9話
春の終わり、むさ大の中庭。
結菜は、白いブラウスに身を包み、ベンチに座っていた。
陽の光が、彼女の輪郭を淡く縁取っていた。
湊斗は、少し離れた場所からその姿を見ていた。
風が吹くたびに、結菜の髪が揺れた。
そのたびに、彼女の存在がこの世界に確かにあることを、湊斗は感じていた。
結菜の顔立ちは、以前と変わらなかった。
でも、何かが違っていた。
目の奥にある光が、より澄んでいた。
言葉の選び方が、より静かだった。
そして、笑顔が、どこか天使のようだった。
「感覚が、研ぎ澄まされてる気がするの」
結菜が、空を見上げながら言った。
「風の温度とか、光の粒とか、
今まで気づかなかったものが、見えるようになったの」
湊斗は、隣に座った。
「それって、科学者としての進化かもな」
「ううん。たぶん、命の輪郭が見えてきただけ」
結菜は、微笑んだ。
---
碑文谷のアパート。
陽翔が、ホワイトボードに「プロジェクト再始動」と書いた。
「やろう。結菜のために、もう一度」
湊斗が、静かに言った。
「何を?」
陽翔が振り返る。
「作品をつくる。今度は、結菜の“目”で見る世界を」
湊斗の声は、揺れていなかった。
「科学部の頃みたいに?」
大翔が聞いた。
「いや、あの頃より、もっと静かに。もっと深く」
湊斗が答えた。
陽翔は、ホワイトボードに太字で書き加えた。
《Project: 光の輪郭》
3人は、黙って頷き合った。
その沈黙には、覚悟の重力が宿っていた。
---
奥沢のアパート。
結菜は、ノートの余白に言葉を綴っていた。
「感性が、研ぎ澄まされていく。
命の輪郭が、光のように浮かび上がる。
湊斗の沈黙は、たぶん祈りだった」
窓の外で、夕暮れが街を染めていた。
その光が、彼女の頬を優しく照らしていた。




