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第六話 殺人ピエロの夜

呪文が通じない怪異空間で、真琴が絶体絶命の危機に!

絶望の淵で、岸本と真琴の信頼とコンビネーションが試される回です。


挿絵(By みてみん)



第一章:邪悪なる対峙


禍津の屋敷前に立ち、岸本が「それら」と対峙した瞬間、背筋を刺すような悪寒が全身を駆け抜けた。


一見、白衣をまとった白髪の老人と、若く穏やかな看護師の姿。

だが、老人の目には人間の感情が存在せず、底知れぬ邪悪が滲み出ていた。


看護師の女性もまた、表面上は柔和な微笑みを浮かべていた。

だがその微笑みは、昆虫が獲物を無感情に咀嚼するような冷たさを湛えていた。


「こいつら……本当に人間なのか……?」

二人から漂う気配は、どんな怪異や呪詛よりも恐ろしいものに感じられた。

岸本の身体は後ずさりを求めていたが、足は地面に縫い付けられたように動かなかった。




第二章:日常の影


――数日前――

雑居ビルの三階、岸本探偵事務所。古びたビルの一角に、ひっそりと看板が揺れる。

「岸本の事務所、家具もソファも古すぎだわ。掃除しても汚れ落ちきれないし…そろそろ買い替えなさいよね!」


神藤真琴が掃除機をかけつつ、岸本をビシッと指さす。

彼女のおかげで、事務所は以前とは見違える程整然となっている。


岸本優介のデスクだけは相変わらずの混沌を見せているが、最近その一角に小さな変化が生まれた。

娘・綾香が色鉛筆で描いた絵が額に納めらて、秩序を保っているのだ。


(綾香も、絵が上手くなって来たよな…。「パパと綾香とお花の絵だよ!」って渡してくれたっけ)

絵を眺める度、綾香の「パパ大好き!」という弾んだ声が耳に蘇る。


真琴は掃除を終えると、手にスナック菓子の袋をぶら下げつつ、勢いよくソファに腰を下ろす。


「ねえ岸本、新作のポテチ買ってきたよ。【わさびクリームあんみつチップス】ってやつ。ちょっと食べてみない?」

「お前、よくそんなヤバいもんに手ぇ出すな……。遠慮しとくよ」

二日酔いの胃が、想像だけでざわめく。

「ふーん。オッサンになると味覚も守りに入るのかしらね」

真琴はぱりぱりとポテチをかじりながら、からかうように笑う。


岸本は心の中で(俺が10代でもそんなん食わねえよ…)と毒づくが、口元には小さく笑みが浮かぶ。

真琴の無邪気な明るさが、知らず知らずのうちに、岸本の心にささやかな安らぎを運んでいた。


その静けさを破り、黒電話のベルが鳴り響いた。

受話器を耳に当てると、不快なノイズと合成音声が響く。

「岸本か。また神藤くんと共に、依頼を頼みたい」


【ノイズ】――声には感情がなく、冷たく事務的に言葉を紡ぐ。


「大脳生理学の権威、禍津公仁に関わる案件だ」

声は淡々と続ける。

「彼は生前、24名の被害者を殺害、死刑が執行された。……だが先日、禍津の屋敷跡で3名の若者が消息を絶った。予備調査により、かなり特殊な事案であることが予想されている。よって今回は他チームとの合同捜査に当たってもらう」


「待て、待て!」

岸本は思わず声を荒げた。

「怪異探偵と呪滅探偵の合同捜査だって珍しいのに、その上他チームと合同? そんな話、聞いたことねえぞ?」

「詳細な資料・情報は既に送ってある。確認次第、神藤君と共に現場に赴いてくれ。……健闘を祈る」


ガチャン。通話は一方的に途切れる。


「ったく、いつもいつもあいつは…!」

「【ノイズ】からの依頼ね」

隣に立つ真琴が、冷静な声で口を挟んだ。

「合同チームなんて、確かに異例だわ…まずは資料を確認しましょう」


真琴の声の凍てつく静けさと鋭さが、岸本の焦りを一瞬で鎮めた。




第三章:闇の遺産


禍津公仁。かつては大脳生理学の権威として称賛を浴びた天才だった。私生活では、ピエロの扮装に身を包み、子どもたちを笑顔に変える名士でもあった。

だが、晩年には心の奥底に潜む狂気を露わにした。


「ドリームライド」


それは、禍津が開発を続けた向精神薬だ。

服用者は幼い頃の遊園地で無垢な喜びに浸るような多幸感に浴する。

だが、その効果はあまりにも強力で、不安定だった。

学会は開発中止を命じたが、禍津は闇の中で研究を続けた。


遂に彼は完璧なドリームライドを完成させた。

そして、その薬を24人の被害者に投与し、彼らを甘美な夢の淵に沈め、その肉を食した。

マスコミは彼を「現代のジョン・ゲイシー」「殺人ピエロ」と呼び、世間は恐怖と嫌悪に震えた。

禍津は死刑を執行され、物語はそこで終わるはずだった。


だが、今月に入り、禍津の屋敷周辺で、若者3人が跡形もなく消えたのだ。

まるで闇そのものに飲み込まれたかのように。


予備調査によると、屋敷周辺で呪詛と怪異が深く結びついた異常現象が探知されたという。

そのため、今回は怪異探偵、呪滅探偵、更には研究・分析のスペシャリストからなる異例の合同チームが急遽編成された。


研究機関の正式名称は、特異事象科学解析局――。

超自然現象を対象とした専門機関で、呪詛や怪異の科学的解明と、それに基づく対象の予備調査、活用、および除去が任務だという。

今回は試作機の運用実験も兼ねているとの事だ。


岸本はふと、目の前の真琴を見やった。

彼女の顔は、添付された人物の写真を一瞥した瞬間、強い嫌悪に歪んでいた。

「ヴィクトルと、メンゲルか……」




第四章:呪縛の門


別荘地の奥深く、鬱蒼とした森に囲まれた一角にその場所はあった。

目の前にそびえるのは、禍津の屋敷――ゴシック調の壮麗な洋館だった。


「おそらく、この建物だな…。今までにない怪異の歪みが伝わってくる」

「間違いないわね。…中から強力な邪気を感じるわ」


怪異と邪気が渦巻く館を前に、二人は拳を硬く握りしめた。



――そして現在――

老人の姿が二人をじっと見据えていた。

枯れ木のような痩せ細った体に、灰色に色褪せた白衣がまとわりつく。「今回の研究の助手は、お前らか? 儂はヴィクトル」


ヴィクトルの横に、音もなく人影が浮かび上がる。

看護師の制服を纏った女。

「初めまして。メンゲルと申します…以後お見知りおきを」

彼女は黒い棺のような巨大なケースを、まるで羽のように軽々と抱えている。


岸本は喉の奥で恐怖を飲み込み、声を絞り出した。

「…岸本優介、怪異探偵だ。よろしく」

「神藤真琴、呪滅探偵よ…あなた達とは二度目ね。お手柔らかに」

真琴は嫌悪を滲ませながら言葉を返す。


「あいつら、何だ? 人間…だよな?」

「最低最悪のマッドサイエンティスト共よ。研究と称してどんな残虐なことでも平気でするわ……あまり関わらない方が身のためね」

真琴が耳元で吐き捨てるように答える。


館の入り口前で、真琴が念押しする。

「いい? この館全体からは、強力な呪詛と怪異が渦を巻いているわ。相手は通常の相手とは違うーーおそらく【変異体】よ。どんな事が起こるかも、予測不能。重要なのは、全員が確実に一緒に行動を取ること。……もし離れたら、命はないと思って」


「変異体とはな。よいサンプルが取れそうだ、なあメンゲル」

「仰る通りですわ。素敵な被検体だと宜しいのですが」


ヴィクトルとメンゲルは、まるで他人事のように平然としていた。

まるでこの屋敷が、ただの古い邸宅でしかないかのように。




第五章:夢魔の遊戯


かつては栄華を極めたであろう館の内部は、今や荒廃の一途を辿っていた。

豪奢な調度品や医学書が、あちこちに散乱している。


「中もすげぇな…まるでホラー映画のセットだ」

「病院みたいな薬品の匂いもするわね。胃がムカムカして来そう」

「フェノール類・クロロフェノール類・グルタルアルデヒド…これらが混合して劣化した香りだ…蒙昧ぶりを晒すな、愚物が」

「ヴィクトル先生、真琴様は呪滅探偵。知識が無いのも当然ですわ」

「あんたら、ほんっと相変わらずね!だから組むの嫌なのよ!」


屋敷の奥へ進むごとに、禍々しい気配が肌を刺す針のように強まり、息苦しい闇が肺を締め付ける。

「間違いなくこの先…だな」

「ええ、皆同時に行くわよ」


その先は、資料によると禍津の研究室。既に気配を集中するまでもない。

扉の一つ向こうでは、呪詛と怪異の渦が、来訪者を待ち構えていた。


「命令される謂れはない…お前は、自分の成す事をしていれば良い」

「まあまあヴィクトル先生。真琴様は、先生のお身体を案じて下さっているのですから」


「行くぞっ!」

岸本と真琴が同時に扉を開けるとーー。


そこには夜の遊園地があった。

ジェットコースターや観覧車、回転木馬など、人々の歓声で満ち溢れた世界。


「何これ…遊園地!?」

「真琴気をつけろっ!既にここは怪異の中だ!」

甘い匂い……しかし、どこか化学的な薬品の匂いが鼻をつく。


そこへ、遠くから静かに近づく異形が現れた。

――ピエロの姿をした怪物、呪詛と化した禍津だった。

六本の腕が不気味にうねり、各手に肉切り包丁やナイフが無数に握られている。


「我が遊園地へようこそ、歓迎致しますよ。良いですねぇ、今日はお客さまが四名様も」

その声は粘つく闇のように響き、身体がふわりと宙に浮く。


「あんたが禍津……殺人ピエロね? どうやら怪異を取り込み、操れるみたいだけど……一体どういう事かしら」

真琴が詰め寄る足音が、遊園地の喧騒を切り裂く。


「そうなんですよぉ。【ドリームライド】で夢見心地になった方々を食し続けるうち、私は大変な事に気付いてしまいましてねぇ」


舌がねろりと顔を舐め、粘つく音が響く。

「食した方々の心が、夢を見続けながら怪異となり、私の心へと次々宿っていくのを感じたのですよぉ。…その微睡みの夢を使役することで、このように皆様を、私の夢の世界にお連れした次第なのです」


「ところで、美味しいお肉の作り方、ご存じですかな?」

禍津の目が爛々と輝く。


「一つは、快楽のドーパミンが溢れるお肉…」

「そしてもう一つは、激しい苦痛でエンドルフィンが滲むお肉ッ!」


その顔が残虐に裂け、笑い声が遊園地の歓声と溶け合い、耳を抉る。



第六章:鋼線の罠


禍津の唇が歪み、細い指先でナイフを閃かせた。

その動きに先んじて真琴の唇が動き、詠唱が鋭く響く。


「高天原に坐す氷の神よ、清浄なる水の精霊よ、氷の結界、堅牢なる壁よ、今ここに顕現せよ! 結!」


空気が一瞬で凍てつき、真琴の周囲を氷の膜が包み込む…だが、それはあまりに脆弱だった。ナイフが軽々と貫き、真琴の肌を裂く。


「!…氷の結界が!?」

「おバカさんですねぇ。ここは私の怪異の中だと言うことをお忘れですか? 貴女の呪文など、ここでは意味を成さないんですよぉ」


禍津の嘲るような声が響く中、真琴は後ずさる。


「痛っ!何…!?」

怪異により視界にさえ映らない、細い鋼線が、蜘蛛の糸のように張り巡らされていたのだ。


「貴女は既に私の罠の中…逃しませんよぉ」

禍津はナイフを雨のように放つ。銀の閃光が嵐となり、真琴に襲いかかる。


「真琴! そこから次の鋼線は2メートル後ろ、30センチ屈んで戻れ!」真琴の後ろから発した岸本の声が、緊迫した空気を鋭く裂いた。

彼の瞳は、鋼線に宿る微かな怪異の気配を捉えていた。


真琴は身を翻し、ナイフの嵐をかわしながら、禍津との距離を取っていく。

「岸本、次は!?」

「そこから更に30センチジャンプ! 1メートル先で、20センチ屈んで走れ! それで鋼線の罠を抜けられるっ!」

「了解!一気に抜けるわよ!」


真琴の体が軽やかに跳ね上がる。

鋼線とナイフの嵐を避けつつ、みるみるうちに距離を離し、ついに罠の網から抜け出す。


「敵が罠を張り巡らせている中で戦う馬鹿などおらんな……ここは一時撤退だ」

「仰る通りですわ、ヴィクトル先生。まずは身を隠しましょう」


四人は遊園地の朽ちかけた影にその身を隠し、消えた。

禍津の顔に苛立ちの皺が深く刻まれ、小さな舌打ちが響いた。



第七章:乱戦


「これが、怪異の中での戦いか……。呪詛に対して呪文が通じないなんて初めてよ。…悔しいけど、不覚を取ったわ」

真琴が、血の滴る傷口を押さえながら、忌々しげに呟く。


「怪異だったら、俺の出番だな…」

岸本は深く息を吸い込み、神経を鋭く集中させる。


「怪異なんていない!」

強い意志を込めて発した言霊に、遊園地の景色が歪む……しかし次の瞬間、元に戻ってしまう。


「怪異が消えない…?そんな馬鹿な!」

「呪詛が、怪異を完全に隷属化しているのだ。過去の傾向から察するに、怪異を打ち消すには、おそらく禍津の弱体化が必須だろう。……また新しいデータが取れそうだ」

ヴィクトルが、口の端を僅かに歪め、冷徹に呟く。


「今までにない貴重な被検体になりそうですわね、ヴィクトル先生」

絶体絶命の渦中でさえ、二人はどこか楽しさすら見せる。



そこに突如、音もなくピエロたちが現れた。

戯ける者、パントマイムをする者、ジャグリングをする者……。


「なんだ、このピエロたち…?」

「10、20…もっといるわね、完全に囲まれたわ」


全員が白塗りの顔に、赤い鼻と歪んだ笑みを浮かべる。甘い化学臭が、吐息のように漂う。


「!…来るわ、突っ込んでくる!!」

真琴は目にも止まらぬ速さで動き、ピエロたちの急所を的確に狙い撃破していく。

ドサ…ズサ…。

次々とピエロたちが崩れ落ちる。


「こうなりゃヤケクソだぁっ!」

岸本も、園内の案内板のポールを掴み、ピエロに叩きつけた。

メリッ…。

鈍い衝撃音が鳴り、一人、二人……白塗りの顔が砕け、倒れ込む。


ヴィクトルは音もなくピエロの背後に立ち、薬剤を注入する。ピエロが痙攣を起こし倒れる。

「濃縮シアン化物カリウムを投与、5秒後に死亡確認。ある程度の物理法則には則っているようだな」

抑揚のない声で次の対象を見定める。


ジャグリングのピエロがボールを岸本に投げつけ、ガスが噴出する。

(なんだこのガス、息が出来ない…意識が薄れる…。)

しかし、急速に意識が戻った。

清涼な風が肺を満たす。


「大丈夫ですか、岸本様。VXガスの症状が出ておりましたので、解毒薬を投与させて頂きました」

傍らには、穏やかな笑顔のメンゲルの姿がいた。

戦場に不釣り合いな優雅さを湛える。


僅か数分で、ピエロたちの集団は壊滅に至った。

その亡骸は、次第に塵のように崩れ、風に乗って消えていった。



第八章:血濡れの舞


静寂を、突如として煙が突き破る。瞬く間に辺り一帯は【ドリームライド】の濃霧で塗り潰された。

岸本、ヴィクトル、メンゲルの三人は、逃げる間もなく呑み込まれていった。


「しまった、皆が…!」

辛うじて滑り抜けた真琴の頭上に、ナイフの雨が降り注ぐ。

視界の先に、鋼線に浮かぶ禍津がいた。

その顔は、怒りで歪み、殺意で煮え滾っていた。


「私の罠を回避した上に、配下のピエロたちまで全滅とはねぇ。いけませんねぇ。ここまでコケにされたのは初めてですよぉ……もう、貴方たちは楽に殺してあげません」

禍津が指を鳴らす。


ゴゴゴゴォ……。

地響きが始まった。

地面が波打ち、割れ目から無数のピエロたちが這い出てくる。

化学薬品の臭いと、笑い声が混じり合う。


「さあ、本日のメインイベント……可憐な女性の解体ショーですよぉ」

禍津の口が、耳まで裂けた。

どす黒い邪気が、霧のように漏れ出す。


岸本たちを失い、真琴の状況は絶望的だった。

ゴウッゴウッ!

真琴を火球が襲う。足長ピエロたちがジャグリングの火球を次々と投げつけてくる。

避ける真琴に、今度は針が掠める。

(痛っ!身体が痺れる…神経毒…?)

空中ブランコのピエロ達から放たれたものだ。

更に迫りくる、夥しい数のピエロたち。


(数が…敵の数が多過ぎる!…呼吸が乱れるっ……!!)


禍津のナイフは、故意に急所を外し、真琴の全身を切り裂く。

神経毒が徐々に体を蝕む。

視界がぼやけ始める。


遂に、足をピエロに掴まれ、身動きが取れなくなった。

「!…しまった!」


「よろしいですねぇ、極上のお肉になりますよぉ」

勝ち誇った禍津の目は、獲物を弄ぶ獣そのものだった。

舌が唇を舐め、ゆっくりと距離を詰めて来る。


(この距離、この状況…。今を逃したら勝機は無い!)


真琴は、静かに深呼吸した。

痛みが全身を苛む中、呪文を紡ぎ始める。


「天の風の守り神、力合わさりて刃となれ。空気の鋭き縁を成し周囲を斬り払い給う! 斬!」


激しい風が巻き起こり、土煙が舞い上がる。しがみついたピエロたちが吹き飛ばされた…。

――だが、それだけだった。風の刃は、一つも顕現しなかった。


禍津の嘲笑が、霧の中に響き渡る。

「まだ分からないんですか?貴女の呪文は――」

言葉を途中で、禍津の顔色が変わった。

土煙が収まった瞬間、真琴の姿はそこになかった。


次の瞬間――禍津の眼前に、真琴が躍り出ていた。

「呪文が使えなかったら……無力とでも思ったか?」

冷徹な声と共に、拳が禍津の顔面を叩き割る。


メリッ…。

骨の砕ける音が、空を切り裂いた。よろけた禍津の体を、自らの鋼線が巻き付き、全身を切り裂く。

肉が裂け、血が噴き出す。絶叫が上がる。


それと同時に、配下のピエロたちは灰燼に帰した。

塵が舞い、遊園地の幻影が揺れ始める。

「バカな……ッ! 何故貴女がここまで……?」


「風を起こしたと同時に飛び出し、足長ピエロの長身を足場にし、空中ブランコを掴んで遠心力を付けて――あんたをぶん殴ったのよ」


更なる一撃が、禍津の顔面を見舞う。どす黒い血が止め処もなく滴り落ちる。


「わざわざ敵に足場を作るなんて、絶対的優位に酔いしれ過ぎたわね。速攻で殺しに来れば、勝てたかもしれないのに、ね」


禍津を見下ろす真琴の目は、氷のように冷たい。血の滴る体で、彼女は静かに立つ。


「ククク……これで勝ったつもりですか? もし私を殺すなら、【ドリームライド】で取り込んだ怪異共を全員ぶちまけてやるっ! 無差別に人間を引き込み、殺してやるよっ!」

禍津の声は、霧の中に響き、狂気を帯びて広がっていった。




第九章:狂気の終幕


ヴィィィーン……。突然不気味な始動音が、空気を切り裂くように響き渡った。

直後、耳を抉るような不協和音が、爆音となって炸裂する。

遊園地の幻影がねじれ、ガラスのように粉々に砕け散った。

一瞬の静寂の後、そこは禍津の研究室へと一変していた。


【ドリームライド】の霧が次第に晴れる中から姿を現したのは、ヴィクトルとメンゲルだった。

不協和音の元凶は、メンゲルがケースから取り出した、巨大なスピーカー状の装置だった。


「ふむ。呪詛の生体反応が減衰すると、やはり怪異の出力も比例して低下するようだな」

「ヴィクトル先生、稀代の変異体でしたわね。おかげで、極めて貴重なデータが取れました」

メンゲルが微笑みを浮かべて応じる。


「か、怪異が……? ……それに、貴方たちは一体……なぜ、私の霧の中で動けた……?」

禍津が絶望の色を浮かべる。


「これは、怪異破壊専用の音波干渉装置だ。試作段階だったが、今回のテストは上々だった。……あと、ああ…お前が作った薬剤のことか? あの程度の物なら、事前に資料を一瞥すれば、予防薬や解毒薬など楽に調合できる」

ヴィクトルは、興味なさげに淡々と説明した。


「ではヴィクトル先生、オペの用意を……」

メンゲルのケースから、手術台が現れる。

次いで無数の枷付き鎖がまるで生き物のように蠢き、禍津を絡め取った。


「では、オペを開始する。被検体は禍津公仁・没年齢64歳。呪詛化後約84日。呪詛及び怪異の変異体と断定。食人嗜好が顕著な為、まず胃の切開から始める……。」

抑揚のない声で、ヴィクトルは躊躇なくメスを振るった。禍津の絶叫が部屋に響き渡る。


真琴は止血を施しつつ、メンゲルに声をかけた。

「さっき解毒薬がどうとか言ってたわよね……今も持ってるの?」


「持っておりますが。……ああ、岸本様でございますか? 既に投与させて頂いております。あと10分もすれば、お目覚めになるかと」


「そう、ありがと……今回は助けられたわ。前回同様、【後処理】はそっちでやってくれるのかしら?」


「はい、お任せくださいませ。責任を持ってさせて頂きます」

メンゲルは会釈し、穏やかな笑みを浮かべた。


(この惨状、岸本には絶対に見せられないわね……)

真琴は、岸本を肩に担ぎ上げ、静かに車へと向かって行った。

研究室の扉が閉まる音が、禍津の絶叫を闇に閉じ込めた。




第十章:希望の余韻


目覚めたとき、岸本は自分の車の運転席にいた。

禍津の【ドリームライド】の霧を浴びて昏倒してからの記憶が、すっぽりと抜け落ちている。

朦朧としながら隣を見ると、身体中ボロボロの真琴が座っている。

その姿に仰天した。


「真琴、その怪我は!? それに禍津…ピエロのは!? あの二人はどうなったんだ!?」


パニックでわちゃわちゃする岸本をよそに、真琴はどこか落ち着いた様子で、シートに深く凭れかかっていた。

「ピエロ? あんたが気絶してる間に、私がきっちりぶっ飛ばしておいたわよ。ま、呪滅探偵十指の実力は伊達じゃないってこと!」

いつものようにフフン、と自信たっぷりに鼻を鳴らす真琴。

だが、その声にはどこか疲れと安堵が混じっていた。


「そっか…でも、なんか俺、今回は全然ダメだったな…。終始真琴頼みで、俺なんか薬で気絶してただけだし。はぁ、情けねぇ…」

岸本が肩を落とし、悄然と呟くと、真琴が軽く舌打ちして振り返る。


「ちょっと、あんたね。自分を過小評価しすぎ!」

そう言うと、真琴は岸本の頭に軽いチョップを繰り出した。


「あのね、岸本。あんたの咄嗟の声かけがなかったら、私、きっとあのナイフの雨でやられてた。…あんたがいてくれたから、なんとか切り抜けられたのよ」


言いながら、真琴は慌てたように視線を逸らし、窓の外を見つめた。車内に一瞬、静寂が流れる。


「…まぁ、つまり、岸本がいて助かったってこと。…何かあったら、お互い様よ」

真琴の声はいつもより少し柔らかく、照れ隠しのように小さく笑った。


「真琴…」

岸本が何か言いかけた瞬間、真琴が急に身を乗り出して彼の頬をつねった。


「ほら、落ち込んでる暇なんてないわよ。次はあんたがカッコいいとこ見せなさいよね!」

彼女の目はいたずらっぽく光りながらも、どこか温かく岸本を見つめていた。


岸本はつねられた頬をさすりながら、苦笑いと共に小さく頷く。

「…ああ、約束するよ。次は俺の番だな」

二人は顔を見合わせ、まるで子供の頃に戻ったような無邪気な笑い声を車内に響かせた。



車はゆっくりと走り出し、街の喧騒の中へと溶け込んでいく。

ピエロの霧も、恐怖の夜も、遠い記憶のように感じられた。


助手席で真琴が鼻歌を歌い始め、岸本はそれに耳を傾ける。

なんてことない日常が、こんなにも愛おしいものだと初めて気づいた。

これからも、こんな日々が続くなら――それだけで、ささやかな希望となるだろう。

殺人ピエロの夜、お読みいただきありがとうございました。

岸本・真琴コンビの成長と、バトルシーンを楽しんで頂けたなら幸いです。


次回、第七話「呪詛と怪異の深淵」では、ヴィクトルの過去が明かされます。

20時更新予定です。お楽しみに!

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