の状態であった。バンに渡した蒼剣は取り返していないので、自分の分も含め合計残り四本となった剣もなく、それ以外の荷物らしい荷物も手元にはなかった。なんとか立ちあがることができそうだったので、身体をずらし、レオンはベッドから立ち上がった。

 突如、めまいがレオンを襲った。そういえば出血がひどかった、と治療された脇腹をさすりながら、レオンは床を踏みなおして、出口に向かう。木製の扉はレオンには少し小さめに思えた。取っ手を掴み、鍵がかかっていないことを確認して、扉を押した。

「きゃっ……!」

 外で、女のものと思われる小さな悲鳴が上がった。とっさにレオンは動作を止め、しばらくしてから再度扉を開く。

 隙間から入る白い光と、それに照らされる細い足が見えた。視界がひらけるごとに、扉の前で少女が倒れていることが判明していく。どこか既視感を覚えながら、扉を全開にする。案の定、どこかで見たことのある少女が、扉の前で尻餅をつく形で転んでいた。

「あー……、おい、大丈夫か?」

 急に扉が開いたので驚いたのだろう。怯えた瞳でレオンを見上げ動けない少女に、気を使ってレオンは手を差し伸べた。今度はパンを抱きしめてはいなかった。

 転んだ少女は、恐る恐るレオンに手を伸ばした。今度は邪魔もなく、といきたいところであったが、横合いからまるで邪魔をするように老人の声が飛び込んできた。

「おー、気がついたか。若いの」

 老人の明るい声に、少女ははっとしたように手を引っ込める。今度は逃げなかったが、レオンの伸ばした手を無視して、急いで自分の力で起き上がった。行き場を失った手を、レオンはきょとんと見つめながら同じように引っ込めた。

 老人はしわくちゃの笑顔をいっぱいに浮かべながら、少女の隣に立つとその頭を撫で始める。枯れ木のような老人の手が、少女の髪をみだすが少女はそれを気持よさそうに受け入れていた。親子、年齢差から言って祖父と孫であろうか。

「あそこから息を吹き返すとは、中々頑丈な身体をもっとるじゃないか」

「あんたが、俺を?」

「治療したのとここまで運んだのは私で、あんたのことを見つけたのと、看病しとったとはこの娘だ」

 レオンが視線を向けると、少女は慌てて老人の影に隠れた。心なしか頬が赤い。

「出血がひどく、発見が少しでも遅れれば本当に危ないところだった」

「じゃあそっちの女の子も、俺の命の恩人か」

「ははは、まぁそういうことになるかの。ま、あんたもこの娘を助けてもらったそうだから、これでお互い様だな」

 レオンは再度、老人の後ろからこちらを伺う少女を見る。視線がぶつかってしまったせいか、身体を跳ね上げて、少女は完全に老人の背へと隠れてしまった。

(子犬……いや、小亀か?)

「それより、傷の方がどうだ?」

「ああ、まだ血が足りないみたいだけどな。なんとか歩けるくらいには」

「言っとくが、飯はだせんぞ。こっちもカツカツだからな」

 カカカ、と陽気に老人は笑う。この家の床や壁をみれば、あまり財産があるようには思えなかった。頷きそうになる首を、レオンは必死に抑えた。

「ああ、そうだ。俺の服とか……荷物とかは?」

「預かっとるよ。剣ならな」

「服は? あとそれ以外の荷物は?」

「服は血だらけで着られんようになっとったぞ。それ以外は金に変えて、あんたのための薬代なり私らの飯代なんかになっとるよ」

 老人の笑いは、先のものと変わっていなかったが、レオンにはこれが陽気、というよりも邪悪に、というふうに感じたらしく、その背筋に冷たいものを走らせた。申し訳程度の包帯と、下着一枚、荷物は剣四本のみで、レオンは今ここに立っているらしい。バンとの戦いの時に似た、死への危機感が津波となって、レオンの心を呑み込んだ。

「おい、おいおいおいじいさん! そりゃ追い剥ぎってもんだろ!」

「命あっても物種だろうが。でも、あんた旅の殺し屋だろ? 商売道具を残しただけ、ありがたく思いなさいな。つっても、ありゃ鞘から抜けねぇってんで質屋から突っ返されただけだけどな」

「あれは商売道具じゃねぇただの護身用だよ!」

 頭をかかえるレオン。目の前の老人が悪魔に見え始めていた。今ここで命をつないだとしても、その後無一文でどう生活していけばいいのか。旅から旅の根無し草、路銀を稼ごうにも服のひとつもないこの状況では、街も満足に歩けない。怪我以外の条件で行動不能になるなど、ベッドで目覚めた頃のレオンには想像すらできなかったろう。

 老人の後ろから、少女が心配そうにこちらを見ているのがレオンの視界に入る。藁をもつかみたい気分のレオンが視線を返すと、少女は首をしまいこんだ。

(亀だな……)

「なんだ、そう落ち込まんでくれ。服くらいは用意するから、許してくれんか」

「……しょうがない、命の恩人に礼をした気分で、金はくれてやるさ」

 旅をする資金が消えたのは痛かった。それに英雄の一人、『勇者』を殺したことで、そう長くはこの辺りに滞在することはできない。手近な仕事をして金を稼ぐ、というのも難しそうであったが、老人の言うとおり生きているだけマシなのであろう。とにかく服だけでも用意してもらい、早急にこの街を離れる必要があった。そこでふと、レオンは自分がどれくらいここで世話になったのかが気になった。

「ちなみに、俺はどれくらい寝てたんだ?」

「あんたを見つけてから、今日で三日目だな」

 三日。さすがに丘の上の死体も見つかっているだろう。今頃血眼になって犯人を探しているに違いない。この少女がいるということは、ここは貧困街のどこかなのだろう。罪人が逃げこむとしたら、最も確率の高い場所だと、追う側の人間たちも考えるだろう。レオンが犯人だと確定している可能性は低いが、特定されるのも時間の問題だった。

「悪いが、早めに服と、あと荷物も残っている物全部返してくれないか」

「もう、いっちゃうの……?」

 少女の声だった。老人の背後から顔を半分だけ見せて、潤んだ瞳でレオンを見ている。その可愛らしい風貌に、レオンから自然の笑みがこぼれた。

「今回のことは礼を言わせてもらう。ありがとうな」

「……どう、いたしまして」

 言うだけ言って、少女はまたまた老人の後ろに隠れようとしたが、老人の腕に阻まれてしまった。

「じゃあちょいと取ってくるからよ、ここで待っててくれや」

 少女とレオンを残して、老人は廊下の奥に消えた。隠れ場所を失った少女は、慌てふためき、駆け足で次は扉の影に飛び込んだ。そしてまたひょこっと顔を出し、レオンと目が合うとすぐさま頭を引っ込める。興味はあるが、警戒心が邪魔をしている。そんなふうにレオンの目には映った。

(亀、むしろやどかり……)

「待たせたな若いの」

 老人が戻ってきた。手には丁寧に折りたたんだ服を抱え、持ちきれなかったのであろう四本の剣は、老人の腰に巻かれた皮のベルトにぶら下がっていた。それ以外の荷物、レオンにとっては主に財布ぐらいなものだったが、そういった類のものは一切持っていなかった。密かに老人が冗談を言っているのではないか、と期待はしていたがそれも儚く打ち砕かれてしまった。

 老人から衣服を受け取ると、一度部屋の中へ戻り着替える。すでに隠すものもないような格好であったが、一応レオンも人並みの羞恥心は持ち合わせていた。もう後の祭りではあるが、目の前には年端もいかぬ少女もいたことであるし。ひと通り装備を整えると、レオンは廊下へと戻った。

「とりあえず着るもんは、あんたが使っていたもんとだいたい同じの物にしといた」

「助かる、気に入ってたんだ」

 マントの色が以前のものと違い、白い生地になっていたがそれ以外に変化はみられなかった。もともと大量に生産されている旅人用の服であったことから、入手するのは比較的楽であったろう。

 無地の白マントで全身を覆う。旅の支度が整った。

「本当ならもう少し安静にしててもらいたいもんだがなぁ。怪我のせいで途中で野垂れ死なれても、後味が悪いからの」

「悪いな、のんびりしてると、逆に迷惑をかけそうでな」

「……詮索はせんよ。ここで住む上での最低条件だからな」

「重ねて礼を言わせてもらう。世話になった」

 頭を下げてから、レオンは老人の家を出ようとした。表からでて憲兵などに見つかっては面倒だからと、老人はレオンを裏口へと案内した。裏道は年中日当たりが悪く、隠れてどこかへ行くというのならうってつけという話だった。

 そうして裏口から外へ出ようとしたレオンは、首にかかる妙な手応えに足を止めた。マントがなにかに引っかかっている。振り向くと、力強くマントを掴んでいる少女の姿があった。レオンは構わず歩き出そうとするが、ちょっとやそっとの力では、少女から逃げられそうにもなかった。

「じいさん……」

「ははは、あんたずいぶんとこの娘になつかれたもんだな」

 レオンは特に子供を嫌ったことはなかった。旅人だということで話を聞きたいと、群がってくる子供たちの相手をしたこともあったし、道中で子供になつかれることも少なくなかった。レオン自身はその理由をわかってはいなかったが、世界中を股にかける大人という部分が、子供たちの目には眩しく映っていたのだろう。

 ただこの少女はどちらかといえば、優しくしてくれた大人という印象が強く、単純に好かれているといった方が正しいようだったが。

「困ったな……じいさん、なんとかしてくれ」

 時間が許せば、少女が満足するまで側にいてやることもできたが、今のレオンにそこまでの余裕はなかった。ここに逃げこんでから三日。遅くともあと数日以内には、捜査の手がここまでのびてくるだろう。怪我人の旅人など、真っ先に疑われる対象だ。レオンができるだけ遠くに逃げたほうが、両者にとっても安全であろう。

 老人も、その考えには同意だった。ただし、半分ほどであったが。

「なぁあんた、もしよかったらその娘も一緒に、連れてってもらえんだろうか」

「じいさん、冗談は」

「まぁ聞いとくれ若いの」

 レオンの話を遮り、老人は少女と目線を合わせるようにしゃがみこんだ。マントに張り付きながら老人に振り向く少女の頭を柔らかく撫でながら、老人は続けた。

「この区画が貧困街とよばれ、他の街の住民たちから疎まれておるのは知ってるか?」

「ああ、人伝に一応は」

「ここの領主様は、私らのしてることがまだおとなしいからと、まだ大掛かりな対策を講じたりはしていない。だが、これからもそうだという確証はない。生きるためとはいえ、私らのやってることは所詮悪事。いつまでもお咎めなしではいられんだろう。現に貧困街の人間だからと、憲兵に通報する人間もおる。……この娘もあんたに助けてもらわねば、憲兵に捕まっていたかもしれん」

 領主が貧困街に対して未だ行動を起こしていないことに、少女を追っていたパン屋は嘆いていた。自分らで泥棒に対して注意をしていかなければならず、事件の種は予め潰しておこうと、貧困街の人間を無理やり罪をなすりつけて憲兵に引き渡す事案も増えているらしい。憲兵側の中にもその意見に賛同しているものもいるらしく、濡れ衣を着せられ拘束されている住民が数いるらしい。

 老人は少女の両肩に手を置きながら、うつむき力なく笑った。

「盗みや追い剥ぎをした人間を捕まえるな、などとは言わん。ただいわれのない罪でこの娘が牢屋にいれられるかもしれないと考えると、私は居ても立ってもいられんでな。心配なのだよ、この娘が」

「それで、街の外に出したいと?」

「子供に、は外でおもいっきり遊んで欲しいと思っとる、広い世界を見ながらの」

 失礼ながら、レオンは最初、この老人が口減らしに少女を素性の知れぬ男に押し付けようとしているものと想像した。まるっきり真逆の老人の未来を見据えた、少女への慈愛に満ちた思想に、レオンは自らを恥じた。

「どうだろう、連れて行ってはくれんか?」

「……あんたの考えはわかったよじいさん。後は本人が望めば、俺は構わんさ。子供は嫌いじゃないしな」

「助かるよ」

 屈託のない笑顔で、老人はレオンを見上げる。年月を重ね、緩んだ皮膚をピンと張らせたその笑みには、打算や企みといった暗い部分は、一欠片も映し出されてはいなかった。心からの喜び。レオンはどこか誇らしかった。

「おじいちゃん……」

 老人の気持ちを漠然と理解したのだろう。少女の声に、期待と不安が入り交じった。

「前々から、街の外にでたいと思っとったのは知っとる。怖いだろうが、この若者についていけば安心だろう。外の景色を見てきなさい。それがお前の幸せなのだから」

「いいの?」

「ああ構わんとも。なにかあったら、まぁ本当はあまり戻らないほうがいいんだが、いつでもここに戻ってきなさい」

「……うん!」

 少女は力強く首を縦に振った。しがみついていたマントを呆気無く離すと、準備をしてくる、と少女は自室へと向かった。その後ろ姿を眺めながら、老人は改めてレオンに話しかける。

「すまんな、わがままを聞いてもらって」

「あの娘にも恩返しをしてやらんといけないしな。気持ちもわからんでもないし。でもいいのか? 血塗れでそのへんに転がってるような男に、可愛い孫を預けても」

「あの娘は孫じゃあない。だからという訳でもないがな。あの娘がなつくのだから、そう悪い男でもないのだろうよ、あんたは」

「そりゃどうも。……孫じゃないってのは、聞いても?」

「捨てられているのを拾った。その程度の関係だよ、私らは」

 どこから来た捨て子なのかは、老人にもわからないようだった。家のゴミ捨て場を漁っていたところを、老人が保護したらしい。肉親がどこにいるのかも不明、少女も親のことはなにもわからないと首を横に振る。手がかりもなく、少女もそれほど生みの親に関してそれほど興味がないようで、積極的にさがすこともしなかったという。

「あの娘の笑顔が、私には太陽だと思えたよ。暗い毎日に光が差し込んだような気がしていた。だからこそ、このまま老い先短いじじいの道連れになるのは忍びない。恩返しというなら、あんたに預け、あの子に世界を見せてやれるようにするのも、私なりの恩返しというやつだ」

「その大事な娘を預ける男の金を、勝手に持ち出したのは誰だよ」

 根に持つわけではなかったが、矛盾した老人の行動にレオンは皮肉を我慢することはできなかった。老人はその言及を予想していたのか、懐から元の大きさよりも少し膨らんだ財布を、レオンに投げた。

「あんたがあの娘を連れていかないというなら、遠慮無くもらうつもりだったのだが。なに、ちょっとしたお茶目だ、見逃してくれんか」

「いいのか? 明らかにじいさんの金まで入ってるようにみえるが」

「あの娘へのすこしばかりの餞別だ。なにか美味いものでも食べさせてやってくれ」

 これはレオンの憶測であったが、きっとこの老人は、治療のために使った薬の代金もレオンの財布からではなく、自分の貯金を崩してくれたのではないだろうか。何故わかるのか、と聞かれればレオンはこう答えるだろう。

 元々、売れるものなど俺はなにも持っていなかった。

「意地悪なじいさんだな、まったく」

「なんとでも言え。大事な一人娘のためなら、嘘もつくわい」

 ちょうど、少女が戻ってきた。肩から荷物で膨らんだポシェットを下げて、待ちきれないようすで廊下を走ってくる。

「準備できた、おじいちゃん」

「忘れ物はないか?」

「うん!」

 老人は最後に少女の頭を一度だけ撫でると、その背中を押した。少女はレオンの横にたどり着くと、老人の方へ振り返る。レオンには名残を惜しんでいるように見えた。

「それじゃあ、達者でな」

「行ってきます、おじいちゃん」

 別れの言葉は、案外と短かった。死に別れるわけでもないから、これくらいの妥当なのだろうか。レオンには旅出る時、見送ってくれる親も友もいなかった。ほとんど追い出される形で、レオンの旅は始まったのだ。

 寂しい、とは思わなかったが、見送ってもらい、そしてまた迎えてくれるだろう家族がいることを、レオンは羨ましくは思っていた。

「あんたも、気をつけてな。娘のことを頼むぞ」

「……レオンだ」

「うん?」

「レオン・ガンパレード。俺の名だ。じいさんの名前も、教えてくれないか」

「ふふ、そういえば名乗っとらんかったな。トナテオだ。そう、呼ばれておる」

「大船に、なんて言えんが、娘のことはなんとか守ってみせるさ。心配せず待っていてくれ、トナテオ」

「その娘が大きくなって、今よりいい笑顔で帰ってくることを期待しとるよ、レオン」

「……エル」

 聞き間違いと勘違いしそうなか細い声がした。マントを下に引っ張りながら、エルと名乗った少女は精一杯の自己主張をした。

「エルか、これからよろしくな」

「うん! よろしくね、レオン!」

「良い返事だな、エル」

 互いに自己紹介を終えて、レオンとエルは裏口から、小陰の続く裏道を進んだ。愛娘と若者の旅立ちを、トナテオは手を振って見送った。

 二人は、憲兵や市民の目をできるだけ避けて進んだ。青空がみえるようになって、レオンは初めて今の時間帯を知ることができた。おかげで強烈な空腹がレオンの腹の虫を鳴らした。エルは無反応だった。気づいていないのか、単にそういう状況になれてしまっているのか。

 ようやく貧困街を抜け出し、街の入口近くまで辿り着いたが、見張りに内側と外側で各二人、計四人ほどの憲兵が立っている。『勇者』が殺された事件の詳細は、とっくに街の憲兵団に知らされているだろう。身体検査などされて、レオンの剣が見つかってしまえば、疑われ街からでられなくなってしまうかもしれない。

 レオンはマントについたフードで顔を隠しながら、どうにかして町の外へ出る方法がないかを思案した。だが外部の人間であるレオンには、街の詳細などわかるはずもなく、あまり考えなしにうろうろするのもためらわれた。

「トナテオに街の抜け道とかを教えてもらっとくべきだったな」

「知ってるよ! 抜け道!」

 レオンのつぶやきに、エルは自慢気に答えた。そういえばエルも街の住人だったと思い出して、レオンはエルの案内に従った。できるだけ路地裏を通りながら、レオンとエルは迷路のように入り組んだ街並みを歩いた。上空にいくつか干し物を見つけながら、入り口の方角とは正反対の石壁へと行き着いた。そこは人通りが少ない、民家に囲まれた隅の空間で、地面に掘削作業をしたのであろう痕跡を見つけた。エルは色の違う四角い石の窪みを両手で掴み、持ち上げた。子供の細腕でも動かすことができるということは、ずいぶんと薄く軽い石材なのだろう。缶の蓋のように軽々と横合いにポイ捨てされる石に拍子抜けしながら、蓋の先にぽっかりと口を開けた地下道を、レオンは呆れたような目で観察している。

「前に探検してたらみつけたの」

「犯罪の匂いがする穴だな。大丈夫なのかこの街は……いや駄目だろうな」

 酒場でのバモンの言葉と、パン屋の忠告がレオンの耳の中で反芻される。街を賑わせる物騒な連中とやらは、どうやらここから出入りしているようだ。場所が場所だけに発見されづらいのはわかるが、まさかこんな抜け道らしい抜け道があるとは、レオンは予想だにしていなかった。

「外まで続いてるよ。ちょっと暗いから気をつけてね」

「ご親切にどうも」

 エルが暗い穴に身体を滑り込ませる。エルの手招きを確認してから、レオンは大人には少し小さめの穴に窮屈さを感じながら、穴の中に降りた。穴の下は直線の通路になっている、と勝手に結論づけた。なにせ照明のひとつも用意されていおらず、外からの日光が届かない奥の部分は、自分の手すら見えない真っ暗闇だったのだ。

 人よりすくすくと育った身体を前かがみにして、レオンは壁伝いにおっかなびっくりエルの後を追った。

 エルの無邪気な足音が遠くに響くようになってからしばらくして、針の穴のような自然光が目に入った。レオンは気のせいかと目を疑ったが、一歩進むごとに肥大していく明かりに、レオンは小走りで近づいていった。

「出口だよー!」

 エルのひどく楽しそうな声が耳を突く。一足先に洞窟から脱出していたエルは、どうにかこうにかして到着したレオンを見下ろして笑う。

「遅ーい」

「狭いんだよこの穴。よっこらしょ」

 壁に取り付けられた梯子を使って外に頭をだした。薄暗さに慣れた目が日光を嫌がり痛みで訴える。草花の香りを乗せた風が、レオンの前髪を揺らす。くすぐったく首筋を通りながら、洞窟の奥まで涼やかさが満たっていく。牢獄から解放された気分だった。

「これからどこに行くの?」

 エルが興味津々に質問した。レオンは狭い出口に悪戦苦闘し、服を土に汚しながら脱出したあと、あぐらをかいて地面に座っていた。頬を掻きながら、記憶を探るように空を仰ぎ見る。

「そうだなー……。あー……、あそこ、『ナイトパイア』」

「どこそこ?」

「どこだっけ? 覚えてないな。んー……、まぁいいか。たしかここから北に行けば小さな町があったはずだ。そこで道を聞こう。ついでに服も買おう」

「誰の?」

「エルの。じいさんからよろしく言われてるからな。その格好だと目立つし」

 わーい、と両手を挙げて喜ぶエル。女の子はやはり服を買うのが好きか、とレオンは笑う。

 自覚なき復讐の代理人と、無垢な少女の奇妙な取り合わせ。犯罪者御用達の狭い穴蔵が、二人の旅の始まりの地となった。

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