第三話 廃校舎の怨念
新たな相棒・真琴との本格タッグ。
いじめと自殺で生まれた怪異と呪詛が、依頼人の心を蝕む。ぜひ本編へどうぞ!
第一章:変わりつつある居場所
「何でこんな汚れた中で暮らせるの!?」
神藤真琴の声が事務所に響き渡る。
「ゴミはきちんと捨てなさいよ。一般・プラ用・缶瓶で分別が基本!私は床掃除するから、あんたは窓掃除ね。はい!」
岸本優介は、問答無用でバケツと雑巾を渡され、渋々掃除を始める。
真琴の嵐のような指導の元、事務所はみるみる清潔感を取り戻していった。
仕上げとばかりに、応接間の隣の小部屋に自分の名前を書いたプレートを貼り「ここは乙女の部屋!勝手に入らないでね!」と、自分の部屋まで作ってしまった。
唯一取り残されたのは、岸本のデスクだ。書類の山や、用途不明のメモが混沌を保っている。
「…ついでにここも整理してくれない?」
「嫌よ。何が必要か判断つかないもん」
強引な中にも、一線は引いているらしい。
「俺もちょっとは片付けるかな…」
雑然とした事務所の中に、新しい空気が入り始めた。
第二章:ノイズの電話
掃除の疲れでへばっていると、古い電話がけたたましく鳴った。
「はい、岸本探偵事務所」
「岸本か、真琴くんも一緒だな。今日は二人に依頼を頼みたい」
耳障りな雑音が入る合成音声…【ノイズ】からの電話だ。
「場所は茨城県、水浦市にある廃虚となった学校だ。予備調査の結果、怪異と呪詛の発生が確認されている。既に詳細な資料・情報は送ってある」
ノイズが一層強くなる。
「なお、今回の事案は一般人から寄せられた情報に端を発している。依頼人をそちらに伺わせるので、聞き取りも頼むぞ…健闘を祈る」
ガチャン。一方的に電話が切れる。
資料によると、問題の中学校は8年前に廃校になったという。
元々の生徒の素行の悪さが問題視されていた上に、女子生徒が壮絶なイジメを受けた上で、学校の屋上から飛び降り自殺。
それが決定打となり、廃校に追い込まれた。
その後は自殺の名所となり、解体工事が計画されるも、作業員たちが次々と失踪を遂げる。
予備調査によると、怪異及び呪詛が同時に探知された為、怪異探偵、呪滅探偵の合同調査が決定したとの事だった。
「イジメに自殺、胸糞悪くなる話だな」
「まずは、依頼人の話を聞いてからね…怪異と呪詛の同時発生というのも気になるわ」
二人の視線が、静かに交差する。
第三章:橋本優香
数日後。
控えめなノックの後、ドアが細く開いた。
「…あの、ここ、岸本探偵事務所…ですか?」
二十歳そこそこの女性がいた。
グレーのブラウスに紺のロングスカート、声は消え入りそうな程か細かった。
「もしかして、廃学校の件の人…かな?」
岸本の問いに、女性は小さく頷いた。
「岸本探偵事務所の、岸本優介です、よろしく」
「橋本優香です…こちらこそよろしくお願いします」
来客用のソファに座り挨拶を交わしながらも、優香の表情は酷く落ち込んでいた。
「まあ、温かい飲み物でもどうぞ…。落ち着きますよ」
真琴がにこやかに、抹茶ラテの入ったカップを置く。
「ありがとうございます……あの、岸本さんの……お嬢さん、ですか?」
(岸本の…お、お嬢さん……!?)
瞬間、真琴の動きがピタリと止まった。
真琴は微笑みを張りつけたまま、微かに頬が引き攣っている。
「ま、まあそれよりも…!依頼の内容をお聞きさせて下さい」
「はい…」
優香は両手を膝の上で固く組み、ゆっくりと語り始めた。
―私、あの学校の卒業生なんです。美咲とは親友でした。
――でも、美咲が不良グループに目をつけられて。
最初は陰口とか、無視とかだったんです。でもだんだんエスカレートして……。
――トイレに閉じ込められたり、制服に落書きされたり、お弁当にゴミを入れられたり……。
――美咲、先生に相談したんです。でも、軽く注意があっただけでした。
――それから、もっと酷くなって…もう、イジメなんて生易しいものじゃなかった…。
優香の声は次第に掠れていく。
――最後は屋上から……遺書には、私の名前も書いてあったんです。「優香ちゃん、ごめんね」って……。
――私、怖くて…見ないふりして…それどころか、みんなに合わせて笑って…ひどいことまで……。
涙がぽろぽろと落ち、ラテの表面に波紋を作る。
あの事件か…。
その後の騒動は、マスコミでも大きく取り上げられたので、岸本もよく憶えていた。
事件から数年後、加害者たちのSNSが大炎上を起こしたのだ。
加害者たちは、全く更生していなかった。
万引きや飲食店での悪ふざけ、更には自殺した少女への揶揄を次々に投稿し、世間の大きな怒りを買った。
全員の身元が特定され、ネットリンチが始まった。
ある者は一家離散、ある者は多額の賠償金請求と、それぞれ人生を踏み外した。
主犯格だった元少女、遠藤亜沙美は、SNSで恨みをぶち撒けつつ、廃校舎で自殺をする事態となったという。
ーー「でも最近、毎晩美咲の夢を見るんです。『なんで助けてくれなかったの?』『なんであなただけ生きてるの?』って…」
「どこに相談しても信じてもらえなくて…ある霊媒師さんのところで『ここに電話をしてみなさい』って言われたら、ノイズ混じりの声の人が、相談に乗ってくれて…」
(なるほど…その霊媒師とやらが、ノイズに繋がってたのかもな…)
「今更ですけど、私美咲に謝りたいんです!許してもらおうなんて思ってない、私なんてどうなってもいい…でも、一人じゃ怖くて…岸本さん、どうか助けて下さい…!」
優香は、深々と頭を下げた。
「…事情は分かった。大変だったね…俺たちに任せてくれ」
「そんなに思い詰めないで。大丈夫、力になるわ!」
岸本たちの声で、優香の心に微かな勇気が宿った。
第四章:屋上の再会
水浦第三中学校。
三人は、問題の廃校舎の前に立った。
おそらく侵入者によるものだろう、窓は割られ、スプレーの落書きなどがあちこちに見られる。
校庭内には、解体用の重機が、鉄錆の匂いを漂わせたまま眠っている。
校舎に入ると、机や教科書、傾いた黒板などが当時の面影を残す。
廃虚特有の湿った黴臭さと、重ったるい空気が淀んでいる。
放置された体育館のマットが腐り、踏むとぬるりと沈み、何とも言えない腐臭が鼻を突く。
「酷い荒れようだな…確かに、怪異の気配がする。屋上からのようだ」
「私の方もよ。呪詛の発生って情報は正しかったみたいね…おそらく二階の教室辺りだわ」
「今回は、怪異も呪詛も完全に独立しているようね…。じゃあ、お互い別行動にしましょう。そっちの方が安全だわ。万が一何かあったら、【依代】で知らせなさいよ」
「了解。優香さん、問題の屋上はどこかな?一緒に行こう…おそらく美咲さんはそこにいる」
優香は震えながらも、岸本の後ろについて屋上への階段を上った。
屋上の軋む扉を開けると、そこは既に怪異の只中だった。
空気は重く漂い、自殺者の無念が渦巻くなか、無数の悲鳴が響き渡る。
優香の姿の前に、人影が揺らめき、次第に形を成していく。
それは、当時の美咲の姿だった。
「美咲…!」
優香が涙を流しながら、美咲に駆け寄る。
震える手で、ポケットから一通の手紙を取り出した。
「美咲、これ憶えてる…?子どもの頃『一生おともだちでいようね』って書いてくれた手紙…。美咲が死んでからも、ずっと捨てられなかったんだ」
「……これ、返したかったんだ。私が持ってる資格、ないもん。…ごめんね、美咲。私怖くて、見て見ぬふりして……それどころか、みんなに合わせて笑って……」
手紙を差し出しながら、膝から崩れ落ちる。
美咲が優香の首に手を伸ばす。優香は自ら首を差し出すようにして目を閉じた。
「殺して……私も一緒に連れてって……」
「優香さん駄目だ!死んでも誰も救われないっ!」
岸本が叫ぶが、優香の決心は変わらなかった。
優香の首に美咲の手が触れ、次第に力を込めていく。
優香は手紙を握り締めたまま微動だにしない。
僅かに、美咲の手の力に躊躇いが帯びた。
(くそっ!二人とも被害者なのに…!何でこんな事にっ…!)
怒りと悲しみに身体を震わせながらも、岸本は全力で言霊を紡いだ。
「怪異なんていないっ!」
その瞬間…美咲が、優香の首からそっと手を離した。
彼女の身体は光の粒となって、次第に溶けてゆく。
「……優香ちゃん、ありがとう…。幸せに生きてね…」
優香の耳に微かに届き、彼女は初めて声を上げて泣き崩れた。
僅かな余韻を残しつつ、屋上は静寂に戻っていった。
第五章:呪詛の教室
一方真琴は、呪詛が撒き散らす気配を追い、迷わず歩を進めていた。
とある教室前で立ち止まる…。間違いなくこの向こうだ。
勢いよく扉を開けるとーーそこには異形の呪詛がいた。
長い髪の毛を振り乱し、異常に大きな目に、耳まで裂けた口元。
おそらく失踪した作業員たちの物であろう、人骨が散乱し、腐臭を放っている。
「…あんたがイジメの主犯格ーー呪詛になった遠藤亜沙美ね?」
「イジ…メ…?」
亜沙美の裂けた口から黒い邪気が漏れ出し、澱んだ空気が辺りを包み込む。
「何がイジメだよっ!アイツは勝手に死んだだけだろうがぁ!アタシこそ被害者だ!住所まで特定されて、どれだけ酷い目にあったと思ってんだぁ!!」
目が吊り上がり、殺意に満ち満ちている。
爪と牙がメリメリと音を立てて伸び始め、硬質な光沢を持ち始める。
「お前も死ねっ!時間をかけて食い殺してやるっ!」
爪と牙の連撃が、真琴に襲いかかる。
躱して後退するも、次第に壁際へと追いやられていく。
呪詛が渾身の力で爪を突き立てる。
ーーが、爪は壁にめり込んだだけだった。
真琴は跳躍しつつ、即座に呪詛の腕を狙うが、呪詛の顔に笑みが浮かぶ。
次の瞬間、無数の牙が刃物のように炸裂し、広範囲に真琴に襲いかかったのだ。
咄嗟に壁を蹴り致命傷は防ぐが、腕や足から鮮血が滴り落ちる。
真琴の小さい舌打ちが響く。
「ハハハッ!お前も美咲みたいにじわじわ虐め殺してやろうかぁ?」
呪詛の嘲笑が響き渡る。
「…つくづく性根の腐れきったゴミクズね…全力で駆除する…」
真琴の瞳は獲物をしとめる獣のように鋭く、全身からは刺すような殺気が放たれた。
呪文を詠唱し、風の双剣を顕現させた。
呪詛が再度襲いかかるも、双剣に爪と牙は脆くも崩れ、全身を切り裂かれる。
呪詛の全身からどす黒い血が撒き散らされる。
続いて呪文の詠唱を始める。
「風の神よ、天の息吹を賜れ。邪を集め嵐の核と成さん、凝縮の渦を巻き起こし、力の塊とせよ! 縮!」
凄まじい風が巻き起こり、たちまち呪詛を飲み込む。
風の檻が形成されて、呪詛を締め上げる。
「いだっ…いだいいぃぃ…!何…すんだ…!」
「…風の檻に閉じ込めたのよ。これからあんたは、暴風で全身が引き千切ぎられながら、身体の再生を延々繰り返す事になるわ」
「なんで…私…ちょっとイジメした…だけなのに…」
「心配しなくていいわ、美咲さんの数カ月に及ぶ苦しみからしたら何でもない。せいぜい十日もすれば自然消滅する…どう?『ちょっと』でしょ?」
真琴の顔に、冷たい笑みが浮かぶ。
絶望の表情を浮かべる呪詛を前に、最後の詠唱を終える。
「呪滅!!」
絶叫と共に、呪詛は風に呑まれ、天高く消えていった。
呪詛を討ちながらも、真琴の心には拭えない絶望と悔恨が、深い闇となって広がっていた。
教室には、僅かに風がそよぐ静寂だけが残った。
第六章:夕焼けの校門
廃校の校門前、夕焼けが三人を優しく照らす。
優香は涙を流しながらも、初めての笑みを見せた。
「…私、生きることにしました。美咲の分まで、ちゃんと生きて、償っていきます。誰かが同じ目に遭わないように、私に出来る事を頑張ります…。だって……美咲は、私に『幸せに生きてね』って言ってくれたから…」
「それでいいのよ、優香ちゃん。過去は変えられない…でも、生きてこそ償えるんだから」
真琴は目を潤ませながらも、力強く答えた。
「全く、いきなり死のうとしてビビッたよ…でも良かった。また気が向いたら、今度は事務所に遊びに来てくれよ。美味いコーヒー、淹れてあげるからさ」
「はい…! 約束します!」
優香の瞳には、希望の灯がともっていた。
第七章:事務所の夜
「しかし、何ともいたたまれない事件だったな…。優香さんも美咲さんも、誰も悪くなかったのに」
事務所でコーヒーを淹れながら、岸本は気落ちしていた。
「そうね。人の痛みが分からない奴は、平気で他人の幸せを踏みにじる…。多分こういう事は、永遠に無くならないわ」
真琴が深い溜め息をつく。
「…でも岸本。二人の心を救ったのは、間違いなくあなたよ。いいところ見せてくれたじゃない!」
真琴は明るく笑い、岸本の頭をわしゃわしゃと撫でる。
「まあ、そう言ってくれると少しは報われるよ…。でも、そういや優香さん、真琴の事を子どもって勘違いしてさぁ…」
言いかけて、岸本がハッとした。顔が青ざめる。
真琴の顔がみるみる赤くなり、瞳が怒りの炎で燃える。
「あんたねぇぇぇ!! 私は23歳って言ってるでしょうがぁぁ!!」
事務所内で突風が巻き起こり、書類が舞い、カーテンが暴れ始める。
「ごめん!本当ごめん!部屋壊さないでぇ!大家に殺されるぅ!」
岸本が必死に土下座する中、真琴の怒りは収まる気配がなかった。
二人の息が合うまでは、まだしばらく時間がかかりそうだった。
岸本と真琴による救済の結末はいかがでしたか?
次回は、戦時中の悲しき記憶が怪異となった「戦火のゆりかご」に挑みます。
20時頃に更新予定。ご期待ください!




