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ふりかえる

作者: 花浅葱 羽羅

 田んぼに、ひかれて飛ばされた猫が血まみれで死んでいた。当時中学生だった私はそれが朝の、しかも登校途中であったにもかかわらずにわざわざ家に帰って叔父に猫が死んでると伝えた。その平坦な声に叔父はなんとも言い難い顔をして、私に「教えてくれてありがとう」といって私の頭を少々乱暴に撫でた。その後で、わざわざ私の見ていない時に保健所に電話した。


 別段、私はその死んだ猫に何か思い入れも無かった。そもそも猫という動物は私の家族にあまり好かれていないので、猫自体に縁があまり無かった。なのでとても義務的なことだと思った唯それだけで、実行したのだ。しかし、道行くまばらな人々は猫を見ないようにし、猫を見つめていた私を様々な感情が入り混じった目で見たのを感じて疑問に思った。どうしてそんな視線を受けなくてはならないのかが分からなかった。私の中で私の動作全ては正常な人間の反応だった。


 私は死ぬことを暗い闇だとは思っていない。むしろ、とても神聖なものだと思っている。死んで人は終わりを迎えるのだ。生まれることが始まりなら、終わりは必ず必要だ。生まれることが神聖とか、神秘的なことなら死ぬことだってそのはずだ。それが私の自論だった。


 ある時、友達にそれを話すと眉を寄せて怪訝な顔をした。どうも納得がいかないらしい。友達はきっと、死ぬことはこわくて悪いことだと思っている人なのだろう。そのことに少しだけ可哀想(視野が狭いし世界が狭い人かもしれない)だと思ってからふと、猫が死んだことや叔父や友達のことを思い出して結論付けた。


 唯、私の思うことは、人とは死を好むということで、結局人は「こわいこわい」と死から逃げようと走って逃げるのだが、気にはなるのでちょっと後ろをふりかえる。それが普通なのだ。だってあのまばらな人々だって、死を認識した上で見ないようにしていたじゃないか。つまり気にかけているのだ。


 私の中で勝手にこういうような漠然とした結論を付けた。そうすると、ぼんやりとしていた考えが整理されたような気分になって嬉しかった。




 後ろをふりかえるのが多いか少ないかなのだ。

(やっぱり私は可笑しくない。)

 猫が死んでいたっていうのは実話です。それ以外はほとんど全てフィクションです。ふと、思い出したのでそれを材料に書いてみました。


 とりあえず、朝あった猫の死体が夕方になってなくなっていたのはその頃の私にとってとても印象深かったです。文では消してしまいましたが( ̄□ ̄;;)

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